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星燃る湖にて

登場人物一覧

トスト・クェント(p3p009132)
星灯る水面へ

 モミジの赤、イチョウの黄、そして茶色く褪せた名前も知らない枯れ葉たち。降り積もるそれらを地からさらった風が茜雲まで追いやれば、小さな湖を抱く人里遠い森はいっぺんに帳の中だ。
 湖畔の小屋で灯ったランタンは連れ立つふたつの影を導いていく。ふ、と指先ひとつで暗闇に沈む小高い丘に、瞬く灰色も感嘆の息も笑えるくらいに重なって——
「ね、ぴったりだと思ったんだ」
 ——溺れてしまいそうなほど、満天の星々が頭上を満たしていた。

 準備は万端と広げたシートにクッションを並べるトストの、上機嫌にほんのり含まれたぎこちなさをスコルは嗅ぎ分けていた。
 星を見に行こうよ。彼からの誘いで、何度目かのお出かけはこうして滞りなく開催されることになった。それなのに? 違和感とも呼べないそれがスコルの中の『好き』を揺らす。
「ああ、綺麗だな。空気が澄んでるからか?」
「だねえ。ちゃんと晴れてよかった。はい、どうぞ」
 今夜の主役である、きらめく星。淡く手元を照らすだけのランタンの光。湯気の向こうでふわふわ笑うトスト。全部、スコルの『好き』だ。ただ、まるで彼が手元から消えてしまうようなこの嫌な感覚だけは他とは違うものだった。触れ合った肩がびくりと慄くのにも、喜びとも悲しみともつかない感情が湧くのだから。
 手渡された熱いお茶を啜りながら、ぽつりぽつりとたわいない話をしながら、星に願いを託すように考える。
 ——じゃあどうするか? どうしたい?
 ——そうだ、とりあえず狩っておかなきゃ。
 ——俺のだって、周りの人に誇示しなきゃいけない。
 ——狩猟本能であれ、恋愛感情であれ、やることは変わらないじゃないか。

 星の逸話。なぞらえた英雄譚。迷子にならない星の読み方。混沌以外の世界の星座の成り立ち。本で知ったものから誰かに聞いたものまで。脱線したって構わない。君と話せることが嬉しくて、時間を忘れた。
 いつしか月がゆっくりと空を渡り、両手で抱えたマグカップだけで暖を取るのもそろそろ限界だった。手荷物からブランケットを取り出したトストが隣を盗み見たのは、寒くないかなという気遣いから。
「わっ……す、スコルくんの方が冷えちゃわない? かな?」
「平気だ。こっちの方がいい」
 まさか羽織った中に潜り込まれるとは思いもしなかった。急に近づいた体温、吐息、匂い。とても静かな夜だから、咄嗟で裏返った声は響くし、ばくばくと跳ねる心臓の音も聞かれてしまいそうだ。
 青い紫陽花。傘の下、遠退いた雨音。唇の感触までがぶわりとよみがえって疼いた。あんなに寒かったのに、もう顔が熱い。
 ——またあの日みたいに、何か……キスとか、されるんじゃないか、なんて。
 ——期待? それとも、不安?
 ——向けられた想いが、もしも純粋な親愛だったら、おれは。
 ——どうしてそういうことを、とかさ。やっぱり聞けないよ……

 流されてはいけない、とトストは自制しようとした。自分を守るための無意識の防御。意識してしまったが故の緊張感。けれど、どちらも分けてもらう温度の心地よさにあっさりと溶けてしまった。あとはもう腕を回してかわいい彼を大切に仕舞い込むしかない。
「……へへ、あったかいよ」
「俺もだ」
 したかったからしただけだ、とすぐ側で弧を描く唇を見ながらスコルは理由を反芻する。雨に濡れる日も、こんな凍える夜も、いくらでも俺が温めてやるから。どうか、消えてしまわないで欲しい。星よりも目の前のアンタに願って、ぐりぐりと体を擦り寄せた。
 実際には隣り合った彼の、いつもより丸く月のような瞳に目を奪われていたことは自分だけの秘密だ。そうして仕舞い込んだ心も、寒いと言い訳した唇に宿す熱も、とっくに同じだなんて知りもせずに。
「誘ってくれてありがとう。このお茶も……ん、うまい」
「こちらこそ、だよ。生姜が効いてて飽きない味だよね」
 ふうふうと息を吹きかければ鼻をくすぐる独特の香り。熱さと辛さが駆けた舌をふわりと包む甘み。星座をなぞる指先が凍ってしまわないように、ポットにたっぷり詰めたハニージンジャーティーはふたりの時間そのもの。すっかり空っぽになるまで星見のお茶会は続いた。

 だからこそ、ブランケットが人肌を失うのよりもあっという間な帰り道。足は殊更にゆっくりと枯葉を踏む。サク、サク、サク。規則正しくも止まりかけた時計の針のようなリズムが胸に痛い。
 また星を見に来よう、だとか。今度はどこへ出かけようか、だとか。秋は食べ物がおいしいよね、だとか。次の約束ができるしあわせを噛み締める裏側に隠した本当の言葉は『まだ、帰りたくない』。別れを惜しむのは友人の枠のうちに収まるのか、と悩んでいる時点で手遅れなことには気づかないトストだった。
 そんな狭まった視野を広げてくれるのはいつだってスコルの声だ。
「トスト、トスト、見てみろ。星の海だ」
 指は見渡す限りの地上の星を示す。ゆらゆらと時折吹く風にあやされているそれは、湖の水面に映り込んだ夜空だった。
「……全然、気づかなかったなぁ」
 ——水の中から見上げるだけじゃ、知らないままに終えていた。
 一歩を踏み出して、君を誘って歩かなければきっと出会わなかった。
 見慣れたはずの景色は少し時間や相手が変わるだけでこんなにも輝くんだってこと。
 憧れるばかりじゃ掴めないのは、地底から放り出された日から身に染みているはずなのに。

 願ってもなかった、ふたりきりの時間の延長戦。星の揺籠の中を泳ぐようにして子供に帰ってはしゃぐ気持ちは、見つめ合った瞬間に別の熱を孕む。逃げられない。逃がさない。触れた手が確かめるように繋がれて。するりと絡んだ指先が甲を撫で、爪が引っ掻く。慈しみ、奪い去る。閉じた瞼が震える。自然と寄り添うふたりの隙間は、境界線も曖昧なまま——ぴたり、と重なった。

 トスト・クェントは忘れない。じんわりと内側からあたためてくれる、やわらかいのに刺激的なしあわせを。
 スコル・ハティは刻む。ゆるりと心の内を埋めていく、他とはまるで比べものにならない『好き』の実感を。





 今日の天気予報は曇りのち晴れ
 秋空が少し不機嫌だったのは昼間のうち
 それからは木の葉を染めるような夕陽が落ちて
 視界いっぱいに広がる煌めきは
 思い出、記憶、瞳の奥、交わした言葉の中に宿って
 きっと絵画でも写真でも完全に残せない
 星を仰ぐふたりを邪魔するものは何もない

 雲ひとつなく、絶好の星見日和
 ランタンの火よりも不安定に揺れる心と
 尾の先から凍ってしまいそうなこの寒さだって
 くっつくための理由にしたなら
 傍に冬の匂い、鼓動、吐息、唇と唇の熱を交わして
 じわりと灯った温度はブランケットの中
 星々の瞬きもふたりを邪魔することはない

  • 星燃る湖にて完了
  • NM名氷雀
  • 種別SS
  • 納品日2022年11月15日
  • ・トスト・クェント(p3p009132

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