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ランドウェラとちぐさの話~デザートはこんぺいとう~
登場人物一覧
ちぐさは歩いていた。朝市へ続く道を。豊富な野菜や果物は、手に取ったら弾けそうなくらいに新鮮だ。それらをつかったサラダやデザートを想像してちぐさはつい笑顔になる。買い物にも気合の入ろうというものだ。とれたてぴちぴちさばきたての鶏肉も忘れてはいけない。猫又少年ちぐさにはなくてはならないもの。フライパンに油をひいてムニエルにしたら、想像しただけでよだれが湧いてくる。腕利き情報屋のアシスタントを夢見ているちぐさとしては、料理くらいできないとなのだ。いつか自分がいれたお茶をあの人と一緒にたしなみながら、記録映像を見返す作業、そんな優雅なひとときを夢想している。あとなにか買わないといけないものは、ちぐさは頭をひねる。やっぱりお酒。おさけしゃけしゃけ。そのすばらしさはいわずもがな。今日はエールの気分だから、フルーティーで癖が少ないやつにしよう。
と、朝市へ到着したちぐさが楽しくブランチの夢にひたっていると。人混みの向こうに気になる後ろ姿を見かけた。ちぐさの情報屋の勘が後をつけろと促す。
スレンダーと見えてしっかりと鍛え込まれた体。性別はおそらく男。腰まである長い髪はてんでばらばらに跳ねている。両腕に長手袋をつけているのも特徴的だ。これは追跡しやすかろう。ちぐさは目の前の好奇心の赴くままに彼のあとをつけだした。あんぱんと牛乳買えばよかったにゃ、なんて思いながら。
緑目の猫の人はぶらぶらと歩き、時折人混みに飲まれそうになる。そのたびに背の低いちぐさは一歩前進する。そうこうしているうちに彼はひょいと脇道へ入り、ちぐさはあわてて追いかけた。脇道へ入った瞬間、男は振り返った。
「なんの御用かな、ぼうや。僕をつけ回したりなんかしてさ」
「ばれてたにゃ?」
「バレバレだよ、もうすこし気配の殺し方を覚えた方がいい」
小さく笑みを見せる彼はあくまで友好的な態度を崩さない。まるで知り合いの探偵ごっこに付き合ってあげたかのようだ。対してちぐさはのどに小骨が引っかかったかのような気分だった。なんだろう。初対面のはずなのに、なにかしら、彼とも間にあったような。頭を捻っているうちに、彼は踵を返した。
「僕はもうすこし散歩をするから、バイバイ」
「待ってにゃ! いまおもいだすにゃ!」
ちぐさは思わず彼の腕へすがりついた。
「……痛ぅっ」
「ごめんにゃ!」
顔をしかめる彼へ素直に謝り、ちぐさは飛び跳ねて離れる。それにしても誰なのだろう。疑問があぶくのように湧いては飽和していく。たしか、彼は。
「ああ、ごめんね。右腕はすこしね、痛むんだ」
そのセリフを聞いた時、喉の小骨が引っこ抜けた。
(ああ、ごめんね。右腕はすこしね、痛むんだ)
過去にも同じセリフを聞いた。その時の彼と格好は違うけれど、だからって忘れてしまうのは不義理だろう。ちぐさはえへへと頭をくしゃくしゃとかきまわし、彼へ笑みを見せた。
「お久しぶりにゃ。ランドウェラ」
あの時のお兄さんだ。やっと確信が持てた。うれしい。だが名前を呼ばれた彼は驚いたように目を見開き、ややあってかすれた声がこぼれた。
「……誰だっけ」
「忘れてるんかーいだにゃ! 杜里 ちぐさにゃ! ほら! 色の変わる飴をもらったにゃあ!」
「えっ、そうだっけ。ごめん、あれは不特定多数にあげたからいちいち覚えてないなあ」
「そ、そんにゃ。思い出して、ほら思い出してにゃ。ちぐさ、ほら、杜里 ちぐさにゃ!」
えーと、と、彼はくびをかしげ、しばらく頭の中を弄っていたうえで、ようやくまばたきをした。
「あ、もしかして杜里 ちぐささん?」
「だからさっきからそう言ってるにゃあ」
「いやー、ようやく顔と名前が一致してさ。ふふ、ごめんごめん。忘れていてごめんよ」
おだやかな微笑みに怒る気も失せる。ちぐさはさっそくランドウェラの右腕へ飛びついたことを謝った。たしかそこは黒く染まっていて、動かせば痛みを生じたはずだ。それがなんらかの呪物によるものか、それとも過去の亡霊がとりついているのか、ちぐさにはわからない。わからないが、彼の弱点へ不躾に触れてしまったことに関しては謝らねばならないと思ったのだ。
「いいよいいよ、ふふふ」
それが必ずそう言わせるのだとしても。
ランドウェラとは一言二言言葉をかわしただけだ。それでも彼のおだやかで親しみやすい気性は肌で理解できた。だから彼ならきっと許してくれるという甘えもたぶんにあったかもしれない。
「ところで、これからどうする? せっかく再会したのだから、ブランチでもいかが。そこの店が遅くまでやっていて、しかもおいしいよ」
「あ、そうにゃ。ごはんの材料を買いに来たんだったにゃ。でもランドウェラおすすめの店も気にな……」
ぐううううううううううう。
ちぐさの腹が勢いよくなった。真っ赤になったちぐさを前にランドウェラが笑う。
「あははははは、元気でいいじゃないか。立ち話もなんだしね。お店へ行こう」
しかしランドウェラが連れて行ったのはどう見ても閉店していると思われる店だった。まだ暗い店先、看板も出ていない。
「ここであってるのかにゃ、ランドウェラ」
「うん、ここのマスターと僕が懇意なんだ。へーい、マスター、お客さん連れてきたよー」
ランドウェラはドアを開け、ずかずかと店内へ押し入った。カウンターの向こうから気配がし、無精髭の親父がぬっと現れる。
「あいかわらず人の昼寝を邪魔するのが得意だな」
「まあそういわずに。この子へマスター特製ピザを食べさせてあげてよ。そこで偶然会ったんだけど、過去にすこしばかり縁があった子でね。ぜひマスターのピザをと思ったんだ」
「もちあげても何も出ねえぞ」
といいつつマスターは石焼き窯へ火を入れた。ささっと動く手はさすが料理人。ちぐさも料理をたしなむが、やはり本職にはかなわない。
「ほらよ、前菜だ」
グレイビーソースの絡んだサラダと、マッシュポテト。それからサーモンのマリネにオイルサーディンが添えられた、彩り豊かな前菜だ。これだけでも一品料理と呼んでもいいだろう。大半が作り置きとは言え、それがすっと出てくるところにちぐさは感動した。マスターは思い出したようにカウンター内の照明だけをつける。
「どうして全部の照明をつけないのにゃ?」
「ああそれはねちぐさ、そうすると開店したと思ったお客さんが押しかけてきてマスターだけじゃさばけなくなるからさ」
「にゃるほど」
聞けばマスターは超のつくホテルで定年まで勤め上げたシェフで、この店は引退後の気晴らしにやっているだけなのだという。だから収入は二の次。味が第一。そんな隠れた名店を知っているランドウェラを、ちぐさはすなおにすごいと思った。
せっかくなので、さっそくサラダへぱくついてみた。濃厚な風味がパプリカのこりこりしゅわっとした食感とあってたまらない。サラダはシンプルだが力量差が出るレシピだ。その調子でレタスを口にし、マッシュポテトを食べてみる。これもうまい。バターが練り込んであってコクがある。それでいて上品。おそらく裏ごししているのだろう。マッシュポテトはただ単に煮てつぶせばいいと思っていたちぐさの常識をくつがえした。ひとつひとつがていねいに作られていて、おいしい。おいしいものは人を笑顔にさせる。
そんなちぐさをランドウェラが優しい目で見ている。
「にゃ? ランドウェラは食べないのかにゃ?」
「そんなことないよ。ただ、いい顔するなあと思ってさ」
「いい顔にゃ?」
「うん、すごくおいしそうに食べてくれるからマスターも喜んでいるよ」
ちぐさはさっきから一心不乱にピザを焼いているマスターの背中を見た。どう見てもピザへかかりきりになっているようにしか見えない。
「あれでもかにゃ?」
「うん、それだけやる気だして作ってくれてるってことだからね。今のマスターは本気モード」
チーズの焦げる匂いがする。前菜で胃の調子を整えた体には酷だ。はやくあつあつのピザへかぶりつきたい。
供されたナポリタンはそれはもう極上の味だった。天国というのはこういうのを呼ぶのかもしれない、ちぐさはそう考えたほどだ。
「食ったらとっとと出ていけ」
ぶっきらぼうな言葉の向こうへ透ける照れ隠しもまた、隠し味なのだろう。
「はー。おいしかったにゃー」
「それはよかった」
これもなにかの縁だからと会計をちぐさの分までもってくれたランドウェラは、また会える? と、ちぐさへ問いかけた。
「もちろんにゃ、僕たちすでに友達だにゃ!」
「ともだち、ともだちかあ。いい響きだね」
「次はちぐさ手料理が爆発するから覚悟しとけにゃ」
「あはは、期待せず待っておくよ」
「そこは期待するところにゃー!」
じゃれあいながら歩いていけば、ぽんぽんだったおなかもほどよくこなれていく。やがて二人は港へついた。潮風がふたりを出迎え、季節のめぐりを思い浮かべさせる。ちらほらと街路樹からは落ち葉。それをちいさなつむじ風がからからと踊らせている。ベンチへ腰掛け、ふたりでぴったりくっつくとちょうどいい暖かさだった。ランドウェラは左手だけで器用にふところをまさぐり、小瓶を取り出す。
「こんぺいとう、食べる?」
小瓶の中には宇宙があった。今日は青色をメインにしたこんぺいとう。ランドウェラが小瓶を傾けるたび、星々が流星になる。
「食べるにゃ」
「うん、じゃあこれあげる」
「まつにゃ、さっきから僕はしてもらってばかりにゃ!」
「うん? そうかな」
「そうにゃ。なにかお返ししたいにゃ」
「うーん、じゃあ……」
ランドウェラは腕を組んだままたっぷり考え込んで、それからちぐさへ顔を見せた。
「いっしょにこんぺいとう、食べよ?」
「そ、そんなんでいいのかにゃ?」
「うん、じゅうぶんだよ」
宇宙色のこんぺいとうをはんぶんこ。口の中、かろりとまわりとける甘さ。まだ太陽は中天。今日はまだまだ楽しいことがありそうだ。