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生き残る為に

登場人物一覧

鹿王院 ミコト(p3p009843)
合法BBA
鹿王院 ミコトの関係者
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鹿王院 ミコトの関係者
→ イラスト


 秋も深まれば、庭の木々もすっかり赤く色づきだして、びゅうるりと風がひとつふけば、ひらひらと舞って、心動かされる中に、しっかりと死を思わせる。昼日中、ようは、そのような季時頃だ。
 ミコトとナナセはふたり、庭に面した部屋のひとつで、障子戸を開いたまま、なにやら資料のようなものに目を落としていた。
 その中身は数学的な公式のようでありながら、時折複雑な図形と、難解な異言語で綴られている。
「ああ、なるほど。これは面白いですね」
「じゃろ。異世界が存在するという実感・認識を元に空間を多層的に解釈したんじゃろうな。荒削りではあるが、うまく構築しておる」
「他の理論にも応用可能でしょうか。認識を完全にずらしてしまえば、現行の物理法則とかけ離れたような構築も」
「いやあ、難しいじゃろう。洗脳レベルで書き換えたとて、世の中の法則が曲がっとるわけではないしのう。既存のルールを無理やりブレイクスルーさせようとしても、社会的に生きていけんようになるじゃろ」
「では現状、応用するにしてもあちら側との齟齬をすり合わせる程度でしょうか。やりすぎると、今度は発動できなくなる術式がありそうですね」
「じゃの。だからこの開発は慎重に―――ん?」
 互いに資料とにらめっこして、なにやら意見を交わしていたふたりだったが、ふとミコトが顔を上げた。
 その様子にナナセも顔をあげたが、どうやら気づくのが遅かったようで。
「お祖母様、どうかされ、うわっと」
 ナナセが、そのように慌てた声を出すのは珍しい。しかし無理もないだろうとミコトは思う。そこにいないと確信しているはずのものが、突然そこに現れたら、誰だって驚くだろう。
 現れたのは、ひとりの少女である。表情は乏しく、気配も薄く、しかしいつの間にか、ナナセの背後に立っていたのだ。
 少女の名前はいさな、ほしぞら。最近、この屋敷に住み着くようになったのだが、特に追い出すようなことはせず、好きにさせている。家の幾人かは反対をしたが、適当な理由で納得させた。不確定要素ではあるが、この少女を目の届かぬところにおいておくほうが問題であると判断したのだ。
「おお、いさな、ほしぞら。ようきたの。ほれ、お菓子があるぞ。食うか?」
 裾から砂糖菓子を幾つか取り出してやるが、少女は答えたりはせず、首を縦にも、横にも振りはしない。しかし無言で近づいてくると、じっとミコトの手の上の菓子を見つめ始めた。
 手を動かしてやると、それにつられて視線も動く。それが愛くるしくてころころと笑ったあと、それを食わせてやった。
 あむ、ごっくん。
 いさな、ほしぞらは咀嚼をしない。飲むように、食べる。しかしとても満足に、食べる。表情は変わらず、仕草を見せることもないが、食への幸福感だけは十全に伝わってくるのだから、おかしなものだ。
 そうやって幸せそうにするものだから、居着いて数日、すっかり誰もが菓子をおやつをと分け与えるようになってしまった。
 ひとりしきり、幸福感だけをあらわにすると、今度はナナセに向き直る。
「おかあさん」
「ちがいます」
「おかあさん、なに」
「だから違うと……はあ。ああ、ええと、術式の検討ですね」
 いさな、ほしぞらがナナセのことを母と呼んだことは、屋敷内の誰に対しても多かれ少なかれ衝撃を与えたものだ。
 ナナセはもちろん身に覚えがないと言うが、どれだけ否定しても、少女の言う『おかあさん呼び』は直らなかった。何らかの理由で、ナナセを本当に生みの親だと認識しているらしい。
 まあそのことを差し置いても、年齢差を考慮したとしても、ボキャブラリーの乏しいいさな、ほしぞらの言葉からその意図を察せるあたり、本当に親子のようではあった。
「術式」
「時折、父とお祖母様との三人で、ここで術式の検討をしているのです。敵性術者が未知の術式を使用してくることも少なくはないですからね。構成から検分し、必要があれば既存の術式に取り組んだり、新しい術式の開発にもつなげているんです」
「父」
「ええ、父は今日は別件で出ていますね。朝方、一緒にお見送りをしたでしょう。覚えていますか?」
「眼」
「はい、確かに鹿王院には強力な血統術式があります。しかし、そればかりに頼ることもできません」
「いや、今のようわかったな……」
 ツーカー、という言葉以上のやりとりを見せるものだから、思わずそれがミコトの口からついて出る。
「え? ああ、はい。どうしてか、わかりますね。なんとなく、こういうことを言いたいのかな、と」
「お、おう。翻訳してくれんか? 儂、さっぱりじゃし……」
「はい。どうして鹿王院の術式に頼るばかりでは駄目なのか。現状、そんなにも追い込まれているのかと言っていますね」
「何も言っとらんかった気がするんじゃけど!?」
 本当に親子なのではなかろうか。胡乱げな視線を見せてやると、ナナセからは無言の抗議が帰ってくる。それに受けはせず、代わりにいさな、ほしぞらへの説明を引き継いでやった。
「それはな、生命のやりとりをしておるからじゃよ」
「生命」
 その言葉に、どのような感情をこめたのだろう。少しだけ、ほんの少しだけ、さっきまでよりも反応が早かったように、ミコトには感じられた。
 その言葉の意図は、孫に翻訳してもらわなくともわかる。
「術者にせよ、妖魔にせよ、相手取れば生命のやりとりになることは多い。大概の場合、生き残れば勝ちで、死ねば負けじゃな。ならば、拘ることは捨てねばならぬ。新しい術があればそれを学び、発展の余地があれば開かねばならぬ。伝統に拘って死んではならぬ。生き残れるのなら、それは術である必要すらない」
 術者だから、術で戦わねばならぬ。自覚のあるなしにかかわらず、そのようなプライドを持つ術者は多い。しかし、それにしがみついて死んではならない。目的半ばで挫折してはならない。術よりもナイフが早ければそれでいい。裏眼式よりも汎用術が有効であればそれでいい。故に、ミコトは、ナナセは、鹿王院は、研鑽を怠らない。生き残ることに入念なのである。
 それに納得したのか、いさな、ほしぞらは部屋を出ていった。相変わらず表情も言葉もなかったが、期限を損ねたわけではないだろう。
「で、なんぞ気にかかることでもあるのかえ?」
 少女が出ていってから、考え込むような顔をしたナナセに、声をかけてやる。
「いえ、その、彼女はどうやってここに来たのでしょう」
 人払いの術式は確かに起動させたのに、とナナセは続ける。
 そう、確かに人払いの術式は済ませてあった。必要なこととはいえ、未知の術式を取り扱うこの検討会だ。万が一の危険を考え、これを行うのはミコトを含めた三名でと決めている。また、不用意に誰かが入ってこないよう、この一角には認識を阻害するような術式を施してある、のだが。
「人払い、な。式が消滅しておらんか?
「そんなはずは……あれ、本当に?」
 部屋に張り巡らされた術式。しかしいつの間にか、その構成式は食いちぎられたみたいに半欠けになっている。これでは、発動するも何もない。
「まさか、あの子が?」
「さあの。それよりもナナセや、大妖『百升蟒蛇の古狸』を覚えておるか?」
「え、あ、はい。あちらでの、お祖母様の酒飲み友達ですね。飲みに行く度に、母が嘆いていたのでよく覚えています」
 大妖『百升蟒蛇の古狸』。古い妖怪でありながら、その過程で人を食わず、妖かしも殺さず、ただ長い年月と飲み続けた酒精のみによって大妖に至った大狸。
 特に人里に害を及ぼさず、人語も問題なく理解するため、向こうの世界に居たときは、ミコトもよく会いに行って、酒瓶がすべてひっくり返るまで飲み交わしたものだ。
 そのように、例として少なくはあるが、人の害とはならない妖魔のたぐいも存在する。
「まさか、彼女が、いなさ、ほしぞらがそうだと?」
「そこまでは言うとらん。儂はまだなぁんにも知らんよ。それに、今は『眼』で追えぬのじゃろう?」
 ナナセの顔に今日二度目の驚愕のそれ。
 ナナセがいさな、ほしぞらの出現に驚いたのは、人払いの術式が作動しなかったから、ではない。
 彼の持つ術式によって、少女を監視していたはずだったからだ。
 ナナセの術式は人ならざるものにしか作用しない。いさな、ほしぞらに反応したのだから、彼女は妖魔の類と見て間違いはない。
 だが、今は違う。今はもう、眼で終えないのだ。少女はナナセの視界から消え去ってしまっている。まるで、彼女がヒトであるから、術式が作動しないかのように。
 だから、驚いたのだ。術式によって遠隔から見ていたはずなのに、突如視界から消えて、そこに現れたから。突然、ナナセの認識が、少女を人間だと主張し始めたから。
「わかりません。彼女はいったい何なのでしょう」
「さあの。ま、どっちになるか、本人も決めかねとるだけやもしれんし」
「それは、どういう……?」
「ま、この件はナナセがやるとして」
「……え?」
「じゃってなー、あんな以心伝心見せられたらなー、他に適任おらんて。孫よ、ひ孫は任せたぞ」
 ひょいと、椅子から飛び降りて、部屋を出る。人払いの術式をかけ直さねばならない。
「ちょっと、お祖母様まで。やめてください、本当に知らないんです」
 困り果てる孫を後目に、ミコトは障子の戸を閉じた。

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