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お嬢様、ただいま戻りました。旦那様、よろしくお願いいたします
登場人物一覧
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オーロラの道をたどる。この先に、目的の場所がある。
吐く息は白く、されど肌を刺す空気は柔らかかった。
雲の合間から差し込む月明かりが、雪を反射してきらめいている。決して溶けない雪化粧があたりを白く染め上げている。
世界をさまよい、迷い、歩きながら……ようやく、ようやく、見つけたのだ。
鉄帝の雪、銀の森。
この混沌においても、恩人の気配を間違うはずはなかった。
魔力の残滓を追うように、セルセラは一心に足を動かし、銀の森を抜ける。正確に言えば、分かちがたく結びついた悪魔、カーシモラルに身を預ける。……ここは綺麗なばかりの場所でもないようだ。たびたびモンスターが現れる。だから、荒事に長けたカーシモラルが担当した方が都合が良い。
「本当にそっちに行くのか?」
悪魔が面白そうに尋ねたが、言わなくとも答えは分かっていた。二人は魂で深く結びついていて、これはほとんど独り言に近い。
「はい、もちろん」
独り言に答える。
セルセラの足は正確に、懐かしい魔力の残滓をたどっていく。カーシモラルのおかげで鋭敏になった感覚で、主人の様子をたどることができる。身近に感じられるようで、嬉しかった。もうすぐに会えるということも。
セルセラの心は疑いようもなく弾んでいる。
カーシモラルもまた、楽しんでいた。
早く、お会いしたい。お会いして、役に立ちたい。
「本当に、そっちでいいのか? 前の
「だからこそです」
「まあ、だからこそだよな」
美しいオーロラが、カーテンのようにきらめいていた。負けないくらいに大きな月がきらめいている。
「だからこそ、ともに見たいのです」
――お嬢様も月が好きだと言っていた。
……こんな光景、あの人がいなければ見ることはなかった。
かつて奴隷の身であったセルセラは、美しい景色を見るたびに。美味しいものを食べるたび、新しい喜びに出会うたびに、ルーキスを思い出すのだった。
セルセラにとって、生きるということはルーキスとともにあることなのだった。
心臓がひとつ鼓動するたび、呼吸するたびに思い出す。
セルセラの狼の耳が、気配を捕らえて揺れる。
「……あっちにモンスターがいるな」
「いますね?」
こっちには気がついていない。
けれども、だ。
〝ここは、お嬢様の領地〟だ。
カーシモラルは冷酷に嗤った。即座に足音を忍ばせ、風上に移動し、魔力で練り上げた処刑剣を強く握りしめた。駆け寄って、刃を振るった。
一撃で終わらせる。
白い雪と、白く美しい花嫁衣装のような服は真っ赤な血で汚れる。汗を拭う必要もない。それは、セルセラが日常をこなすのと同じくらい、悪魔にとっては生活の一部だった。
雪原にはまだ、モンスターが潜んでいるのがわかる。
セルセラの足は、そちらへ向く。
「本当に、そっちでいいのか? 探していたんだろう?」
「身共の感情よりも、まず、役に立つことが最優先です」
悪魔はもう一度、同じ問いかけをした。セルセラは微笑み、遠回りを選んだ。
「寄り道には時間がかかりそうだな」
どこか楽しそうに悪魔は言った。カーシモラルに引きずられているのか、セルセラもまた血のにおいに興奮を覚えていた。……それよりも先に立つのは、この世界ではまだ見ぬ主らへの忠義であった。
また、役に立ちたい。
セルセラの歩みは、この領地の周辺のモンスターをとりあえず血祭りにあげるまで続いた。
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夫婦は椅子に腰掛けて月光の元に身を寄せ合っていた。色彩は薄く、美しい一揃いのティーセットのように側にあった。同じではない。けれども、気配はよく似ている。ともにあるのが当然で、ほっとするような光景だ。あるべき場所にあるようだった。
「何やら領地が騒がしいね」
『月夜の蒼』ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535)は顔を上げた。白い髪は、月光と同じ色に輝いていた。月明かりを食べているごとくであるから、食事は必要としないのだった。
「今日は満月だからな」
『紅獣』ルナール・グリムゲルデ(p3p002562)は傷ついた宝石を月光にかざし、小さな虫眼鏡であらためていた。魔術の触媒に用いるものだ。領地の水道設備の、雪解け水の濾過に使われる。合間に、ルーキスの呼吸にも似た輝きを眺めていた。……月の下にあるルーキスは美しい。面白そうに視線を投げかける妻に対して誤魔化す必要はとくにはなかったが、ルナールは宝石に見入っているようなそぶりをした。ルーキスは少しだけ微笑んだ。
「いや、ううん。違う。静か過ぎる……というか……いやな予感はしないんだよね。ただ、何か起きそうだ」
「……何かあるって?」
こういうとき、ルーキスの魔術師の読みは当たるのだ。
と、そのときだった。黒兎とともに、愛しい愛娘が駆け込んできたのは――。
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幸いなことに、宿の人間に「領主様を呼んで来て欲しい」といわれただけらしかったから、ルルディはそれと遭遇しなくてすんだようである。
真っ赤な返り血にまみれ、負けないくらいに血に染まった処刑刀を持った女性が駆け込んできたとなれば、罪のない精霊種が悲鳴を上げるのも無理はなかった。
彼女は、
「いやああああーーーーーーっ!!」
と、見事な悲鳴を上げて気絶したらしい。
突然やってきた謎の人物に、あたりの人間も、いったいなにがあったのかとざわめいたのだが、モンスターを倒した証を示して、なんとか敵ではない、ましてやルーキスの民に危害を加えるつもりはないと説明し、とにかく領主のいる場所を教えて欲しい、と交渉を重ねていたところだった。
「……うわっ」
「これは……」
それにしても、セルセラの汚れ方はすさまじいもので、元来ていた服が白いことすらも分からないくらいだった。
戦いの激しさが忍ばれる。
ぽたりぽたりと血痕が道をつくっていて、ルーキスとルナールの二人はそれと説明されなくてもいったいどこに行けばいいのか分かったくらいだった。これをたどっていけば、セルセラがどういうルートでやってきたのかも分かるだろう。
ただし、セルセラがあとから語ったところによると、あえてモンスターをおびき寄せるためにいくらか気配を消したところがあり――まあ、それはまた別の話だ。
セルセラ・カーシモラルはルーキスを認めると、ものすごい勢いで駆け寄ってきて完璧な従者の礼をした。
「お嬢様、お嬢様。お会いしたく思っておりました。一日を千日とも感じ、再び仕える日を心待ちにしておりました……」
「……ええと、セルセラ?」
「はい!!」
元気よく返事したセルセラの尻尾は勢いよく、疑いようもなく、はっきりと、バタバタと揺れていた。狼の耳も尻尾も、もとのセルセラにはなかったものだ。ああ、カーシモラルか、と、聡明な魔術師であるルーキスは把握した。……魂の気配が混ざり合っている。
まったくもって、この世界はやっかい事を運んでくるものである。
「久しぶり。元気そうだけど、その格好。ケガは……」
「ご心配いただき、ありがとうございます。身共は無傷ですから、ご安心ください。こちらはお嬢様がお治めになっている領地とお聞きしました。道中で自主的に警備をしながら参上しましたので、その……多少、見苦しい格好をお詫びいたします」
「多少?」
ルナールは顔をしかめた。分かりづらいが、疑念の他に心配も混じっている。
しかし、絞れば血液が滴りそうな汚れ方は、多少の範囲を超えている……。
「警備……というのは」
「領地で、敵を側から始末してきました」
「襲ってきたモンスターを? 側から?」
「いえ、まさか」
ルナールはだよな、と頷きかけたが、セルセラはしれっと続けて言ったのだった。
「全部です。襲ってきていないものも、害をなしそうなものであれば、すべて始末しました」
「……」
「……」
「すみません、本来であればもう少し早く参上できるはずでしたが、予想以上に領地が広く、手間取ってしまいました。それにしても、素敵な場所ですね。あれはオーロラというのでしょうか」
「うん」
控えめながらも何か訴えるようなセルセラの視線。
「ありがとう、助かったよ」
と、ルーキスはなんとか言った。セルセラは誇らしげに微笑んで、また一礼をした。尻尾がまた、ブンブンと揺れている。
「お嬢様のお役に立てたのならば光栄です」
「見事に血まみれだな……とにかく着替え。いや、風呂が先か……? ちょうど、ここは宿だ」
「ええと、そちらの方は」
ルーキスの右手にある指輪を見て、セルセラははっきりとうなずいた。
「旦那様でございますね。ご主人様、今後ともよろしくお願いいたします」
(……順応が……早い!)
かくして領民からついたあだ名は、『血狂い狼』。……ウワサばかりが一人歩きしているような気がしないでもないが、この格好を見るに、あながち間違っているとも言い切れないところがある。
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「まさかセルセラが混沌世界にやってくるとは思わなかった。しかも私の契約した悪魔と引っ付いてくるとはなぁ」
「たいへん恐縮です、お嬢様」
来歴からして元々から忠義者ではあったが、カーシモラルと合わさったせいで、余計に大変なことになっている気がする。狼の忠誠心をそなえ、さらには敵をすべてなぎ倒すための実力までを手にしてしまったセルセラ・カーシモラルに恐れるものはない。
「ルナール様……」
「ああ。ルーキスの従者だろう? 俺のことは呼び捨てでいい」
「お断りします」
「え?」
とても良い笑顔で、セルセラは言った。聞き違えかと思ったが、やはり言った。
「謹んでお断りいたします。お嬢様の旦那様ですから」
「旦那ではあるけど、ご主人様ってわけじゃ……」
「お嬢様のご主人様……つまり、旦那様も等しく仕えるべき人と認識しております。誠心誠意、仕えさせていただきますのでご安心くださいませ」
安心できる要素があっただろうか?
洗ってみて……もとい、着替えさせてから、ようやく元々の髪や服の色が分かったのだった。真っ白だった。頭の先から、つま先まで、真っ白だ。
「どのような方でもお嬢様の大切な方なら心からお仕えするつもりではございましたが、お優しい方のようで良かったです。もちろん、聡明なお嬢様のこと、お嬢様の目に疑いはありませんけれど」
「……」
セルセラは、ルナールから荷物を奪い去るように持つと、当たり前のように家まで着いてくるそぶりを見せた。
「荷物も持つし、呼び捨てしろって言っても言う事聞かないし。
うーーーーーん? 流石野良狼?」
「暴走野良狼、ってところかな……いやはや、この子どうしようかルナール先生?」
「うーん? 白い犬……? いや、白狼か?」
ルナールはしばし考え込んだ。黒兎がじっとこちらを見ていて、さっとひっこんだ。
「どっちにしろ……ペットはもう沢山いるんだし。
残念だがもうこれ以上は飼えないから放り出す……というのはどうだろう?」
「あー、あのね、言いづらいんだけど」
「うん?」
「放り出すと、多分捨てられたって勘違いして暴走しそうだから。放逐はアウトでね」
「え、暴走するって……?」
「あの、すみません」
やっかいなことに、あの狼は耳が良かった。立ち止まったセルセラはうつむいて肩をふるわせでもしているのではないか……と思ったがそんな様子でもない。
「お暇をいただけるということは、つまり」
「ええと、つまりだ、うちはもうたくさん人がいて、不自由はしていなくて……だから、別の働き口が」
「つまり、二十四時間すべてを捧げてよろしいと言うことでしょうか?」
ルナールは絶句した。
「……どうしてそうなる? 途中式は? え?」
セルセラのほうであれば話が通じるのかもしれない、などと思ったのが間違いだった。セルセラはカーシモラルで、カーシモラルはセルセラなのだ。
「もともと、お嬢様はお優しい方でした。人間だった頃……身共にたいへん良くしてくださいまして……しかし、使用人であるからにはきちんと休めとのご命令で……もちろん適切な休息は仕事をするためには大切です。ですがすべてを捧げる自由はなく、もしもお暇をいただけるのでしたらより一層お仕えできるかと」
「ね? ルナール先生」
ね? ではない。
ルナールは乏しい表情のまま、眉間を押さえた。
「……もうちょい服の布面積増やせ、せめてズボンを履け」
「はい、承りました」
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「昔はあの悪魔は荒々しい黒い狼の姿でね。汚れが見えづらかったんだけどね」
「そういう問題か?」
「今は白い服が好きらしい」
何か問題があれば放逐……は、まずそうなので、適当に外の警備でも任せてしまおうと思ったのであったが、セルセラ・カーシモラルは従者としてこの上なく優秀だった。
命を喜んで差し出しかねない忠義をひしひしと感じる。ルナールに対しても等しく礼儀正しい。それでいてわきまえはあって良い雰囲気になるとさっといなくなるのだ。
「領地の報告書……もうこんなに正確に把握しているのかよ……」
「元々優秀だったからね。生活の部分はセルセラがやっているみたいだ。さらに戦闘面ではカーシモラルがいるから、2倍の働きだね」
「……」
セルセラは不思議な体質を持っているようだ。そのことで苦労したのだろう。……深い話は聞いていない。話すつもりがないのならそれでいい。
「どこにでもいける翼があるのに、ここにとどまることを望んでいるみたいだ」
ワタリガラスのソラスのくちばしを撫でてやりながら、ルーキスは言った。そうだ、選んだな、とルナールはぼんやりと思い返している。……どこにでもいける。でも、選んだのだ。
「仕事の手際も問題ないし、だいたいのスキルもあるからなぁ。
いっそ色々任せてしまうのもあり?」
イタズラっぽく笑うルーキスの目は少し輝いていて、宝石のようなきらめきを秘めている。
「……仕方ない」
ルナール・グリムゲルデは最愛の妻の手前、なんとなく、こうなる予感はしていたのだった。
「とりあえず居住スペースくらいは用意しないと駄目だろうから。
ルーキス、一緒に用意しよう」
「さて、どこから決めようか」
かくして、セルセラは領地の別荘の管理を申しつけられ、この命に代えても使命を果たすと意気込むのだった。
- お嬢様、ただいま戻りました。旦那様、よろしくお願いいたします完了
- GM名布川
- 種別SS
- 納品日2022年11月21日
- ・ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535)
・ルーキス・グリムゲルデの関係者
・ルナール・グリムゲルデ(p3p002562)
※ おまけSS『血狂い狼のウワサ』付き
おまけSS『血狂い狼のウワサ』
銀の森には血狂い狼が出るって――。
血を浴びるのが大好きで、獲物を倒すときに、嬉しそうに笑っているのだって……。
いやそんな馬鹿な……だってアレは誤解だったのですもの。
精霊種の女性は思っていた。初遭遇の際に、気絶した例の精霊種である。だってほんとうに危ない人なら、別荘の管理を任されたり、するわけがない。領主様がそのようなことを許すはずもないし……。
それに、忙しい政務や家事仕事の合間を縫って自ら警備を買ってでているというのである。
銀の森の雪の中に、あの人が立っている……。
こうやって見ると、美しい人だ、と、思う。
(前は気絶してしまったけれど、ちゃんと謝らないとならないわね)
「不届き者がまた、こりもせずにやってきたみたいだな」
「へ?」
「我らが主のためだ、死んでもらう」
不敵に笑った従者は、処刑刀を振り上げた。
「いやああああーーーっ!!」
「……後ろにいた魔物を倒しただけなんだが」
主の領地の評判が落ちてはいけない。
気絶した女性を抱えて戻ってきたセルセラ・カーシモラルは、あとから誤解を解き、助けたお礼に服の洗濯を手伝ってもらったのだった。