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拝啓、貴女へ
登場人物一覧
●一通目
先日は急な来訪だったにも関わらず、私を貴殿の御身の下に招いてくださり、望外の喜びでございました。
あの日語らった話を、貴殿が終始花のような愛らしい笑顔で、しかもただの一度も嘲笑に付す事もなく聞いてくださった事を思い返すだに、今でも胸の踊る心地がいたします。
その尊顔を思い浮かべたのなら、同時にこの耳の奥底からも、貴殿の鈴音のような声が思い出され、まるで私の世界が、貴殿で全て満たされたかのような感覚になるのです。
しかし同時に、私が去れば、御身が一人あの場所に残される、という事実を思うと、お前は誰にも頼らずに広大な砂漠を一人往かねばならぬと逆らいようもなく上位なる存在に告げられたかのような、仄かな絶望感とどうしようもない寂寞感が、この胸を包むような気さえしてくるのです。
ですが、幸か不幸か、この身を縛るものは、そう多くはありません。
ですからどうか、貴殿にお許しいただけるのであれば、貴殿が望む限り何時でも何度でも、またその御身にお目通り叶いたく思います。矮小なる私を貴殿が呼んでくださるのなら、すぐにでも疾風となって馳せ参じましょう。
返礼の言葉を空征く烏に託してくださったのなら、きっとその通りに伺います。
それでは、またいずれ。
●二通目
お早い返礼の言葉、誠に感謝いたします。反面、驚きとともに喜びを禁じ得ない私が居ます。
実のところ、先日の封を送ってからというもの、あの文書が私めの烏滸がましい言い草になってやしないか、貴殿にとって荷になりやしないかと、ずっと気が気でならなかったのです。
と、私の内心ばかりつらつらと述べてきましたが、この先の事は、直接貴殿にお伝えしたく思います。
こんなに小さな便箋上で、私ばかりの言葉を言うのもとても不公平でしょう。ですから、貴殿もどうぞ、その御心の内を、遠慮なく私に明かしてください。私めにどうかまた、その御言葉で『ジメジメしないで』と一喝してやってください。
それでは、次なる新月の夜。私にとって唯一無二の月を、見つめさせてください。
●三通目
約束の通り、新月の夜を待ち続けてくださり、ありがとうございます。月のない夜ではありましたが、先日私の前に御姿を表してくださった月は、とても眼福でありました。
私だけの月に寄り添い、語らった一時は私にとって至上の喜びでありました。
貴殿にとっても同じ気持ちであったのならば、それに勝るものなどありはしません。
ただの一つ、悔やまれる事としましては、予想外の乱入者が二人の世界に割って入ってきたことです。私も全くもって迂闊でした。貴女とまた会って話せた事に少々浮かれ心地であった事実はその通りですが、まさか私が、攫われ空を舞うことになるとは。貴殿にも迷惑をお掛けしてしまいましたね。
あれにとってはただの冗談もとい戯れの一つだったのでしょうが、全くあれは、空気を読むということを知らないのでしょう。
勿論、あの者に貴女の鉄拳制裁は大層堪えた事でしょうが、自分からもあれには二人きりの世界を邪魔するものではないと、よくよく言い聞かせておきます。鉄拳制裁が効かぬのであれば強烈なローキックで。
さて、次なる逢瀬ですが、赤し月の夜がもうじき訪れると、風の噂に聞きました。
貴殿がお嫌でなければ、その日にまたその手中に居ても構わないでしょうか?
貴女にとっては月の色など今更特別では無いのかもしれませんが、その夜をどうか、私との思い出にさせていただきたいのです。
お返事、お待ちしております。
●四通目
あれから、季節が移り変わり、空気の匂いもまるで違うものとなりましたが、貴殿は変わりなく過ごされているでしょうか。私の方は、特に変わりありません。
そういえば、旅先であれと会う機会がありました。そう、私と貴女の逢瀬を一時ながら引き裂いた憎きあれです。あの日の貴女の話をしましたら、すっかり縮こまっておりましたので、きっと反省したものだと思われます。
次にそれが姿を表したとしても、これといった無礼をしない限りは、どうか寛大に許してやってください。
逆にまた何かをやらかしたのであれば、すぐにでも私を呼んでください。
次なる土産話も、山のように用意して御座います。
緑の匂いが深き森の話、天空を断つように飛び去った怪鳥の話、嘗て人間の遺したとされる文明の話。あれからの伝聞にはなりますが、他の者達の近況の様子。
それ以外ならば、遥かなる崖上に咲く花に、その頬に宿る紅を見た話。天駆ける流星が貴女様の御髪に差す一筋の光に見えた話。その御髪を梳くための櫛には、どのような木が相応しいか思案した話。
私の腕ではとても抱えきれぬほどの金剛石を見て、どのように切り取り磨けば、貴女に似合う装飾品になるだろうかと、思い悩んでいた話。
はて、私が最近見聞きしたものを列挙したはずが、気づけば貴女の事ばかりになってしまいました。
この土産が抱えきれなくなる前に、きっとあなたの下に戻りましょう。
ですからもう少しだけ、私のことを待っていてください。
●■■通目
幾度目の逢瀬から今日まで、何の音沙汰も寄越さずに申し訳ございません。
さて、美しき人。何を語るよりも先に、私は貴殿に、先日の事で一つ、謝らねばならぬ事があります。
私と貴女が二人きり語らうこの世界に降った雨を、私の小さな手では拭いきれなかった事を、非常に悔やんでいるのです。
貴女が私を受け入れてくださる手はなんとも広く、暖かく、その瞳は、この世で作られるどのような宝石よりも価値があるというのに、己はなんと小さきものなのだ、と憎らしささえ覚えました。
私の持つ蝙蝠傘ならば、突如降った大雨は防ぎようはあるのかもしれませんが、その雨の原因を除けなければ、傘など何の意味もありません。
貴方は「なんでもない、大丈夫だ」と仰られましたが、どうか、私と貴方が二人きりの時だけは、遠慮せずその涙の意味を明かしてください。
「迷惑になってしまったら困るから」と、君は言っていましたが、私はそう思ったことなど一度もありません。
貴女が笑ってくださるのなら私も何よりも喜ばしく、貴女が悲しむのなら、私は他に重いものなど無い程に辛い気持ちになります。
古きヒトの言の引用になりますが、愛し合うものが寄り添えば、喜びの価値は2倍以上に、悲しみの面下はその半分以下になるものだと聞きました。私にとっては、貴女こそがそういった存在なのです。
或いは、そのように寄り添いあえる者同士を、『夫婦』と呼ぶのかもしれません。
さて、これを書いた私は今まさに、貴女の元へと向かっております。
愚かな事に、私は、ここまで記してからやっと、本当に大切なことは、君に正面から伝えねばならぬと思ったからです。
貴女の涙を止めたくて、貴女の声が聞きたくて、貴女の笑う顔が見たくて、仕方がないのです。
約束もなく急にその胸に飛び込むことを、どうかお許しください。
おまけSS『彼女の大事な宝物』
それらをワタシに見せると、彼女はもう一度にっこり微笑んで、大事に大事に、彼女の手にはあまりにも小さい宝箱に、そっとしまい込んだ。
『ヒューヒューお熱いねぇ』等と言ってやろうとも思ったが、何時ぞやの新月、彼女に『えいっ』と張られた羽が(ついでに彼にキメられた脚まで)、気のせいかヒリヒリ痛んだ気がしたので、やめておいた。無理無理、彼女とワタシでは文字通り格が違うんだから。
彼の者の話を語るとき、彼女はずーっと笑みを絶やさず、ああこれが人間の言う『喜び』の情なのだろうと、そっと納得したけれど。
──あの人、今はどこで、何をご覧になられているのかしら。
そんな風に呟いた時、その頬を流れ落ちた水泡が、大きく砂浜を抉った。
……おいおい、頼むよシャーラッシュ・ホー。
久々に会った知り合いの愚痴を聞くくらいなら、別にワタシがやってもいいけれど。
この御方の涙を止めるのは、お前にしかできないんだからさ。