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こめる魔法は
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だるさに効く薬の名前は、ミエルというらしい。蜂蜜と同じ意味の名を持つそれは、砂糖や蜂蜜などを混ぜて作るようだ。
「あまりおいしいと、食べすぎちゃう子もいるのだけどね」
作り方の見本を見せながら、リコリスは困ったように笑っていた。
「ただ、だるくて食事がつらいひとのためのものでもあるから、おいしいほうがいいと思って」
少しでも栄養になるように。だるさを良くするだけでなく、そういった意味が込められている薬でもあるようだ。
「でも、食べすぎると良くないのですね」
「良い薬だって使い方次第だもの。食べすぎはだめよ」
ジョシュアの問いに、リコリスは優しく頷く。それと同時に、鍋の中から光が弾けて、とろりとした液体が波を描いた。
健康な人が食べても害はないからと、一口食べさせてもらった。すると、ほんのり甘くて優しい味が、口の中に広がっていく。気持ちが安らぐようなそれは、内側から身体を温めていくような効果があった。魔力や生命力の巡りを良くする薬と聞いていたが、血の巡りも良くなっているようだ。
今から自分もこれを作るのだ。そう思うと緊張して、胸がどきりと音を立てた。
「落ち着いて作れば大丈夫よ」
リコリスがこちらの様子に気が付いたようで、優しく微笑みかけてくれる。その表情に少しほっとしたけれど、緊張を完全に消すのは難しかった。「がんばります」と返した声が、強張ってしまう。
「では、やってみますね」
誤魔化すように呟いた一言は、自分が思っていたよりも小さな声だった。
まずは黄色の花――名前はリコリスにも分からないらしい――をすりつぶして、粉末にする。茎や葉の部分は栄養になるから、イリゼの雫とは違って混ぜても良いとのことだ。
できるだけ細かくしたらそれを集めて、砂糖水と蜂蜜と共に鍋に入れる。
「火加減は、これくらいでしょうか」
「ええ、それくらいよ」
リコリスが作っていたところを思い出しながら鍋の火を調節して、ゆっくりとへらでかき混ぜる。確か彼女は、黄色の粉は溶けにくいから辛抱強く、と言っていたか。火が強すぎると砂糖水の状態が変わりすぎてしまうから、気をつけなければならない。
「そうね、あともう少しできちんと溶けるわ」
へらを持つジョシュアの手に、リコリスの手が添えられる。彼女の手が静かに動かされて、鍋の中身がゆるりと円を描いた。コツは、空気を含ませるように混ぜることらしかった。
やがて黄色の粉が均一に溶けて、混ぜる度に艶が出始めてきた。この艶が、魔法を使い始める合図だ。
「リコリス様、あの」
能力を使う間は、リコリスには少し離れてもらうようにお願いしている。失敗したら毒薬を作ってしまうかもしれないからだ。その時にリコリスが側にいて、毒に触れるようなことが起きては大変だ。万が一のために毒消しを持ってきたけれど、それを使うような事態は避けなければならない。
離れていてほしいとお願いする前に、リコリスはジョシュアの手を離して、部屋の隅の椅子に座った。それからにこりと微笑んで、優しく声をかけてくれた。
「ジョシュ君。がんばってね」
頷いて、鍋の中身をじっと見つめる。ここからは、一人の作業だ。
液体に手をかざして、魔力を込める。
リコリスが言っていたように、優しく包むような気持ちで、魔力を「伝える」。大事な材料を毒でだめにしないように、慎重に。
次に入れるのは、色のないとろりとした液体。それができたら――。
次の材料を混ぜようとして、気が付く。リコリスが作っていたように、鍋の様子が変わらない。リコリスが色のない液体をいれたときはしばらくの間、鍋の色が暗くなった。しかし今は、何の変化も起きていない。砂糖水が加熱によって粘度を増しただけだ。
うまくいっていないのかもしれない。そう思うと、額に汗がにじんだ。毒に変わってしまったらと考えた途端、かつて街で投げつけられた言葉が頭に蘇ってきた。
ひどい言葉だった。ジョシュアの身に潜む毒を知ったひとたちが、その恐怖を隠しもしないままジョシュアを指さした。そしてその唇がひどく歪んで――。
「ジョシュ君、落ち着いて」
「あ、色が」
金色だった液体が、真っ青に染まっていく。蜂蜜と砂糖の甘い香りを残したまま、その液体は穏やかな色を隠してしまった。
確かめなくても分かる。これは毒薬だ。ジョシュアの持つ毒が強くうつされた、少しひんやりしたもの。
「リコリス様」
決して触れないでくださいと、まず言うつもりだった。ジョシュアの毒は低体温症状が強めに出る。症状に苦しむリコリスの姿は見たくない。鍋を背中で隠すようにして彼女の方を振り返ると、「ジョシュ君は何ともない?」と聞かれた。
リコリスは、毒に怯えている様子も、驚いている様子もなかった。ただジョシュアのことを心配して見つめているだけだった。その様子を見てほっとしたけれど、同時に申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。
「すみません。大事な材料を、無駄にしてしまいました」
小さくなって謝ると、リコリスはゆっくりと首を振った。
「最初からうまくいくことの方が少ないわ。気にしなくていいのよ」
黄色の花はまだあるから大丈夫。そう微笑まれて、お礼を言えばいいのか、謝ればいいのかが分からなくなる。だからほんの少し目を逸らして、「次は頑張ります」と返した。
三回目は、途中まではうまくいった。だけど一番強く魔力を通さないといけないときに、気持ちが乱れた。
「手ごたえ、と言えばいいのでしょうか。黄色の花との『調和』は、さっきより分かったような気がするのです」
うまくいかなかったけれど、それで得た気づきはある。振り返って彼女に報告すると、リコリスもまた嬉しそうに笑い返してくれた。
「さっきより、薬に近づいているわ。この調子よ」
今まで能力を使うのは、害獣退治の仕事や身を守るためといった最低限のことに留めていた。だけど基本的な制御はできていたし、最近では薬作りのために少しずつ練習をしていたから、無謀なことをしているわけではない。ただ、薬作りは毒の制御の応用だ。一筋縄ではいかない。黄色の花の効果と、毒の能力を繋ぎ合わせようとする間に気持ちが乱れると、鍋の中身は簡単に毒に変わってしまうのだった。
やはり、魔力を通している間に、嫌なことを思い出す。石を投げられたことや怯えた視線を向けられたこと。そういったことが頭を巡って、魔法の制御が難しくなる。
もう一度、と思ったけれど、記憶を手繰り寄せてしまった心は疲れているようだった。それに、また材料を無駄にしてしまう気がして、気が引ける。
リコリスにどう伝えようか迷っていると、彼女は「そうだ」と言って立ち上がった。
「一旦お夕飯にしましょうか」
休憩も必要だから、と彼女は言う。その気遣いが嬉しくて、素直に言葉に甘えることにした。
窓の外を見れば、いつの間にか陽は傾いていて、随分と時間が経ったのだと教えてくれていた。
「近くの街で流行っているらしくて」
そう言いながらリコリスが作ってくれたのはオムライスだった。熱々のケチャップライスにふんわりとした卵がかけられていて、柔らかな布団のようだった。
「おいしいです」
オムライスだけでなく、一緒に作ってくれたスープも、優しい味がした。恐れや嫌悪が絡みついた心がほどけていくような気がして、匙をすすめるたびに気持ちが穏やかになっていく。
リコリスは最近のカネルの可愛かったところや、身の回りで起きた出来事を話していたが、思い出したように過去のことを話してくれた。
イリゼの雫は、最初は誰かのためを思って作った薬だった。だけど気持ちを伝える魔法は、魔女たちが抱えていた憎悪の感情を拾っていく。そうして、人々を苦しめる毒薬として扱われることになったという。
「その時初めて思い知ったの。何でも毒にも薬にもなり得るんだって。良くも悪くもね」
だからジョシュ君を見ていると、嬉しくなるの。彼女はそう表情を崩した。
一度薬を毒にしてしまった彼女にとって、毒を薬に変えようとしているジョシュアの姿は輝いて見えるらしかった。
むず痒いような、嬉しいような気持ちが胸の内を満たしていく。期待に応えたい。確かにそう思った。途端、頭の中をひらめきが駆け巡る。
「月灯りの下なら、うまくいくかもしれません」
ヴォアレの紫薬も、月光にかざして作る。月の光が、魔法の制御に良い影響を及ぼすかもしれない。
「食事の後、やってみてもいいですか」
いつもより力のこもった声に、リコリスは嬉しそうに頷いた。
黄色の花を、自分の魔法で包むように。
リコリスの言葉を思い出しながら、材料を全て加えた鍋を静かにかき混ぜる。月の光をかざしながら魔力を伝えていると、思っていたよりも魔法がかけやすかった。
自分の毒は、生き物にとって毒だ。だからこの力をずっと好きになることができなかった。だけどリコリスが、イリゼの雫のように、毒と薬は紙一重であると教えてくれたのだ。
リコリス様がいてくれるから、きっと、大丈夫なのです。
そう思ったとき、鍋の中の液体が月の光を吸い込んだ。とろりとした蜂蜜色を青白い光が包んでいって、やがて蜂蜜に紛れるように溶け込んだ。
「できた、のでしょうか」
出来上がったものに、毒らしさは感じられない。ジョシュアが思わず鍋を見つめていると、ぱたぱたとリコリスが駆け寄ってきた。
「ジョシュ君、できているわよ」
良かった。おめでとう。そんな声が耳をくすぐって、じわりじわりと嬉しさがこみ上げてくる。ゆっくりと息を吐き出すと、肩から力が抜けていった。
「リコリス様のおかげです」
嫌な面ばかりだった自分の毒から、誰かのためになる薬が作れたのだ。胸が温かい気持ちでいっぱいになって、笑みがこぼれる。
「ありがとうございます」
リコリスの手が、ジョシュアの頭を撫でる。くすぐったかったけれど、祝福の気持ちを感じられて、嬉しかった。
自分の力を、いつか好きになってもいい。そう言われているような気がした。
おまけSS『月光』
月灯りの下で、できたばかりのミエルを食べてみた。
リコリスもわくわくとした様子でこちらを見ていたが、自分が作った薬を、いきなり誰かに食べてもらうのは少し不安だ。だからまずは、ジョシュアが食べてみた。
ジョシュアが作ったミエルは、ほんの少し甘さに角がある。リコリスの方がまろやかな甘さがあるけれど、身体がぽかぽかしてくるのは一緒だった。
今のジョシュアはだるさを感じていないから、薬の効果がどの程度あるのか判断するのは難しい。だけど疲れが癒されていくのを感じるから、うまくいったのではないかと思えてくる。
「月の光のおかげでしょうか。不思議な味わいがあります」
舌の上で泡が弾けるような、ほろほろと崩れていくような、そんな不思議な舌触りがこのミエルにはある。リコリスにそう伝えると、彼女は興味深そうに蜂蜜色を匙ですくった。
「本当だわ。きっとお月様を食べたらこんな感じなのよ」
リコリスの一言に、思わず笑みがこぼれた。そうだといいなと思った。
いつか、ミエルを一人で作れるようにもなりたい。今日は薬の材料をいくつか借りてしまったけれど、それも自分で作ったり用意したりしたいのだ。そうすれば、きっと、もっと。
笑いかけてくるリコリスに笑みを返すと、そのいつかも叶うような気がした。
柔らかく降り注ぐ月光。その青白い光が、優しく二人を照らしていた。