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A Happy birthday dear,
登場人物一覧
「ん。こっちに来るのはダメ、フリック」
「何って? 探し物。何かは、内緒だよ」
「フリック。後少しだから、待っててね」
――主の様子がおかしい。
フリッケライの主が説明のつかない突拍子のない行為をするのは今に始まった事ではない。フリックの中に搭載された回路と、
彼女は水に映る月のように透き通った――恐らく人間の美醜に当て嵌めるなら“美しい”と呼べるのだろうが、実の所彼女はハチドリのように忙しなく。『Dr.こころ』の異名が指すように心を持った被造物の創造と教育にかけて並び立つ者はいないと言っても過言ではないほど優秀な人材だが、非常にマイペースな少女で。しかし自らフリックの接触を跳ね除ける事はなかったはずだ。
それが今はどうだ。いつも通りと思いきや唐突にフリックの立ち入りを禁止したり、隠し事をしたり、不可解な行動の理由を尋ねようともはぐらかすばかりで納得が行く答えを返さない。ただ微笑みながら、「待っててね」と語るだけ。これは、
しかしフリックには理由がわからない。
データを集積し、幾つかのパターンを分析し、そこから条件に応じて適当なサンプルを検出して人の心を“わかった”つもりになっているだけ。嘗て主は機械の身であるフリックにも人と変わらぬ“心”があると語ったが、他人の物を借りなければ人の心を理解できない己に、ありふれた
「わからない事があったら、誰でも、何でも、どんどん聞くんだよ」というのも主の教え。なればと主以外の研究員に原因を尋ねてみたものの……成果は芳しくない。
「Dr.こころなら問題ない」「心配しないで」と。フリックの
フリックは誰もいない部屋で
いつもなら主が一緒だった。主は無理にフリックを連れている訳ではないが、フリックが隣にいる事を常に容認していた。
だが、今は。フリックは主の部屋から離れて、別の部屋で備品に埋もれるように座り込んでいる。主から「私は暫く手を離せないから、その間好きにしててね~」と言われたが、主の傍につく、主の手助けする以外の事を知らない。“やりたい事”が出てこない。だから人目を避けるように独りぼっちでいるしかなかった。
フリックは主に「不要」と判断されたのではないのだろうか。
主はいつも笑顔で、フリックを貶めるような事は決して言わない。しかし、主が本音を隠していたとしたら。全てを話していなかったとしたら。
フリックを嫌いになったから、不必要になったから避けているのだろうか?
フリックは初めて主を疑った。
フリックは初めて「嫌」という感情を得た。
これらに名を付けるには、この時のフリックはまだ幼過ぎたが――、
「ん。フリック、」
主が来た。
何と言うのだろうか。何を話すのだろうか。隠し事をやめる代わりに、フリックにとって酷な真実を突き付けるのだろうか。
金属の鈍い音を立てて、フリックが頭を持ち上げると、パァンと、軽い破裂音がした。中から飛び出た紙吹雪とリボンがフリックの機体に引っかかる。
直ちに何があったのかを理解できず、フリックは暫し沈黙していた……が、漸く主の持っている物と自身の
「誕生日、おめでとう」
「誕生日? 前 沢山 主 祝ッテモラッテタ」
「うん。ラボのみんながお祝いしてくれてとっても嬉しかったんだよ。フリックもお祝いしてくれたよね」
「肯定。主 生誕 トテモメデタイ」
その火薬を利用した音と紙吹雪が出る玩具も、主の誕生日の時に研究員達が鳴らしていた物だ。
だが「誕生日」とは人間の生誕を祝うもの。作られた存在であるフリックに誕生日はないと認識していた。
しかしそうではないと訂正するかのように、主は、
「そうだね、誰かが生まれてきてくれた日はとてもおめでたいんだよ。今日は君が起動してくれた日。君の、初めての、誕生日なんだよ」
「誕生日 一回目」
主が「ある」と言うのなら、機械であるこの身にも「誕生日」は存在するのだろう。
確かにフリックが目覚めてからもう一年分の月日が流れていた。ならば本日が一回目の誕生日、フリックの一周年目という事か。
「理解。フリック 一周年」
「そう。私と君の一周年だね――さ、行こうか。フリックのために色々準備したんだ。サプライズで、何も言わず驚かせたくて、みんなにも協力してもらって、黙っていたんだけどね」
「肯定。否 謝罪 フリック 主 話スベキ」
とはいえこのまま「めでたし」で終わらせる訳にはいかない。
主がフリックを避けていた理由はわかった。それはフリックを想っての事だった。しかし、一瞬とはいえフリックは主を疑ってしまった。主の心根を信じ切れなかった。
だから謝らなければと、フリックは自身の持つ発声器官を駆使して伝えた。主はフリックの告解を終始真摯に聞いて、話が終わるのを見計らってこう言った。
「フリック、それは良い事だよ」
「不可解。疑念 良 ワカラナイ」
「ん。人はね、みーんな誰かを信じられるわけじゃない。たまに疑う事もある。子供の時は信じてた事を、大人になって疑うようになったりね。つまり、そういう事。疑う事ができた君は、大人になってる」
「フリック 大人? 嘗テ 子供?」
「うん。成長してる、とも言えるかな。君の心は、確かに、一歩先へ進んでいる」
「主」
「まだ、疑った事を気にしてるのかな? でもね、フリックは疑って、また信じようとする事ができた。“ごめんなさい”して、ね。それは簡単な事じゃない。それができた君は、とても立派、偉い」
主はフリックの頭部に手を置いた。彼の滑らかな金属の上を、温かな人肌が何度も擦る感触が残った。
そしてフリックの大きな手を掴む。子供の手を引く母親のように。
「心配させてごめんね、フリック。改めて、行こうか」
「ン。了解」
「フリックが食べられるように、燃料を固めてケーキの形にしたんだよ。こういうのは形が大事だからねー」
「期待。フリック専用 ケーキ タノシミ」
「ん。よかった」
……………………。
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これがフリークライ(p3p008595)に残されたメモリー。嘗て“
あれから遠い、遠い月日が流れた。水月のように美しい少女はその生涯を終え、フリックも後を追うように眠りについた、はずだった。
フリックは目を覚まし、墓守の任を解かれ遠い未来での縁を得た。
今、この世界に主はいない。フリック自身も大きく姿を変え、シルバーのメタリックなボディは苔と土の覆った地層じみた外観になっている。
何もかも大きく変わり果ててしまったが、大切な記憶は未だフリックの中に。形を変える事なく残り続けていた。
おまけSS『××××周年の言祝』
――××××年目の誕生日おめでとう、フリック。
どうか君の進む先に、めいっぱいの幸運と、素敵な出会いがありますように。
私の
世界中の至る所に溶けて、君の旅路を見守っているよ。“