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天に咲く
登場人物一覧
「お願いしますっ! どうしても、とってきて欲しいものがあるんですっ!」
そうして頭を下げてきたのは、物腰の柔らかな青年の幽霊だった。
幽霊が居ると評判の森の屋敷。その評判に違わず幽霊は実際に居るし、クウハはその幽霊をジイ、と見る。
「ふぅん。 それは何だ?」
「行けば分かります! 我が家の奥にある、とてもとても『大切なもの』なのです……! ですが、実体がないので、置きっぱなしでこちらに来てしまいまして……」
へこん、とする幽霊に、ふむ、と思考する屋敷の主。
「どうかしたのか?」
「いや、目の前の奴が、自分の家へとってきてほしいものがあるんだとよ」
声をかけるフーガは、幽霊が視えない。だから、クウハが指し示す先も、何も視えはしない。
「大事なお願いなのか?」
「とてもとても『大切なもの』らしい」
「それなら、とってきてあげないと!」
人の良さを見せる彼に、目を閉ざし、しばしの思考。
この幽霊は相当の年季の入った者のようだが……。
「しょうがねェ、行くだけ行ってみるか」
「ありがとうございますっ、クウハさんにフーガさんっ」
クウハがその御礼の声を伝えると、フーガはどーんと任せてくれと胸を張った。
●
「……家、って、おいら聞いたんだけど」
「おう。 俺も家って聞いたんだわ」
二人の目の前にあるのは、頑丈な石で作られ、怪しげな文様がところどころに掘られたとても古い建築物であった。
とどのつまり、遺跡である。
「明らかに遺跡……だよな?」
「アイツ相当古い幽霊だったからなァー……遺跡なら遺跡って先に言えよな。 下手すると騙されたかもしれねェぞ、これ。 幽霊はあんまり信用しちゃならねェぜ、こういうことがあるから」
そうして家、もとい遺跡を指し示す。
「うーん……でも、本当に『大切なもの』かもしれないし、行ってあげないと……おいら、先行してみるからさ」
よいしょ、と中を伺うフーガに、やれやれとついていくクウハ。
赤い瞳を周辺へ巡らせる。
古い文字で判読は不可。遺跡の入り口にある文字――おそらく現代で言う表札のようなものだろう。それが無惨にも削られている。
「相当の恨みを持たれていたか、時代の流れか……」
「どうした?」
「何でも」
●
一歩、踏み入る。
「げほっ……あ、思ったより中、広いんだな……」
埃に噎せつつも、フーガは地下に伸びるようになっている内部構造を確認する。一歩踏み出し、確認しようとした、その瞬間。
「ちょっと待った」
「うん?」
クウハの声に、首を傾げる。
声をかけた彼はそのまま入り口付近で広がった石を、こつんとフーガが足を進めようとした二歩先へと投げた。
タイル状に規則的に並べられた石の床の中、色が明らかに違う床。
途端に、その床から数本の刃ががしゃんと瞬間的に生えて、するするとそのまま下がって普通の床へと変わる。
「…………」
「……引き返すなら今だぞ」
殺意を感じなくもないトラップに対して、お互いにしばしの静寂。
「き……気をつけて行けば大丈夫だ! さっきみたいに!」
「まァそれはそうだが……んー。 魔術的なトラップも多分あるな、これ。 マジで行くのか?」
「大事なものは、大切にして持ってきてあげないと」
まっすぐな瞳で言うフーガ。
クウハは口の中でお人好し、とぼやくと、ニッと笑った。
「それじゃ、オマエが死なない程度に付き合ってやるよ」
「助かる! それじゃ、色の違う床は避けて――……」
慎重に歩いて進んでいく。色の違う床を意識して試しに物を投げてみると、斧が降るだの槍が飛ぶだの、トラップのバーゲンセールである。
「余程守りたいものがあったのかなぁ」
「それとも、余程外から来る人間に殺意があったか、だなァ」
と、しばらく歩いたのちに、急な坂道のような通路に行き着く。
そしてクウハが感じる、ぱちん、となにかがはじける感覚。
「……?」
「……なんだ?地震……?」
震源がどうにもおかしい。
「――危ねェ!」
クウハは、咄嗟に自分達の真隣の壁を自身の魔力で抉った。フーガを抱き寄せる形で抉った壁の中に収まる。
その目の前を、突風のように岩の塊が降り注いでいった。
おそらく地属性あたりの魔術だろう。
「……ひっ」
「……もう一度言うぞ。引き返すなら、今だ」
青ざめて呼吸を荒らげる相手に、冷静かつ辛辣な言葉を浴びせかける。
「……いや、でも、行かないと」
「オマエなァ……」
半ば呆れるクウハへ、振り返り向けられる、黒曜石のような綺麗な瞳には、涙が滲んでいた。
しかしそれは、まっすぐに赤い瞳とかちあった。
「『大切なもの』が、あるんだろ」
「……そういうところ、いつか幽霊の仲間入りしても知らねーぞ」
はあ、と溜め息をつくクウハの声は、いくらか柔らかかった。
「……なんていうか……ごめん。 おいら、情けないところ見せてるな」
「俺は好きで付き合ってるから良いんだよ、そらっ」
もういいだろ、とフーガを緊急で作った退避場所から外へと押しやる。
その言葉に内心フーガは安堵していた。
無謀で失望されるのではないかという感情は杞憂であった、と。
自分ひとりじゃあ幽霊を悲しませるだろう、と。
「……よし、行くか!」
「おーい、一歩先、斧の床」
「うわっ! おっとっと……」
●
岩が降り注いだ先は丁度良く近辺のトラップを破壊しており、そこから先は安全に通り抜けることが出来た。
トラップも何もなく、生活空間だったと思しき個室がいくらか見受けられる。
中には厨房の痕跡もあり、またベッドと思しき朽ち切った木のような何かもあった。
「……ここまで来ると存外家に見えるもんだな」
「だなー……」
とっくに人が居なくなった、先程の騒がしさとは一変している、埃のかぶさった空間は、どこか寂しさすら覚えさせる。
怪しげな床も魔術の反応もない。
廃墟と言ってもいい侘しい空間が続いていた。
「そういえば、お願いをしてきた幽霊は、具体的に何が大切って言ってたんだっけ」
「それが『行けば分かる』と言われてたからなァ、この調子だとどうだか……ん?」
クウハの目の前にふわりと白い影が現れた。
幽霊というには覚束ない、霊魂と言うにはうっすらとしすぎている。
少女の形をとったそれは、自分に気づいたクウハに、通路の先を指し示すとそこへ向かい、立ち去ってしまった。
「……?」
「どうした?」
「地縛霊……か? ほぼ成仏しかかってる幽霊みたいなのが奥へと誘ってきた」
「! もしかしたら、『大切なもの』があるかも!」
「……アテも無ェしな、行くか」
●
たどり着いた先は、上の石が崩れ去っている一室だった。
朽ちきった家具らしきものは、外から侵食してきたと思われる植物に覆われている。
大きさからして、子供部屋のように見受けられた。
部屋の中心には空へと伸びる、星のような形をした青い花が咲いている。
白い影の少女は、花畑の周りでくるくると舞ったあと、クウハが自分を視認したことを確認し、ゆっくりと座り込んだ。
座り込んだ隣には、宝箱のような形をした小箱。
「……なんかあるな」
「あれが『大切なもの』かな……?」
「トラップの気配……は、ないな」
クウハが確認したのを聞いて、慎重にフーガは箱を開ける。
中には、ぼろぼろに朽ちている、簡素な花をあしらった刺繍が紐で括られているネックレスだった。
「これは……」
少女の影、の顔が、おぼろげに見えた。
どこか満足そうに笑うと、それはそのまま、ふわりと消えた。
「多分、これが『大切なもの』なんだろうよ。 帰り道はもう余裕だろうし、中がこんだけ朽ちてるのなら、箱ごと持って帰って……」
「うっ……うう……」
「フーガ?」
「み、み、みつかって、よ、よかったー!」
そう言って、安堵のあまり子供のように泣くフーガと、やれやれと首を振るクウハであった。
●
「そういうわけで、お望みの品……のはずだ」
幽霊に向かって宝箱を差し出し、ああそういえばこいつは実体がないのだった、と思い出して、クウハは箱を開けてやった。
「あ、ああ、これだ、これだ――……」
「…………」
泣きはらした目で、見えない、聞こえない顛末を、眺めるフーガ。
「これです、これなのです。 『大切なもの』。 でも、私はこれがなぜ『大切なもの』なのか、覚えてないのです」
「覚えてねェのに、頼んだのか」
「申し訳ないです。 でも、これは、私の元に無ければいけないと思ったのです。 だって――……」
そこまで言って、幽霊は言葉に詰まる。
「だって――……ああ、もう私はすっかり忘れてしまいました。 でも、これは、私のところにないと、いけないのです」
「……そうかよ。 良かったな。 オマエの部屋にこいつを置いとくぞ」
はい、と幽霊は頷く。
実体のないそれは、はらはらと、やはり実体のない涙を流していた。
話が終わったようだと確認したフーガは、階上へと向かうクウハについていく。
「……どうだった?」
「泣いて喜んでいたが、記憶がないようでな。 なんでこいつが大切かは分かってねぇみたいだった。 トラップについても、あれは覚えてねェ状態だったんだろうな」
「記憶がないのに、喜ぶ……」
「変な話だよなァ」
「……うーん。 多分、それは、きっと、それほど――……」
たましいとか、そういう根っこに刻まれるほど『大切なもの』なのかも。
そうフーガはこぼした。
●
その家は昔、軍事関係に務めていた家だったらしい。昔、といっても太古といっていい話だ。
優れた軍略を巡らせる家長は重宝され、領地の小競り合いで活躍した。
嫉妬のある人間が難癖を付けて人を貶めるというのは大なり小なりある話だが、それに漏れずこの家は優秀過ぎたがあまり恨まれる羽目になってしまった。暗殺をおそれ、優秀な家長はこの家を守るために侵略者に対して準備を開始した。
しかしそれでも、一族郎党は殺された。
そして、時代の流れと共に、長大な時間の中ではそんなごくごく小さな小競り合いのことは忘れられて、今に至る。
そんな時間の流れのせいで、家長だった男は、すっかり、娘のことを忘れて、ただ『大切なもの』の記憶だけを残して、森の洋館へとたどり着いた。
こんなことを、『大切なもの』を取りに行った二人は、知る由もないが。
父に向けて作った、しあわせを願うためだけの、ごくごく簡単なネックレス。
これから大変になるから、と宝箱に父がしまって、それっきりだったもの。
届いたかな。届いたんだろうな。
少女の笑みは、咲くように。
ただ天へ還って行った。
おまけSS『「言葉を尽くすことしかできませんが」』
「ありがとうございます。 ええと……本当にこれがどういう風に、大切だったものかは覚えていないのです。 折角とってきてくれたのに、申し訳ない……。 ただ、私は、これがないと、いけないのです。 欠かしてはいけない私の大切な何かなのです。 これがなければ、私の心の何かは、欠け続けるままな気がして。 いつか、これが、どういうものだったか思い出す時に、私は苦しむかもしれません。 私はもがくかもしれません。 でも、傷を負っても手にしていなければいけないものは、あると思っていて。 だから……本当に、ありがとうございます。 私の生はとっくの昔に終わって、こうして幽霊としてさまようことしかできません。 ですから、クウハさん。 貴方が私の言葉を解し、私という存在に寄り添ってくれたことに感謝いたします。 そして、フーガさん。 貴方が人生という短くも長い旅を歩み、終える時、どうか心に沢山の『大切なもの』が残りますよう」