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2022年11月11日
登場人物一覧
2022年11月11日。金曜日。
天気予報は晴れ時々曇り。降水確率は20%。日中は汗も滲むような気温では夜になると肌寒さを感じる今日この頃だ。越智内 定は2コマ目の講義が終わった後は学食で時間を潰してから無ヶ丘高校に迎えに行くと綾敷 なじみに連絡していた。
当初の約束であればバイクで彼女を学校まで迎えに行く予定であった。だが、約束の内容を『更新』した。バイクではなく自転車での移動を行なうことに決めたのだ。
昨年までの定は格好付けてバイクで行こうと提案していた。夏に彼女と出かけた際に、バイクでは距離が遠すぎることを実感したのだ。
勿論、バイクでといったのは格好付けただけに過ぎない。格好付けるよりも何よりも大事にしたいことが定には出来たのである。
昨年はノープランでの約束、駅前での待ち合わせであったというのに今年はプランニングもバッチリだ。動きやすいように荷物は少な目にして自転車のメンテナンスも完璧だ。迎えに来て欲しいと告げたのはなじみの側。彼女を校門前で待つ定を見て「誰だろ?」とひそひそと話す声を聞き、定は変質者扱いされてやしないかと青ざめた。
「あー!」
聞き覚えのある声が聞こえる。定は天の救いを得たような心地で振り向いた。大きめのリュックサックには参考書と沢山の誕生日プレゼント。相変わらずクラスに『馴染んでいる』彼女は沢山の友人に囲まれているようである。
意を決して自転車を押しながら校門の前で待っていた定の姿に「定くん!」となじみが手を振った。クラスメイト達が「大学生?」「彼氏?」と囃し立てる声を聞きなじみは「お迎えだぜ、良いでしょ」と否定も肯定もせずにんんまりと笑うのだ。定と言えば、ぎこちない会釈を返すだけしか出来なかった。こういう時、どの様な反応をするべきなのかは分からない。特に自覚してしまってからと言うものの彼女への反応さえも少し困ってしまうのだ。
「定くん、先にコンビニで飲み物買おうよ」
「いいぜ。からあげとか肉まんも買おうぜ。ちょっと小腹が減る時間だしさ」
「いいね。なじみさんピザまんがいいな。定くんが肉まん買うなら半分こしようぜ?」
口調を真似て、揶揄うように笑ったなじみに定は「そうだね」と頷いた。今までならば何気なく『半分こ』をしていたというのに、少し自覚してしまえば関係性さえ変わったように思える。肉まんを半分こするだけでどうしようもなく緊張してしまうのだ。
「出発!」
行こうぜ、と手を振り上げたなじみに定は「おー」と緊張を滲ませながら返事をした。今までは友達だった。その壁があったからこそ出来た関わり方。それがなくなってしまえばどうすれば良いのかさえ分からなくなる。
無ヶ丘高校から目的地の海までは少しばかりの距離がある。定が自転車に跨がれば慣れた様子で背中からぎゅっと腕を回したなじみは「今日は冷えるねえ」と息を吐く。そのぬくもりに、彼女の感触がダイレクトに伝わって定はヒュッと息を呑んで身を固くした。自覚症状のなかった慢性の恋の病が、急に悪化した気さえした。
「定くん? おーい、漕がないと進まないぜ」
「い、あ、いや、あの、寒いなら上着とか? そ、そぉいうの考えてただけだぜ」
「あー……定くんも寒いよね。家に一度寄っていこうかなあ」
「あ、いや、僕は寒くないからさ。上着、今着とく? 風、冷たいだろうしさ」
何とか誤魔化せただろうかと息を吐いた定になじみは「良いの?」と問いながら自転車から降りた。上着を早く貸してくれと言いたげにリュックを自転車のカゴに投げ入れてなじみは定を待っている。一度、自転車のスタンドを立ててから着用して居たコートを脱いでなじみに渡す。
「有り難う」
「どうも。ちょっと厚着で良かったよ」
「うんうん。――あ」
冬用ブレザーの中にカーディガンを着用していても少し冷えたのだろう。定の薄手のコートを着用してからなじみはぴたりと動きを止める。
「ど、どうかしたのかい?」
「定くんのにおいするね」
――そういう事を言うから、慢性症状が悪化するのだ。定は「そ、そっかァ」と上擦った声を返す事で精一杯だった。
夕日の差す時間帯。随分と日が落ちるのも早くなった物だと定は実感していた。コンビニで購入した肉まんとピザまんはコンビニの駐車場で半分ずつ食べた。
ホットドリンクを購入したなじみは「去年はちょっと暑かったからアイスティーだったけど、今年は寒いねえ」と笑う。東浦区の浜辺には一度行ったことがあるが無ヶ丘高校からの行き方はaPhoneの地図アプリを駆使した。坂の多い東浦区を自転車で駆け下りて行くのは爽快だ。前回は横乗りでジュースを飲んでいたなじみも、今回は定にぎゅっとしがみつき「早いぜ!」と楽しげに笑っている。二人を照らした夕日も、傍らを走る自動車も、其れ等全ての日常が少しずつ色を変えていく。毎日の変化が、二人を取り巻く環境さえ変えて仕舞うのだ。
去年の今頃は、R.O.Oの影響を多分に受けた世界を歩いていた。当たり前だと思っていた再現性東京が全て紛い物であったことに気付かされたからだ。其れより前はどうだろうか。始めてなじみと出会ったのは彼女が高校一年生の時だった。今は三年生――二年の年月で、定を取り巻く環境は様変わりしたのだから。
去年、二人で自転車に跨がっていた頃は想像もしていなかった。竜が姿を見せた事。巨竜の前に立ち向かった定が負った傷は此れが現実なのだとまざまざと思い知らせた。その後、なじみと喧嘩をした。声を張り上げ交した言葉だけでも随分と距離が近付いたと感じられた。
坂道を下りながら定は自転車のハンドルをぎゅっと握り込んだ。「落ちちゃダメだぜ」と声を掛ければ「オッケー」とぎゅうとしがみ付く。バイクに2人乗りすれば彼女はこうして背中にしがみついて笑ってくれるのだろうか。自転車なんかよりもっと速く、自然の中を駆け抜けて彼女が求める場所へ何処へでも。
「んふふ」
「どうしたんだい?」
「自転車も悪くないなあって。バイクや車なら早く過ぎ去っちゃう景色も、自転車ならのんびり見られるし、定くんの頑張りを感じるぜ」
「まあっ、漕いでるのは僕だからね……っ!」
息を切らせる定に「重たい?」となじみは問い掛ける。「重くないよ」と応えれば「よかった。太ったねって言われるのかと思った!」となじみは声を弾ませた。
「着いた! さ、去年の約束を果たそうか」
「やけに性急だね。やっぱり寒いから?」
「ううん」
首を振ったなじみに定は肩を竦めた。去年の『約束』、そのひとつ。梅結びのピアスの片方だけを定に預っていて欲しいと告げたなじみは『来年、一緒にこの海に来て渡して欲しい』と頼んだのだ。その耳に空いた片方だけのピアスホールには去年の約束が飾られている。
「はい、頂戴」
「雰囲気が台無しだぜ」
「ふふ。あのね、定くん。私、去年は片方の耳に開けてってお願いしたでしょう。それで、今年もう片方を頂戴、って。
……だから、片方は貰うけど、これはお家で大事に飾っておくね。片方だけでもおしゃれだよね。なじみさんの個性って感じがしたぜ」
にんまりと笑うなじみに定は直感的に『ああ、この言葉は誤魔化すために言って居るんだなあ』と感じていた。彼女は去年言っていた。猫の耳、それが『なじみ本人の本当の体』ではないかもしれない、と。綾敷なじみは猫の耳を有している。それは夜妖憑きであるからだ。その体の中に存在する『猫鬼』が顕現した結果がその耳なのだという。
そこに、約束を飾ることを許して欲しいとなじみは定に告げて居た。それは今も変わらず――去年よりもずっと、猫鬼の存在を彼女が大きく感じているからなのかも知れない。
片割れのピアスは大事に飾っていたい。『そこは綾敷なじみ本人のテリトリー』だからとでも云う様に。言葉の端から感じられた気配に定は言葉に出来ないまま彼女を見詰めている。
「あ」
「え、ど、どうしたの。忘れた?」
「いや、違うよ。そうじゃなくって、なじみさん、ピアス集めるのが楽しくなったって言ってただろ?
だからさ、今年もプレゼント用意したんだ。勿論、他に欲しい誕生日プレゼントがあれば何でも言ってよ。大学生のお兄さんだぜ」
「本当だ。大学生のお兄さんに何かお願いしないとね」
くすくすと笑うなじみは定を真っ直ぐに見詰めている。言い淀むように唇を動かして「ううん」となじみは呟いた。
歯切れの悪い彼女は珍しい。定は「なじみさん?」と名を呼んで、彼女を見下ろした。風に靡いた紫色、定のコートの袖口を指先で摘まんで、離して。それから戸惑うように白い指先が覗いた。
「定くん、あのさ」
「……どうしたんだい、なじみさん」
なじみはにこりと笑った。笑ってから定の手をぎゅっと握りしめる。定の肩が揺らいだ。普通の握手なんかじゃない。手を握られて、指先が絡まる。
それだけで強張った体は触れるなじみに悟られる。ああ、どうしようもない程の恋煩いだ。定は唇を引き結んでからなじみの言葉を待った。
「私って、ずるいね」
「何が?」
突拍子もない言葉に、定は思わず聞き返した。狡いのは、何方がだろうか。友人なんてカテゴライズを求めて共に過ごしてきた自分。約束を積み重ねればずっと一緒に居てくれる、なんて子供染みたエゴを発揮したのは自分の側だったのに。
黙りこくったなじみの言葉を定はただ待っていた。街灯に照らされて影が伸びている。
その先に黒い猫が形を作る。彼女の中に巣食った、もう一人の彼女の形――猫鬼が、2人を見ていた。
「定くん」
名前を呼ぶ。なじみの若葉の色の瞳が、猫のように細められて定を見ている。『まだ』これは彼女なのだと分かる。その眸が蜜色に輝いているわけではないから。
暫く黙っていたなじみが定と向き直ってから顔を上げる。離された指先に残った僅かな熱が少しばかり名残惜しい。
「私、ちょっと忙しくなるんだ。大学受験もあるし、さ。
……クリスマスとかは一緒に遊びたいなあって思うけど。沢山遊ぶのはちょっと出来なくなるかもしれない」
「あ、ああ、そうだね」
「ちょっと寂しくなるね」
肩を竦めた彼女に定は大学進学のために彼女が努力していることを知っていた。来年の今頃はなじみも大学生としてキャンパスライフを謳歌しているのだろう。そんな彼女と、『いつもの』友人と、共に過ごす日々は彩りに溢れている筈だ。
――けれど、どうしてだろうか。彼女の反応にそれだけではないきがして定はなじみの腕を掴んだ。離せばどこかに行ってしまいそうな気がして。腕を伝った指先が、そのまま掌を掬い上げる。
「勉強、教えるよ。気軽に声かけてくれよ」
「大学生って暇なのかい?」
「講義なければね。朝は一寸早いけど埋まってないコマなら時間作るし。なじみさんと大学って楽しみだしさ」
「私も。一緒に学食とか行こうよ。希望ヶ浜学園は学食沢山有るから、楽しみなんだ。それからね、私は今、18歳になったから……。
『再来年』のお祝いはお酒を飲みたいな。君と一緒なら、楽しく飲めそう。それまでにお酒の作法を習ってきておくれよ?」
揶揄うように笑ったなじみに定は驚いたように目を瞠った。遠い――遠い約束のように感じられて。
約束をするのは、彼女は得意じゃない。
それは何となく感じられた。「また」と言葉を重ねても、近いばかりで一向に未来はなかった。
それでも、未来を求めてくれたのは彼女の中で何かが変わったのだろうか。
「じゃあ、誕生日プレゼントはこの約束にしてよ」
「それでいいのかい? 他に、もっと――」
「ううん。……あ、じゃあ、ぎゅってして」
「ぎゅっッ!?」
思わず大声を出した定になじみは「うん」と両手を伸ばした。幼い子供が抱き上げられることを求めるように両腕を伸ばして、抱擁を強請る。
その姿に固まってから定は「落ち着け」と己に言い聞かせた。自転車でだって彼女の温もりを後ろから感じていた。しがみ付いてくれる腕だって、さっきまであったじゃないか。
でも、それとこれとは違う気がしてならない。面と向かって、抱きしめて。それがどれ程『難易度が高い』か彼女は分かって居るのだろうか。
「定くん、プレゼントくれないのかい?」
「え、いや、これってプレゼントになるのかい?」
「私がしてっていったからね。物の方が良いならお揃いの何かでもいいよ」
「それでもいいけど、……い、いや、でも、えーと、どうすれば」
「定くんから、して」
彼女が飛び付いてきたら心の準備なんて置き去りに出来るのに。なんて酷い事を言うんだ、誰か入れ知恵をしたのだろうか。そんな事を叫びたくなりながら定はゆるゆると腕を伸ばした。
ゆっくりとなじみの頭を胸へと引き寄せた。少しの身長の差。藤色の柔らかな髪が擽ったい。猫の耳がぴくりと動いて、飾られた約束が揺れている。
「暖かいねえ」
「……そ、そうだね」
緊張ばかりだった。ただ、ぬくもりと彼女が腕の中にいるという事実だけが頭の中を支配する。
「定くん、あのね……私がもし、居なくなってもさ。ちょっと忙しいんだなって思って居てね」
「大学受験なら仕方ないよ。合格したら皆でお祝いパーティーでもしようぜ」
「……うん。あのね、私がバカみたいなことしたら叱ってね。私が泣いてたら今みたいにぎゅっとしてね。
私、君が好きだよ。最高の『友達』だよ。……本当だよ、本当に大切だよ。大切な友達なんだ」
友達、と言う言葉に傷付いたのは気のせいじゃなかった。そうなる程に、心が変化した。
そもそもなじみは定の慢性の恋煩いなんて知らない筈だ。心の変化は分かり易すぎる。知っているならば――見ない振りを為ているのだろうか。
ああ、そうか。
全てを忘れていってしまうから。
何れは猫に全てを渡して『からっぽ』になってしまうから。
だからこそ、彼女の中に存在するのは友達だけに留めておきたいのだろうか。特別なんて言葉にしてしまえば傷が残るとでもいうような。
定はぐっと息を呑んだ。ああ、そうだ。綾敷 なじみは誰の前でだって良い子で優しい友達なのだ。
誰かの特別になってしまったら何時終わるかも分からない未来にその人を巻込んでしまうから――そんなの遅すぎる。
疾うの昔から末期の恋煩いだ。自覚症状がなかっただけで。
「僕もなじみさんが大切だぜ。一緒に遊んで、一緒に笑ってさ……そういうの、楽しいだろ」
意気地がないとは言わないでくれ。まだ、言い出せやしないのだ。
君が、好き――だなんて。
「泣いてたら直ぐに迎えに行くし、変なことをしていたら叱ってあげる。甘えたくなったら胸位何時だって貸すから」
何処かに行ってしまいそうな彼女の頭を撫でた。柔らかな髪を梳いてから、ゆっくりと離れる。
「お誕生日、おめでとう」
また、次もそう言えるように――
嘘つきな、君のことばかりを考えた。