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譬え貴方が花になっても
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気が付くと、その椅子に座っていました。
薄桃色をした綺麗な丸椅子。向かいに座るのは、もう会えないと思っていた貴方。薄桃色の円いテーブルは、まるで向こうとこちらを隔てる境界線のよう。
テーブルの上には紅茶のセットとお茶菓子。
森の小さな広間のような茂みにふんわりと椅子たちの脚は包まれて。そよそよと森の葉が哭いていました。
「幻想でしょうか」
拙は思わず問いました。幻想ならば、言いたい事も言いたかった事も全部言えるような気がして。でも現実だったなら、話題を選んで話さなければならないような、そんな気分に駆り立てられて。
別に現実に奇跡が起こっていたとしたって、何を言っても貴方は笑って受け止めてくれると、判っているのに。
「判りません」
そう言って頭を振る貴方は、もう己が“この世のものでない”事を知っているかのような顔をしていました。いいえ、きっと聡明な貴方の事ですから、判っているのでしょう。これが拙の見ている夢だとしても。そうでない、現実に起こった一瞬の奇跡だったとしても。貴方は、聡明な方ですから。
「でも、折角だから。少しお話をしませんか」
私は道に背き、“友に自身を殺させた”罪深い女ですが。
其れでもよければ、色々聞かせて下さい。
なんて貴方が言うから。
其れは違う、と拙は思わず口に出していました。
貴方は貴方が思うほど罪深い女なんかではない。貴方だって考え抜いた末での行動だった筈だと。
正直なところを言えば、拙は貴方ともっと一緒に過ごしたかった。本当なら夢や幻影でなく本当に、現実の一時としていついつまでも、お茶を一緒に飲んだり、一緒に遊びに行ったりしたかったのです。
其れなのに、貴方。貴方は、先に行ってしまった。
拙たちがまだ行けない向こう側へと、行ってしまった。
それだけは、……ずるいと、思います。
「――。クラリーに出会った頃の、拙は」
薄暗い話題から一瞬でも目を背けたくて、拙は無理矢理に話の方向性を変えました。貴方は全てお見通しで、ティーカップに紅茶を注いで、拙に出してくれました。
貴方に出会った頃の拙の話だとか、最近の猫たちはああでこうだとか、大福はそろそろダイエットが必要だとか、メイさんの話だとか。
紅茶をふうふう冷ましながらとつとつと話す拙の言葉を、目の前の人は何度も頷いて聞いてくれました。とても、とても嬉しそうな顔で。ああ、貴方はきっと、“貴方はいまそうして「生きている」のですね”って、思っているのじゃありませんか。
ならば拙だって、聞く権利があります。“貴方はこれまでどうやって「生きてきた」のか”を、訊いたって――良いじゃないですか。
「クラリーは」
「私?」
「ええ。何か変わった事は、ありましたか」
「私ですか。……そうですね」
クラリーは案外すんなりと、色々な事を話してくれました。
あれを残して来たから少し心配だとか、友達に関しては心配はしていないとか、……これはきっと、神様が気紛れに下さった奇跡、なのだとか。
拙は頷きました。何度でも、何度も、頷きました。クラリーの声が懐かしくて、聞いていたくて、頷いては聞きました。
そうしているうちに、……心が穏やかになって行くのを、感じていました。失ってぽっかり空いた穴が、ゆっくりと埋まるような感覚。其れは死者を忘れるのではなく、思い出として柔らかな布に包んで埋葬するような、そんな気持ちでした。
「……という感じです。……話してみると、案外沢山あるものですね」
「そうですね。其れを置いて行ってしまうなんて、クラリーは酷い人です」
「ふふ……そうかもしれません」
「……ねえ、クラリー」
「はい、何ですか、雪ちゃん」
「拙から、クラリーに遺せるものはありません。今両手に色々と抱えるので精一杯なんです」
「――はい」
「でも、一つだけ約束をしませんか」
「幾年、幾百年経とうとも、拙は滅びぬ限り此処におりますから」
「またいつか出会えたなら、もう一度、友と呼んでくれますか」
クラリーが、瞳を瞠るのが見えました。
でも、拙にとってはちいとも特別な事ではありません。罪も。業も。クラリーの一面なれば、どうして嫌う事が出来ましょうか。貴方は何があろうとも、拙に大切な日々をくれた、親愛なる友、クラリーチェ・カヴァッツァなのです。
「貴方は。拙の、大切な――大好きな、友達です」
小指をそっと差し出しました。
貴方ならきっと、繋いでくれると信じて。
「――……何処かの宗教の教えでは」
クラリーは少し考えた後、口を開いてそう言いました。
「生き物の命は土に還り、また別の器を変えて芽吹くのだと、そう聞きました。其れを“生まれ変わり”というそうです。――で、あれば」
この茶会のようにいつか出会えたら。
もし別の器の私でも。もし、もしも、別の姿の雪ちゃんでも。
それでもきっと、私たちは大切な友達同士で。
クラリーは笑って、小指を絡めて。ゆびきりげんまん。
どんな姿の拙たちになろうとも、絶対に友達でいようと。
これは生と死すらも越えた約束。きっと叶います。叶えてみせます。
――針を千本飲ますような事は、しないでくださいね。
そういうと、クラリーは困ったように笑うのでした。
「――ああ、そろそろ時間みたいです」
絡めていた小指が、するりと抜けました。
クラリーの指先が透けているのが、見えました。
「雪ちゃん、笑って見送ってください」
私、雪ちゃんの笑顔が好きですから。
――なんて言われたら、拙は笑うしかないではありませんか。
人は迷うもの。
惑い、巡り、そうして次へと進んでいくもの。
生まれ変わり――次の命が、貴方にとって良き旅路であるようにと、拙は祈ります。
まるで童話のように、あぶくとなって消えていくクラリーを、拙は決して忘れまいと見詰めていました。
「またね、雪ちゃん」
クラリーはそういって、最後に――とっても綺麗に笑って。
貴方が草になろうとも。
貴方が動物になろうとも。
貴方が鳥になろうとも、花になろうとも。
クラリー、またいつか巡り合ったら、お茶会をしましょう。
拙はいつまでも――いつまでも、待ちます。
大切な友達に「お久し振りです」を言えるように――ずっと、待ってますから。