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手放さない物――握り締めたままの舵――
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- 鞍馬 征斗の関係者
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囁く添水の水音。
拙い装飾の竹筒に注がれ重みを増すそれは、やがて音を立てて落ちて行く。
――――カッ ――コォ……ンッ
「ここ……何だか思い出すね、前居た世界の事」
「そうだな。未だに混沌の珍妙な文化に慣れないとはいえ、時折こうして見知った物に巡り合えると落ち着く。
特にこの宿は鉄帝から流れて来た武者が建てたらしく、温泉や……更には甘味がついてくるの」
「……好きだね」
凛々しくも柔和な笑顔を見せるのに対し曖昧な声が出る。
今となっては慣れ親しんだ様子で給仕服を纏う彼女、鞍馬諒子は障子の向こうから鳴る懸樋の音を背にして。どうだと言わんばかりに小首を傾げて見せた。
そんな姿を見て微笑んでいた征斗も「うん」と頷く。
「ローレットの事は忘れ、今日は羽根を伸ばすとしよう」
(道中感じた楽しそうな雰囲気は……これが理由かな)
きっと、そうだろうと。
和室に少しばかりのアレンジが加えられた部屋の隅に荷を下ろした征斗は、静まり返った空気に耳を傾ける。
今、彼等がいるのは幻想で標高が僅かに高い土地にひっそりと建つ旅館である。
ガラリと開け放った障子の外から流れ込む風は、微かに冷たく。澄んだ薫と共に視界を舞う紅葉。
なるほど確かに。征斗の脳裏を一瞬、かつて自身が諒子と共に駆けたあの世界を連想させた。
違うのは、彼女も自分も今は侍や志士ではない所か。
「……そうだね。懐かしい空気……鉄帝や天義、ラサの方に足を運んだ時も前の世界を思い出したっけ……郷愁、じゃないだろうけどね」
「あの辺りの気候に加えて『帝国』やら『サンドワーム』とくればな」
話を聞き齧っただけだが。世界や土地が違っても似通う部分は出て来るものだ、と諒子は言う。
異なる世界から招かれた自分達も、他の特異運命座標も何処かしら通じた部分があるように。観測者が人である限り。
「……ところで」
「なんだ、浴衣なんて持って」
「ん……少し温泉が気になったから。入るよね?」
「勿論入るつもりだがその前に、表の売店でオーブあんみつというのがあってだな――」
――――
―――
―
火照った肌を冷ます様に夜風が吹き付ける。
「…………」
縁側に設けられた座椅子に背を預け、捲れた浴衣の裾の合間から湯気が未だ昇るのを見下ろしながら。
すらりと伸びた足膝に並んで立てられた普段携えている得物とは別の、赤茶の鞘に納められた長脇差。その柄を指先で撫でながら視線を持ち上げた。
「使わない武器を持ち歩く――京の都の時は全くそんな事をしてなかったのに。征斗……理由でも、あるのか?」
「……理由」
まだ湿り気を帯びたままの美麗な長髪を肩口から垂らし。今の征斗と同じ浴衣姿で諒子がふわりと隣へ座る。
気が抜けていた。
意識の隅に走った剣戟の音を払うかのように「ん……」と詰まった声だけが口の中から漏れる。
「……親友だった三人の志士の形見だからさ、そのうちの一本……この世界に来た時には持ってて、
どうしても手放せなくて……ね。あの合戦で……自分に譲り渡されたこれだけが、ずっと……」
「ずっと、なんだ……?」
「……ん」
自分は逆上せたのかと征斗は思う。諒子とのんびり浸かった湯に当てられたか、いつの間にか差し出されていた湯飲みを前に数瞬考え込んでしまう。
揺れる湯気をたっぷり見つめてから受け取った彼は、暫しまた思考とは異なる沈黙の後で口を開いた。
「何か、意味があるんじゃないか……ってね。志士道に誓いを立てたこの剣……
……もう戻る事の無い世界の、道に背く事も沿う事もない、今となっては……せめてこれを抜かず手放さない事がケジメなんじゃないかって……思ってる」
「それは征斗がこの世界に来てから、人と関わりを持たないで居る事に関係しているのか……?」
今度ははっきりと記憶の断片が浮かび上がる。
この脇差の持ち主だった……大親友とも呼べる志士の一人と肩を並べていた、過去の自分。
今と違うのは果たして仕事だけなのか。
「……」
違うと、その一言が声に出る事はなかった。
彼に脇差を託した友と諒子に直接的な面識は無い。
妖との戦に限らず、多くの合戦を経て歴史の渦に触れて来た。そう、"その中で命を落とす事は有り得る"。征斗が皆まで言わずともそれを彼女は察していた。
だから訊いた。一体何を気にして抜かぬ剣を携えているのかと。
答えとして出て来ない。ただ、忘れられないのだと。
(諒子は――)
"そういう意味"でいうなら、それは目の前の恋人もそうかもしれない。
繋がりある物を手放したくない。或いはもっと別の感情に寄った物があるのかもしれない。
「ずずー……」
「…………ずず……」
そろそろ湯冷めして来たところだった。
征斗と諒子は丁度良い温さとなった湯飲みを啜り、夜風に舞う紅葉を眺める。
ほう、と。白い息が微かに宙を滑る。
「『置いて来てしまった物』は私にもある。
けど私は、前の世界に置き去りにした物を惜しいと思いはしても、嘆いたりしないの」
「それは……自分も同感かな。ただ……」
「私は征斗がいるからだぞ」
「――……」
トン。
手から滑り落ちた湯飲みが征斗の細い足に乗ったが、中身は既に空だった。特別、何が衝撃だったわけでもないのに何故取り落としてしまったのだろう。
それだけ、今の言葉に揺さぶるモノを感じたのだろうか。
「あまり過度に依頼は受けてないのは良いと思うけど――相変わらず、独りになろうとしてるのか……?
全く、私に言い寄って来た時はもっと積極的だったのに……」
呆れた様に。しかしそこに軽蔑のような不快感は無い。
結紐を手に生乾きの髪を後ろに上げる諒子は真っ直ぐに征斗を見ていた。
――顔と耳の辺りに込み上げて来る熱い感覚に、彼は夜空を仰ぐ。
天に瞬く星々が、とても近く思えた。
「思い出すだけで恥ずかしい……後悔はしてないけど、ね。最初から最後まで、独りだとどうしても逃げ場が無いから……」
だからなのか、それこそ征斗自身にもわかるものだろうか。
ここまで――ひいては混沌に招かれてから、こうして気が置けぬ者同士で会話する中で彼が述べた想いがあっただろうか。
無かったということはないだろう。こうしてたった今、彼は暗に言って見せたのだから。
独りになろうとはしていても、こうして逃げ場はあるのだと。
「……諒子……?」
今の鞍馬諒子という人物に、以前まで居た世界同様の技量や勘は無い。
世界を越えた事で混沌肯定によって失われた。そう捉えるならば、征斗よりも消失した物は多い。
そんな彼女が征斗の空白が生んだ数瞬の隙を突いて這い寄り、彼の手に手を取り唇を重ねに行けたのは――惚れた弱味に他ならない。
「――だったらもう少し甘えればいいの……たわけ……」
頬に触れる柔らかな毛先に紛れ、熱を秘めた唇は音も無く、離れていった。
鼻先を掠める香りは紅葉のそれではなく。今最も己の鼓動を逸らせている、彼女の残り香。
潤んだ瞳を覗いてしまった彼は途端に目を背けようとする。
「そこで背かれたら私は……どうすればいいんだ」
「……そう、だね。ごめ……っ」
逃がさないとばかりに顎をくいと持ち上げられた征斗と、諒子の視線が再び重なる。
互いに呼気をほんの一瞬だけ潜め、次いで自然と絡ませられた指先に力を籠めて。
囁く添水の水音。
拙い装飾の竹筒に注がれ重みを増すそれは、やがて音を立てて落ちて行く――
- 手放さない物――握り締めたままの舵――完了
- GM名ちくわブレード(休止中)
- 種別SS
- 納品日2019年11月30日
- ・鞍馬 征斗(p3p006903)
・鞍馬 征斗の関係者