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ある幻想貴族夫人の『五年間』

登場人物一覧

メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りと誓いと

「あれからもう五年になるのねぇ……」
 季節は盛夏ではあれど、心地よい気温に魔法で保たれた東屋で優雅にティーカップを持ち上げながら、幻想貴族リュシール・フォン・エウラントは呟いた。向かいの椅子にちょこんと腰掛けて両手でストローつきのグラスを持っていたメイメイ・ルーが、きょとんと首を傾げる。
「五年、ですか……?」
「ええ、メイメイちゃんにとっては、まだ故郷から出てくる前のことかしらね?」
「はい」
 こくんと頷いた拍子に、くるんと巻いた角の間でふわふわの青灰色した巻き毛が揺れる。その様子をリュシール夫人は孫でも見るかのような優しい顔で眺めていた。御年五十四歳、まだ白の混じらない栗色の髪は年齢よりも彼女を若々しく見せているが、社交界ではデビュタント同期がもう孫の婚約を探していてもおかしくない頃である。
 そんな社交に忙しなく駆り出される王都を離れ、目の前で海洋由来のパッションフルーツのマカロンを食べてふわん、と幸せそうに頬を緩めるメイメイとのんびりお茶を楽しむのは、エウラント領の中からリュシール夫人のものとして譲られた『ガーデンズ・オブ・へリスト』の一角。咲き乱れる夏の花々が風に揺れる箱庭めいたのどかな場所は、メイメイがギルド・ローレットの紹介で管理のお手伝いに来た時から、ずっと変わっていないように見えるのだけど。
「五年。あの日、大規模召喚の日からね。……随分と、この国も動いたのよ」
「そう、なんですか……?」
「ええ」
「それは……どんな、風に?」
「あらあらうふふ、聞きたいの?」
 面白いだけの話ではないと思うけれど、と言いながら優しく尋ねるリュシール夫人に、メイメイはこくんと大きく頷いた。聞きたいと、聞かなければいけないと強く感じたのは、なぜなのかわからないけれど。メイメイが空中神殿に喚ばれたのはその時ではないけれど、イレギュラーズとしてのつながりとか、使命感とか、そういう何かなのかもしれない。
「それなら、お話しましょっか。ああ、でもその前に、お茶のおかわりはいかが?」
 自らティーポットを持つリュシール夫人に、メイメイはぱっと目を輝かせて「お願い、します」とコップを差し出した。ライムの香りがふわりと広がるハーブと茶葉のブレンドティーだ。リュシール夫人はぬるめのホットで、メイメイはしっかり冷やしたアイスで、どちらでも美味しく楽しめる。
「では、そうね……あれより前の王国は、そう、止まった水みたいなものだったの」
 自分も一口ティーカップを傾けて、リュシール夫人はそう語り出した。

「水が止まってしまうとどうなるか、わかるかしら?」
「ええと、………に、濁る?」
「そうね、その通り。濁ったり、あとは腐ったりもしてしまうわ」
 それと同じだったの、とリュシール夫人は静かに語る。
 若き国王は国の舵取りを放棄し、享楽に身を任せていた。
 貴族は既得権益を守りつつ贅を極め、さらには泥沼の宮廷闘争を繰り広げたり、軽やかに政敵の命を奪ってみせたり、領民から税を搾り上げたり、高貴なる義務など忘れ果てた単なる暴虐へと堕ちた。
 騎士や近衛は惰弱となり、それでいて一部貴族の私兵は力を増し続ける。
 煌びやかな王都の陰にはスラム街が広がり、飽食と貧困の二つに割れた都市はけれどそのどちらもが淀んでいた。
「……でも、ここは……ご領地は、昔からみんな、元気な顔だと、思います」
「それはね」
 一生懸命言葉を探して伝えるメイメイに、リュシール夫人はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべてお茶目に片目を閉じてみせた。
「私の旦那様は、領地を治めるのが得意だもの」
 実際、エウラント領は心ある領主が代々治めており、領民の生活はかなり豊かな方だ。肥沃とまではいかないほどほどの農地は、けれど肥料や農法の改良をよく取り入れているから豊作も多く不作に強い。また今代の領主になってからは、リュシール夫人が『ガーデンズ・オブ・へリスト』のために取り寄せた植物の中で育てやすく土壌に合うもの、王都や他領に出荷できそうなものがあれば積極的に輸入を増やして新たな名産品になるよう栽培を推進しており、ジャムや果実酒、ドライフラワーやポプリなど加工品の製造もまた新産業として根付きつつある。
 そういった領地の発展に余念のない領主も中にはいて、けれどその中にも収益を上げれば上がっただけ税として取り上げる領主もいるから、領民の豊かな暮らしまで考える貴族はごく僅かだ。さらにそれを声高に主張することで地位を追われたり命を狙われたりすれば、その後釜に入るのはどうせ腐敗した貴族であろうと思われる。だからこそ民のことを考える領主も、自分と家族の命、領土と領民を守り抜くことまでしかできなかったのだ。
 それを流れへと変えようとすれば、潰される。そう思わざるを得ないのが、レガド・イルシオン――幻想という場所だったのだ。

 けれど、イレギュラーズはその停滞を壊し、腐敗した溜め池となっていたこの王国に波紋を、渦を、そして流れを作り出した。
 権力ではない力――言葉だったり意志だったり、あるいは戦力だったり、個としてぶつかっていったそれは国王を、貴族達を動かした。民の暮らしを重視する貴族、ひたすらに利権を求める貴族、享楽を愛する貴族、名誉とそれに対する畏敬を至上とする貴族、それぞれを、それぞれに合わせた方法で説き伏せ、関係を深め、協力者とし、そして大規模召喚からしばらくしてこちらもまた押し寄せるように現れ始めた敵へと共に立ち向かってきた。停滞から渦となった幻想での動きは、いっときは溜まった濁りをかえって色濃く見せつけたけれど、徐々に外から新たな水を受け入れ、そしてまた外へと水をもたらす、この世界の『流れ』の一つへと幻想を組み込み、また幻想そのものの中でも少しずつ人々を、貴族を、そして国王を自ら動くものへと変えていった。
 政から遠ざかっていた国王は言葉や心を交わし合える友を得て、少しずつ喪ったものを受け止め、前を向き歩み始めた。
 蒼き薔薇は正に骨肉の内乱の真っ只中にあるが、その彼女を助けたいと伸ばされ、無事を祈って組まれる数多の手が、彼女がもはや単なる暗殺令嬢ではないと証明している。
 ある意味で最も典型的な幻想貴族であった男、反対に幻想貴族らしからぬ民政家であった男、そのどちらもがイレギュラーズと縁を結び、時に共闘するまでとなった。
 未だ清廉潔白とはとても言えず、民は貴族のためのものという意識も強く、けれどそれでも止まっていたこの国は、ようやく時計の針を先に進め始めたかのように、動きだしたのだ。

 リュシール・フォン・エウラントはあくまで当主ではなくその夫人であり、表舞台に立ってきた存在ではない。
 けれど、彼女はずっと見つめてきたのだ。
 この五年間よりもさらに十倍より長い間幻想貴族であった彼女は、その長い時の間変わろうとしなかったこの国を。それが五年で変わってきたのを。社交界という魔窟を軽やかに渡り歩きながら、目にしてきたのだ。

「美しいものはね、全部ここにあればいいと思っていたの。ここで、守ればいいって」
 それはリュシール夫人の慈悲であり、諦めであった。伸ばせる手と、その限界であった。
『ガーデンズ・オブ・へリスト』という箱庭はリュシール夫人のものであり、エウラント領は彼女が領主夫人としてその意志をもたらせる。だからその範囲だけは美しいものとしたかった。そしてそれ以上の、例えば国の行く末などは、何か望んではいないように――望まないように、していた。
「……今、は……?」
 長いリュシール夫人の話に、じっと耳を傾けていたメイメイがその紅き双眸を覗き込んで尋ねれば。
「さて、どうかしらね?」
 悪戯っぽく笑いながら首を傾げてみせるその人は、確かに幻想貴族の一人と言うに相応しかった。
「でも、少なくとも『動いてよかった』とは思っているの。その流れが、どこにどのように向かうとしても」
 そして瞳に宿る意志の輝きは、きっと高貴なる義務――ノブレス・オブリージュの担い手に相応しいものに、そう言える眩しいものに、メイメイにとっては感じられたのであった。

「そうそう、こちらのレモンパイのおかわりもいかが?」
「い、いただきますっ!」
 引っ込み思案で不安げながらもじっと人の言葉に耳を傾け、少しずつ自分の言葉で語れるようになりつつある、今は爽やかな酸味を添えた甘いカスタードクリームとさくさくのパイ生地にふわんと笑顔を浮かべている少女も――自分にとって、この国に、世界にとっての希望なのだと、リュシール夫人もまた感じつつ、ティーカップを持ち上げたのだった。

  • ある幻想貴族夫人の『五年間』完了
  • NM名旅望かなた
  • 種別SS
  • 納品日2022年11月15日
  • ・メイメイ・ルー(p3p004460

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