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しらゆりのきみと、はじまりのとき
登場人物一覧
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「お前もいい歳なんだから世帯をもて」
無骨ではあるが数年来愛用しているライフルをいつもどおりのルーティーンで分解して掃除をしていると、上官が突拍子もなくそんなことを口にした。
鳳圏という吹けば消えそうなほど小さな国の、それでも名誉ある軍人として誇りある毎日を送っていた加賀・栄龍(p3p007422)は訝しげに上官に目を向ける。
「自分が、でありますか?」
つい、はぁ? と聞き返してしまいそうになるのを既で止め、丁寧に軍人らしく聞き返す。
「我が国の兵士は命が軽いとはいえな。
大事なものを持つことは決して悪くないことだぞ。故にそろそろお前も大事なものを手にする時期がきたのだ」
かくいう上官殿には美しい細君がいたはずだ。よく写真をみせてもらってうんざりするほどの惚気をきかされている。
栄龍は気味が悪いほどに上機嫌の上官にはぁ、と気のない返事を返した。
「というわけで見合い写真だ。可憐な娘さんだろう」
栄龍は上官から無理やり押し付けられた見合い写真を困惑しながら開く。そこにはたおやかな黒い髪に琥珀を宿した瞳の透き通るような白い肌の娘がはにかんだ表情でこちらを見ている写真ががあった。
「少佐殿」
「なんだ?」
「子供であります」
「若い嫁はいいぞ。お前には彼女との見合いをしてもらう」
写真の少女は10代の半ばだろうか? 落ち着いた色の着物がよく似合い大人ぶった表情はしているものの、やはりどうみても子供だ。下手をすれば半ばどころかもっと下の可能性だってある。
こんなものを押し付けてどういうつもりなのだろうか?
栄龍はため息をついて、少しばかりの希望をもって上官に否(じょうだん)といってもらうために問いかける。
「この見合いは命令でありますか?」
「命令だ」
むべなるかな。
上官の命令に逆らうことはできない。それが軍人というものだ。
栄龍は二度目のため息をついて現状を受け入れる。
さて見合い当日。
両親にこの場に連れてこられた少女は緊張していた。
突然降って湧いた見合いの話。とはいえ少女――雪下 薫子 (p3p007259)には特定の相手などいない。断る理由もない。
通された和室から見える庭園の奥では鹿威しの軽快な音が何度か聞こえていた。両親は今や今やと相手の到着を待ちわびている。
このあと来るのは自分の将来の旦那様になるかもしれない相手だ。
やがてふすまが開き、厳しい顔の軍服姿の壮年の男性が入ってくる。
ああ、このひとが私の旦那様になるのか。怖そうな人だなと薫子は思う。
思い、三指をついて少女は軍人に頭を下げた。
「薫子と申します。あなたが私の旦那様ですか?」
鈴を転がすような声で少女が尋ねると両親と軍人さんが顔を見合わせて笑う。私はなにか間違えたことをしてしまったのだろうか?
「いやいや、それは誤解だ。お嬢さん。おい、加賀。なにをのろのろしている」
いかめしい顔の軍人さんがふすまの向こうによびかければ、ややあって少し強面の若い軍人さんが現れた。
「彼は加賀栄龍。今回の主役ですよ。
おい、お嬢さんに挨拶しろ。本当に見合いのいろはもわかっておらん朴念仁め」
そんな風に悪口を言うけれど壮年の軍人さんは若い軍人さんに対してすごく優しい目をしていた。
通された若い軍人さんを第一印象で言ってしまうのであれば『誠実そうな人』だった。
本当に子供じゃないか。こんな子供になにを話せばいいのか。
先方の少女――薫子さんと言ったか――の両親と我が麗しの上官殿は以前からの友人だったらしく年頃(というか若すぎるとおもうが)の娘が奥手で浮いた話ひとつないので、ここはひとつ見合いをすることにしたと説明があった。その相手として白羽の矢が立ったのが少佐殿の中隊のなかで唯一妻を持たない自分である。
正直軍務に明け暮れていた自分が年頃の少女と話す内容など思い浮かぶはずもない。
目の前の少女にかけてやる言葉を探しながら、少佐殿に視線でもって助け舟を出すもニヤニヤと笑うばかりだ。
確か一度だけなら味方への誤射も許されるのだっただろうか? 戦場ではおぼえていろ。
挙句の果てにはあとは若い二人に任せてと、二人っきりにされてしまったのだ。本当に戦場ではおぼえていろよ!
「その、薫子さん」
「はい」
「いい天気ですね」
「はい、とても」
なんとも空虚な会話。そこから先が続かない。でも少しだけ余裕はできた気がして、よくよく少女を見てみれば、とんでもなく美しい少女であることに気づく。例えるならば花開く前の白百合。あと数年もして大輪の華を咲かせれば男どもが放ってはおかないだろう。
だからこそ緊張はいや増す。
両親と上官が話している最中ずっと彼女からの視線を感じていた。そんなに軍人が珍しいのだろうか?
ときおり少女は上官殿からの質問にも答えていたが内容など覚えてなどいない。
とにかくこの状況の妙に思考回路が焼け付く寸前なのだ。
「あの、栄龍さん」
呼ばれてどきりと胸が跳ねる。
「は、はい」
「お好きなものってありますか?」
「え、あ、はい、まんじゅうなどを好んで」
「ふふ、甘いもの、お好きなんですね」
そういうわけでも無いが茶請けの饅頭が旨そうだったからつい口にでただけだ。基本的に好き嫌いなどは特にはない。
「ん……、おまんじゅう、作ったことはないですけど……今度つくってみたら食べていただけますか?」
「は?」
「私、料理がすきなんです。その、お菓子は作ったこと無いのであまり上手にできるかどうかはわかりませんが」
「まんじゅうなら、蒸し加減を調整すれば簡単ですよ」
「え? あの、栄龍さんはお菓子をつくられるのですか?」
「得意というわけではありませんが、まんじゅうを始め、ある程度の料理ならできます。男料理ではありますが」
「まあ、まあ」
そう言って微笑んだ少女の笑顔は眩しくて。かわいらしくて。まじまじと見つめてしまう。
ありていに言ってしまえば10も歳の離れた少女に見惚れてしまったといっても過言ではないのだ。
その後いくつかの他愛のない話をしたが正直内容は覚えていない。だけれども薫子という少女はよく笑う少女という印象をもった。
後日のことである。
自分のもとに一通の書簡が届く。書簡を自分に届けに来た上官殿は大げさにかわいそうになどど栄龍をからかってくる。
仕方がない。あんなボロボロの見合いだったのだ。お断りの連絡だろう。
わかってはいても「フラれる」というのは随分と心にささる。
恐る恐る、栄龍は書簡の封をきり中を確かめると――。
「まじかよ」
青年はなんども便箋にかかれた美しい文字を読み返す。何度読んでも変わらない文字がそこにあった。
「まじかよ、俺のどこが――どこが、良かったんだ」
青年は困惑する。その問に答えるものはいない。
だが、青年の口元はすこしだけ、いつものへの字口ではなくなっていたのだ。
『先日の折りはありがとうございました。ふつつかものではありますが、よろしくおねがいします。かしこ。』
無骨な軍人とたおやかな少女の物語がいま、始まった。