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どこにでもいる平凡なボクの話
登場人物一覧
コーヒーのかおるウッドテーブル。そよぐ草原と遠い山々を背に、彼は猫背になっていた。
誰に怒られるわけでもないのにうっすらと涙目であり、誰が叱ったわけでもないのに肩を落としてうなだれている。
とはいえ、
「あ、あ、あの……」
相手の胸元から下だけを見て語る。
「ご、ごめんなさい」
まだ誰にも何も言われていないのに、最初に謝るこの男。
さもあらん、と言うべきなのだろうか。
コーヒーカップと並んで置かれたプロフィールシートには、たったの一文字すら書かれていなかったのだ。
とくにそういう決まりがあるというわけではないが、イレギュラーズとして召喚されてすぐに暮らす家のない相手にギルドが直営する下宿を貸すことがある。生きているだけでパンドラが蒐集されるという彼らは、極端に言うならば働かなくても価値がある存在である。そしてその価値を理解しているレガド・イルシオン幻想王国の各貴族及び王家からの出資もあり、家だの食事だのをおごったところで損はない。
もちろん『彼』にもそれが適用され、召喚されてそうそう家がないという彼に下宿を手配したのだが……。
「な、なにも、覚えて無くて……ボ、ボボボボクはあわわわあわ」
喋り始めるとあたまがわやくちゃになるタイプらしく、話を聞くにはだいぶ時間を要したが、彼が一生懸命語ることによると、召喚される数分前の記憶が全くないという。
厳密にはすやすやと眠った状態で召喚され、眠る前の記憶がないと彼は語った。
自分がどこの誰で、どんなことをしていて、なんて名前だったのかすら。
……とはいえギルド側も百戦錬磨のスタッフたちである。
記憶喪失の相手など慣れたもの。
じゃあ名前らしきものを身につけていませんかポケットの中に『ヴィクトール=エルステッド=アラステア』と掘られたプレートがありますね。これを名前にしちゃいましょう。年齢はわからないなら不明と書きましょう。性別はわかりますかそう男性ですね種族はオールドワンに間違いないでしょうそうですか好きなときに眠れるんですねそれがギフトですかなるほど。
五分とたたず確認は済み、晴れて彼はヴィクトールとなった。
彼は最低限の家具が置かれたワンルームの下宿に入り、海洋だ練達だ鉄帝だとあちこちへ飛び回るイレギュラーズ生活が始まった。
これはそんな、平凡な彼の平凡な日常が始まる話であった。
――おしまい?
補遺:p3p007791機密調査記録1
推定777年前の古代遺跡の壁画にて。
『黄金の王』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録2
推定652年前のファルカウ森林迷宮地下墳墓の
『森を食らうもの』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録3
推定532年前のゼシュテル鉄帝国古代遺跡修練塔の中間記録室にて。
『絶対破壊対象』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録4
推定425年前のネオフロンティア海洋王国海底渓谷の記録ディスクにて。
『絶望の向こうから来た者』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録5
推定312年前の
『第八世界終焉シナリオ発動要員』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録6
推定201年前のレガド・イルシオン幻想王国迷宮図書館第十三禁書棚にて。
『迷宮に眠るもの』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録7
推定105年前のラサ傭兵商人連合諜報組合ブラックロッド調査記録より。
『砂の都の民』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録8
推定65年前の
『悪魔喰』と書かれている。
補遺:p3p007791機密調査記録10
推定10年前のパールハーヴ平原にたったひとつだけの墓に刻まれたことば。
『ボクは戦いすぎた。ボクは奪いすぎた。ボクは失いすぎた。ボクは裏切りすぎた。
顔を変え名前を変え幾百の人生を歩み直そうともボクは全てを壊してしまう。
ボクがボクである以上、触れるものを壊してしまうなら。
ボクはもうボクでなくていい。
いまここに、ボクの全てを捨てていく。
永遠に、おやすみなさい。
そしてごめんね、ヴィクトール』
墓にはネームプレートが外された痕跡がある。