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これからはもうひとつ
登場人物一覧
●good night baby
熱を帯びた風が、陽炎のゆれる野原を抜けていく。
揺れる景色のなかに、漆黒の鎧を纏うひとりの騎士の姿があった。
金属をこするような音と共に抜いたのは、重々しい一本の剣。
鋼鉄のブーツが止まり、騎士は顔面を覆うそのスリットの隙間から眼前を見た。
冷たい大地を、蒸し暑い太陽が照りつける。
艶のある黒のスーツ一揃え。踏み抜き板の仕込まれた革靴。そして、首から上をすっぽりと多う仮面(ヘルメット)。
淡く光るスリットの間から、男は眼前を見た。
まるで鏡に合わせたように、二人の男が向き合っている。
それはいわば、ありえざる風景だ。
混沌世界の――しかし名も無き『決戦場』。
耀 英司(p3p009524)は、『暗黒騎士H』と向き合っていた。
「怪人Hとしてはアンタのこそが本物だ。俺は、弱ぇ弱ぇ耀英司からは逃れられねぇ」
英司はベルトへと手を伸ばす。
憧れと。
後悔と。
夢と。
絶望と。
たまらない笑顔と。
拭えなかった涙と。
それら全てを、この手に握って。
「――変身」
●裏路地にヒーローはいない
野良犬みてぇな人生だ。
英司はずっと、そんなことを考えて夜の寝床についていた。
あの夜も、あの夜も、あの夜だってそうだ。
誰かのせいにしたくて悪態をついたこともある。悲しむ顔を見たくなくて逃げたことだってある。
けれど胸の奥にひっかかった、古い古い宝物だけがどうしてもとれなくて、いつまでいつまでも自分の胸の奥に手を突っ込んではあがくように指を伸ばして、それでも爪のさきでしか触れられない。そんな夜が続くのだ。
「アンタは、そんな夜を過ごしたことはあるか」
港町の一角。見晴らしの良い建物の屋上で、てすりに手をかけて英司はそう問いかけてみた。
黙って後ろに立つ、漆黒の騎士に向けて。
「……」
ンン、と低く喉の奥だけで短く声を発した暗黒騎士H。
しかし英司には、その意図するところが手に取るように分かった。
彼が首だけをほんの僅かに横へ動かし、ぴたりと停止するという動作をしたことも。見なくともわかる。
それこそが己の身体に、あるいは魂に刻まれた『スーツアクト』の動作なのだ。
自分はそこから大きく離れ、アメリカンなジェスチャーや大袈裟な動きをするようになったものだが……暗黒騎士Hの見せるこうした非言語コミュニケーションにはどこか心が落ち着く思いだった。
「『こっち』に来てくれたあんたに、色々見せたいものがあってな。こうして外まで出てきてもらったわけだが……どうだい。『リアル』に触れた感想は」
「フッ……」
暗黒騎士Hは小さく笑い、英司の隣に立って同じように……といってもそっと片手を添えるだけの重々しい動きで手すりに手をかけた。
そして、眼前に広がるひろいひろい海に意識を投げるように、ゆっくりと小さく、英司にしか見えないほど細かく顎をあげる。
「良い景色だろ? ま、アンタにとっちゃ『あっち』こそがリアルなのかもしれねえけどな。
実際……俺も俺で、この世界がリアルだと感じられねえこともあるのさ」
英司はくるりと手すりに対して背を向け、肩をすくめてみせた。
「なんたって、俺の両手は既にベットベトに汚れちまったからな。
産まれた世界の出来事をチャラにして、第二の人生再スタートってわけにはいかねえだろ?
俺が俺である以上、過去も捨てられやしねえのさ。それがどんなにクソッタレなモンでもな」
ジェスチャーを交えて饒舌に語る英司とは対照的に、暗黒騎士Hはただ黙って海を見つめている。
「……アンタ、本当にその『役』を徹底してんだな。そうすることが自分の全てで、それがなくなっちまったら……」
そう呟いたところで、英司はふと想像してしまった。
暗黒騎士Hから、その『役』が奪われる瞬間を。
世界全てが真っ暗に閉ざされて、人生が消えてしまったようなそんな錯覚を……彼も覚えるのだろうか。
「人生はあいにくテレビシリーズじゃねえ。ワンクール終了しても人生は続くし、打ち切りみてーにぶった切られてもやっぱり続くんだぜ。なんにもねークソッタレな自分が、クソッタレなまま残されるんだ。
けど……けどな。案外」
オーバーだったジェスチャーが消え、英司はストンと腕を下ろした。うつむき気味の頭は動かず、その身体に『表情』はない。
「もう一度、始まることがあるらしいぜ。出会うことがあるんだ。憧れたヒーローと……肩を並べて『変身』することが、さ」
表情がないまま、英司は。
「俺はもう『アンタ』になれない。リメイクなんてできねえんだ。
なあ、それでも……それでももう一度並びたいなら、俺はどうすればいい」
問いかけるような、あるいは縋るような彼の声に……やはり暗黒騎士Hは答えなかった。
手すりから手を離し、ゆっくりときびすを返して歩いて行く。
取り残された英司に背を向けたまま……一度だけ、足を止めた。
「答えは知っているはずだ。『あの場所』で待つ」
●スーツの中に隠れた希望
「怪人Hとしてはアンタのこそが本物だ。俺は、弱ぇ弱ぇ耀英司からは逃れられねぇ」
ベルトに手を伸ばし、英司はうつむいたその仮面を……僅かに上げた。
「変身」
漆黒の雷が彼を包み込み、バチバチというどこかチープですらある効果音と共に彼の全身が鎧に包まれる。
対して、暗黒騎士Hは剣にバチバチと黄金の雷を纏わせたかと思うと、それをゆっくりと正眼に構えた。
その瞬間、英司の脳裏に古い言葉が蘇る。
『エージ! 余計な動きはしなくていい。スーツアクターは動きで表情も世界も作るんだ。
強いヤツはうごかねえ。ビシッと身体に芯が通ったみたいにな。例えばこうして――』
暗黒騎士Hは正眼に構えた剣を水平に動かすと、極シンプルに――一文字に振り抜いた。
黄金の雷は巨大な斬撃となり、英司へと激突する。
咄嗟に剣を構え防御するが、その動きがまた彼の記憶を呼び覚ました。
「余計な動きはしなくていい――か」
色々寄り道して、色々考えて、結局行き着くのはいつもシンプルな動きだった。
それはもしかしたら、英司のながいながい、クソッタレな人生だって……。
「『リブート』させてもらうぜ。『怪人H』!」
俺は、俺のままでいい。
正眼に構えた剣に黄金の電撃を纏わせる。
憧れと。
後悔と。
夢と。
絶望と。
たまらない笑顔と。
拭えなかった涙と。
それら全てを、この手に握って。
――そしてもう一つ。
ふたつめの剣を水平に構えると、漆黒の雷をその剣に纏わせた。
交差して放たれた斬撃が、暗黒騎士Hへと激突する。
剣で受け止めジリッと半歩下がった暗黒騎士Hは、激しい爆発と共に後方へと吹き飛んだ。
「おいおい」
剣を振り抜いた姿勢をゆっくりと解いた英司は、仮面の下で笑った。
「やられ方まで徹底してんのかよ」
●二つ目の剣
いつのまにか手にしていた二つ目の剣は、やはりいつのまにか消えていた。
不思議に思ってきょろきょろと見回す英司に、(なんだかさっぱりした動きの)暗黒騎士Hがゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、彼の持っていた剣を翳し、柄を上にして英司へと突き出す。
「貴様が持っておけ」
「……」
剣を受け取る。すると、英司の手を中心に剣がその姿を変えた。
「貴様の剣だ」
憧れと。
後悔と。
夢と。
絶望と。
たまらない笑顔と。
拭えなかった涙と。
これからは、もうひとつ。