PandoraPartyProject

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極夜

登場人物一覧

メルナ(p3p002292)
太陽は墜ちた

 太陽は墜ちた。
 月は昇らない。
 真っ暗な地平に、私はいる。

 太陽が昇る。世界には、変わらず。窓辺から差し込む日差しは、明確に朝を告げるそれであったけれど、私にとっては真っ暗な世界に昇った、練達で言う所の蛍光灯にも過ぎない。
 太陽は墜ちたのだ。あの日。私はずっと、目をそらしていたことを、改めて突きつけられていた。
 人工的にも感じる太陽は、それでも私の世界を照らす。朝が来たのだ、という機械的な明示は目覚まし時計の朝告げにも似ている。結局のところ、それは事象であって、心象ではない。私の好きだった太陽はこの世界におらず、故郷の世界にももうない。
 重い体を引きずって、ベットから降りる。幻想のあの事件から――あの憤怒の魔種、サリアと相対してから、この世界で拠点としていた、『家』にかえる気力も起きなかった。あれから、何日たったのか。もしかしたら、何か月かもしれないし……流石に、何年、はないかもしれないけれど、でも、結構な時間がたったのは確かだ。
 一時の仮宿に、もうずっと、身をひそめている。家に帰るのが怖かったのだ。あの家には、臭いが染みついている。私の傲慢さの臭い。目をそらし続けてきた罪の臭い。だから、ずっとこの宿にいて、宿の主人にも、近所のカフェの店主にも、顔を覚えられるくらいに。いっそここで、その人たちが言うように、明るく笑うメルナさん、としてまた目をそらすことができればどれだけよかったか――それすらも出来ないのは、やはり私が弱い、からなのだろうか。
 選ぶ、という事に、人は大量のエネルギーを要する。私には選べなかったのだ。あの時、私は――私が、兄を『殺した』ときに、私は、世界を壊すことも選べたはずだった。私から兄を『奪った』あの世界を憎悪し、閉ざし、拒絶すること。でも、私には、それを選べなかった。私は『兄の志を受け継ぐ』と言うような、心地よい言葉にすがって、目をそらしたのだ、と今なら思う。
 直視、しなかったのだ。自分の無能さが兄を殺したこと。世界の残酷さが、兄を殺したこと。憎悪する、憎む、拒絶するという、エネルギーの要る選択肢がある事を。自分が兄の意志を継げる、『代わりをやれるのだ』という傲慢さにもたれかかり、自ら立ち上がることを拒絶したのだ、と今にしては思う。
 怒り、とか、憎悪、みたいなものも、もはや立ち上がらぬほどに、私はぬるま湯につかっていたのだ。もし怒りや、そう言った『膨大なエネルギー』を私が持ち合わせていたのだとしたら、サリアと名乗った彼女に、なにがしかの『反論』ができただろう。或いは、『同意』か。旅人は、狂える、はずだった。狂って狂って、この世界にあだなすことが、選べたはずだった。私はそれを、選んではいないのだ。いや、そもそも『選ぶ』という俎上にすら立っていない。まだ。私は宙ぶらりんだ。今もまだ。

 はぁ、と大きく息を吐いた。お腹は減っていない。食欲、というものはとうに失せていたが、しかし人が活動するにはエネルギーが必要だという知識はまだあって、そして食べないことにより倒れるという事は、少し前に実証されていた。宿の主人に大きな迷惑をかけた。それは申し訳ないので、食事はとることにした。
 部屋から出て、木造建物を一階へ、酒場を兼任しているフロアを静かに抜けて、外に出た。太陽が、私を照らしていた。偽りの太陽。空に浮かんだ蛍光灯。なんでお前は浮かんでいるんだ。私の太陽はもうないのに。そう毒づくエネルギーも、私にはない。そのまま商店街に向かう。パンと、ハムを買おう。それだけ食べれば、ひとまずは死なないだろう。
 馴染みの(になってしまった。宿から一番近い店だった)食料品店に行くと、いつも通りに、手近な棚にあった硬めのパンとハムを手に取った。
「メルナちゃん、いつもそれだねぇ」
 そういう店主のおばさんに、私はなるべく、『いつも通り』を意識して笑いかけた。
「ええ……なかなか、いろんな献立を、ともいかなくて……」
「忙しいだろうからねぇ。お仕事で滞在しているんだっけ? ローレットの。もう結構な期間になるけど、大変だねぇ」
 そう言われて、そうか、『結構な期間』此処に逃げ込んでいたのか、と思う。
「でも、おばさんのお店のパンとハム、おいしいですから」
 嘘だった。味など気にしたことはない。
「それは嬉しいね。でも、メルナちゃん」
 おばさんは心配そうに言った。
「大丈夫かい? かなり、辛そうだけど。お仕事、辛いんじゃないのかい?」
 そう言ったから、私はたぶん、肩を震わせた。いや、大丈夫のはずだった。私は『いつも通り』『太陽のような』『笑顔を』『兄の代わりの』『笑顔を』『浮かべて』『いた』『はず』だった。
「あはは、大丈夫ですよ。ありがとうございます。これ、お代です」
 そう言って、いくつかの金を渡す。ぴったりで出したはずだ。おばさんは「あいよ、ありがとう」と笑いかけてくれた。私は『微笑んだ』。
「また来てね、メルナちゃん」
 そういうおばさんに軽く会釈して、私は『いつも通りの歩調で』『店の外に出た』。それから少しだけ早足になると、路地裏に駆け込んだ。すえた臭いがした。ごみだめのような路地裏。そこで初めて、私はすべてを『吐き出した』。
「うっ……えっ……」
 胃がひっくり返って、魂とか、存在とか、そういうのを全部吐き出すくらいに、体の内側からでていけ、という信号が発せられていた。でも、現実としては何も呑み込んでいないので、黄色い、僅かな胃液が唾液と一緒にわずかに吐き出されただけだった。
「あ、ぐ、う」
 吐き出す。吐き出す。目がぐるぐるとまわる。大丈夫、大丈夫、そう言い聞かせて、私はもう一度『笑顔を』『浮かべた』。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。そのまま『笑顔のメルナちゃん』は宿に戻って、主人に会釈をしてから、部屋に帰った。

 砂を食べているような感覚。いや、砂の方が、匂いと味があるだけましだ。パンとハムには味も匂いもない。それが、私の心から現れる症状だと気づいていたから、気にしないことにした。それに、これは私を動かすための燃料だ。燃料に味などを気にする必要はあるまい。
 限界は、間違いなくきていると思った。『今』を演じるのも。これは、停滞だった。生ぬるい、停滞だ。私は何を選ぶことも出来ず、それを選んだ。兄の代わり、という、罪悪感と食材から逃げた甘美な停滞。世界を救うために呼ばれたという、ある意味での事実にすがって、兄の代わりに世界を救うのだという迷妄に浸っていた自分。
 変わるべき時は、来たのかもしれない。でも、変わることが、出来るのだろうか。あまりにも傲慢で、怠惰だった自分。壊れるにしても、進むにしても、だ。その資格、そのエネルギー、そう言ったものが、自分にはあるのか?
「――分かってる。私が救えない人間だなんて事……私が、誰よりも」
 かわいそうに。そう言ったあの目を覚えている。わからない。なにも、どうすればいいのかも。壊れればいいのか、でも、今更変えることなどできるのだろうか……分からない。分からない。いつまで、いつまで、この極夜は続くのだろうか。
 誰にもわからない。
 誰も教えてくれない。
 太陽は墜ちた。
 月は昇らない。
 真っ暗な地平に、私はいる。
 永遠の真っ暗な世界に、先も後ろもわからない場所に、私は、私、は。

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