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感染文書
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おめでとう。
ランドウェラが見つけた書面は、そのような書き出しから始まった。
場所はとある廃施設。元は何かの研究所であったという話だが、先日の火災で施設全体が燃え上がり、中の職員は誰も開けってこなかったという事件があったことは、ランドウェラの耳にも入っていた。
ここに来たのは、何も火事場泥棒というつもりはない。たまたまの休日で難を逃れていた元職員から、何か残っているものがないか調査してほしいと依頼を受けたのだ。
特に危険地域というわけでもなく、火災があってまだ数日、悪い輩が根城にしているということもないだろうと、ランドウェラは手の空いていたロクに声をかけ、ふたりだけでこの調査に乗り出したのであった。
しかし、やはり全体に燃え広がったという話は本当のようで、どれもこれもが焼け焦げ、溶け、ねじ曲がり、まっとうな形を残しているものはてんで見当たらない。
どいつもこいつも黒焦げで、真っ当に運用できそうなものはない。気になったのは、職員らの痕跡がないというくらいだろうか。それほどに強い火災が起きたとは思えないのだが。
その書面を見つけたのは、一通り施設内を歩き回ったところで、収穫のなさにため息を吐きつつ、引き上げようかとしていた矢先のことである。
入り口から最も遠い部屋。つまりは最後に調査を行った部屋にて、踵を返そうとしたところで、床にそれが落ちていることに気がついたのである。
既に部屋を出ていたロクに声をかけ、ふたりでそれを確認する。
それは研究レポートか何かのようであった。それにしては書き出しが、少々異様なものに思えたが。
「あれ?」
ロクが器用に首をかしげた。何事かと目をやると、ロクはその疑問をすぐに口にする。
「全然燃えてないね。どうしてだろう?」
確かにその通りだ。
ランドウェラはそのレポートをつまみ上げ、隅から隅までを眺めてみるが、どこにも焦げひとつ見当たらない。火災があった中でこれひとつだけが全くの無事というのも、違和感がある。
「なんだろう、なにかに包まれていて、それで無事だった、とか?」
「何かって?」
そう言われても、出てくる案などない。口をついて言ってみたはいいが、火の手から守るようなものなど見当たりはしないのである。
たまたま偶然、これだけが残ったのか。それとも、燃えたあとで誰かが置いたのか。
どちらにせよ、違和感は拭い去れるものではない。ただ燃えていないだけで、それだけの異様さをそのレポートは放っていた。
「ともかく、仕事としては達成、かな。これも研究所に残っていたもの、でいいよね」
「それよりさ、何が書いてあるの?」
何が書いてあると言われても、学者の集まり、研究所などというところで書き出された報告書である。それに目を通したところで、理解できるものだとは到底考えられなかったが、それでもこの場では、好奇心が勝った。この燃えなかったレポートに、それだけ興味が湧いてしまったのだ。
ロクとふたりで、頭を並べて文面に目を通す。そのレポートは、おめでとう、と言う書き出しで始まっていた。
『おめでとう。という言葉でウヴフラスカ文章は始まっている。その脅威性を予め伝えるために、この時点で警戒深度を7に設定すべきであると進言しておく。この文章はすべての知的生物に対して害を成しかねない。よって、知的高度4以下の職員の閲覧を禁止し、同時に、閲覧者には記憶処理を義務付けるべきである』
しばしの、沈黙。
どうにも、危険極まりない香りだけが鼻孔を擽る文面である。隣を見ると、ロクは既に不安そうな顔だ。しかし、同時に好奇心もまだ顔を覗かせている。深淵を覗くものはまたとは誰の言葉だったか。しかし今は先人に習わず、好奇心に委ねてしまった。
『名称:ウヴフラスカ文書。暫定深度:2。形態:紙面型。類型:感染。ウヴフラスカ文書は特殊感染性を持つ文面である。それは視覚的に文面を読む(言葉として意味を理解する)ことによって、読み手に感染する。感染者は24時間以内に発症し、細胞内にセルロースを形成するようになる。この状態の感染者を偽体とする。発症までに記憶処置を行うことで回避可能である。偽体はその後、24時間、頭痛、めまい、発熱、幻覚、関節痛を訴えるが、どのような計測器を持ってしてもこの症状は確認ができない。また、徐々に意識の混濁が見られ、「同じにならねば」と繰り返し呟くようになる。この頃になると、自傷が見られ始める。偽体は自身を棒や、重いものや、プレス機等を使って徹底的に自分を平たくしようとする。これは偽体が死亡するまで繰り返される。この時点での回避手段は現時点で解明されていない。その後、死亡した偽体は変異し始め、やがて一枚のレポート用紙となる。この時点で変化は終了する』
「なんだ、これ?」
「変な妄想、じゃないよね?」
疑問しか湧かないふたりに、答えをくれるものはこの場にはいない。
『変化が終了すると、感染者はウヴフラスカ文書と同じ異常性を見せるようになり、読み上げることでウヴフラスカ文書として感染させるようになる。このことから、ウヴフラスカ文書は感染型ではなく、特殊な増殖手段を持った生命体ではないかとする声もある。特徴として、ウヴフラスカ文書は全て「おめでとう」という言葉で始まる。そうだ。察しの通り、君が読んでいるこれもウヴフラスカ文書である』
「…………え?」
それは、どちらの声だったろうか。
『ウヴフラスカ文書に感染する条件は以下の3つだ。ひとつ。それが何であるのかを知らせること。ひとつ。感染の防御手段を伝えること。ひとつ。この文書を君が読み終えること。既に説明は為された。よってこの文面をここで終―――
ぺしん、と。
そのレポートがランドウェラのてから弾かれた。
ロクが前足で、レポート用紙をはたいたのだ。そして地面に着地と同時に踏みにじる。くっちゃんくっちゃんに踏みにじる。
ひとしきり踏んづけたあと、良い運動になったのか、少しだけ呼吸を荒らげたロクはランドウェラを見上げると、悲鳴にも近い声を出した。
「よ、読んでない!」
その意味を理解するには、数瞬を必要とした。
「よ、読んでない」
こくこくと、全霊で首を縦に振りながら、ランドウェラが答える。
「最後まで、読んでない!」
「確かに、最後まで読んでない!!」
「つまりわたし達の勝ち! やったー!!」
「や、やったー?」
そう、確かにまだ最後まで読んでいない。あの文面が正しいとするならば、文書を読み終えなければ感染はしないのである。記憶処理をしても防げるらしいけど、どうやれってんだよ記憶処理。
「こんな危ないのは、こう!」
既にくちょんくちょんのレポートをロクが更に踏む。ランドウェラも釣られて踏む。
細切れになった紙片の群れは、風に飛ばされて消えていった。
「大勝利。いえーい!」
「いえーい!」
勝利したところで、この文面をここで終えておくものとする。
最後まで読んだね。