SS詳細
紅茶のように温かで、ケーキのように柔らかな
登場人物一覧
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再会は前触れもなくもたらされた。
イレギュラーズの仕事帰りと雑貨商の仕入れという、重なりにくい事情の二人が出会ったのは練達の街中だ。
「ユースフさん!?」
「冰星か。元気そうで何より」
久方ぶりの邂逅に積もる話。路上で立ち話も無いだろうと切り出したのはどちらだったか。
評判のカフェが近くにあるらしいから、そこで茶でも飲みながら――そういう話になったまでは良かったのだが。
「うわぁ……! どれも美味しそうなケーキですよね、悩んでしまいます」
「看板に偽りなし。客の入りもいいみたいだし、評判になるだけのことはあるみたいだ」
白塗りのレンガ壁に、黒い屋根と窓枠。看板や飾り枠は黒いロートアイアンが繊細ながらも頑丈に添えられており、カフェの外観はそれだけで入店前に襟を正してしまいそうな高級感を感じさせた。
そして入口の前には、注文可能なケーキのショーケースがある。シンプルなショートケーキからチョコケーキ、果物のタルトなど、見ているだけでも彩り豊かで飽きない。冰星だけでなく、目が肥えているであろうユースフも感嘆の声をあげてしまったほどだ。
ユースフはケーキだけでなく、店内にも目を通した上での驚きだった。味はいいのだが店が……という、少しクセのある『拘りの店』も少なくはない。しかし、この店はその点も気配りが行き届いているようだ。
客のほとんどが女性であることこそが、その証左だろう。
――そう。女性向けではないものの、ほぼ女性ばかりの店にこれから男二人で入ろうというのだ。
「こういうカフェに、男一人で行くのも気が引けますよね。よかった、貴方と一緒で」
「男二人でも結構な場違いじゃないか? まあ、いいけれどね。久々に君の顔が見れたから」
ユースフの膝の辺りから、油の足りない金属が軋む音がする。そもそもペストマスクに義肢という特徴的な出で立ちからか、悪目立ちしてしまうことには慣れていそうなユースフの口調だった。
それが良いことなのか、悪いことなのか――冰星が深く考えるよりも先に、丁寧な店員が二人をテーブルへと誘導した。
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窓から穏やかな光が差し込む奥まったテーブル席。
飲食の妨げにならないよう小さな花が飾られた卓上へ、二人の注文の品が運ばれてくる。
冰星の前には、フレッシュストロベリーティーとレモンヨーグルトケーキ。
ユースフの前には、ハイビスカスティーとミルクレープが静かに並べられた。
配膳の店員が去ると、マスクの「嘴」が刺さらない程度にユースフはテーブルを覗き込む。
「おお……ティーポットが透明だから色がわかりやすいね。青いお茶に赤いハイビスカスがよく映えている」
「そっちのミルクレープもフルーツがたくさんで、何だかカラフルでいいですね!」
「君のストロベリーティーも、普通の紅茶より赤く見えるよ。
鮮やかな赤い色は薔薇も少し加えているのかな? 苺がたくさんあるみたいだから、酸味がきいてるかもね」
「ヨーグルトケーキの甘さを、苺のお茶でさっぱりするのもいいかと思いまして。
しかし、こちらも本当に綺麗で……女性に人気なのも納得です」
皆の目に触れるショーケースではなく、食べられるために自分の手元に来た料理というのは少しだけ違う特別感がある。紅茶はもちろん淹れたてで、テーブルのどこを見ても本当に華やかだ。
「食べるのが勿体ないくらいですが、お茶も冷めてしまいますからね。頂きましょうか」
「うん、そうだね」
好みで紅茶用の蜂蜜をと店員には置いて行かれたが、まずは本来の味のままに。
いただきます――と食べようとして、冰星がふと顔を上げた時だった。
「……ん、どうかしたかい?」
「ユースフさんの素顔。初めて見ました」
冰星が知っているユースフと言えば、どの記憶も常にペストマスクとくぐもった声だ。確かにあのマスクで食事はできないだろうが、目の前でマスクを外した色黒の幻想種の青年からクリアなユースフの声がするのは不思議なものだ。
「おや? 別に隠していたつもりはないけれどね」
「幻想種だったんですね。僕とそう変わらないくらいに見えますよ」
「そんな事ないさ。若いときに無茶をして、ご覧の通り何処もかしこもガタガタだよ」
壁際へ立てかけた杖に軽く視線を投げるユースフ。彼は義足の身でありながら、その人造の脚さえガタが来ており、こうして杖を相棒として久しいのだった。
「思えば君も、随分立派になったねぇ……それだけの時間があれば、この脚もオンボロになるわけだ」
「ユースフさんのお陰ですよ。僕に技術があれば、その脚も直してあげられるんですけど……」
「気持ちだけ受け取っておくよ。今はこのお茶とケーキを頂こうじゃないか」
その言葉は、冰星に期待をしていないというものではなく、あくまでも穏やかな感情からもたらされていることは彼の声色と表情から察せられた。
料理を口に運ぶ。
フレッシュストロベリーティーが甘酸っぱくて美味しい。温かい。
レモン風味のヨーグルトケーキは、レモンピール入りのレモンムースも、その土台になっていてるヨーグルトババロアも柔らかくて、甘いが爽やかで、しつこくない。
口の中で味わっている内にふわりと溶けてしまっても、香りがまだ残っている。
そこへまた苺の紅茶を含めば、温かな苺の香りと共にケーキの香りもまた鼻から抜けていく。
温かくて、甘くて――幸せだなぁ、という心地になる。
「ふむふむ。フルーツは……苺とメロンと、キウイとバナナかな? クリームは何かと混ぜているんだろうね。
見た目のボリュームは少し想像以上だったけど、ハイビスカスティーと合わせてもさっぱりしていて私は好きだな」
冰星の目の前では、もはや職業病なのか鑑定でもするようにケーキの分析をしているユースフ。
店の雰囲気もあるのでわざわざケーキを解体したりはしていないが、味から想像しているようだ。
女性が多い店という誤算はあったが、彼の好みの味があったなら。彼の素顔を見られたなら。彼とこうして、再びテーブルを囲むことができたなら。
「良かったです。今日、この店へ来られて」
紅茶のように温かい気持ちのまま冰星が伝えると、マスクの無い中性的な顔は柔らかく笑んだ。
「私も良かったよ。まさかあのマスクが素顔だと思われていたとはね」
――その素敵な笑顔のままボケないでほしかった。
「誰もユースフさんがマスクマンだったなんて思ってませんけど!? ただ、想像したことがなかっただけで……」
「うん、私も聞かれなかったからね」
聞かれなかったから教えなかっただけなので、微塵も悪いとは思っていない。
それは確かにそうなのだが――。
何だか釈然としない思いを一旦脇へ置いて、冰星はハイビスカスティーを含む彼へ尋ねた。
「ユースフさんは……今もあの店を?」
「うん。今日は商品の仕入れだよ」
「繁盛してます?」
「君がいた頃とそう変わらないよ。潰れない程度にぼちぼち、さ」
冰星がユースフの店にいたのは幼い頃だ。幻想種の彼にとっては大したことのない時間だろうが、冰星にとっては随分と昔の話になる。
あの頃も繁盛していたようには見えなかったが、あの状態でずっと残っているのはある意味すごいことなのでは。
(……本当に、家みたいですね)
どれだけ時間が流れても、自分を正しく知ってくれている人がそこにいて。
「ただいま」を言えば、「おかえり」を返してくれたあの日々。
実の母を捨ててきた冰星にとって、ユースフを含めて掛け替えのない場所だ。
「君のケーキはどうだった? 美味しかったかい?」
突然話題を戻されてわずかに反応が遅れてしまったが、冰星は正直に感想を述べた。
「はい! とても柔らかくて、お茶ともよく合っていて」
「それは良かった。また来ることがあれば、今度はそっちを頼んでみようかな」
「連絡をくれれば、ご一緒しますよ」
気が付けば、女性が多い店という環境は気にならなくなっていた。
この店と、彼との時間の心地良さが全てを補って上回っていたようだ。
「昔は、君にあまり気の利いたものを用意できなかったからね。今の冰星が、元気で……たくさんのものに出会っているようで。本当に安心したよ」
気の利いた、などと。
生涯をかけても返しきれるかわからない程の恩があるのは、こちらなのに。
「ユースフさん……」
「さて、人気店は客の回転が大事だからね。食べ終わったらそろそろ出ようか」
「そうですね! 出たらもう少し話しましょうか」
周りの客が入れ替わるのを観察していたユースフに合わせ、冰星も紅茶を飲み切って席を立つ。
長い空白を埋めるのは、もう少しだけ時間がかかりそうだ。
おまけSS『店先に仔猫を見つけた日』
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この義足も、音が大きくなってきたね。
悲鳴みたいだ。
これを頼んだのはどこの技師だったかな……まだ生きてるといいけれど。
商談中にきぃきぃ鳴り続けるのも、あまり気分の良いものではないだろうからね。
私は気にしないけれど。
さて、今日はお客さんは来るかな。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
ここにありますは古今東西、津々浦々から集めた世にも不思議なものばかり。
泡沫の夢を閉じ込めた鉱石から、世にも珍しい古代の聖衣、果ては聴いた者に災いをもたらす呪いの楽譜まで。
貴方の心の盃を満たすものがきっと見つかりましょう。
お代は、納得頂いてからで結構。
さあ――――
あ、こら! 君、待つんだ!
く……当たり前だけど、この脚じゃ走れないな……。
すまない、あの子を連れ戻してくれないか。できれば乱暴なことはしないであげてほしい。
物を返してくれれば、私はそれだけでいいから。
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店のものを盗んじゃいけないって、知らなかったわけじゃないだろう?
私がお代はいらないって言った? いつだい。
ああ……『納得頂いてから』って、確かに言ったね。認めるよ。
最後まで納得できなかったらタダでいいというのも、もちろんだとも。
でも、君はもしその指輪に納得したら、お代を払ってくれるのかい?
最初から納得するつもりがなくて、盗んだ指輪をどこかへ売るつもりだったなら。なおさら、この指輪はいけないよ。
この指輪はね。本当に限られた人しか真の価値がわからない。大抵の店では、おもちゃ同然に扱われてしまうだろうからね。
君が、盗んでもいいと思てしまったようにね。
君、その歳で盗みをするなんて……家族はどうしたんだい?
いや、深く詮索するつもりはないのだけれどね。
よく見たら、頬もこんなに痩せこけて……まさか、何も食べていないのかい!?
とにかく、子供が食べていないのは良くない。話は後でいい。
君の口に合うかはわからないけれど、馴染みの食堂があるから。一緒に行こう。
……食堂で食い逃げもしたのかい?
それは……行きづらいかもしれないけれど……。
……わかった。私の家においで。
大したものはできないけど、まあ何か作ってみよう。
よければ、君も手伝ってみるかい?
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――なるほど。
君が家を出てきたのは、そういう事情があったのか。
君の抱えているもの全てを、理解したとは言わないよ。
君の心は、どのようなものであれ君のものだ。
それを他人がわかったような口はきけない。
他人である私も、君のお母さんであってもね。
でも、君には帰る場所が必要だとは思う。
罪を捨てろとは言わない。悔い改めろとも言わない。人から盗むのは良くないけど。
そういうものを抱えたままでも、思いっきり手足を伸ばして、横になれる場所。
誰からも責められない場所。
あるといいと思わないかい?
乗り掛かった舟というのもなんだけれどね。
私の家でよければ、屋根裏が空いているよ。少し掃除と片付けをすれば、身体を伸ばすくらの広さはある。
それから、店ではちゃんとお金を出してものを買うこと。
私の店を手伝ってくれたら、いくらか給金をあげるよ。
こんな脚だからね。手伝ってくれる誰かがいる方が心強いのさ。
食堂で堂々とご飯にありつけるくらいは出すつもりだ。安心してくれ。
君は眠る場所とお金が手に入る。私は仕事を手伝ってもらえる。
悪くはない条件だと思うけど、どうだい?
そうかい、ありがとう。
では、これからよろしく頼むよ。
――冰星。