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SS詳細

たったひとりの戦争

登場人物一覧

鹿王院 ミコト(p3p009843)
合法BBA
鹿王院 ミコトの関係者
→ イラスト


 呼吸が荒い。
 呼吸が荒い。
 どしゃ降りの雨は衣服に纏わりついて全身へと重くのしかかり、その冷たさは容赦なく体温を奪っていく。
 呼吸が荒い。当然だ、ずっと走り続けているのだ。足はとっくに悲鳴を上げて、持ち上げる度に太腿が休め休めと訴えかけてくる。
 耳鳴りが酷く、こんなにもざあざあぶりを続けているのに、雨音がまるで聞こえない。
 肩がひどく痛む。銃弾が貫通したのだから当然だ。ろくな止血もできていない。どこかで処置をしなければ、後に残るものとなるだろう。
 立ち止まりたい、立ち止まって、へたりこんでしまいたい。そのような誘惑がずっと、脳のどこかにこびりついて離れない。だが、そうはできない。立ち止まれば、きっと見つかるだろう。立ち止まれば、きっと捕まるだろう。そうした確信に近い予感から、ナナセは賢明に走り続けている。走り続けて、逃げている。
 だが、体力も無尽蔵ではない。足がもつれ、受け身が間に合わず、顔を盛大にアスファルトに擦らせた。
 忘れていた雨音が耳を打つ。ぜひぜひと枯れきった呼吸音がそこに混じり、全身に甘い痺れを生んだ。
 念願の休息に、全身が歓喜をあげて弛緩しようとするが、ここで倒れてなどいられない。かといって起き上がる事もできず、ナナセはせめてと身を引きずり、物陰に姿を隠した。この身が晒されていない、屋根が雨を凌いでくれる。それだけでも、心持ちには大きな差だ。
 呼吸が荒い。立ち上がれる程には、まだ気力が回復していない。全霊で呼吸を整えながら、持っていた布切れで肩の傷の近くを縛る。気休め程度だが、ないよりはマシだろう。
 遠くに銃声が聞こえて、身を強張らせる。まさか見つかったかと耳を澄ませたが、どうやらそうではないらしく、雨音は大地を打つばかりだ。
 ナナセはそっと胸を撫で下ろすと、再び呼吸を整えることに努め、僅かでも体力の回復に専念し始めた。


 大妖『存在しない戦争の軍集団』は、過去に戦死して怨念化した者の集合体である。
 戦争で死亡した魂や苦痛、怨嗟が凝り固まり、悪霊化・怪異化すること、それ自体は珍しい話ではない。彼らは今も、自分が剣を、銃を握ったそれで戦い続けている。彼らの眼には全てが敵兵に映っているのだろう。
 その能力は生前の身体能力と、恨みつらみの濃度によって決まる。大抵は、生前の域を出ることはない。つまるところ、その能力は一兵卒の範囲に収まることが多いのだ。戦うことによる痛み、苦しみ、相手への強い恨みが基盤となって出来上がった彼らは、ただひとりでは武器を持った一般人と大差はなく、戦闘手段を持った術者から見れば、さしたる脅威にはならない。
 だから、ナナセは見誤った。
『存在しない戦争の軍集団』は通常と大きく異ることが二点、存在する。
 ひとつに、強力な指揮官を含んでいること。烏合の衆に過ぎない筈だった彼らは、確かな命令形等により訓練された軍へとその存在脅威度を進化させている。
 もうひとつに、彼らは時代も、国籍も、戦場も異なる戦争霊が徒党を組んでいること。彼らは合流した兵の魂を、一切の主義を介さず取り込んでいる。故に、兵隊が、傭兵が、騎士が、武者が、馬乗りが、蛮人が、その集団に参加し、軍団を形成している。
 それ故に、彼らはもう、過去の戦争を正しく見ていない。玉石混交。混ざりに混ざり続けた結果、正しく存在しない戦争を、正しく指揮されながら、今も戦い続けている。
 過去の戦争における戦死者を次々に取り込んで膨れ上がる怨念の集合体。それが大妖『存在しない戦争の軍集団』である。
 これが、鹿王院ナナセの天敵であるということを、彼は戦いに挑んで初めて理解したのだ。
 ナナセの持つ、固有の術、裏眼式・禍福伝は、七つもの妖魔を同時に見定め、その姿、その位置を追い続けることが可能である。これにより、ナナセの視界は大きく広がり、対多数の不利を逆転させて勝利してきた。
 だが逆を返せば、七つまでしか視界に納めることができない。
 数千、数万にも及ぶ大軍団と相対した場合、それではあまりに数が足りないのだ。
 当然、ただの烏合の衆であれば問題はなかった。ナナセは洗練された術者である。銃を撃ち合う戦争ならばともかく、術式を使用した戦いにおいて遅れを取ることなどあり得ない。だがそれは、個、ないしはただの集団を相手にした場合の話だ。
 明確に指揮され、統率がとれた相手となれば、その優位性はまた、逆転されたのである。
 視界に収めきれぬ攻撃が、剣が、弓が、銃が、発破が、戦車が、戦闘機が、ミサイルが、ナナセひとりを敵軍として、殲滅するために襲ってくる。
 これを個人で相手することなど出来るはずもなく、ナナセは逃走を選択したのは、見えぬ位置から、肩に銃撃を受けた後のことだった。

 呼吸はまだ荒い。
 しかし、雨音はより大きく、この程度ならば掻き消してくれるだろう。
「銃器のひとつでも、持ってきたほうが良かったかもしれませんね。まあ、どのみち扱えはしませんが」
 痛みと疲れで、少し混乱しているのかもしれない。このような、自嘲を含めた冗談を口にするなど、ナナセらしくはなかった。
 ナナセ自身もそれを理解する。危険な状態だ。強力な敵との戦闘圏内で負傷し、疲労し、冷静さを欠いている。見つかっても対処手段はなく、まだ逃げることもままならない。
 傷口から伝わる痛みが和らぐはずもなく、濡れた体は居あっも体温を奪っていく。このまま隠れていても、いずれ死ぬ。かといって、玉砕覚悟で立ち向かおうにも、それだけで勝利する可能性は万に億にひとつもない。
 だから、ナナセは薄っすらとほくそ笑んだ。
 冷静さを欠いているのなら、混乱をしているのなら、可能かもしれない。
 ナナセが見出した、唯一の対抗手段。それが可能かもしれない。この期に及び、死に瀕してさえ、敵に背を向けてですら、ナナセは生き延びることだけではなく、大妖を討伐する術を練り続けていた。
 当然だ。鹿王院は破邪の大家である。ナナセはその跡取り。たかが敵が強大という程度で、たかが相性が悪い程度で、たかが殺されかけている程度で、おめおめと逃げ帰って良い立場ではないのだ。
 故に、ナナセは思考する。混乱していてさえ、冷静さを欠いていてさえ、その根本は変わることはない。
 いつしか、呼吸は整っていた。


『アルファ、異常なし。このまま捜索を続行する』
「了解、アルファ、捜索を続けろ。ただ、索敵範囲を狭めろ。敵は逃げ切っていない。どこかに隠れている」
『承諾。アルファ、索敵範囲を7ポイント縮小する』
『ベータ、異常なし。このまま操sがッ―――』
「どうしたベータ。応答をしろ。ベータ? ベータ!?」
 ここは司令室。戦場に設置された簡易拠点にて展開されたこの軍隊、『存在しない戦争の軍集団』の要である。
 彼らはこの拠点から各部隊に指示を送り、その統率を強固なものとしていた。
 オペレータがひとり、慌ただしくなったことを見て、指揮官が声をかける。
「どうした? 報告をしろ」
「はっ、ベータ部隊、応答がロストしました。位置はG9。そこから移動もしていません」
「アルファに向かわせろ。敵はそこにいる」
「承諾。アルファ、配置を変更。G9にて警戒しつつ捜索しろ。アルファ、聞いているのか? アルファ?」
 ついさっき返答があったはずのアルファ部隊からも連絡が途絶えていた。
 その自体に、通信兵である彼らが若干ざわつきはじめる。
 だがそれも、一時のことだ。指揮官が口を開けば、皆その言動にのみ忠実となっていた。
「他部隊にも状況を報告させろ。なにが起きているのか確かめることが最優せ―――」
 爆発。轟音。突如、司令拠点は吹き飛び、指揮官は宙を舞った。
 地面に転がれば、雨を含んだ泥が全身にまとわりつき、その身を汚す。
 背中を激しくぶつけ、意識が混濁する。しかし、それでも状況の把握を最優先できたのは、彼が数多の戦場を渡ってきた故の自負と経験の賜だろう。
「何だ、何が起きて―――」
「ロケット砲ですよ。拝借させていただきました。初めて使ったんですが、結構、当たるものですね」
「貴様……!」
 そこに立っていたのは、先程まで探していた男。敵国の兵。肩に傷を負い、逃げていたはずの男だった。

「どうやって……」
「本当に。ええ、苦労しました。私の眼では貴方がたは多すぎる。だから、認識を変えることにしたんです」
「何を言っている?」
 わかりはすまい。ナナセとて、本来ならばこれを教えてやる必要もないのだ。それでも口にしているのは、まだ多少の混乱が残っているからなのだろう。だからこそ、自分をごまかせたとも言えるが。
「本当に時間がかかりました。でも、ようやく、ようやくです。貴方がたを、いいえ、『貴方』を、ひとつの妖魔だと認識できた」
 大妖『存在しない戦争の軍集団』は、戦死した怨念の集合、ではない。ナナセは自分の認識をそう書き換えることに成功したのだ。この大妖は、数多の兵隊の姿をした、一個の存在であるのだと。
 ひとつなら、一体でしかないのなら、ナナセの眼はそれを逃がすことなはない。どれほどの範囲に散らばろうとも、その場所は全て、ナナセには手にとるように把握できる。
 あとは手足をもぐのと同じように、部隊という名のパーツを潰して回ったのだ。
「冷静なままなら寧ろ、できなかったのかもしれません。こういうのも、怪我の功名と言……ああ、もう聞いていませんね」
 その部位が、ただの戦死者に過ぎなければ、ナナセの術式に耐えられる筈もなく。
 軍靴の音も、銃声も、鎧が擦れる音も消える。同時に雨もあがり、ナナセはひとり、何もなかったような場所で、ようやく一息をいれた。

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