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捧げた瞳
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- 鹿王院 ミコトの関係者
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「そんな、そんな……」
それが、決定的であることを悟って、少女はその場に崩れ落ちた。
整った顔に浮かぶそれはまさに、絶望。わずか十歳の少女が出していいものではない。
一体、この幼気な少女に、如何様な仕打ちが与えられたというのか。
嫌だ嫌だと譫言のように呟く彼女はきっと、両頬に添えられた自身の手指が、血も流れそうなほど強く食い込みつつあることすら気づいていない。
少女の名前は鹿王院水梛。長い鹿王院の歴史においても非常に稀有な、鹿セ儀の非成功者である。
鹿セ儀とは、鹿王院の家系に連なるものが、裏眼式と呼ばれる特異術式に覚醒するための儀式であり、初めての受儀は、大体五歳頃に執り行われる。
鹿王院水梛は一族の中でもとりわけ術式に秀でており、物心ついた頃からその片鱗は見受けられた。その構築は精緻にして繊細。並の術者など生まれた頃から凌駕していると言われた彼女に、例外的に鹿セ儀を早めるべきだとの声もあったが、当時の当主、鹿王院ミコトがこれに反対。例に漏れず、水梛の儀式も彼女が五歳の頃に執り行われることとなった。
結果は、失敗。
周囲からは落胆のそれが漏れ聞こえたが、母であるミコトは何も気にせずといった顔で、何かに怒られまいかと怯えた顔をした娘を優しく抱き上げた。
「気にするでない。一度や二度、うまくいかぬは平沙のことよ。誰しも二度、三度を経て身につけるものじゃ」
ミコトの言葉通り、鹿王院本家においても、一度目の鹿セ儀で成功した例は少ない。周囲からは妙な期待もあったようだが、初めての儀式など失敗して当然なのだ。水梛の場合はただ、その非凡さによって過度な期待をかけられたに過ぎない。
だから問題などなかったのだ。この時点では。
二度目、三度目。翌年、翌々年と行われた水梛は立て続けに失敗する。次こそ、次こそと思いはするものの、四度目、五度目ともなれば、心無い噂も立つようになった。
『鹿王院水梛は、裏眼式を得られないのではないか』
厳密に言えば、分家の末端より本家への不敬ともとれる声がありはしたのだが、それに関してはミコトに心酔する者たちによって、親子の耳に届く前に処理されている。
この頃になると、鹿王院水梛は笑わなくなった。そして一層、術式の鍛錬にのめり込んでいった。
そして、六度目。
十を迎えた水梛の鹿セ儀に、出席者は鹿王院ミコトのみ。
三度目まではあれだけいた分家の者らも、以降は減っていき、そうして、遂には現れなくなった。
期待はされていないのだ。そんなこと、十の少女が感じて良いものではない。蔑ろにされている事実を悟り、それでもとしがみつくように努力をするなど、十年という人生で味わうにはあまりに過酷である。
鹿王院水梛はそれでも裏眼式を渇望する。まるで自身の価値が、そこにしか無いのだと言わんばかりに。
だが、悲しいかな。彼女は事実、裏眼式の才能を持ち合わせていない。
その失敗は、これで最後なのだと彼女に理解させた。手応えなど無い。こぼれ落ちたような感覚すらない。儀式による片鱗すら、この六度目において一切何も感じることはなかった。
鹿セの儀式は、もう水梛に応じるつもりがないのだ。
「嫌だ。待って、違う、違う。出来る、私は、私はもっと、もっと頑張れるから、ねえ……!」
取り乱す彼女に、ミコトが寄り添う。
「どうしたんじゃ!? 儀式なぞ、また来年やればよかろう」
「違うのです! お母様、お母様、もうこれ以上は……!」
これが、鹿王院水梛と裏眼式の終わり。しかしそれ以後、分家においてすら、彼女のことをとやかく言う声は減少していくこととなる。
裏眼式を得ることなく、本家の後を継ぐ権利を失った鹿王院水梛。しかし、彼らは思い知る。六年における挫折を味わったこの少女こそが、鹿王院そのものであったということを。
翌日、あれだけ泣いていたというのにけろりとした顔で朝餉の席に顔を出した水梛は、母に鹿王院の仕事に関わらせてほしい旨を伝えた。
実力で言えば、申し分はない。彼女の力はとっくに熟練の術者すら舌を巻くものとなっており、これまで仕事に出ることがなかったのは、次期当主という庇護理由があったからである。
しかし、今やその理由は失われた。そのことを彼女は理解しており、だからこそ、自分を術者の世界において欲しいと母に願い出たのだ。
ミコトは渋い顔を見せつつも了承。水梛はその答えに笑むこともなく、深々と頭を下げた。
その日、昼食の席に水梛は顔を出さず、日が沈む頃になって、ようやく帰宅し、その背には、妖魔の首が三つ、しょわれていたという。
それからひと月で水梛が討伐した妖魔の数は大小合わせて五十を下らず、最早鹿王院において、彼女の実力を疑うものはいなくなっていた。
術者界隈に広く知れ渡ったのは、十二の頃の敵対組織の単独壊滅。並びに、十五の頃、独自術式の開発に成功したことだろう。
彼女はひとり、戦果を上げ続け、母を慕い、鹿王院の名を高め続けた。
ただその間、一度たりとも笑うことはなかった。
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水梛が結婚し、長男を出産した頃には、多少の笑みも浮かべるようになっていた。
彼女の緊張を解し、微小ながらも柔らかさを取り戻させたのはその夫の功績だろう。
ミコトは、自分が娘の心を救えなかったことに歯痒い思いをし、娘婿に対し、感謝と憎たらしさのふたつの感情を積もらせることになるが、それはまた別の話だ。
重要なのは、時を経て、恋を知って、彼女の心が人並みに戻り始めたのだと、誰もが油断をしていたということだ。
積りに積もっていただろう感情が、いつの間にか解消されていたのだと、誰もが信じていたことだ。
それを後悔したのは、彼女の第一子が二歳の誕生日を迎えた日のこと。
ひどい雨の日だった。だというのに、声を上げて笑いながら、中庭でくるくると踊るものがいる。それが水梛だと知って、血相を抱えて飛び出してきたのはミコトと、例の娘婿である。
「何を、何をしとるんじゃ!?」
「お母様、お母様、見てください、ねえ!」
自身の奇行に驚く母に、水梛は抱きかかえた我が子を見せつける。僅か二歳の少年。しかしその顔には、自身のそれと合わせて、七つの眼球が開いていた。
「これは、鹿セ儀をさせたのか……!?」
幼い我が子に無理やり儀式を執り行わせた。ミコトがそう疑うのも無理はない。二歳の少年の顔に浮かんだ自身のそれとは異なる五つの眼。それは眼であって眼ではない。それこそが裏眼式。鹿王院の特異性そのもの。かつて水梛が、六度の鹿セ儀を経て終ぞ得られなかったもの。
「いいえ、いいえ、まさか。我が子に無理を強いたりしません。この子は、鹿セを跨がずに瞳を得たのです!」
喜ぶ水梛。絶句するミコト。ミコトが驚いていたのは、孫が儀式を経ずに特異性に目覚めたことに対してもある。しかしそれ以上に、まだ水梛が裏眼式に拘っていたと知ったことに対してでもあった。
だがその得心はズレている。水梛の心根は、とっくのとうに、そんなところにはない。裏眼式を得られるかどうかなど、水梛にとってはどうでも良い。
「これで鹿王院はますます安泰です!」
彼女はもう、鹿王院のことしか考えていない。鹿王院の跡継ぎが確定した。それも滅多にいない、独覚での覚醒を得た。この子が鹿王院を統べる頃、より鹿王院の名は盤石となるに違いない。
彼女は心底、それだけを喜んでいた。
ミコトは娘の思いを見誤っていた自身に押し黙る。それでいて、十年と見ていなかった我が子の心からの笑顔に、瞳を潤ませずにはいられなかった。ベクトルのまるで違う感情が彼女の中で渦巻き、暴れ、乱している。泣いていいのか、憤っていいのか、笑っていいのか、苦しんでいいのか、わからない。
そうやって情緒をかき乱されていたから、ミコトは反応が遅れた。遅れてしまった。決定的に、遅れてしまったのだ。
「ああでも、五つではたりないわね、ナナセ」
土砂降りの雨の中、水梛は一切の躊躇いも素振りも見せず、自分の眼球に指を突き立てた。
「…………え?」
この時、あまりの唐突さに、ミコトがまるで動けず、ただの娘のように尻もちをついてしまったことを、誰が責められるだろう。
そうだ、彼女を責められない。むしろ娘婿の方を、称賛するべきだろう。
「これで六つ。え、どうし、て?」
水梛が自身の眼球を潰したと同時、ナナセの顔に浮かんだ術式の瞳が増えた。その数は、ふたつ。
道理に合わない。ひとつで、ふたつでは。
「これで七つです。だから、もうひとつは取っておいてください」
水梛の行動に合わせて、彼女の夫が自分の瞳にも指を突き立てたのだ。このままでは、水梛がもうひとつの眼球も潰してしまいかねないと理解していたから。
「どう、して? ねえ、どうして!?」
子を抱いたまま、夫の元にかけよる水梛。
「当然でしょう、私の子でもあるのですから。ひとりで背負おうなんて、ズルいじゃないですか」
「あ、ああ……」
妻のために自身の瞳を躊躇いなく捧げた夫。
そこに至ってようやく、水梛は歓喜のあまり暴走していたことを悟る。
もう取り返せない。水梛が瞳を捧げることを選んだせいで、夫のそれもまた、永遠に失われてしまった。我が子に捧げられてしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「いいんです。水梛さんも、ナナセも、何事もなくて、良かった」
泣き崩れる水梛。わんわんと、わんわんと。十年を超えて積りに積もった感情が、溶け崩れて雪崩れるように響き渡る。
この瞬間に、水梛はまた、心を取り戻したのだった。
- 捧げた瞳完了
- GM名yakigote
- 種別SS
- 納品日2022年11月08日
- ・鹿王院 ミコト(p3p009843)
・鹿王院 ミコトの関係者