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クウハの受難。或いは、あるテケテケの話…。
登場人物一覧
●大惨事の後始末
鬱蒼とした森の奥深く。
古びた洋館の門前で、はしゃぎまわる女が1人。
白い顔に、長い黒髪、地面についた両腕で体を支える彼女には下半身が存在しない。
どろり、と。
とめどなく流れる赤い血と、地面に零れた臓物を撒き散らしながら彼女は嬉々として駆けまわる。地面に着いた両の手が土に塗れることも厭わず、これ以上に楽しいことは無いとでもいうみたいな様子で、空を見上げて疾走するのだ。
「ざぁぁぁっぁまぁぁっ!」
動きを止めた彼女……テケテケという名のクウハの屋敷の住人だ……は、天高くにある太陽へ中指突き立て吠え猛る。
口の端から血泡を飛ばして、狂暴な獣に似た形相で叫んでいるのだ。
「なぁぁにが太陽だ、こんちきしょうめ! 夏は過ぎた! お前は今や、そんな程度の光と熱しか放てなくなった存在へと成り果てた! 認めやがりなさいよ! 私の前に首を垂れて、熱くしてごめんって謝りなさい!」
煽っているのだ、太陽を。
夏の間、燦々と降る熱に焼かれてすっかり熱くなった地面に耐えきれず、日陰に籠って日々、太陽への呪詛を吐き散らして、鬱憤を溜め込み続けた彼女だ。
それがついに、ここに来て爆発したのである。
そのはしゃぎようたるや、屋敷の主であるお調子者の陽気な悪霊、クウハをして少しうんざりするほどのものだ。
「おォい……謝るってんなら、オマエが俺に謝れよォ。どうすんだ、これェ。辺りがすっかり血と臓物に塗れちまってるじゃないかァ」
シンプルに言って大惨事である。
辺り一面を真っ赤に濡らす血液に、はしゃいだ拍子に零れた臓器や、肉の欠片が散らばっている。
疲れた顔をしたクウハが、地面に散らばる臓器を1つ、雑な手つきで持ち上げた。
すっかり鼓動を止めているが、どうやらそれは心臓のようだ。
「あ、ちょっと! 雑に扱わないでよ! 女の子のデリケートなものよ! もっと大切に、宝石に触れるみたいに扱うのよ!」
「そりゃデリケートなものだろうけどよォ」
止まってるじゃん。
その一言は、ギリギリのところで飲み込んだ。
日の暮れる頃。
庭を掃除するテケテケとクウハの姿がそこにはあった。
クウハは下げたバケツの中に、散らばる臓器を投げ入れる。その間、テケテケはブラシと雑巾を手に、庭にこびり付く血を拭いていた。
なお、下半身の無い彼女の場合は、少し荒く動くだけでも血と臓物が零れだす。それを防ぐためだろう。彼女の腹から腰にかけては、裂いたカーテンが巻き付けられている。
「面倒くさいんだけど……これ、私がやんなきゃ駄目なやつ?」
「むしろ何で他の誰かがやってくれると思ってんだァ? 自分で蒔いた種……っつーか、自分で撒いた血と臓物だろうがよォ」
臓器の詰まったバケツを手渡しクウハは言った。
掃除もそろそろ終盤だ。
受け取ったバケツとブラシを引き摺り、テケテケは屋敷へ戻っていく。
その背中を見送って、クウハは荒い手つきで髪を掻きむしる。
「どうすっかなァ、これ」
夏でも秋でも煩い女霊だ。
きっと冬でも、何らかの理由をつけて煩いに決まっている。
●クウハの秘策
実のところ、騒がしくする程度であれば何も問題は無いとクウハは考えている。
そもそも、クウハの管理している屋敷にはテケテケに輪をかけて騒がしい霊もいるのである。例えば、ポルターガイストと呼ばれる姿の見えない悪霊たちがそれである。
天井を軋ませ、窓を揺らして、適当な時間に置時計のベルを鳴らして、玄関の扉を開けたり閉めたりを繰り返すのだ。
或いは、絶叫する女の霊。
夜毎に絹を裂くような悲鳴をあげて、誰もいない廊下を疾走し続けている。
そう言う連中の起こす騒ぎに、クウハはすっかり慣れていた。
なので、まぁ……日中の間だけ、はしゃぎまわるテケテケはむしろ静かな方でさえある。
「だが、問題はあれだなァ。あいつがそこらに撒き散らしてまわる臓物と血だァ」
臓物と血の臭いが苦手なわけではない。
一般的には忌避されるであろうそれらの匂いを、厭うような性質ではないのだ。
だが、掃除が必要となると話は変わる。
とくに、こびり付いた血を落とすのは手間がかかって面倒くさい。
「こりゃァ、何か手を打たないと……俺様の屋敷が知らないうちに赤黒く色変えされちまう」
なんて。
応接室のデスクに腰かけたクウハは、紙の束とペンを1本、手に取った。
1日目。
天気は快晴。
少しだけ夏の陽気に近い暑い日だ。
「今日は少し元気じゃないか! だが、その程度で私は焼けないぞ! 夏の間は、私の腸を焼肉にしそうな勢いだったけど、盛りを過ぎたらお前なんざぁそんなもんなのよ!」
テケテケは今日も元気いっぱい。
空に向かって血泡を飛ばして、威勢よく喧嘩を売っていた。
そんな彼女の近くには、血と土に塗れたシーツが転がっている。元は真白かったはずのベッドシーツだが、もはやその名残さえもない。
腰から溢れる血と臓物を抑え込もうとクウハが巻き付けたものなのだが、小一時間も経たないうちに「邪魔」の一言で投げ捨てられた。
「駄目だなァ」
1枚目の紙を投げ捨てて、クウハはバケツとモップを取りに倉庫へ向かった。
2日目。
天気は曇り。
厚い雲の向こうには、太陽の光が見えていた。
「はっはー! 夏の間は毎日毎日、苛立たしくなるほどに元気いっぱいだったけど、今やすっかり臆病者って有様ね! おぉ!? 何か文句があるってぇの! あるんなら、雲の向こうに隠れてないで、顔ぐらい見せたらどうですかぁ?」
夏の間に散々焼かれた意趣返しのつもりだろうか。
「太陽相手に吠えたって、こっちの声はちっとも届いてないだろうになァ」
屋根の上に腰かけて、クウハは1つ、溜め息を零した。
騒ぎ立てるテケテケの下には、たらいが敷かれているのだが……そろそろ零れた血と臓物で一杯になる。そう長い時間が経たないうちに、たらいから血と臓物が溢れだすだろう。
「怖くて顔を出せないかぁ!!」
テンションが上がり過ぎたのか。
ついにテケテケは、たらいから跳ねるようにして飛び出した。
辺りに血と臓物を撒きながら、縦横無尽に駆けまわるのだ。
「はァ……これも駄目だなァ」
2枚目の紙を投げ捨てて、クウハは手で顔を覆った。
3日目。
この日、テケテケは留守だった。
どこかの街で、若者たちが肝試しをすると聞きつけて、嬉々として出かけて行ったのだ。
きっと今頃、肝試しの本番に備えて仕込みに励んでいるはずだ。
後の世に語り継がれることになる「地獄からの使者伝説」の、記念すべき一幕目である。
4日目。
天気は晴れ。
しかし、太陽の光は弱い。
肌寒い空気を肺いっぱいに吸い込んで、テケテケは酒を飲んでいた。
すっかり勢いを弱めた太陽を見て、機嫌が良くなってしまったのだ。
「あっはははは! 無様ね! 無様だわ!」
瓶から直接煽った酒は、ぼたぼたと腰から溢れだす。
胃に穴が空いているのだから仕方が無い。
「クウハもどう? 私の奢りよ!」
「オマエの驕りじゃねぇよォ。そりゃ、うちの屋敷の備蓄だろうがァ」
なんて。
そう呟いて、クウハはテケテケの腹部へ目をやる。
「おぉ? なに? 私のお腹が気になるの?」
「いやァ。血と臓物をどうにかしたいだけだァ。臓物を引き摺りながら歩き回るのって、大変じゃねぇの?」
初めから血と臓物をすべて抜くのはどうだろうか?
そんな風にも考えたが、何しろ相手は霊である。
『血を撒き散らし、臓物を引き摺りながら現れる女の霊』がテケテケだ。つまり、どれだけ血と臓物を抜いたところで、どういう原理かそれらはすぐに補充される。
「慣れたものよ。っていうかね……」
にぃ、と口角をあげてテケテケは笑う。
「これが無きゃ、もう私は私と呼べないんじゃないの?」
名前は既に忘れてしまった。
下半身も、馬車に轢かれて失った。
もはや彼女は“テケテケ”という概念となった。
彼女の笑みは、ほんの少しだけ寂しそうに見えたのだった。
「……そうかい」
紙の束を投げ捨てて、クウハはそう答えを返した。
5日目。
空が暗い。
しとしとと、秋の雨が降っている。
「よォ……オマエ、何がしてェんだ?」
窓から庭を覗き込み、クウハはそう問いかけた。
窓の枠に肘を突いて、外を眺めるテケテケは、幽かな吐息を吐くばかり。
時間だけが過ぎていく。
「…………」
沈黙。
数分ほどが経過して、思い出したかのようにテケテケは言った。
「きっと、私は太陽の下を出歩くのが好きだった」
視線を窓の外へと向けて、ポツリと彼女は言葉を吐いた。
「太陽の下を歩き回って、今日はいい天気だね、って家族や友人と言葉を交わして。太陽が西の空に沈んだら、仕事を終わらせて家に帰って、夜が明けて、朝が来て、窓から差し込む太陽の光で目を覚ます」
既に失われた記憶の残滓。
生前の記憶のほとんどを、彼女は失っている。けれど、きっと大切だった想いだけは、今も覚えているのだろう。
それはきっと、脳では無くて魂なんて呼ばれる何かに刻み込まれた、彼女にとっての“大切”だ。だからこそ、死んで長い年月が過ぎた今になっても、忘れられないのだ。
「私はまた、太陽の下を自由に走り回りたいんだ」
なんて。
寂しそうに雨空を見上げて。
舌に乗せたそれはきっと、彼女にとって大切な、けれど些細な願いであった。
数日後。
晴れた空の下、屋敷を出て行くテケテケの姿がそこにある。
腰の下にはスケボーを敷いて、両の手で地面を掻いて滑っていくのだ。
「それじゃあ、ちょっと今日は街まで出かけて来るわ!」
屋敷の窓から見送るクウハに手を振って。
血と臓物を撒き散らしながら、遠ざかっていくテケテケの背中を、クウハは黙って見送っていた。