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極星の灯る日。或いは、嵐の過ぎた日…。
登場人物一覧
●港の名前
夏の終わりの嵐が過ぎた。
発展途上の港町にも、嵐は容赦なく襲い掛かる。何しろ相手は自然災害だ。平穏を望む人類種族の希望など、考慮に入れてくれるはずもないだろう。
人の文化は、人の街は、そして時に人の命さえも、自然は奪い去っていく。
そして、その度に人は立ち上がり、乗り越えて来た。
「……食糧倉庫の1つが被害を受けたか。野菜や果実の倉庫だな」
街の住人たちからあがった報告書を手に、ジョージ・キングマン (p3p007332)が呻き声を零した。
執務室のデスクに腰かけたまま、もう数時間も次々と送られてくる書類に目を通し続けているのだ。その証拠に、ジョージの前にはすっかり厚くなった紙束と、吸殻が山と積まれた灰皿があった。
「……換気をするぞ。煙たくて、これでは仕事にならん」
部屋の入口で声がする。
眉をしかめたラダ・ジグリ (p3p000271)は、口元を手で覆ったまま窓へ向かって直進した。部屋にある窓は2つ。その両方を全開にして、充満する紫煙を外へと逃がす。
「っと、悪いな。なかなか頭の痛い状況でよ」
報告書を机上へ投げ出し、ジョージは椅子に背を預ける。それから、吸っていた煙草を灰皿に押し付け火を消すと、一杯になった灰皿の中身をゴミ箱へと捨てた。
デスクの隅に置かれていた煙草のケースへ手を伸ばし、ジョージは小さな舌打ちを零す。
煙草の残りは1本だけ。
買い置きも切らしていたことを思い出したのだ。
「まぁ、そろそろ休憩に行こうと思っていたところだ」
少しの間の迷いを見せて、ジョージは最後の煙草を咥えて火を着けた。
紫煙をゆるく燻らせながら、窓際へと近づいていく。
「その様子だと、状況はあまり良くないか」
窓の外へ視線を向けてラダは問う。
ジョージは、紫煙を肺いっぱいに吸い込んで、溜め息をひとつ吐き出した。
「建築や改修の途中だった家屋は、大なり小なり被害を受けたな。それと、古い建物を流用しているせいで、壁や屋根が破損したという報告もある」
「そうか。だが、まずい状況だな。うちの商会も多少の被害を受けたので、物資の取り寄せには時間がかかるぞ」
「あぁ、仕方ねぇさ。海路で運ぶのも……波が収まるまでは難しいか」
窓からは海の様子が見える。
嵐は去ったが、まだ風は強いし、水量も増していた。波が高く、もう数日は船を出すのも難しいだろう。
「嵐の到来はチィが予想していたからな。不幸中の幸いというか……人的な被害や、建造途中の船などに被害は出ていない」
「自然災害はどうにもならないからな。人的な被害が無いのなら立て直しは可能だろう。だが、食料の方は?」
視線をデスクへと向けてラダは言う。
デスクの上には、先ほどジョージが見ていた資料の束がある。部屋に入って来る時に、ジョージの独り言を聞いたのだろう。
「野菜や果物の被害が酷い。暫くの間は、保存食で凌げるだろうが……ビタミン不足は深刻だ」
「船乗りの病……壊血病と言うんだったか?」
家屋や資材への被害と、食料の損耗。
大きな嵐が過ぎたにしては、問題は軽微なものと言える。人の命は無事なのだから、その程度の被害は許容すべきなのだろう。
2人の表情は暗い。
頭の中で算盤を弾いた結果、あまり好ましくない数字が弾き出されたらしい。
海路が開ければ、この程度の損失はすぐに取り戻せるが……だからと言って、不要な出費を歓迎できるほどに懐が暖かいわけではない。
「……あぁ、執務室で頭を抱えていても事態は好転しないな。煙草を買いに行くついでに、街の様子を見てこよう」
そう言ってジョージは、最後の煙草を吸いきった。
ゆらり。
紫煙が、赤く染まった西の空へと流れていく。
●星が降る夜
嵐が過ぎるまでの数日、ラダは都市で足止めを喰らった。
嵐が過ぎてすぐに、自身の商会へ指示を出してから、急ぎ港へ駆け戻った。
道中、幾つかの集落や街を通過したが、どこも大なり小なり嵐の被害を受けていたように思う。それと比べれば、港町の受けたダメージは極小規模とも言えるだろう。
もっとも、それは今段階での話だ。
嵐による食糧や作物、物資の運搬への悪影響。それにより人々の生活への影響と、食糧難などによる治安の悪化。
今後予想される、頭を抱えたくなる出来事は多い。
「街の防衛を強化する必要があるか? 付近の盗賊たちが、食料を求めて流れて来るかも知れない」
つい最近、自身の領地に流れ込んできた難民や奴隷たちの存在を思い出し、ラダは苦い顔をする。
元々、廃墟と化していた港町だ。
防衛にまで手が回っていないのが現状である。
「住人が増えれば、そう言った部分を担う者も増えて来るだろうが……そうだな。暫くの間は、住人たちに一ヶ所で纏まって生活するよう指示した方がいいかもしれない」
嵐の影響で、街の通りにも木材や瓦礫が散らばっている。
片付けを含めた復旧作業と、限られた食料の効率的な配給などを考えれば、仮説の居住区を建築した方がいいかもしれない。
なんて。
すっかり暗くなった街を歩きながら、ラダとジョージは言葉を交わす。
付近に人々の姿は見当たらない。
各自の家で、嵐の被害を確認しているのかもしれない。
或いは、日中に被害の確認を終えて、今日は早めに休んでいるのかもしれない。
「被害状況は概ね報告書の通りで間違いないようだな。……って、煙草屋が閉まってるじゃないか」
「街がこの状況では仕方あるまい。それと煙草屋ではなく“嗜好品屋”だ」
売っているのは、煙草や酒、カードや遊戯盤などの嗜好品や娯楽品の類だ。港の開拓作業を行う上で、必要無いと言えば必要の無い分野の商品ではあるが、ジョージの申請により用意された背景がある。
曰く「仕事だけしていると、仕事の効率が悪くなる」とのことらしい。
もっとも、ジョージにそれを申告したのはペスカと言う若き旅の弁士だそうだが。
「店の窓が割れてるな。これじゃあ、酒好きたちが悲しむ……ん?」
「酒や煙草が無くなっているぞ? 既に盗まれた後……と言うわけでもなさそうだが。心当たりはあるか、ジョージ?」
店の中を覗き込み、2人は揃って首を傾げた。
ラダの言う通り、店内に並んでいたはずの酒や煙草がすっかり無くなっていたからだ。嵐による被害はあれど、人の手で荒らされた痕跡は無い。
つまり、嵐が来る前に、何者かが店の商品を何処かへ移動させたということだ。
「あぁ、店の商品を探してるんすか? それなら、エヴァン教授の研究室に運び込んでるよ。何でも強度に不安があるってんで、嵐の前日から近隣住人総出で運び出したんだ」
困惑する2人に声をかけたのは、ランタンを手にした若い男だ。
確か、アスクル学者団の学徒だったか。その腰には、1本の剣が下げられている。
「……その武装は?」
剣を一瞥し、ラダは問う。
背負ったライフルへ手を伸ばしたのは、万が一に備えてのことだ。
火事場泥棒と言うのが、この世には存在するのである。
ラダの視線に気づいたのか、学徒の青年は剣から手を離して笑った。
「あぁ、この剣っすか? 俺はあまり腕っぷしには自信が無いけど、護身程度の技は使えるんでね。これ、剣の形をしているけど魔杖と同じような性能なんっすよ? すげぇでしょ?」
「つまり斬撃に魔術を乗せて撃ち出すってことか? あぁ、いや、今はどうでもいいことか……何だって、武装してうろついてる?」
トラブルの気配を感じたのか、ジョージは僅かに顔を曇らす。
けれど、青年は肩を竦めてくっくと笑う。
「盗賊共が来るかも知れないって言うからさ。各地を転々として来た中で、こういう時の対処法も身に着いちまったんで心配はいらねぇっすよ」
ほら、と。
青年は通りの奥を指さした。
目を凝らせば、暗がりの中や高所には、点々とランタンと灯が見える。
「せっかく手に入れた安住の地を奪われたくないからな。指示を待ってちゃ後手に回るんで、勝手に進めさせてもらったが……何か問題あったかな?」
問題などあろうはずもない。
立ち去っていく男の背中を見送って、2人は肩を竦めて笑った。
どうやら2人が思っていたよりも、港の住人たちはタフで強かだ。
点々と灯るランタンの明かりを目印に、ラダとジョージは街を行く。
向かう先には、夜だというのに煌々とした光が見えた。
それはどうやら、魔術で灯された光のようだ。強い風に揺れることなく、まるで夜の星のように、住人たちに向かう場所を示しているのだ。
「昔の船乗りは、船に星見屋を乗せていた」
ポツリ、と。
ジョージはそう言った。
「航海の時、方角を知るために星を見ていた。季節によって、見える星が違うんだ。星見屋は時期ごとに空に見える星のすべてを把握して、自分たちが今、どこを航海しているのかを知るんだ」
見渡す限りの海の真ん中。
辺りが闇に包まれた時、人は大きな不安を抱える。
このままどこにも辿り着くことが出来なかったら、2度と陸に戻れなかったら。
そんな不安を掻き消すために、人は星に望みを託した。
「いつだって星はそこにあって、我々の旅路を照らしてくれる。砂漠の旅も似たようなものだ」
研究室の光を見上げ、ラダは答えた。
鼻腔を擽る暖かな匂いと、誰かたちの笑い声。
嵐を超えた直後だというのに、既に笑顔を取り戻しているのだ。
限られた物資と食料を持ちより、それぞれが自分の出来る仕事に取り組んでいる。
「嵐程度で、俺たちが足を止めている時間は無さそうだ」
「あぁ、まったく……置いて行かれないようにするのも大変そうだ。航路の開拓も急いだ方がいいな」
なんて。
2人は笑った。
「極星……ポールスターと言うのはどうだ?」
「あぁ、いいんじゃないか。それで行こう」
“何が?”と、ラダが問うことは無い。
嵐が過ぎて、数日ぶりに夜空が見えるこの日、港の街“ポールスター”は産声をあげた。