PandoraPartyProject

SS詳細

The Lion and the honeycomb.

登場人物一覧

黎 冰星(p3p008546)
誰が何と言おうと赤ちゃん

●For vengeance on the murderers of me.
 ――誰かを本気で殺したいと、憎んだ事はあるだろうか。
 或いは新月の晩に台所から包丁を盗み出し、じっと息を潜めて――『出来ない』己の無力さに泪した事は?

 『家庭』と言う最小単位のコミュニティ、延いては『社会』に於いて其のは支配者であり、絶対であると譲らずに日々振舞った。子供は家族の一員では無く『忠実な奴隷』だ。
 少年――黎 冰星はの貌を識らない。もし万が一にも貌を付き合わせる事があっても『何の面下げて』と蔑むに違いないだろう。妻が子を孕んだ途端に『女として見れなくなったまあまあよくある話』等と云って、もっと若い女と不倫の果てに出て行ったのだそうから。其れ許りは母に同情の余地もあったが、彼女の性格や態度を鑑みれば遅かれ早かれの問題であった様に思えた。
 『上を見たらきりがない、下を見てもきりがない』。なら幸せかと問われれば、『不幸』でしかない。周りを見渡せば同い年位の子供の手を両親が引き、時には其の大きな手で愛おし気に我が仔の頭を撫でるのを見て少年が幼心に抱いた物を言葉に当て嵌めるとするなら『劣等感』。のみならず、『羞恥心恥ずかしくて』、『嫌悪感気持ちが悪い!』で虫唾が走る思いだった。
 愛を享受出来ない儘に背だけが伸びて行って。何時だって成る可く人目に付かぬ様に歩く。そんな少年にも友達と云えるものが出来た。家に遊びに行って良いか、と問われればこんな自分も束の間の年頃らしい事が出来るのかと曖昧にだが頷いた。なんとか許可を取り付けて招いてみれば、恐ろしい母は態を潜めて『片親で気苦労が絶えないが優しいお母さん』に変貌し、にこやかにお茶と手作りの焼き菓子を振舞って来たものだから、只々背筋が凍る思いだ。外面だけは良い彼女が何時、癇癪ヒステリィを起こすのではないかと気が気でなく、少年に取っては『友達を失う事どうせ皆離れて行く』より『母の所為で恥ずかしい思いをする事悲しい哉、肉親というものは替えが効かない』が厭で、怖いのだと自覚した。
  『あんたのお友達、名前は忘れたけど……あの子、お母さん嫌いよ。
   挨拶も適当で感じ悪いし、何時迄も家にいるし、煩いし! もう二度と呼ばないで頂戴』
  『……――はい、お母さん』
  『付き合うなら、もっと賢い子にしなさい。頭の悪い子と一緒にいると馬鹿が伝染るもの』
  『うん。判ったよ、お母さん』
 子供は親の『所有物』と思い込んでいる場合、極当たり前の様に子供の人付き合いをも支配権を行使する。
 そうして抑圧された環境下で育った子供と云うのは『自我』――先ず最初に否定されるものの芽生えと成長が周りに比べて早く、己を脅かす願望や衝動に非常に敏感になり、身を、引いては心を守る為に自然と自分を押し殺すのが上手い。子供に取っては親は絶対であり、親が喜ぶ事をすれば平穏無事で家の中も明るく何も問題が起こらないと無意識の内に覚えてしまう。『自分さえ、我慢すれば』と。常に親の、或いは周囲の人々の顔色を窺って『相手が何を望んでいるか』――其れは時に行動であり、言葉である――を考える習慣が出来、良く言えば『思い遣り』、悪く言えば『忖度』みたいなもの許りが身に付いて行く。其れは度を越さなければケース・バイ・ケースで良い様に作用するが、総じて逸脱し孤立するか、利用されるのが精々だ。
 母親の中には『黒か白』しか存在せず、当たり前の様に自分が『白』であった。何かしら揉め事が起れば無論、相手が『黒』で間違った事を言っているのだと。そうでなくとも真っ白な自分の言う事を聴くのは当たり前で全てが正しいのだと。
 それと彼女の中には『零か百』しか無い。テストで喩えるなら百点以外は零点であり、己が百パーセントと認めない限りは全てを乏して、貶して止まない。
 一人称は『僕』、母の事は『お母さん』と決められていて。其れで必ず『敬語を使いなさい』と常日頃から口を酸っぱくして云い、人の粗探しをするのが趣味みたいで。其れは息子のみならず、息子の交友関係、街で擦れ違うだけの赤の他人の外見や所作にすら言及する。そんなものだから少年の周りからは人が離れて行った。息子が悲しみに暮れる其の度に、可哀想にと満足気に笑っては唯一無二の理解者ぶるのだ。

 ――泣き咽び乍ら廃棄場のゴミを漁っている。
 『僕』が嘘を吐いたから。約束を破ったから。
 母は苛立つと家中の皿を投げて割り、壁を殴り穴を開け。子の部屋を漁り片っ端から袋に詰めてはゴミに出して棄てる様な人だった。少年が繰り返し聴いていた音盤レコード、友達から貰った可愛い縫いぐるみ。借りた漫画や机の上の落書き、果ては文房具に至る迄。
 取り分け、少年が男の子らしくない『可愛いもの』を愛でる事を嫌い、目に付けば必ず怒鳴り散らかすのだ。押し付けられる『少年像』、軈て同い年位の子供達が服装ファッションや身嗜みを気にし出す中、母が選んだ地味で野暮ったい服に拒否権は無い。乱雑に切り落とされた短髪ショート・ヘアで居る事は酷く堪えた。
  『あ、あれ? 此処に在った――……』
  『捨てたわよ、そんな物! お母さん、全部見てたのよ! 亦、彼の子と遊んでいたでしょう!』
  『だからって何で人の物を捨てるの!?』
  『フン、今度約束を破ったら、またあんたのもの捨てるからね! 全部捨ててやる!』
 ゴミを掘り起こして漸く見つけた、擦り減るんじゃないかという位聴き込んだガレージ・バンドの音盤ひと夜の夢は粉々に砕かれて生ゴミ塗れ。縫いぐるみはズタズタに切り裂かれ、綿が飛び出していて。光の灯らない残った片目で悲しそうに少年を見つめていた。
 嗚呼、ならばせめて『少年』も、心の無い、心が痛まない『物』だったなら何れだけ良かっただろうか。
 何歳の時の事だっただろう。彼の日の冰星は、『もう、どうせ直し様が無いのだから』と、腕をぶちり、と千切って地面に叩き付けた。足を捥いで、胸の裂き目に手を突っ込んで綿を全て引き摺り出した。そうすると不思議と手を入れた場所は温かくて心が満たされ、満足が行く迄爪を立てては原型を留めない程に破ってみたのだ――其れは、紛う事無き『殺意』の芽生えだったと云えよう。母へ。或いは自分への。

 ――だから、ロープを買った。うんとしっかりした作りで、人を吊っても大丈夫なものを。
 そんな物を抱えているにも関わらず、『僕』に聲を掛けようとする人は居なかった。面倒事に巻き込まれるのは御免だと誰もが素知らぬ振り。
 吊るすなら倉庫の梁が年季は入っているが良いと思った。お母さんは手が汚れるのを嫌って、埃っぽい倉庫には何時も僕を寄越すからロープを隠しておくにも丁度良い。そうしたら、一思いに――……。
 いざ『死にたい』と思い道具ツールを用意した所で中々実行に起こせないものだが、『やろうと思えば何時だって死ねる』というのは御守りの様で少年に一種の万能感を与えた。
 歯向かおうと思うのを先ず止めた。忠順で、明るく努めた。
 抓ったり、叩かれたりしても平気そうに取り繕って、叱られれば感謝すら述べて「有難う、お母さん」、何一つ悪くなくても、そうだね、御免なさい「僕が悪いんだよ、お母さん」としおらしさを見せて、『心の負荷の限界其の時』が来るのを待つ日々を送っていた時の事を振り返ると『自分の事乍ら、狂っていたなあ』と思わずにはいられない。
 其の時、は突然訪れる。全てが如何でも良くなって、『屹度、今実行に移せば死ねるのだな』という実感と共に視野が狭まり、死ぬ為の行動に軀が突き動かされ、只管それのみで『恐怖』だとか『未練』なんて邪魔なものは思い浮かばない。四隅から橙色に侵され行く視界の中で、練った道筋プランだけが明瞭に視えていた。
 少年は家の中から掻き集めた風邪薬や頭痛薬を口に詰め込んでは大好きなジュースで嚥下する。欲を言えば睡眠薬とかそういう薬が欲しかったけれども其処は御愛嬌だ。此の行為で得た知識と云えば、存外一つ一つは小さくても薬でお腹は膨れるので沢山の薬を飲みたければ水分を抑える工夫が必要なのだなあ、なんて事位で。
 軈て薬が回り、足取りはふわふわと倉庫に突き進む。
 ――笑っていた。
 ――泣いていた。
 母親譲りの白い体毛を泪と唾液でべしゃべしゃにして、輪に首を通して――少年はぎいぎいと文句の多い椅子を蹴った。

 ――次に眸を覚した時、其処は見慣れた天井だった。
 其れだけで、『嗚呼、僕は死ねなかったしくじったんだな』と悟った。
 医者の話では危うく死ぬ所だったのだと云う。死のうとしたのだから当たり前でしょうと鼻白んだ。お母さんに心配を掛けてはいけないよ、と忠告されたけれど、其の人の所為で死のうとしたのだとはもう口を開く気にもなれなかった。
 母は人が変わった様に本当に外面だけは良いもので、少年の世話を甲斐甲斐しく焼き、言葉では上手く伝えられないからと手紙を書いたのだと泣き腫らした赤い目でくしゃくしゃの紙切れを渡して来たのだ。手紙にはこうあった。

  『冰星へ
   貴方が自ら命を絶とうとする程に思い悩んでいた事、本当に申し訳なく思っています。
   腕に幾つもあった傷の痛みを私も知る為にナイフを握ってみましたが、怖くて手が震えて……
   結局、自分では傷一つ付ける事が出来ませんでした。冰星は強いのね。
   此れからはもっと、異変に気付いてあげられる様に寄り添って親子ふたりで頑張れないでしょうか?
   先ずは、お外に出ても良い様になったら、前に貴方がお友達に欲しいと話していたカメラを見に行きましょう!
   私が母親としてしてあげられる事が有れば教えて頂戴ね。
   貴方を失った世界を考えると、本当に目を覚してくれて良かったです。神様に感謝しなきゃ』

 少年はほんの少しだけ、期待をした。ひょっとしたら本当に母は改心したのではないかと。心を入れ替えてくれて、真心からそうと思ってくれるのであれば、此れまでの行い全てを『許す』――無かった事にするのは難しくても、『認める』――過去は過去、として親子関係を再スタートする事は出来るのではないかと。
 其れ迄の人生で一番、優しくて穏やかな時間が過ぎた。カメラのカタログをふたりで見て、大きな縫いぐるみを抱き枕にと与えてくれて。其れに素直に感謝もした。
 軈て点滴も外れ、長い寝たきりで弱った足腰も良くなり、此れならもう元の生活に戻っても大丈夫ですねと言って医者が帰って行くドアの音と交差する様にして、其の言葉は投げ掛けられた。
  『何が死にたいだ、こっちが死にたいわ』と。

 ――其れからの生活は、正しく『奴隷』と呼ぶのが相応しい。母は少年に労働を求める様に成った。
  「普通の家庭は子供が親を支えるもの。皆んなそうしてるからあんたもしなさい」
 曰く、子供が親の為にゴールドを稼いで来るのは当然の事。産んで貰った事に感謝し、母親に楽をさせる事が子供の義務なのだと云う。然し、未だ未だ遊びたい年頃であり、同世代の子供達皆んなは庇護下にあって、だから単純に理想という言葉を普通に置き換えた妄言である。そうして子供を雁字搦めに縛り付けておかなければ、あっという間に世の中から要らない存在として扱われるという恐怖感があるのではないかと推測すると、悲しい人だな、とは思ったものの『親孝行』と云う封建的な親子関係を規定した言葉で真に『孝行』するに値するかと云ったらそうでは無く、育てて貰った恩は在れど、母親の事を内心酷く嫌い心の中では『クソッタレ』とまで呼んでいる相手に対してそんな義理も無い。抑も、子は親を選べないが、親は何時の間にか子を身篭り、強制的に産まされたとなんて事は有り得ないもので、ほぼ例外なく産むと云う事を選んだ、押し付けた結果なのだから、子が親に対して人生を賭して負うべき責任は無い筈だが、こういった類の親は度々『責任』に関して声高に主張するものだ。
 何ら抵抗しないで力尽きるのは厭だった。けれど、包摂される『犠牲者』として生き続ける以外の選択肢も、知恵も、勇気も持ち合わせては居なかった。所詮は創造主の様に振る舞う母親の掌の上で転がされ、人生設計を押し付けられる弱い存在だった。無思慮に介入して来る手を跳ね除ける事すら出来ない、視野の狭さと教養の無さを憎んだ。其れ等は本来であれば子供が与えられて然るべきものであったが、何一つとして与えられずに生きて来た少年に取って、抵抗と云う意志を自力で維持するのは難しい様に思えた。
 少しでも曇った貌で居れば、『誰が今まで食わしてやったと思っているの』という絶望的な非難から朝は始まる。へとへとになって帰って来ればやれ『其処のお店の油の匂いは臭い』だの、『彼処は不良の集まりだ』だのと散々な文句を浴びせられ乍ら母と自分の分の夕食を作る。当人が昼にやっている事と云えば少年の部屋を漁る事などが殆どで、大事に仕舞っていた給料袋から金を抜き取り、事が露見すれば『持って来る額が少ない』『ちょろまかしていると思った』とシラを切った。
  『僕もうこんな仕事したくないよ! 僕が働いてお金稼いでること、お母さんはなんとも思ってくれないの?』
  『じゃあ辞めて良いわよ。ねえ冰星、次に仕事するなら此処にしなさい。毎月こんなにゴールドが貰えるのよ』
  『……――うん、そうだね。分かったよ、お母さん』
 少年ひとりの稼ぎとは云え一度楽して金を得る事に味を占め、上がった生活水準を下げる事は難しい。要求は段々とエスカレートして、休む事すら許されなくなって行く。仕事が休みの日になると決まって母の機嫌は悪くて、暴力を振われる事も少なくない。或る日、如何しても仕事に行きたくなくて塞ぎ込んで居れば、髪を掴み布団から無理矢理出され、階段を引き摺り落とされた。泣いても、喚いてもお構い無しで、『休まず働け』と見下ろして来る母が恐ろしくて。朝も、昼も、夜も仕事に身を窶す日々に少年の体と心は摩耗して行ったが、余り貌を突き合わせずに済む事だけは救いだ。最初こそ金さえ貯まればひとり暮らしをする事も叶うのではと考えたものの、度重なる母親からの取り立てと盗みを働かれては、もうこの後に及んで逃げようとする気は起きなかった。
  『多分……僕は、お母さんの所有物なんだ。嗚呼、厭だなあ。一生、此の儘なら、そうだなあ。一層――……』

 ――十三歳の頃から働き始めて、二年と少しが経った頃だっただろうか、母親が倒れたのは。
 一命こそ取り留めたものの其の儘死んでくれても構わなかったけど、一人では歩く事も出来ない程、重い後遺症が残ったのだ。
 介護は、決して綺麗事では済まされない。今迄少年が稼ぎに出て得た賃金の殆どを母は使い込んでしまっていたし、僅かな青年の取り分も飛ぶ様にして無くなって行った。けれど、少年は諦めなかった。自分の助け無しでは糞尿を垂れ流すだけの――其れで居て口だけは達者な母の面倒を見て、模範的な『親孝行』を続ける日々。
  『せめて死ぬ前に一言謝ってくれれば良い』、『最後に有難うと云わせたい』。
 そんな切実な願いで懸命に。肉親が彼女しか居ない少年に取って、其の存在からしか得られない、掛け替えのない『愛情』や『承認』を欲して。そんな状況にも、望みにも、救いも希望も無い事などは重々承知の上で、心の底では『何の価値もない』と結論が出ているとしても。
  『お母さん、お医者さんが来てくれました、今起こしますね』
  『お母さん、買い物に行って来ます、食べたい物はある?』
  『お母さん、お湯を沸かしたから軀を拭きましょう』
  『お母さん、もう片付けたから大丈夫です、気にしないで』
  『お母さん、今日は天気が良いんだ。カーテン開けておくね』
  『お母さん、お花を買って来ました。癒されるかなって思って』
  『お母さん、』
  『お母さん、』
  『お母さん――……』
 誰もが優しくなれるシャイネンナハトの夜、母は少年に『何時も有難う』と云った。
 そして、少年は次の日の朝、何時もと同じ様に仕事に行く支度をして、『行ってきます、お母さん』と告げて何時もと同じぼろぼろの靴で家を出た。

 扉が閉まる音を背中で受けて少年は蹲る。心臓が早鳴って、どっどっど、と鼓膜に響くのを感じ乍ら一度だけ振り返ってから、立ち上がり走り出す。
「アア、アアア! アァァァァァ――ッッッ!!」
 何事かを叫び乍ら集落からもう一目散に抜け出した少年に、幾度と無く脅かした恐ろしいあの白い手はもう伸びて来る事は無く、亦、二度と少年が家に帰る事も無かった。
  『其れが聴けて、良かったです、お母さん』
  『だから、もう貴女に用は無いんだ』
 母がその後如何なったかも識らないし、興味も無い。順当に行けば死んでいるんだろうな、とは思うが、彼女の死を悲しんでくれる存在に思い当たりも無い。

 何時も明るくて、莫迦ばっかしてる。麻薬木天蓼と可愛いものと奥さんが大好き。ぐいぐい来る人とボディタッチが苦手。
 『早々に母が他界してからは、必死で生きる術を学んで過ごしてきた』と塗り替えられた彼の経歴の、真実。以上が、黎 冰星の半生と少しの観測報告レポートである。

  • The Lion and the honeycomb.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2022年12月26日
  • ・黎 冰星(p3p008546

PAGETOPPAGEBOTTOM