SS詳細
melt into
登場人物一覧
深緑を襲った永遠と見紛う冬。イレギュラーズの介入でめでたく雪解けとなったが、魔種の爪痕は根深かった。やはり森が丸ごと眠りに落ちた影響は大きい。生命の循環は乱れ、魔物を含めた全ての環境を戻そうとするならば解決すべき問題がまだ残っていた。
アルトゥライネルにとって、深緑は捨てる覚悟で背を向けた故郷だ。しかし変わって欲しいと思いこそすれ、壊れてしまえと願ったことは一度もない。だからこそ今回の騒動は後始末まで出来得る限り手を貸して回っていた。常日頃と変わらぬ乏しい表情には、立ち止まることへの恐れなど滲ませることもなく。
「やあ、アルトゥライネル。久しぶり……この間ぶりかな?」
依頼の報酬を仕舞ったところで投げかけられた親しげな声に振り返る。どこぞの国の軍服を纏った黒髪の青年、そして浮べられた穏やかな笑みを記憶から手繰り寄せれば——開かない瞳、赤に染まる森、びちゃりと濡れた黒い液体の生温かい感触まで過ぎり、眉間に力が入るのをグッと堪えた。
「あぁ、アンタは、」
魔種との戦場へ駆け付けてくれた恩のある仲間に礼を尽くさねば、と。頭ひとつ分は上にある顔を見て言葉に詰まった。軽い挨拶程度であれ、確かにあの時に聞いたはずの名前が上手く思い出せない。
「ランドウェラ=ロード=ロウスだよ。好きに呼んでおくれ」
改めて名乗ってくれた彼に、「あんなことがあったんだから無理もない」と向けられた優しさに、胸がざわめいた。塞がらない傷を撫でられるような身勝手な錯覚。そうだ、錯覚だ。本当に痛かったのは俺などではないのだ。
「すまない……それで、何か用だったか」
思考を切り替え、話題を進める。
「この後、依頼は?」
予定を確認する程、時間を要するものなのか。最近はイレギュラーズ間でも仕事の斡旋があると聞くし、その類か? わざわざ呼び止めた理由を推察しながら今さっき報告書を提出し終えたばかりだと答えれば——
「こんぺいとう食べる?」
——どこか見た目よりも幼い節があるとは感じてはいたが、流石にまじまじと見返してしまった。されど、奥まで真っ直ぐに覗き込むような目は相応の聡さを湛え、戸惑いは深まる。血よりも濃い赤。荼毘に付した骨の灰。色違いのそれがゆるりと笑う。
「休憩しよう。疲れた時には甘いものがいいよ」
「……疲れているように見えるか?」
うん、見えるね。こっくり即答だ。はは、と笑い声のような溜め息のような何かが漏れた。
考えても考えても堂々巡りの迷路に嵌っていると気づいていた。それでも止まれなかった。止まったら『彼女』に投げつけた言葉が嘘になってしまう。思考放棄の『怠惰』にだけは染まるまい。それが
「少し、付き合ってくれないかい?」
お代は金平糖で。ただ休めと言われても頷かないと見透かされたようだった。ランドウェラの掌の上、からからと小瓶いっぱいの小さな星の音に「そういうことなら」と連れ立ってローレットを後にした。
全然、隙がない人だと思ってた。そう切り出したのはベンチに並んで座ってからだった。ゆったりと落ち着いた時間が流れる公園は、秋色に染まり出す木々が余計な音や視線から守ってくれている。深緑の森に似た雰囲気を感じた。
「気分を害したか」
ここでなら息を詰めずにいられるかもしれないと向き直った先で、アルトゥライネルは本日何度めかの謝罪を口にする。やっぱり難攻不落には違いないけれど、そんな彼が取り乱していた日を思い出した。
「悪いことじゃないよ、真面目なのは。だからこそあんなふうにぶつかって傷つくことができる」
「それは良いことなのか?」
苦い顔は彼が喫茶店でテイクアウトした珈琲にそっくりだった。
「そうでなければ、あの子はこちらへ帰ってこなかった」
湯気の立ち上るカップを握った手が強張るのを見た。
「……苦しめるためにやったようなものだ」
かさ、かさ、と葉音を耳で追える沈黙に混じる掠れた声。
「トリーシャの所業は許し難いことで、実際にこの目でも見た。奪われたんだ」
まるで風にまかれた枯れ葉が歪な円を描くように。
「人の心を取り戻すことが救いとなるか罰となるかは本人次第だと言ったのは俺だが、それで救える命があるという浅はかな打算があった。結果として誰も救えなかったなら、それは、俺は」
ぐるぐる、ぐらぐら。波打つ真っ黒な液体に金平糖を落とす。
「無意味ではなかったはずだよ」
ゆらゆら、しゅわり。淡い色の星が揺れ、溶けて消えていく。
「冷めないうちに、召し上がれ」
いくつも見届けてから含んだアルトゥライネルは、ほう、とひとつ息を吐いた。
見えはしなくても。不確かな形でも。まだ喉の奥に苦味が残っても。そこには誰かの想いが溶けた結末がある。——あの魔種の少女だって手を伸ばす先もなくひとりぼっちのままよりは、少なくとも、きっと。
「ありがとう」
噛み締めるように飲み下した顔はまだ硬い。もっと入れちゃおうか。勇んで取り出した金平糖は伸ばされた彼の指に捕まり、口へと放られた。
「甘いな、とても」
「俺は好きだよ」
「……まぁ、見ればわかる」
ふいに夏の暑さを思い出す西陽の中、同じ色をしたフローズンドリンクは南瓜味だ。カップからはみ出る程に盛られたふわふわホイップに、蜘蛛の巣を描くさつま芋のクリームは紫色。散りばめられた栗の甘露煮とキャラメリゼしたピスタチオは色づく木の葉のよう。
「まるで呪文だったな」
秋の甘味をめいっぱいに盛り込んだようなそれを見て「同じものを頼めと言われても難しいかな」と答えたら、本日初めての笑みはうんと綻ぶ。どうせなら楽しい方がいい。俺はもう自分でも思い出せないくらい長くなった名前のドリンクを啜り、お裾分けだと天辺から滑り落ちかけたジャック・オー・ランタンなクッキーを摘んで差し出した。
違う目線。違うこころ。違う理由。違うしあわせ。それぞれに抱えたイレギュラーズでも、目指すのは滅びを阻止するハッピーエンドなのだから構わないはずだ——パンドラの箱には、きらきら甘い星が瞬いていたって。
青年のような少年と、少年のような青年。色まで対照的な彼らの縁が交わった先に、どうかやわらかな春の日差しがあらんことを——
おまけSS『なんちゃって称号』
『未完のコンフェイト』
蜜を重ね、刻を重ね、縁を重ね、いずれ数多の星となる。
たとえ空には届かずとも。甘さが時には苦しくとも。
燃える世界の上で廻れ、廻れ。
ひとつひとつが地上を彩り、誰かの心に明かりを灯すその日まで——