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中夜、帳の影にて
登場人物一覧
鈴虫や蟋蟀の鳴き声も遠慮がちになる、晩秋の夜。
月明かりこそ煌々と周囲を明るく照らしてはいるものの、それだけ。ひとたび風が吹けば思わず腕を摩ってしまうほどひんやりとした空気が流れている。
ただでさえ秋の終わりの寂しさを感じさせる季節であるだけでなく、人気のない路地裏の廃屋となれば人など寄り付きもしないだろう──普通なら。
通称「幽霊通り」の廃店舗の一つ、入り口などどこなのか分からない建屋の中で、何かを研ぐ音だけが響いている。
この音の主──志屍瑠璃は、ただひたすらに武器の手入れをしている。
一見すれば、本当にただの廃屋ではあるのだが、それを勝手に改装して彼女の隠れ家としている。
中に入ってしまえば明かりがある分きちんと中は見えるが、天幕を張られているためその明かりが漏れることはない。
「……これは、このくらいで良いでしょう」
手入れを終えた普段使いの刀が、きらりと光る。これならいつも通りの切れ味も期待できそうだ。
彼女はその刀を棚の横に立てかける。その棚も棚で、透明な液体から清涼飲料水にありそうな色鮮やかな、そして文字通り「毒」であることがわかる得体のしれないものを混ぜたような色の瓶が、さまざまに並んでいた。
ここまで手入れと準備が終われば上出来なのだろうが、彼女が手入れや補充をしないといけないものはもう少しだけある。
別の棚には、これでもかというほどたくさんの苦無や手裏剣といった暗器が並べられている。
そのうち棒手裏剣の数本を手に取り、彼女は再び作業場へと戻っていく。
──仕事道具の手入れは入念に、丁寧に。
夜も更け人の声も聞こえない。ただただ、静かに時間が過ぎてゆく。
少し古く錆びていた鉛筆ほどの太さの暗器の刃を、その両端をちょっとだけ特別な小刀でとがらせ、そしてそれを更に砥石で綺麗に研いでいく。
時折、明かりのほうにかざしてみたり、指で先端をツンツンと触ってみたりしてその仕上がりの具合を確認する。
「今ひとつ、まだこれは尖りが足りないようですねぇ」
まだ鋭利さが足りないとあればもう少しだけ砥石で研いでいくし、十分だと思えば最終チェックに回すため一旦端の方に避ける。
小さな置時計の針の進む音だけが、集中している彼女に時を告げるのだが、無心で手入れをしている彼女にその音が届いているかは定かではない。
──気が付けば、作業を始めてから2時間半ほどが経過していた。
「……ふむ。これは粗方出来上がった感じですかね」
さすがにずっと細かい作業をしていたからだろうか、心地よい目の疲れと肩の凝りを解そうと瑠璃は立ち上がって軽く一つ伸びをする。
下を向いていた分流れてこなかった血流が全身を巡るのを感じながら、少し広めの部屋を手持ち無沙汰に2~3周歩いて、さらに肩を回す。
「必要だからやっていることとはいえ、この手の作業は時間が経つのが本当に早いですね……さて、と」
確認しないと、彼女以外誰もいない部屋でポツリとつぶやき、息を一つ深くついて、ゆっくりと手入れされている暗器から一本を選ぶ。
先ほどまではただ錆びた金属片の棒だったものが、手入れが加わったことによって鈍い光を放っている。
それを先端から研ぎ具合を確認するために覗き込む。見る角度が変われば、「面と線」で構成されていたものは「点」にもなる。
それほどまでに、彼女が研いだ棒手裏剣はしっかりと研ぎ澄まされている。
それを彼女は数メートルほど離れた少し大きめの木箱に向けて、軽く投げつける。
──バコンッ
木箱の中身は空。だからこそだったのだろう。木材独特の乾いた音を立て、木箱の側面が抉れる。
木片のうちの一つがカランと音を立てて床に転がった。
「なるほど。悪くはないですね」
投げた暗器の刃が、木箱を抉った衝撃や床に落ちたことによって欠けていないかを、念のため確認する。
暗器は先ほどと何ら変わらず鈍く光っており、傷ひとつ残っていない。
「大丈夫そうですね……であれば、他のものもきちんと確認していきましょうか」
──幸いにも、
一つ、また一つ、彼女は正確なコントロールで暗器を投げてはコンッと音を立てて綺麗に木箱に刺さっていく。
暗記を投げる前後で状態が変わらないことも確認。これをただ、淡々とこなしていく。
「これも問題ありませんね……っ!」
ヒュッ、とまた棒手裏剣が木箱めがけて飛んでいく。
バコォッ、と今までで一番豪快でいい音を立てて、壊れかけていた木箱が砕ける音がした。
さて、次を……と置き場を見てみると切れ味や刺さり具合を確認すべき暗器はもう残っていないようだった。
「とりあえずは、一区切りついたようですね」
そういうと瑠璃は大きく一つ伸びをして少しだけ満足げな顔をした。
彼女にとってこれらの手入れや準備はあくまでも仕事で必要なものにすぎず、決して面倒臭いとかそういった感情を持って行っているものではない。
本当に
それでもやはり、ちゃんと仕事をしているという実感がふと湧いてくることもある。その瞬間のうちの一つが今だ。
彼女自身気づいているかはわからないが、瑠璃の顔から少しだけ笑みが溢れる。
「かなり上出来、ですね。……空き箱は色々またどこかで仕入れないといけないとは思いますが……ふふっ」
そうやってしっかりと手入れをした暗器の数々を、最後の仕上げとばかりに丁寧に拭き上げ、棚に整頓して並べていく。
思いの外うまくできたのを悪く思う者が早々いないように、彼女もまた綺麗に手入れができたのなら、それはそれで良いと思っている。
──良い仕事をするためには、そのための準備もいいものでなければならない。
当たり前のことではあるが、その当たり前を淡々とこなすのはなかなか難しいのかもしれない。
そんな難しいをクリアするために、ふとやってくる「上手くできた」出来事はささやかながらも心地よい刺激を与えてくれる。
「さて、と。まだまだ手入れできるものはありますし……次は何をしましょうか」
軽く目を閉じて、彼女は次に何をしようかふと考えるのだった