SS詳細
ミルクとポテト、辛味ソースも添えて
登場人物一覧
「なんと、今日は開店してから五年……」
少しくたびれたかのように見える背広。元の世界では正装として普及されていた背格好だが、
「あまり盛大に祝うなんてすることじゃないですが、誰が覚えてたか、祝われりゃ何もしないというのも無粋なもの」
ことり、と音を立てて眼前に置かれたグラスには、注がれた真紅の液体がゆらゆらと揺れている。
「これはこれは……そういう事でしたら有難く頂きますか」
頷くバーテンに、断るも無粋とサービスドリンクを口に含む。
舌触りは温く、鼻腔通る香りは時間が経っているからか、お世辞にも良いとは言えない。際立つアルコールの臭さがなんとも形容し難いのは安酒だからだろうか。
それでも文句を言わずに、ニコニコと口の中で転がすのは、この酒場の中で空気と同化する為に。
此処へ出向いたのは、ただ酒を飲みたかったからという訳ではないから。
「隣、よろしいか?」
ハットを少し持ち上げ、口上に蓄えた髭を揺らしながら笑みを作る老紳士。
男は特に表情も変えないまま、どうぞと席を一瞥する。
「マスター、ノンアルコールで一杯任せても?」
酒場に来てアルコールも飲まないのか、そう茶化されてもおかしくはないものであったが、彼の立ち振る舞いを見れば声を掛けられる者も居ない。誰しも己より上手だと感じてしまった人間に絡もうと思わないのだ。
「困りますねぇ。此処を指定したのは貴方であり、目立ちたくないと仰ったのも貴方です。だから
紳士が隣に座って暫く経った。漸く反応を示した背広の男は困った様に、道化の笑みを浮かべて語りかける。
相手によっては苛立ちそうな空々しさも、紳士は苦笑いで受け止めて。
「いやはや申し訳ない。上手く庶民に紛れ込めていたと思っておりましたが……」
「まぁ良いです良いです。急ぎみたいですからね、ビジネスの話といきましょう」
周囲は相も変わらず安酒を浴びた大人達が騒いでいる。マスターは他の客と自身の店の周年を祝って此方を見ていない。
一般の客と同化した背広の男は、喧騒に隠され何者にも知見できなくなるだろう。
「……さて、ではこの辺で。成功した際にはまた一杯」
グラスも空となった頃。紳士は席を立ち、皺寄ったコートを整える。
ハットを胸に、仰々しい礼をするのは皮肉みたいで笑ってしまう。
「えぇ、朗報をお待ちください」
男は反応も薄めに注がれたドリンクに口をつけて送り出す。
「くれぐれもこの事は内密に、何処にでも耳はあるものですから、バルガル・ミフィストさん」
背広姿。否、バルガルは反応する事もせず、紳士に帰れと無言の圧を掛けて。
「やれやれ……内密話をこんな所で話す方がどうにかしている」
見えなくなった姿を確認して一人ぼやく。やがて席を立って会計しようと、財布から少し多めに出してマスターに渡せば怪訝な表情。
何も言わずに受け取ってしまえばいいものを、存外に人の良い男だからこの店も続いたのだろうか。
「周年祝いですよ。どうかお気になさらず」
ニコニコと渡せば、マスターも空気を読んで礼を述べる。
外の空気は格別美味いわけでもなかったが、酒の熱を冷やしてくれるには上々。
ただ酔う為なら充分という酒場を出て、しっかりとした足取りで次の目的地へと向かう。
得られる物は得た、後は疑念を確証へと変える一手。自分達を使い、何をしようとは依頼人が決める事だが、我が家を舐められる事は決して許してはいけない。
Dedicare tutto alla famiglia。
家族をコケにされりゃ、ムカつくのは当たり前だもんなぁ?
さぁ、仕事の始まりだ。
●
訪れたのは一見変哲もない飯屋。しかし、そこに用があるわけではなく、本命はその地下。知った者だけがカードを見せて入れる秘密のBAR。
先程の大衆酒場と違い、酒飲みの叫びどころか客の一人も居ない。
カウンター席に腰を下ろし、持っていたアタッシュケースを椅子の下へと置けば、マスターらしき男が此方に声をかけ。
「
「
到底BARに来て頼むドリンクとは言えないが、男は気にする様子も無く、棚裏へと向かう。
数分もしない内に届いたのは、冷たいミルクでもなく熱々のポテトでも無い。
何かが書かれているのであろう数枚に渡る紙束が、バルガルの前へと置かれるのだ。
互いに声を交わしたのは最初の注文時のみ、男は黙ってグラスを拭いているし、先程まで柔和で冴えない顔だった者は何処へやら、無表情で出された其れを読み耽る。
静寂のまま時は過ぎ、先に動き出したのはバルガルの方。
無言で立ち上がり、己の手荷物であった筈のケースはそのままに出口の扉を開き出る。
男も気づいてはいたが声をかける訳でもなく、ケースを持ち上げてかちゃかちゃと取手付近のダイヤルを操作して開けてみれば、中には敷き詰められた紙幣。
中身を確認し、開けたケースを再び閉めれば、もう誰も居ない空間の中で独りごちる。
「毎度ありがとうございました」
情報を売る者、買う者の中に交友は要らない。互いに詮索しないのがこの闇のマナーなのだから。
レトロな隠れ家的なBAR、スピークイージーと称されるだろうそこは、かつての意味は喪いつつも、また別の側面を持っていたという訳だ。
話は終わり、最後は彼の視点で締めてもらうとしよう。
●His perspective
自分は怠惰だ。
常々そういう態度は隠してこなかったし、否定もしてこなかった。当然だろう、間違ってるとも思わないし、出来れば楽して生きていたいというのは人類の何割かは同じ考えの奴等も居ると思ってさえいる。
しかし、そうも言ってられないのは、実際には食っていかないと生きていけないし、ヤニを吸うにも金が無いといけない。
金は何処から調達するのかというと、そりゃもう働かないといけないわけだ。
こんな自分なのだから、何処でものらりくらりとやっていけるとはわかっている。それでも働くのなら労働意欲が湧く所でやりたいもの。
そう、それぐらいの気持ちで最初は居たんだが、自分が思っていたより、今の居場所は居心地が好いらしい。
少なくとも、
指でなんとなしに弄っていた、銀のコインを背広に入っていたケースにしまい、今回の対象の一人である男を眺める。
情報屋で書かれていた場所で待っていれば、その通りの時間にやって来た。
安酒のBARで会った
シマで動くには派手にやり過ぎた考え無しだ。
車から出て、護衛をその場に待機させて向かうのは、女を愛で色を買う店。
なんとも容易い、護衛の意味も無いではないか。此方としては好都合だが。
空気に混ざり、路地のカビ臭さと同化する。背後に寄れば此方の物で、首を絞めて落とし、声を上げるまもなく意識を刈り取る。
異変に気づかれる前に回収し、安全な場所で命を頂戴するのだ。
これにて仕事は終わり?
いや、もう一つ残っている。
ヴィオレッタ ファミリー、水瓶座所属準構成員として、落とし前をつけさせないといけない。
向かう先は一つ、さぁ行こう。
鳴り響くサイレンは警察が来た証。誰が呼んだかは、この後分かるはずだ。
「どうして……此処に……」
此方を見た瞬間、椅子から転げ落ちて腰を抜かすのは、昨晩会った老紳士。男の始末の依頼者。
そして、始末した自分を処理する為に警察を呼んだ当人でもある。
「おやおや、どうなされたのでしょうか。私は依頼達成の報告に来たなのですが」
手を貸しましょうか、という言葉も聴こえていないのは、余程想定外だったのだろう。
暗殺の依頼、という黒い部分さえ潰そうとした保身の徹底。裏を返せば、コイツ自身も同じ事を繰り返してきたドス黒い穢れ。
「嵌めるつもりが、嵌められてしまった……なんとも無情ですが、これもまた、この世界の常ですから」
助けを呼ぼうにも、誰も居ない。後ろめたい奴はどうにも人目を避ける。それが仇となったな。
「おさらばです」
何かを叫ぶ前に、その眉間に銃弾をくれてやる。
面子で生きる者の顔に、どうして泥を塗ろうとするのか。
何かを乞おうとした生命を、自分はてらいもなく奪う。
ミッションコンプリート。
今度こそ、帰ろう。