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たとえばそれは、よく晴れた憩いの日。
登場人物一覧
――ピピピピ! ピピピピ! ピピピピ! ピピピピ!
聞き慣れないアラームがやけに甲高く、眠りの淵を浅く揺蕩っていたユーフォニーの意識を現実へ引き上げていく。
(新しい目覚ましなんて買ったっけ……?)
寝起きのぼんやりと霧のかかった頭で何となしにそんなことを思うが、すぐにそうではないことを思い出した。目を開けば見慣れない、しかし見覚えのある天井。
ここは練達、再現性東京2010街。表向きごく普通のビジネスホテルとして営業しながら、陰ながらイレギュラーズの活動を支援しているホテルの一室だ。
ローレットに持ち込まれた夜妖討伐の依頼は深夜にまで及んだ。
小さな男の子の姿をした夜妖はすぐに見つかったが、いたずらっぽい笑い声を残してその場を駆け去ってしまい……真夜中の街を舞台にした鬼ごっこの末にようやく追い詰めたかと思えば、その直後に夜妖は消滅してしまったのだ。
遊んでほしかったのだろうか……と拍子抜けしたような心持ちでaPhoneを取り出して時刻を確認してみれば、表示はなんと0:57。
報告に戻るにも時間が遅すぎるということで、偶然近くで営業していたこのホテルに宿を取ったのだった。
「うーん、今日はどうしようか、リーちゃん?」
「にゃー?」
朝一番に報告を済ませてしまえば、あとは今日の予定は何もない。
ファミリアーのリディアには羽をしまってもらってからカフェ・ローレットを出て、通りをぶらつきながらこれからどうするかを考えて、歩きながらしばらく考える。
ついて歩いている猫と会話しながら歩く美少女はそれなりに人目を惹いたが、そこにはある種の微笑ましさも漂っていて咎めるものは誰もいない。
いいアイデアも思い浮かばないままさらにしばらく歩いて、公園のベンチで一休み。キッチンカーで買ったチョコミントのフラペチーノを飲んでいるうちに、脳裏に一つのアイデアが浮かんできた。
「今日はこういう日……ってことでもいいよね、リーちゃん?」
「にゃっ、にゃっ」
特別なことを求めなくても、こうして家族とともに散歩をするだけの日があってもいい。他愛もないささやかなトラブルをお留守番のドラネコたちに話して聞かせるのも、きっと楽しいだろう。
そんな前向きな気持ちになれたなら、何も変わらないはずの公園の景色もなんだかさっきとは違って見えてくる。
ふと振り返ると花壇のケイトウの花を一生懸命によじ登るテントウムシが見える。上を向けた自分と似ている気がして、思わずaPhoneを向けた。
――カシャッ。
「あれ……? ここだけなんだか様子が違うね、リーちゃん?」
「にゃー……」
あえてaPhoneの地図アプリに頼らず足の向くまま歩くこと数十分。
普段行くことのない通りを抜けると、そこには普段ユーフォニーが見慣れたマンションとは打って変わった一軒家が並んでいる。
その中でも彼女の目を引いたのはそのうちの一軒、青い屋根の家に控えめに出された猫の形をした看板だった。
「保護猫カフェ……みゃおまみれ?」
「にゃん」
「リーちゃん、入ってみる?」
「にゃ!」
勇気を出して扉を開けて中に入る。迎えてくれたのは長めの髪を後ろで一つに束ねた純朴そうな男性。
「いらっしゃいませ、おや……そちらの猫ちゃんはご同伴ですか?」
「はい、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。目印にこちらのリボンだけ付けさせていただきますね。猫ちゃん失礼しまーす……っと」
滑らかな手つきで黄色いリボンの後ろに青いリボンを巻かれたあと、席に案内される。フローリングの床に木のテーブルとイス。壁にはキャットウォークが設えてあり、丸くなって寝ているサビ柄の猫がいて思わず笑顔になってしまうユーフォニー。
「こちらの猫ちゃんたちは全て飼い主さん募集中の保護猫でございます。まだ人に不慣れな子もいますので、猫ちゃんが嫌がることはしないでください」
「もちろんです」
「カメラ撮影はOKですが、フラッシュだけお切りいただきますようご協力ください」
「わかりました」
「おやつ・おもちゃの持ち込みは禁止とさせていただいております。おやつの販売も行っておりませんのでご承知おきください」
「えっ、そうなんですか?」
思わず男性を見る。てっきりこういうところはおやつの販売もしているものだと思っていたが……。
「お客様がみんな猫ちゃんたちにおやつを与えてしまうと健康によくないので……」
「なるほど……。言われてみればそうですね!」
申し訳なさそうな男性の顔を見ていると、猫たちの健康を第一に考えてお店をやっているのがわかる。
いいお店を見つけたね、とリディアと見つめ合っているうちに、注文の品が運ばれてきた。チョコミントはさすがになかったので、自家製だという梅シロップのソーダ割りだ。
一口飲めば、爽やかな梅の酸味と溶け合った甘さ、心地よい炭酸の刺激が喉を通り抜けていく。ここまで歩いてきた疲れがほどけていくようだった。
「あちらにもスペースがありますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます! それじゃあさっそく……わぁ……!」
下がっていった男性が猫じゃらしと一緒に残した言葉に従って移動した先は、豊穣でよく見る長方形の敷物――畳が一面に敷かれたいわゆる和室だった。全部で20枚以上使われているだろうか。
午後の光が差し込む明るい縁側に置かれたキャットタワーの頂上では黒猫が丸くなって寝息を立てている。ユーフォニーができるだけ静かに近寄ると、耳が二、三度動いたが逃げたり警戒したりする様子はまったくない。愛らしい寝顔だ。
「黒猫ちゃん、失礼しまーす……」カシャッ。
足元を見れば、リディアと白猫が互いに匂いを嗅ぎ合ってからじゃれ合っている。くんずほぐれつ、上になり下になりしながらリディアも楽しそうだ。
「これはムービーで残しておかないと……っ!」ピピッ。
座卓の下では茶色い猫が三毛猫と灰白の子猫を毛繕いしていた。子猫たちは茶猫に頭を盛んに擦りつけている。親子なのだろうか。
「あまり近づかないほうがいいかも……離れて見守ろうかな」
畳に座って休んでいると好奇心旺盛な子猫たちが猫じゃらしに寄ってきて、前足でちょいちょい、とつついてくる。
いつの間にか起きてきていたキャットウォークのサビ猫と茶トラ、先ほどまで見かけなかったサバトラの子猫もいる。
「あ、持っていかないで? その代わり、こうやって……!」
茶トラの猫が先端を咥えて持っていこうとするのをすんでのところで取り戻すと、逃げた猫じゃらしを追って子猫たちが反応する。
畳近くで猫じゃらしを振りながら逃げるように動かせば子猫たちは喜び勇んで追いかけて、畳の上を転げまわる。その愛らしいことといったら! 覇竜のドラネコも可愛らしいが、普通の猫だって決して負けてはいない、と遊びながら実感できる。
「ほら、こっちこっち♪ こうして……ジャーンプ♪」
ユーフォニーはイレギュラーズ。神秘攻撃を得意とする後衛とはいえ、練達の一般人とは体力は比べ物にならない。子猫のスタミナにだって十分ついていけていた。
子猫たちと時間を忘れて遊んでいれば……いつの間にか縁側から差し込む日は傾いて微かに黄昏の色を帯びはじめていた。
「子猫たちとこんなに長く遊んでくださったお客様は初めてです、よかったらまた是非お越しください」
「はい、ぜひ! お店の場所は憶えましたし、今度はお友達も連れてきたいです♪」
すっかり夜のとばりが降りた頃、ユーフォニーの自室にはまだ明かりがついていた。
「『練達の保護猫カフェ、みゃおまみれ。とっても幸せな猫ちゃんたちと人間との出会いの場でした。猫が好きな人がいたら、お勧めしたいな』……っと」
そう締めくくって日記帳を閉じる。ベッドの上では一足先にリディアが寝息を立てていた。
心地よい疲れと幸福感の余韻を感じながらリディアの傍に寝転がる。今日はいい夢を見られそうだ――。