SS詳細
ちっぽけな矜持
登場人物一覧
それは特別でもないありふれた日。
この機械的なギャンブルはあまり好みとは言えないがこうして時間を潰すことだけに関して言えば優秀だった。
足元に積み重なる箱が膝の高さに迫るころ、店に入る前、気まぐれに自販機で買った煙草が底をつく。
ここらが潮時ということだろう。いくら勝ったか負けたかなんていちいち覚えてはいない。これはただの暇つぶしなのだから。
銀色の玉を少なくない菓子と交換し、店を出れば太陽は陰り時刻はまさに逢魔が時。
「
人気の少ない路地に入ったところで影から現れたのは腰に鉄の鞘へと収まった長剣を携えた一人の男。それなりに交友関係も広いブライアンが己の記憶を辿るが該当する人物はいない。
先の発言からして狙いはブライアンというわけではなく、
「悪ィな、ナンパはケツとタッパのでかいねーちゃんからしか受け付けてねェんだ」
「そうか」
たった一言、男はそれだけ呟くと剣へ手をかけ身を屈め獣の如く地を駆け迫る。
迅い、がブライアンもその動きに合わせるように一歩前へ。抜かれる前の柄頭を足で抑え口角を持ち上げ犬歯をのぞかせる。
「おいおいおい、せっかちな野郎は嫌われるぜ?」
「好悪に興味はない」
そのまま男が一足で飛び退くと二人の距離はまた開く。
これはただの小手調べというやつだろう。
なにせ男の扱う剣はブライアンの知る限り西洋の物。そんな物で抜き打ちをしようものなら少し動ける者であれば止められる。
「貴公に加減をする必要がないことはわかった」
あれで斬り捨てられるようなら力不足。
防がれるのなら仕切り直すだけ。
それはただこちらの力量を図るだけの攻撃。
「……テストはもう縁がないと思ってたんだがなァ」
名も知らぬ男から一方的に課せられる
断れる様子ではないし、なによりくだらない玉遊びなんかよりもよっぽど上等な暇潰し。
目を見ただけで分かる相手の真剣さ。だからこそブライアンは不敵に笑う。
真面目には不真面目を。こんなことをしでかして罪悪感を感じている奴は笑い飛ばすに限る。
睨み合ったのは一瞬。先に動いたのはブライアンだった。
今日の戦利品である菓子の入った紙袋を男目掛けて放り投げる。
少しばかり惜しい気持ちがなくもないが暇つぶしのついでに手に入った物なので瞬きをする間にどうでもよくなった。
紙袋が一刀で斬り捨てられ、辺りに散らばる残骸たち。
その陰に隠れ、お返しとばかりに男の懐に潜り込むと脇腹へと拳を捩じり込む。
が、それはいつの間にか抜かれ拳と身体の間に差し込まれた剣で受け止められ甲高い音が鳴り響く。
「チィッ!」
右腕の痺れを意に介さず続けざまにブライアンは男の襟を掴みにかかる。
相手は剣でブライアンは素手。リーチの差は不利であり有利。
引いた間合いは相手が有利。だからこそ前へ出て
故に攻めて攻めて攻め続ける。
掴みに行った左手は男がのけぞり空を切る。しかし
だがそれは相手も同じ。拳を防いだ剣は向きを変え、その切っ先がブライアンへと向けられている。
同時に放たれる拳と剣。お互いの頬を切り裂き鮮血が滴る。
「なるほど……」
双方ともやや距離をとる。
男がブライアンの力量を図りたいというのはわかる。しかしその理由が見当もつかない。
この世界に来て恨みを買った記憶がないとは言わないが、この男からその手の気配は感じられない。
「アンタ、なんでこんなことしてんだ?」
気がつけばブライアンの口が動いていた。
ここまでのやり取りで分かる。この男は剣の道を進み、少なくない時間をそれに捧げている。
だからそんな男がこんな辻斬りめいたことをする理由がわからない。
「貴公にはわかるまいよ。望んだものが手に入らない者の悔いを。それを当たり前だと思っている者には」
その発言で察しがついた。なるほど、目の前の男は選ばれなかったわけだ。
自ら世界を救いたいと願ったにもかかわらず
世界を救う『可能性』を見出されなかった者。
それが偶々
「で、アンタは俺に何をしてほしいんだ? 謝ればいいのか?」
「何も」
これがただの八つ当たりなのは男が一番よくわかっている。
そうではなくブライアンを狙ったのは求めたモノが勝利ではなく闘いだったから。
「そうかい」
頬から垂れる血を手の甲で拭い、ブライアンは拳を眼前へと上げ再び構えをとる。
何も言わないというのなら聞く必要もない。男が求めているのは言葉ではなく
名乗りくらいは……と思ったがやめた。
これは名誉を賭けた決闘でも技を競い合う試合でもない。
ただのちっぽけな
だからこそ燃える。本来必要のない馬鹿なことだから真剣に。
三度の交差、始動は同時に。
リーチの差で先を取ったのは男。肩に担いだ剣を渾身の力で振り下ろす。
それなりに広い路地ではあるが長剣を存分に振り回すには少々手狭な場所。
必然的に男が扱えるモーションは限られる。
しかしそれでも苦も無く戦えている男は並々ならぬ鍛錬を積んできたのだろう。
それをステップで左へ避けるブライアン。拳はまだ届く距離ではない。
男とてこれまでの攻防から避けられることは百も承知。これでブライアンの動くスペースを限定できた。
ブライアンの避けた先へ切り上げが迫る。壁が邪魔をしてこれ以上左へは動けないはず。
そんな壁と剣に挟まれたブライアンのとった選択は迎え撃つこと。
男が剣と壁でブライアンの動きを制限したように、ブライアンは剣が向かってくるであろう方向を限定した。
来る方向がわかっていれば必要なのは度胸。
下からくる剣の腹をつま先で蹴り飛ばし、男の手から剣が離れる。
無理やり作り上げた進路。一歩進めばそこは拳の届く距離。
「これでェ!」
「――終わりだ」
剣のないはずの男の手に握られていたのはそれが収められていたはずの鞘。
蹴られ剣が手から離れたのではなく、剣は体勢を崩さずブライアンを迎え撃つために手放した。
想定外の一撃にブライアンがとった行動はさらに左へと動くこと。
壁しかないはずの方向。否、壁がある方向へ。
壁を蹴り、胴をめがけて薙ぎ払われた鞘の一閃を飛び越える。まだ拳の届く距離。
虚を突かれた男の頭部へ
「
ブライアンの言葉が男に届いたかはわからない。既に男の身体は地に伏していた。
手当をしてやるガラでもないしこれはただの喧嘩。
人を呼んでやるくらいはしてもいいがそれ以上をやるつもりもない。
「じゃあな、楽しかったぜ」
いい気分に懐から煙草を取り出し吸おうとするが生憎と入っていたのは空箱だけ。
クシャリと握りつぶし傍にあったゴミ箱に突っ込むとすっかり日も落ちた街に愚者の灯火は溶けていく。
選ばれたのはただの運。しかしやると決めたのは己の意思。
命の使い方は自分で決める。その内に炎が宿る限り。