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導火線を引いたのは?
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その日の爆弾は率直な疑問の形をして降ってきた。
「嘉六さん、最近俺のこと避けてますよね? 何でですか?」
起爆ポイントをよくよく見極めなければいけない、齎した仄本人も含めて取扱注意な危険物。だが、まずは冷静に自らの行いを省みて欲しい。切実に。
行く先々に先回りする。頼んでもいないのに高価な貢物を持ってくる。抜け毛は集めるし、終いにはすね毛を剃りたがる。例を並べるだけでぶわりと尾が逆立ちそうなストーカー行為の数々から逃れようとすることに、果たしてどんな理由が必要か、と。
どんだけ大変だったかと滔々と語って聞かせたいのをぐっと堪え、『お前の自業自得だろ』と即座に切り捨てなかった俺を誰か褒めてくれ。ついでに、8つも年下の言動に参っているのはこっちの方だと愚痴りたい。この間は相談がバレてむしろ拗れた気がするから次は完全個室希望だ、なんて逃避する頭を現実に戻せば律儀に答えを待つ目があった。
「……悪かったよ」
如何なトンデモストーカー様でも一度は手を差し伸べた相手だ。不満げな瞳に射抜かれれば多少はそう思わないでもない。故に半分は本心から、そして捨て犬ぶっているこの顔が俺の仕種一つで獣を匂わせることを知っているからこそ続ける。与えた刺激で仕出かす何かに怯えるより、謝罪と共に差し出した
「今日一日はこの色男を好きにしていいぜ。仄」
この人は一体、何を言っているんだろう? ついに幻聴が聞こえ始めたのかと我が耳を疑うのに忙しくて理解も反応も遅れた。
「なんだ、要らなかったか。じゃあ、」
「要ります待ってください今考えてるんで」
爆弾発言の衝撃で停止しかけた脳を強制再起動。嘉六さんの気が変わってしまわないうちに、日々繰り返した様々なシュミレーションを呼び起こす。好きにしていい? 本当に? まさかのアルコール摂取済み? 否、知り得る限りシラフの筈だ。いや許可が出るならそれはもう好きにさせてもらいますけど。後悔しませんか? 誰に何を言ってるのか、ちゃんとわかってますか? 何処まで受け入れてもらえるか、試しちゃってもいいんですね?
足を舐めたい——想定の何周も上を行く返答を前にすれば遠い目にもなるってもんだ。すね毛から更に進化してるじゃねぇか。野郎が野郎にだぞ。絵面を想像するだに、あ、だめだ鳥肌が立った嫌がらせにも程があるクーリングオフしたい。仄が足下に跪いてる景色だけでもうとっくに逃げ出したいってのに、言い出した手前、残念ながら引っ込みはつかない。
「……ん」
渋々と差し出した足先に向かう視線は脚をガン見してた時と同じかそれ以上に熱っぽい。焦げ付きそうな沈黙に、ごくりと喉が鳴る音まで聞こえた気がする。頼むから瞬きくらいしろ。そういうとこだって言ってんだろうが。一向に動かないのに何故かこっちが痺れを切らす頃、徐ろに開いた唇から荒い息遣いが爪先に触れ、ぬるりとそれが足の指を襲った。
「おっ、まえ、マジか……!?」
湿り気を帯びて熱く熟れた粘膜。正体なんて考えるまでもなく慌てて引き戻しかけた足首を、有無を言わせないとばかりに捕まえられる。
「嘉六さんが、いいって言ったんですよ」
顔を俯かせ、一瞥もくれずに舌先で全面的な責任を押し付けられれば、事実なので飲み込まざるを得なかった。『精々が足の甲程度だと踏んでいた』という言い訳じみた文句も、抵抗も、丸ごと。
「楽にしててくださいね」
免罪符を掲げた男が指先をねぶりながらとんだ無茶を言う。そろりと表層を撫ぜるだけだった動きが、ひとつ、ひとつ、指を辿る度に遠慮を捨てていく。舌の腹。頬の内。吸い付く様はまるで口内で味わうようだと考えが至ると同時に背が粟立つ。駆け上がった何かを逃そうと、身動ぎも出来ない手足に代わって尾がぱたりぱたりと幾度も床を打った。
丁寧に。丁寧に。形を確かめ、味を知る。自分の手指なら書類で切った時に舐めたことがある。ただ、少ししょっぱいくらいで他に感じることなんかなかった。それがどうしてこんなに次から次へと欲しくなるんだろう。答えを探してまた隣の指を含んだ。
いつぞや怖いと言われたことを思い出しながら、抵抗するまいと強張る足を優しく両手で支え、ご機嫌を取るように指先にキスを落とす。咄嗟に掴んでしまった足首をそっと摩れば、ふう、と頭上で漏れた吐息。怯えとは違うように聞こえたのは、流石に欲目かもしれないけれど。
「爪、綺麗ですよね。誰かに手入れしてもらったことあるんすか?」
「……、……」
返事は無い。親指を半分咥えたまま表情を窺えば、普段は饒舌な嘉六さんの唇がひくりと歪んでいた。見たことのない顔。逸されていた赤色が俺の視線に気付いて交わり、眉間がほんの僅かに顰められる。でも蹴り倒されはしない。違う反応。それなら、と見せつけるように爪に軽く歯を立てた。まだ、許してくれますか?
淡い色をした瞳に滲んだ、未だ本人も無自覚な感情に眩暈がする。血が上ってるんだか下がってるんだかも分からん、この感覚は悪酔いに似て——そうだ、酒を用意しておけば良かった。余興にしてしまえばもっと上手く逸らせたに違いない。無理矢理に引き剥がした今もチリチリと首筋を炙っているのなんざ、所詮はガキの遊びだと笑い飛ばせたかもしれない。こういう時に誤魔化すための
ぴちゃ、ぴちゃ。するかしないかの水音が鼓膜を濡らす気不味さは見なければ見ないで増す一方で、すっかり唾液と馴染んだ肌はやわい舌と硬い歯の当たる感触を鮮明に拾いやがる。刺さる視線が雄弁なのが気に食わなかった。先に無視を決め込んだのは自分の癖に。
「……なあ。流石に飽きてきたんだが」
平静を繕おうとした声は無意識に詰めていた息のせいで震えた。嗚呼、口も頭も回らないんじゃ格好がつかない。応えが返らないのなら。いっそ快も不快も放り投げて『歯並びが良いな』だとか、悪漢共を足蹴にして踏み潰した回想だとか、改めて逃避を決め込む。が。
「ごめんなさい、もう少し」
添えられた手は踵へ。グイと持ち上げられれば仰け反る上体を慌てて自分で支え、何事かと身構えた身体に与えられた次なる刺激は——足の裏、だ。べろりと広げられた熱が滑りを伴い、凹凸を均すように舐め上げていく。同じだけ濡れそぼったそこへ労わるような唇が落ちて、静止も鼻に抜けそうだった声も力づくて飲み込んだ。頭の天辺まで身震いする程に感じたのがこそばゆさだけだったか、理解したくはなかった。
名残惜しくて足の甲へ触れるだけのキスを贈る。しっとりと湿った肌は、ちゅ、と存外可愛らしい音を立てた。
別れの挨拶を終えたらそっと床に下ろし、明からさまな安堵を浮かべる瞳を真下から覗き込んだ。他の誰かに見下ろされるのはごめんだけれど、嘉六さんが相手なら心地好くて満たされてしまいそうだ。いや嘘を吐いた。全然足りない。もっと欲しい。
「嘉六さん……反対、ください」
あ、ちょっと嫌そう。でも応えてくれるんですよね。男に二言は無くて潔い。そういうところ尊敬してます。だから、これはおねだりのフリをした憧れの人への奉仕。乾いた足を取り、指先から順に口付けるのは許しを乞う儀式のようなもの。何もおかしなことはないと笑いかけた唇を脛まで滑らせた。どうか知ってください。俺がこんなに欲張りになるのは貴方の事だけなんですよ?
斯くして両の足は随分と水っぽくなってから解放された。触れる空気の冷たさで落ち着かない足先をぷらぷら遊ばせていれば、いやに静かになった下手人が身を起こす。
「満足したか? ったく、とんだ変態行為をしやがって……仄?」
未だ頭に居座る羞恥を冗談めかした言葉で散らすべく睨み上げた先。
「嘉六さん」
膝立ちで陰る、紅潮した頬。そこに終わりの気配は、無い。降り注ぐ声が孕む一層の熱。蜜のように欲望が滴る瞳は鋭い牙に似て、太腿に乗せられた指が食い込んだ。
「……喉、とか。噛みたいんすけど」
鼻血出てるぞ。暴走した仄の常の反応だが、指摘するための声はおろか身動ぎすら今は再開の合図になりそうで、漸く取り戻した自由はあっという間に竦んで消えた。
それを許可と受け取ったのか、首筋を這い出した舌は想像よりも生温い。自分の体も熱くなっているからだという事実に目を瞑り、渋滞したままの言葉でぐらりと煮えた酩酊と不安定さ。大事な血管や神経のある場所を撫ぜらればぞわぞわと走る刺激に跳ねる身体を押さえ込み、後ろへ倒れ込みそうな体を支えるので手一杯だ。
顎の下、頭頂部しか見えない仄の唇が食む感触に、頸に添えられた手に力が篭る度に、呼吸が不規則に揺れる。この瞬間、またあの目で覗き込まれたら年甲斐も自尊心も放り投げて悲鳴を上げそうだ。はぁ、と濡れた肌を撫でる吐息に、知りたくもない狩られる側の気持ちを味わう羽目になる。いよいよ突き飛ばして逃げなければと煩いばかりで役に立たない警鐘を押しやった時。
「……かろくさん」
ぐずぐすに溶けて、それだけで火傷しそうな声が鼓膜から思考を真っ白に焼き切った。
嫌なら拒否してください。言葉でも行動でも構わない、拒絶してください。その腕なら全力で突き飛ばせるでしょう? 足だって解放したでしょう? 言い包めて逃げるのは得意でしょう? ほら、早く。そうじゃないと、俺は——
ひゅ、と鳴った喉。あまりにも無防備に晒された身体へと狙いを定めたなら。
「ッ流石にそれはどうかと思うが!?」
明確な跡を残す寸前に肘鉄が綺麗に脳天を貫いていた。星を通り越してお花畑が見えたから確実に一回死んだと思う。止めるなら止めてくれとは思ったけど、マジで容赦ないなこの人。
「急所はNGな! 好きにしろとは言ったが、命まで明け渡す気は更々ないんだわ!」
「じゃあ、何処ならいいんすか」
本能に忠実な尾を膨らませて捲し立てる嘉六さんに、大量の自分の血で染まった床からお伺いを立てる。
「……知るか。兎に角、首はやめろ」
首筋を庇うように触れる手。妙に脳裏を刺激する仕種を見て見ぬフリで、不満といつも通りの応酬を装った溜め息をひとつ。
「それなら次は手にしましょうか」
御手をどうぞ。若干わざとらしい上目遣いと恭しく差し出した掌で是非を問う。まるでお姫様をエスコートするようだ、なんて。口に出したら張り倒されそうな想像で頭を満たして、今日のところは収めよう。
——本当に、止めてくれなければ危うかった。何が? 知らない、分からない、今はまだ。ただ、僅かに肌を掠めた歯がじくりと疼いていた。