PandoraPartyProject

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そして新たな春が来る

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登場人物一覧

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚
ロジャーズ=L=ナイアの関係者
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ロジャーズ=L=ナイアの関係者
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ロジャーズ=L=ナイアの関係者
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 からからと車椅子を押すのは赤城ゆい。芸術家だ。
 愛しい先生――オラボナ=ヒールド=テゴスにすすめられてお見舞いをしに来た。のお見舞いに。
 季節は巡りまわってもう4月。避けられない新学期。
「困ったにゃあ、萌黄がいないなんて学校も面白くなくなっちゃうし」
 からからと回る車いすの車輪。緩い。
 ぼんやりとした様子でただ地面だけを見つめる萌黄の表情に感情はなく。もごもごと口を動かしていることだけは確かなのだけれど、聞き取れそうにもない。
「早く治して学校に戻ってきてね。じゃないと退屈で寂しいんだもの」
 ゆいのようでゆいではない。だけれどこの赤色の怪物をゆいだと思わなければどうにかなってしまいそうで。冷静に動き続ける頭が、それを口にして逃げろとも聞けとも伝えられないこのからだが、今は憎い。衰弱していくだけの体、終わりを待つだけの人生。どうしてこうなってしまったのか。すべてすべてあの「せんせい」のせいであることだけは間違いのに。
 何が起こったかはいまだに自分の口でも説明ができない。ただつくりかえられた。内側を暴かれたならきっと自分のいびつさが露見してしまうのだろう。それは悲しくて切ない。だからこそ耐え忍ばなくては。
(もしここが天国なら)
 まっしろな病室。窓枠にはめられた鉄格子。そういうものなのだと本の中の知識で知っていた。現実はより一層残酷かもしれない。おびえる気持ちがないわけではないけれど、逃れるすべもないのだから大人しく受け入れるほかない。そういうものだ。
 どこからか響くうめき声と泣き声。それをただぼんやり、押される車いすのままに閉じ込められていくことを受け入れれば、乾いた心もどこかで泣き方を思い出せるだろうか。あの日の手ひどい仕打ち以降もう泣き方なんて忘れてしまうほどにこころはひどくすり切れた。
(きっと天国なんて地獄と変わりないんじゃないかな)
 ひどくやせ細った手足ではきっともう立つことも走ることもできない。ゆいの掌を握って逃げ出すことだってできない。
「すみません、ここからは」
「ああ、わかりました。ごめんなさい」
 ナースの静止によりゆいは足を止める。車いすの主導権はナースに握られ、穏やかなテンポだった振動も容赦のないものに変わっていく。
 青い空だとか、そういったものが広がっていればよかったのだけれど。本日はあいにくの曇天で、今にも雨が降り出しそうなほどに空は重々しくて。
「面会とかってできるんですか?」
「はい、申請を行っていただければ」
「わかりました! また来るからね、萌黄」
「ふふ、仲がいいんですね」
「もちろんです! 親友なんです。どんな姿でも」
「へえ。いいですね」
「でしょう! どんな見た目になっても、中身が変わってしまっても、ずうっとずうっと大好きな親友なんです。にゃはは!」
 ある人からみれば能天気だ。大きな事故に巻き込まれた親友を前にあまりにも興味がなさすぎる。
 ある人からみれば残酷だ。親友の姿がひどく変わっていることすらも淡々と受け入れてはつらつと話す。
 ある人からみれば狂気だ。恐ろしいことにかかわってしまったとも考えず、ただにこにこと笑い続けている。
 どうしたらいいのだろう、なんて考えるのはもうやめにした。とっととすべてを治してここから出るほうが先なのだ。
「あ」
 ぽつ、ぽつ、と空からしずくが落ちてくる。頬を濡らす雨はゆいにも萌黄にも等しく降り注ぐ。
「雨だ、萌黄が濡れちゃう」
「傘をとってきますね、少しお待ちください」
 ぱたぱたとかけていくナースを横目で見送りながら、ゆいは萌黄にささやいた。
「ずっとずっと待ってるからね、萌黄のこと」
 にこりとほほ笑む彼女の姿はまるでけなげな親友そのもの。
 けれど萌黄の姿には、作品を完成させたいという芸術家の私利私欲にまみれた願いしか見ることはできなくて。
 ああ、それならばもうあきらめてしまうほかないのだろうか。
 いつだったか名前を呼んでくれたあの子はもういないのに。あがく意味なんてない。
「萌黄? 顔が暗いよ?」
 じゃあ仕方ないなあ、なんてポケットをあさる音が聞こえる。現実を見るのがつらくて。疲れて。目を伏せれば、ゆいはそのすきに頬に何かをつけている。
「これでおっけー!」
「?」
「ふふ、花丸書いたんだよ。ほら」
 頬に書かれた乱雑な渦は花丸。赤い花。
 ああ、そうか、と。
 きっと中身は変わってしまっても根本は変わっていない。彼女はゆいではないなにかで、けれどゆいなのだ。
 ならば諦めることなんてできそうにない。ゆいを救うのは自分に課せられた使命なのだから。
 口角を上げることすらもできないけど。ゆいの瞳を真っ直ぐに見つめた萌黄。まだ終わりではないのだ。
 絶望的な結末を迎えてしまったけれど。一度終わってしまったのならまたやりなおせる。そう信じて。
 傘を持ったナースに連れられて病院へと入院していく萌黄の姿は、とても小さく見えた。
 目を閉じれば今でも思い浮かぶ。
「よく来たな、山下萌黄」
「ゆいに何をしたんですか、先生!」
「――貴様、素敵な貌だ」
「は……?」
「――我等が主人公の如く、此処まで話に入り混むとは」
「な、何を言っているんですか」
「貴様のことだ。山下萌黄」
「わけがわかりません。伝わるように説明してください!」
「まぁいい。貴様は知りたがっているのだろう? 私が赤城に何をしたか」
「なっ――認めるんですか?」
「ああ、この際だからな。貴様は期待以上だ。貴様は、知りたいのだろう?」
「ええ、萌黄にもしちゃうんですか?」
「ゆい、来ないで!」
「萌黄、怒っちゃだめ。スマイルだよ、にゃはは!」
 恐ろしいことだった。
 それでも後悔なんてありはしないのだ。
 ゆいが壊れ切ってしまうその前に止められた。それがどれだけ誇らしいか。
 だから。だからこそ。もう壊れないで、と祈ることしかできない。
 萌黄の壊れ切った身体ではもう、ゆいを抑えることなんてできはしないのだから。
 振り返ることもできない萌黄は、ガラスの反射にうつるゆいをみる。
 それは人の形をしたばけもののようだった。笑顔なのに、黒い靄が見える。
(あれ、おかしいな)
 ゆいって、どんなひとだったっけ。
 もう思い出せないのに。どうして私、すがりついているんだろう。


 いつも通りの毎日。
 いつも通りの人生。
 保健室にやってきた生徒の手当てをして、気を付けてね、だとかなにがあったの、だとかそういったやりとりをして今日を終える。
 これといった変化のない退屈で変わり映えしない毎日に満足していた。満足していたのに、かわってしまった。
 惜しいわけではない。もう失ったものは取り戻せない。大人になるとはそういうことだ。何かを妥協して、何かに見切りをつけ、適当に、けれど自分に損失のない範囲で楽しく生きていく。
 だから美術部顧問のことはいまだに警戒せざるを得なかった。それから、救えなかった生徒のひとりも。
 どうして、と嘆くことはない。もうどうしようもないことだとわかっているから。
 たすけて、と叫ぶこともしない。大人で保険医である自分が助けられないのに、だれが助けられようか。
 授業が始まるまであと少し。ベッドを整えて、いつだって体調不良の生徒を迎えられるようにして。
 あとはお気に入りのミルクティーでもいれて、のんびりと事務作業を片付けて。なんて考えて。ため息をつきながらお茶菓子を用意するのは、あと少しすれば保健室登校の赤城ゆいがやてくるからだ。
 あの子が「ああ」なってしまってから、すべてが狂い始めたように思う、なんて考えるのは憶測にすぎないだろうか。
 そもそもあの子は目立つほうだった。良くも悪くも。いわゆるギャルだとか一軍だとか、そういうタイプだったはずなのに。
 長い髪もばっさり切って、あんなに能天気になってしまって。もちろん素行不良がなくなったのはいいことなのだけれど、不安定さが目立つようになった。例えば狂ったように赤を愛したり。異様なほどに軽い体重だったり。どうしたらいいのか、わからないことだらけだ。
「生徒のケアは担任のつとめでもあるのに……もう」
 困ったことに押し付けられたようなものだ。どうしようもないのに。担任のほうが彼女のことを知っていたのは間違いないはずなのに。
 何かあるとすぐ保険医のせいにする、なんてひとりごちたところでしょうがない。彼女を受け入れたことは事実。彼女がおかしいのも事実。ならばケアして元通りとはいかなくてもせめて少しでもいい方向へ導きたいと願うのは、生徒のためではなくて自分のわがままになってしまうのだろうか。
 学生時代が一番楽しいのだ。だからこそ少しでも楽しめる可能性は残してあげたい。残せるように、保険医がいる。
(とはいえ肝心の私が苦手意識をもってちゃいけないんだけどね)
 ミルクティーがやけに甘い気がする。いつも通りの作り方なのに。
「おっはようございまあーす」
「おはよう、赤城さん。今日も元気ね」
「でしょでしょ! 教室登校も遠くない気がする」
「ま、もう少し様子を見てからね。最近ご飯はたべてるの?」
「ご飯? んふふ」
「まったく!」
 はぐらかすように笑ったゆい。これもいつも通りになってしまったやりとり。ゆいは食事をしない。というより、食事姿を見せない。勿論食べることもあるのだけれど、食事姿を見せたくはないらしく、カーテンで仕切ったり机の下で食べたり保険医を保健室から締め出したりとやりたい放題なのだ。
 しつこく食べるように言ったから今ではなんとか食べてくれているものの。あの時体重を確認した自分をほめたたえたとて誰にも文句は言われまい。困ったことに食べてもらえないなら食べさせるか点滴か、あるいは入院か。こんなにも意思疎通は問題ないのに不健康になっていくならば様子をみなければいけないのだ。
 親の虐待、はたまたネグレクト。親が夜逃げをしていたら食事処ではないだろうし、保護も含めて保健室で観察をして。
「ね、せんせー。授業に行っちゃだめ?」
「うーん、まだかな」
「そっかあ」
 それにゆいには精神の若返りもみられた。子供っぽくなったのだ。
 まるで幼稚園児のような思考をすることが増えた。会話も幼く、だからこそ読み取りやすくて予測もつきやすいのだけれど。
 そんなゆいを見守りながら仕事をするのは悪くない。けれど衰弱したからだであること、親友の事件のことも考えるとやはり素直には受け止めづらいのが恭子の心情であった。
 そしてゆいがなついている先生。オラボナ=ヒールド=テゴスあらため、ロジャーズ=L=ナイアにも関わらせたくはない。そのために保健室にいてくれるのならある程度のことを許容していた。
 理科室でもないのだから危ないものもあまりない。鍵をかけておけば安全だから。
 ロジャーズに話を聞いてもあまり理解が出来なかった萌黄のけがのこと、事件のこと。あれは人為的に行われたものでなければ説明がつかないはずなのに。
 お気に入りの定規を萌黄にいれたと語るゆいの口ぶりからもそうだ。彼女の不幸な事件にはいろいろと説明がつかないことが多すぎる。だからこそゆいとロジャーズを引きはがしたのだが。

 思い浮かべたのはあの日のだれかの後悔。

 ごりごりと聞いたことのない音がする。次に目をさますとき私は『どうなっているんだろう』?
 せんせーは優しいからなんだかんだ手を貸してくれる。私がわからないっていったら手伝ってくれる。あはは、せんせーはやさしいな、にゃはは。
 ふわっとした浮遊感の中で血の気が引くような、なにか大切なものが消えていくような感覚がする。まあ別になんだっていいんだけど。
 それにしても授業中に寝ていいなんてせんせーは太っ腹だなあ。まあ放課後の特別授業だし。そういうものなのかな。

 思い浮かべたのはあの日のだれかの決意。

 「このビデオを見ているあなたへ。
 ……いや、このビデオはできれば自分で回収して笑い話にしたいな。それからどれだけ不安で怖かったかも、なにもかもを嘘にして、ただのお遊びだったんだって思いたい。
 私の名前は山下萌黄。ただの普通の女の子。なんてね、そんなことはないんだけど……人よりスクープが大好きな新聞部員、なんてね!
 まぁ、さっそく本題。
 私の大切な友達だったゆいが少しずつ壊れてしまったの。変わった、それならよかった。でも――――――」

 思い浮かべたのはあの日のだれかのため息。

 ○月×日
 
 早退

 名前:赤城ゆい
 症状:貧血、吐き気
 体温:35.7℃
 来訪時間:9:40

 思い浮かべたのはあの日のだれかの叫び。

 嗚呼ひどいノイズだこと。雑音だこと。先生のれくちゃあ、つまりは特別授業は続く。いつになく真剣な筆。握られた数はひいふうみいいつむうななやあここのつとお。あれ、おかしい、手の数と合わないような。まあいいか。
 ぴちゃぴちゃぐちゅぐちゅごりごりざくざくにゅぷにゅぷずるずるごとり。
 聞き取れる音は彫刻だというにはあまりにも水分を含んだBGM。先ほどまでは私の一部だったはずなのに、今となっては美しき臓物パレット絵の具どれにも当てはまる!
 闃ク陦灘ョカ(私には理解できない音と周波数とその他もろもろの口の動きで構成されている音!)の彼女が作るものは芸術。芸術とは爆発だと誰かが言ったらしいけれど、あいにくその芸術を実行する前に私は死んでしまうのかもしれない。
 理解不能。理解不要。
 言葉など存在しない。その芸術はあるがままに存在する。
 私の為に作られたというその芸術はすなわち冒涜。私の為に作られたという彫刻は即ち暴虐。赤と白で生まれたその芸術に私は涙し、魂を握られ、そして意識を暗転に沈めた。

 思い浮かべたのは。

 このビデオを見ているあなたへ。
 ……いや、このビデオはできれば自分で回収して笑い話にしたいな。それからどれだけ不安で怖かったかも、なにもかもを嘘にして、ただのお遊びだったんだって思いたい。
 私の名前は山下萌黄。ただの普通の女の子。なんてね、そんなことはないんだけど……人よりスクープが大好きな新聞部員、なんてね!
 まぁ、さっそく本題。
 私の大切な友達だったゆいが少しずつ壊れてしまったの。変わった、それならよかった。でも、壊れた。変わったじゃない。壊れた。だから私はそれを調べたい。
 もちろんただの興味だけじゃなくて、それ以上に、あの子が大切だから。興味本位で首を突っ込んで良いような案件じゃない。そう思っているの。
 だから……私は、ゆいを救う。
 じゃ、このビデオを見つけるのは私だけでありますように。

 いくつもの物語があぶくのように浮かんでは消えて。
 きらりと光ったカッターナイフはいったい誰のものだったっけ。
「白石せんせ?」
「うん? どうしたの?」
「頭の中から、萌黄の思い出が離れないの」
「いいことじゃない。でも悲しそうね」
「うん。萌黄が泣いてて」

 がたん、と大きな音が鳴る。くるくるくると回る視界は眩暈よりもずうっと過剰。
 くらくらするような世界のなかできゅいんと唸るはチェーンソー。
 叶わなかった勇者ごっこ。さようなら、愛しいゆい。

 それは。いつかの断末魔。

「……わかんない。なんでこうなっちゃったんだろうね、にゃはは」
 乾いた笑顔。眦から零れ落ちるのは赤い涙。
 あの日の対応に間違いなんてなかったはずなのに、それなのに不安になってしまう。

「ちょっ、ちょっと、それって……」
「萌黄が!! 先生助けて!!」
「何があったんですか……!??」
「電動ろくろが降ってきてな、まるごと下敷きだ。止血はしたが解らん」
「早くこちらへ!」
 ――白石恭子。保険医の名前。
 鍵と共にちゃりんちゃりんと揺れる名札はじんわりと赤に染まる。
「せんせー……」
「いや、大丈夫。あれは成功だ。……心配いらん」
「すみません、先生は状況の説明をお願いしたいので救急車に同行いただけますか。赤城さんもありがとう……なにか困ったことがあったら教えてね」
「ふむ、構わん。ついていこう」
「はい!」

 それ、なんて呼んでしまったことだけが後悔だろうか。
 でもぺちゃんこになって、いびつで、人の形すらしていないものをどうやって人と呼ぼうか?
 泣き出したゆいをたしなめる恭子の掌。真っ白なティッシュはだんだんと赤く塗れ、まるで先行きの見えない花曇りの空のよう。
 窓の外でひらりとゆれる桜はまるでエピローグ。
「うん、すっきりした!」
「よかった。萌黄ちゃんのお見舞いも、また行くのかしら」
 つぶやいた恭子にゆいは首を傾げた。
「え? もう行かないに決まってるじゃん。だってあれはもう完成してるんだから!」

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