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隣にあること
登場人物一覧
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異常気象が続いています――なんて他人事のように語るニュースキャスターを横目にまだだるい身体を起こす。
10月ともなれば流石に全裸で寝ることは自殺行為に等しく、半袖一枚、いいや長袖一枚は欲しくなる。
うだうだと布団の中でのたうち回っているときこそ熱いのだけれど、寝起きには丁度いいのだから仕方ないと諦めて着ている。どうすればいいのやら。
傍らですうすうと規則正しく呼吸をし眠り続ける明月。ぐっすり眠っているのだろう、その笑顔はまだ柔く、幸せの色が滲む。一定の拍子を刻みながら上下する胸にそっと布団を掛け直しそっと二人のベッドを抜け出した。
うんと伸びをした頃にはようやく身体の内側も温まってきたか。ひんやりとするフローリングに素足を降ろし、なるべく音を立てないようにキッチンへと向かった。
空っぽではないけれど大したものもない冷蔵庫を覗けば、たまごにネギ、それからいくつかのパン。飾り気もないけれど、朝からしっかり食べる理由もない。女の子の朝なのだからそれくらいでいい。
お湯に鶏ガラスープを注いで沸騰するまで待つ。その間に大きなバゲットを切り断面にマヨネーズを塗り、チーズとパセリものせて。オーブンにつっこみ焼き上がりを待つ間にたまごを溶いて沸騰した中へと注ぎかき混ぜる。
美味しそうないい匂いが空気に広がっていく。
朝は紅華の方が強い。朝ごはんを料理している間にゆっくりのそのそと起きてくる明月を横目に料理をささっと終わらせる。たまごスープの味は問題なさそうだ、とほっと胸を下ろした頃にはなんとか意識も覚醒した明月がふわりと微笑んだ。そんな明月を抱きしめてふたりの朝は始まった。
「ん……今日はたまごスープ?」
「ああ。よくわかったな」
「アタシ、紅の料理は忘れないから。美味しいし」
「ふふ、そうか。よかった」
ちゅ、と重ねた唇を吸われ、口内をかき混ぜられる。絡み合う舌と舌、それから互いの温度。熱を帯びた視線は昨夜の睦言が何たるかを示して。
得意げに今日のメニューを当ててみせた明月。彼女の舌にも美味しいとジャッジされているのなら問題はないだろう。
「じゃあ朝ごはんにして。今日は何をしようか?」
「今日は依頼もなかったし出かけるのはどうだ? 服でも買って、あと甘いものとか食べて。デートしない?」
「ああ、賛成だ。今日はデートにしようか」
「うん。まずはこの美味しいとっておきの朝ごはんを満喫してからだけどな!」
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二人で洗い物を済ませてデートの支度をする。
予定を立ててデートをすることもあれば今日のように突発的に決まることもある。女の子というものは気まぐれなのだ。
「今日の服どうする?」
「そうだなぁ、カフェとお買い物なら沢山歩くだろうけど」
「けど?」
「この間買ったスカートをそろそろおろしたい気持ちがあって」
「わかる。今日はスカートで合わせようか」
「うん」
秋口ならばともかく冬になればスカートを履くのも難しくなる。はっきりとした可愛らしい色のスカートは秋ならでは。おしゃれだって楽しくなるというものだ。
ならば今日は先週遊びに出たときにお揃いで買ったロングスカートを履いて出よう。トップスはニットセーターのタートルネック。シルバーアクセサリーでしゅっとしめてGジャンで甘すぎない印象に。靴はブーツを合わせれば完璧だ。
「準備できた?」
「いや、髪型とかどうしようかなって。あと化粧」
「そんなのアタシがやってあげるから大丈夫だって。服はそれでいく?」
「そのつもり」
「おっけー」
ひょっこりと顔を出した明月は紅華の服装をみてにこにことご満悦。もう髪型も準備しきってしまって居るようでなんだか申し訳なくなってしまう。
「今キスしたら駄目だ……」
「なんで?」
「下地がよれちゃう」
「ふふ。じゃあ我慢だな」
「ちぇ!」
慣れた手付きで施される化粧。言われるがままに目を閉じたり唇をすぼめたり。その間にも明月はコンシーラーを塗ってくれたりファンデーションを施してくれたりと手厚く化粧を行ってくれるものだから有り難い。
アイシャドウにはこだわりがあるのだとかなんとか。そのへんはよくわからないのでやっぱり一任してしまう。そんなことも気にせず受け入れてくれるからまた一層好きになってしまうのだが。
「今日のこだわりは?」
「このテラコッタオレンジかな。かわいいでしょ」
「うん。秋っぽい」
「今日は新しいコスメも見て帰ろうか。きっと秋だし冬前のおすすめがあるでしょ」
「いいね。じゃあそれもプランに追加ってことで」
紅華の長い髪を櫛で梳いてから笑う。同じシャンプーを使っているはずなのにどうしてか甘い匂いがするような気がして、まるで花に誘われた蜂のような気持ちで彼女を美しく仕上げる。
別に何もしなくたってかわいいことには変わりないのだけれど、それはそれとしてどうせ彼女が見られるのならより一層美しく可愛い姿であるほうが彼女は嬉しいだろうから。そして、その横にあることができるのは自分だけなのだと知らしめる。その優越と言ったら!
ハーフアップにダークレッドのリボンを添えて。今日も恋人は愛らしい。
「あれ? 唇塗り忘れてない?」
「それは、ほら」
「んっ」
「……こうやるほうがロマンがあるんじゃないかなって」
「はは、お茶目だな」
「たまには少女漫画みたいなこともしてみたほうがドキドキするかと思って!」
メイクはそれぞれが引き立つように、けれど唇に塗ったルージュの色は同じ。まるでマーキングのようだ。
かくして、二人のデートは始まった。
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「新しいスカート、良いな」
「だな。動きやすいけどちゃんとあったかいし。あとかわいい」
「うん、かわいい」
可愛いことは大事だ。女の子だもの。
美少女が二人並んで歩いていたら周囲の目線だってさらってしまうものだけれど、二人にとってはお互いがいればそれでいいのだからと相手にすらせず進んでいく。
「今日は何を見ようか」
「冬物のコートとかは欲しいかなって。あとは靴とかもいいし、セーターも見たいな」
「ああ、そうだな。私もそう思う」
「だろ? あとはそうだな、可愛いアクセなんかも見て良いんじゃない?」
「確かに。そろそろ新しいものを買ってもいい頃だろう」
女の子だもの。なんて言い訳で通用するわけではないけれどそれに足る稼ぎだってあるのだからショッピングを楽しんだっていいはずだ。
「あとはそう」
「ん?」
「お揃いの下着とか。お互いに選ぶのもいいけど」
「……」
「やだった?」
「いやじゃないけど。けど……」
「恥ずかしい?」
「うん」
「でも嫌じゃないんでしょ」
「…………」
「ああもう、すねないでったら!」
可愛く拗ねてしまうからついついからかって食べてしまいたくなる。どうすればこれほど自分の心を掴んでくれるのだろう?
かくしてやってきた大きなショッピングモール。目当ての品はいくつか目星をつけたから、後は二人で並んで購入するだけだ。明月は紅華が悩むくらいならどっちも買っちゃえ、と唆してくる。そしてその誘惑に負ける。そんなことを繰り返しているうちに両の手に袋が並々に並んでしまうのだ。
「はぁ、結構買っちゃったな」
「だな。でもショッピングってそんなもんじゃないか?」
「それもそうか。冬までのモチベーション維持も必要だし必要経費だろ」
「ああ、そうだ。そうに決まってる」
そうだ。だから仕方ない、なんて笑いながら。二人でカートを押して次の店へと向かう。
「……じゃ、下着。買おっか?」
「う、うん」
「どうして緊張してるんだよ」
「だって……」
「もう一緒に風呂だって入ったことあるんだし、今更だろ」
「……まぁ、そうか」
こういうときに流されてしまうのが自分のよくないところだ、とうぐぐと顔をしかめては見るもののそんなもの反抗の一手にすらならず店奥へと連れて行かれてしまう。
可愛いものは好きだけれどこういう店に来るとどういう反応をしたらいいのかわからなくなってしまうから困る。
可愛らしいレースがたっぷりのブラジャー。バストの中央にはリボンがついている。下着には疎いものだからついつい明月が買ってきてくれるものに甘えてしまう。よくわからないのだ。
「紅はどんなのがいい?」
「ど、どんなのって言われてもなあ……」
「ほら、セクシー過ぎても困るだろ? それともこんなのがいい?」
ぽん、と手渡されたハンガーにかかっていたのは下着ではなく糸なのではないかと思うほど際どいもの。どうしろというのだ。これで何が隠れるんだ。
「……………」
「あはは、固まらないでくれよ。アタシが悪いことしてるみたいじゃないか」
「そんなの着けたところで意味がないだろ?!」
「でも下に着るものだから役目は果たしてるよ」
「そうかもしれないけど、そういうことじゃなくって!」
「じゃあ紅はどういうのがいいんだよ」
「え、ええ……うーん」
「ほら、決まってないじゃん」
「だって突然振るから」
「じゃあ今好きなの選んで?」
「……」
「なんで固まるのさ」
「いや、難しくて」
「なにか言うことは?」
「ごめんなさい」
「よろしい。で、検討はいくつか着けておいたから着てみてくれる?」
「助かるよ。明は?」
「アタシはもうサイズも含めて大丈夫だったから、あとは紅の分だけだよ」
ちゃっかりしているのかそれとも決めるのが早かったのか。手渡された白い下着は黄色いリボンが愛らしいデザインだ。
更衣室に入った紅華とそれについて入る明月。とてもナチュラルに入ってくるものだから笑ってしまう。
「どうしたんだ?」
「手伝おうかなって。ほら、大変だろう? 色々と」
「はは、どうだろうな」
するりするりと上だけを脱いで肌着に当ててみる。似合わないようで不安だが、後ろの明月はご満悦の様子で。
「……うん、やっぱり黄色がいいな」
「明の色だから?」
「ああ」
「ふふ、そうだな」
「……あ」
「ん?」
「ん……」
首筋にキスを。キスマークを。
それはまるで執着だ。刻んで、誰にも奪わせないのだと噛みつくようなキスが降り注ぐ。
「ちょ、ここ、外……!」
「でも誰にも見られない。だから大丈夫」
「そう、じゃ、なくて……!」
「……ま、この続きは家でだな」
「……まったく!」
困ったものだ、と肩をすくめるのは素振りだけ。実際のところは恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったい気持ちがあふれている。
致し方ないのだけれども。こうでもしなければしばらくあの更衣室から出ることは叶わなかっただろうから。
「じゃあこれでお会計を済ませてくるな」
「ああ、わかった」
両手にまたひとつ袋が増えてしまった、とため息をつく頃にはお腹がくうとなる時間。
食事を抜きにして遊んだっていいのだけれど、せっかくの遠出なのだから美味しいものを食べたい。
「この近くに美味しい店ってあるんだっけ」
「えーと、ピザが美味しい店があるみたいだな」
「じゃあそこにしよう」
お買い物は一旦休止。腹が減ってはなんとやら、足も疲れてくる頃なのでゆっくりしよう。そう考えて、秋色に色づいた街を抜け、店へと進んだ。
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大通りを少し抜けた先を右に曲がると、知る人ぞ知るのであろう小さな店が連なる小道。
ナビアプリこそこちらの道を示しているがひとりだったのならばよることはなかっただろう。二人でデートしているおかげだ、と握った手に一層の愛を込めて。先導する明月の表情は明るい。
「あ、ここだ」
「へぇ、オシャレだな」
「だな。よいしょ、っと」
からんからん、と小気味よいベルの音が鳴り響けば小洒落た民族音楽が流れてくる。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいですか?」
「はい」
「ではお好きな席でお待ち下さい」
優しげな店員の案内を受け、窓際の席で向かい合ってメニューを眺める。
「凄いな、美味しそうなものがたくさんある」
「だな。パスタもあるし、これは……パイシュー……?」
メニューを見つめる時間はいつだってたのしい。これが美味しそうだ、そっちも捨てがたい、なんて二人で話し合っては笑って。
結局看板メニューなのだというピザをシェアし、あとはパスタとつまめるものをいくつか。デザートは別腹なのでパフェをふたりでシェア。完璧な計画だ。
「にしても珍しいな。初めての店はそんなに得意じゃないだろう?」
「まぁな。だけど紅が喜んでくれる方が優先だから。それにここ、割りと仕事の人からも評判良かったから一回は行っときたくてな」
「ああ、そうなんだ。なら良いんだけど」
舌が肥えている。
それはさいわいでもあり。さいあくでもあり。
美味しいものが極めて限られてしまう、というのは苦しいものだ。だから信用できる店や人の食べ物以外は食べることができない。というよりあまりしたくない。
その事情を紅華が知らないはずもなく表情を曇らせたが、大丈夫だと笑う明月。ならば頷く他ない。
「おまたせいたしました! こちらご注文の商品になります」
「ありがとうございます」
「それではごゆっくり!」
「……おお」
「凄いな、美味そうだ」
「だな。それじゃあ頂きます」
「頂きます!」
ピザをころころと切り分けてそれからお好みでチーズをのせて。口の中で溢れるトマトの酸味とうまみ、ビヨーンと伸びるチーズの美味しさと言ったら暴力的この上ない!
パスタはそれぞれカルボナーラとナポリタンを。
カルボナーラには分厚くカットされたベーコンがミルキーなソースに絡みついて格別の美味しさ。ぴりりとする程度に添えられたブラックペッパーがまろやかだけでは済ませずアクセントとして最良だ。
ナポリタンはトマトの酸味に大きめのチーズが美味しい。ピーマンのシャキシャキがパスタをより引き立てる一品。
とにかく、とにかく! 二人が食事に夢中になったという事実だけが残っていれば良い。
「あ、ほっぺについてるぞ」
「え? んしょ、っと。とれた?」
「いや違う、右」
「えぇ? こう?」
「もう……」
明月も久々に食べられるレストランで嬉しかったのだろう、はしゃいでいるのがよくわかる。くすくすと笑いながら紅華が頬についたケチャップを指で拭って。
「あむ」
「……っ」
「ありがと」
「どういたしまして!」
指で拭ったケチャップはそのまま明月の口の中へ。ぺろりと熱い舌が紅華の指に絡みつく。得意げに笑った明月にはいつもしてやられてばかりだ。
兎にも角にも、美味しい食事の後にはデザートが定番かつお決まり。
注文しておいた秋の味覚をふんだんに使ったパフェは正しく宝石箱の輝き。クリーム、フルーツ、金箔にクッキーにそれから!
「す、すごい……」
「これ崩すのがもったいないなあ」
「でも食べないと」
「だな。写真撮って満足したし、食べよう!」
「ああ。それじゃあここをいただいてっと……」
「じゃあアタシはこっち」
ぱくっと一口。嗚呼、美味しい!
「太りそうだ……でも美味しい」
「今そんな後悔してたら美味しくなくなるだろ、パフェに罪はないんだから」
「それもそうだな。カロリーがあるものは美味いんだから!」
美味しいものを食べれば笑顔も増える。そしてそれが大切な人とのデートならばなおさら。
「次はどこに行こうか」
「……実は、行きたいところがあるんだ」
「わかった。じゃあそこにいこうか」
紅華があんまりにも真剣に言うものだから愛おしくなってしまう。断る理由もないのでうなずけば花が綻ぶように笑った紅華。ああ、恋をしている。
人前では恥ずかしがってしまうからしないのだけれど、今すぐ唇を奪いたくなるくらいには――愛している。
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紅華が先導する。これは先程とは真逆で。
緊張したようにきゅ、と結ばれる指先は小さくていじらしい。
「ここなんだけど」
紅華が連れてきたのは。
「……オーダーメイドアクセサリー?」
「そう。二人だけのお揃いを用意しておいたんだ」
「え?!」
なんてサプライズだろう。照れたようにはにかむ紅華。
「ちょっと貰ってくるから、待っててくれるか?」
「お、おう」
こういうことはされる方ではなくする方だったからいつにもなく積極的で驚いてしまう。何より、こんなことをしてくれるくらいに愛しているのだと伝えてくれているようで。胸が弾む。
しばらくして出てきた紅華は、明月の緊張した表情を見て笑った。
「……そんなに驚いた?」
「だ、だって。まさかこんなことしてくれるなんて。アタシ、何もしてないのに」
「ふふ、実は次のデートで渡すつもりだったんだけど、今日遊ぶって聞いたからついな。ここじゃ二人きりになれないし、家で渡しても?」
「ああ、勿論だ」
困ったものだ、どれほど好きになっても終わりがないこの恋心は。
一から百まで好きを語っても尽きることはなさそうだ。
「晩御飯なんて気分じゃなさそうだな」
「だって、気になるし」
「はは。私もそれどころじゃない」
「じゃあ急ぎで帰ろうか!」
「わっ?!」
華奢な腰を抱き寄せて、抱き上げて。
お姫様抱っこで走り出すくらいが丁度いい。
「ちょ、ちょっと?!」
「全速力で帰るから、ちゃんと掴まってろよ?」
「……もう!」
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全速力で帰る頃には空は紫に染まる頃。
実は買っておいたのだという小さな赤いバラの花束。3本の意味はそう――『貴方を愛しています』。
小さな箱から取り出したのは二人分のピアス。
「穴、開けてないけど」
「二人で開ければ怖くないかなって」
「一個ずつなのは?」
「片耳だけでマーキングできるかな、って」
もう、言わせないで。用意しておいたのは自分の方なのにどうしてそんなにも赤くなっているのだろう。
たまらずに唇を奪ってしまう。長く、長く、永遠を思わせるほどに。苦しいほどに。愛しているから。
「んっ、ふぅ……」
「ぷはっ! も、もう! 早いって!」
「だって、もう……だめだ。アタシ愛してるって言っても足りないくらいなんだけど」
「今はまだ……後で!」
「…………わかった」
楽しみをお預けにされてしまった犬のようにソワソワしているのが可愛い。ぎゅうっと抱きしめればそれ以上に強く抱きしめ返してくれるのがたまらなく好きだ。
晩御飯を食べるにはまだ早いからとお風呂を沸かしてゆっくりとテレビを待つ。けれどどんなコメディアンの言葉も、ニュースキャスターの解説も、アイドルの歌も頭に入らないくらいにはどきどきしていて。ああ、愛おしくてたまらない。
「今日、お風呂はどうする?」
「そりゃ勿論一緒でしょ」
「わかった」
「さっきのバラを使って薔薇風呂にしてみない?」
「ありだな。そうしよっか」
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花占いというものがあるならば今するべきなのだろう。普段は使わない高めの入浴剤をうきうきで湯船にいれて、二人でゆっくりと肩まで浸かって。
「あったかい……」
「バラはどうしたらいいんだろうなぁ」
「ちぎっていれるのがいいんじゃない?」
「かな?」
とげをカットしておいたバラの花。湯船で持ってみると案外しゅっとしていた。
「すき、きらい、すき、きらい、すき」
「……きらいなんて選択肢があるのか?」
「ううん、ないな。でもどうしよう、それじゃあ花を散らせるには寂しい気がするんだ」
明月のしなやかな腕が紅華の腹をつつ、となぞった。
「ひゃ……っ」
「ふふ。もっと楽しいことのほうがいい。例えばそうだな……」
バラの花を持って後ろからぎゅうと抱きしめる明月。膝の上に紅華を抱えながら、自分も薔薇を散らせていく。
「この後は……アイス、ケーキ、ポテチ」
「お腹すいた?」
「結構!」
「なら後でご飯にしようか」
「ああ、そうしよう」
この世界でなんの邪魔もなく一緒に居られる喜びはとても大きい。だからこそ、一瞬一秒を噛み締めていたい。
元の世界に未練なんてものはない。強いていうならば紅華の親たる叔父夫婦だけは心残りであるのだけれど。
「なぁ紅」
「なに?」
「好きだ」
「私も好きだ」
「じゃあ大好き」
「ふふ、私も大好きだが?」
「――愛してる」
「私だって、愛してる」
惹かれずとも絡み合う。絡みつく。そうあるべきだと、元の形に戻るように無いも言わずに唇を重ねて。ああ、そうだ。彼女とともにある幸福こそが、このからだを満たしているのだ。
触れる熱。分かち合った体温。それから、時間。これからもこんな日々が続いたなら、どれほど幸せだろう――
お風呂からあがる。ドライヤーが一番面倒なのだがこればっかりはどうしようもない。
「ミストはした?」
「ああ」
「オイルもちゃんと塗った?」
「もちろん」
「ふふ、じゃあドライヤーしていくな」
「ああ、頼んだ」
ドライヤーは面倒だ。明月はごちる。
そんな反面紅華はドライヤーが好きだ。明月のふわふわの髪を触っていると心が穏やかになる。彼女は嫌がって猫のように逃げてしまおうとするのだが、この瞬間だけは明月ではなく紅華のほうが強くて優位だ。
「最近髪の毛柔らかくなってきたな」
「そうか?」
「だな。頑張ってオイルつけてたからその成果も出てるよ」
「ほんとか? それならいいんだけど」
本人は時たま扱いづらそうにしている髪だが、ヘアアレンジも器用にやってしまえるくらい手先が器用なのだからもっと楽しめるように手伝いたいと思う。その為にドライヤーができるなら、紅華は恋人ではなくドライヤー係でも満足してしまえるくらいに。
「なんか余計なこと考えただろいま」
「別に? 私、明の傍にいられるなら恋人じゃなくてドライヤー係でもいいな、とかそんなことだけ」
「ふぅん。じゃあアタシが他の人とキスしても文句言えないな?」
「…………そうだな」
「それでもいいのか?」
「嫌だ」
「じゃあずっと恋人でいてくれ」
「うん」
「ん!」
ちゅ、と重ねた唇。普段は明月の方が身長が高いから、明月が座って、紅華が立ってするキスはなんとも新鮮で幸せで笑みがこぼれてしまう。
ぶおおおおおんと唸るドライヤーのせいできっと聞こえてはいないだろうけれど。どれだけ幸せで、嬉しかったか。きっとあなたはしらないのだろう。
「……これからもずっと、一緒でいられる」
その嬉しさ。喜び。きっとあなたは当たり前のように言ってのけてしまうからわかりっこないのだろう。
晩御飯も終えて。お腹も満ちて。
空には紺色が滲む頃。
今日の予定もしっかりと終わらせたから早めにふたりのベッドに入る。
「今日はすごく楽しかった。ありがとう、明」
「こちらこそ。ピアス、いつ開けるかまた話そうな」
「痛いと思うから、嫌だったら全然断ってくれて良いんだぞ」
「嫌なわけない。紅がアタシの為に選んでくれたんだから、むしろ開けないとな」
「ふふ、そうか」
「ああ。紅の耳にはアタシがあけて、アタシの耳には紅が開けてくれよ」
「それは構わないが、どうして?」
「ピアスって一生傷だろ? だから、紅の耳にアタシが一生傷をつけたいんだけど」
「……ああ。そうだな。明が私につけてくれ」
「ふふ、じゃあ約束だな」
冷えた足を絡ませて。体温を分かち合う。ちょっと苦しいくらいに抱きしめたほうがお互いの鼓動を感じられるような気がして。せっかく大きく買っておいたベッドに悪いくらいにくっついて眠るのだ。
手をつないで。キスをして。髪を撫でて。頬に触れて。
お互いがどれだけ愛おしいのかを伝えたって足りない。だからこの続きはまた明日にして、夢の中へと落ちるのだ。
「おやすみ紅」
「うん、おやすみ明」
「また明日な」
「今日はデートの夢を見るつもりだったんだけどな」
「はは、そうだった。明日はどこに行こうか」
「うーん、遊園地なんてどう?」
「いいな、賛成。じゃあ明日一緒に調べようか」
「ああ、そうしよう」
今日があって。明日があって。きっと当たり前のように、自分の隣には貴方が居るのだろう。
こうして抱き合って眠る今ですら幸せなのだから、そんな日々がずっと約束された今日はどれほど幸せで満ちていたことか。
すうすうと寝息を立てる明月はしらないのだろう。紅華がどれほど愛しているかを。
二人の穏やかな夜はこれにて終幕。
「だいすき、明」
ちゅ、と口付けた紅華。その唇に強く吸い付いた明月。
「……我慢するつもりだったのに」
「え? ちょっと」
「アタシ悪くないからな」
「明。明、明――?!」
前言撤回――二人の夜は、まだまだ終わりそうにはない。