SS詳細
無敵の才能
登場人物一覧
●世界消灯
揺れる安楽椅子。毛糸を編む老婆。ぱちぱちとはじける暖炉。
粗末な服を着た男性がすぐそばに腰掛け、震える手でマグカップを掴んでいた。
「そう不安がるものではありませんよ」
老婆が呟き、ぎしりと安楽椅子を傾ける。
男は『そうは言っても』と小声に出してから、カップを膝に置いた。
「あれは、まだ小さな子供じゃあないですか。本当に大丈夫なんですか」
「ええ、確かにあの子はまだ十代の子供。けれど」
毛糸を編む手をまるで止めること無く、老婆は小さく笑って言った。
「教えるべきことは、すべて教えましたから」
煤だらけのアスファルト道路に無数の新聞紙が転がっている。
『1999年7月――』『南米ボリビアに発光物体が墜落し――』『あらゆる電子機器が機能を停止――』『暴徒が増加――』『ボリビア暴徒に共通した病原菌が検出され――』『精神異常をおこし空気感染も――』『ネメシス症候群と命名――』『感染規模が拡大――』『アメリカ国境封鎖か』『グリーンランド貿易停止』『南米人口――計測不能により――』『非常事態宣言を発令――』『避難民の受け入れに政府は――』『隔離施設が襲撃にあい――』『特効薬の開発に失敗――』『――2月14日、日本は国境封鎖を決定。感染者の特定と隔離を実施し――』『政府官邸炎上――』『難民の皇居収容を――』『パンデミック拡大――』
風に吹き飛ばされていく新聞紙。
長く伸びるアスファルト道路の先には、へし折れた東京タワーと燃え上がる家々があった。
スニーカーにはりつく新聞紙の切れ端をひろいあげる、ひとりの少年。
長い黒髪にあどけない顔。少女にも見まがう服装。腰に下げたホルスターにアンティークリボルバー。後ろ腰に固定されたもう一丁の拳銃。
小さなリュックサックに新聞紙を詰め込んで、少女は顔をあげた。
人々は彼――もとい『彼女』のことを、一度見れば忘れないだろう。
美しい顔立ちも、無骨な拳銃も、すべてかすむほど。
こんな世界にあってなお、色あせぬ、その笑顔。
「よし、っと」
折れ曲がったタワーを、まるでピクニックにでかける少女のような笑顔で見上げ、彼女は――七鳥・天十里(p3p001668)は歩いて行く。
●無敵の才能
にっこりと笑う少女。
そう、あえて『少女』と明記しておこう。
天十里はリュックサックを背負い直し、自分の倍ほどの背丈がある男を見上げた。
相手は裸に直接革のノースリーブジャケットを羽織った巨漢である。耳や唇や鼻にピアスリングを通し、頭髪を右半分だけそり込んで残りを金と赤に染めていた。
「なんだァ? テメェ。ここが小学校か学習塾にみえんのかよ?」
「んー、見えないっ。おじさん、先生って顔じゃないもんね」
「分かってんなら――」
「ねえおじさん」
面倒くさそうに追い払おうとした男に、天十里はつま先立ちになって僅かに顔を近づけた。
「町の人から奪った食料と水を返して?」
「――」
男の顔が醜く歪む。
と同時に、近くに座り込んでいたパンクファッションの男や顔を白と赤に塗りたくった男が近づいてくる。
彼らに三方向から囲まれた状態で、しかし天十里はにこにことしたまま言った。
「……って、ここで一番偉い人に言いたいんだけど、通してくれないかな?」
「嫌だと言ったら?」
「無理矢理通して貰うことになっちゃう」
トン、と腰の拳銃を中指で叩いてみせる天十里。
男たちはドッと笑い出した。
ひとしきり笑った後、開いた手を掲げた。
「おもしれえ冗談だが、ここじゃあ通らねえなあお嬢ちゃん。ま、痛い目にあって勉強していけや。学校じゃねえけど俺らが手取り足取り教え――」
天十里の肩を掴もう、としたその瞬間。
空気がかき混ぜられたかのように風がうごき、天十里の身体が男の側面に移動していた。
空振りした腕。
脇の下に押しつけられる銃口。
「なっ――!?」
銃声と同時に天十里はスピン&スウェー。腰の後ろからもう一丁の銃を抜くと残る二人の男の死角に滑り込んで三発。足と腰と頭にそれぞれ打ち込んだ。
「が、ふ……」
声もなく崩れ落ちる二人の男。脇腹を押さえてうずくまる巨漢に、水平に構えた銃を押しつけて……天十里はにっこりと笑ってみせた。
「もう一回言うね? ここを通してくれないかな?」
マンションの通路を駆け抜ける。
――あの子は無力な少年でしたが、才能のある子供でした。
鉄パイプや包丁で武装した男たちが各部屋から飛び出す中、通路の壁をジグザグに跳ねて頭上をとり、銃撃を入れながら駆け抜けていく。
――だから私は、もてる技術の全てをあの子に教え込みました。
階段前で壁に背をつけて拳銃を握っていた男が顔を出そうとした瞬間、天十里は身体を大きくひねって空間を銃で薙ぎ払うようにしながら発砲。
回転と空気抵抗が絶妙に絡み合い、放たれた銃弾がカーブを描いて壁の先の男へと撃ち込まれる。
倒れた男をぴょんと飛び越えて、天十里は階段を駆け上がった。
――現代総合銃器格闘術。きわめて効率的に目標を沈黙させるためのシステムです。
ドアノブが銃撃によって吹き飛び、開いた扉を二丁拳銃で武装した天十里が駆け抜け……ようとした途端、銃声と共にひっくりかえった。
「痛……た……」
胸に手を当てる。
べっとりとついた血液に、目を細めた。
部屋の奥では、ソファに腰掛けた白服の男が拳銃を手にニヤリと笑っている。
「ここまでこれたのは、まあ、褒めていいが……ここまでだな」
一方、暖炉の前で老婆と男が向かい合う。
「あの子は、銃の才能があったのですか?」
「いいえ? とんでもない」
老婆はくすくすと笑った。
「あの子に銃の才能なんてこれっぽっちもありません。運動は苦手。学力は中の下。顔立ちはいいですが体つきは戦闘にまるで向いていません」
「では、一体何の……」
天十里は顔をぬぐって、そして身体を起こした。
――笑顔を失わない才能です。
目を見開く白服。次の銃撃を行なうより早く、彼の額には穴が空いていた。
――あの子はどんなに過酷な状況でも、笑える余裕をもっています。
――それはつまり、『絶対に諦めない才能』です。
●天十里、その未来
包帯だらけになりつつもにこにこと笑う天十里。
「ごめんなさい、師匠。失敗しちゃった」
「全く、本当にあなたは失敗ばかりですね」
「えへへ」
はにかんだように笑う天十里に、老婆はつられたように笑った。
「ああ、そうだ。あの人に大事なことを言うのをわすれていたわ」
「?」
天十里は首を傾げたが、老婆はそれ以上言わずに燃える暖炉を見た。
――笑顔を忘れない者は、誰かを笑顔にできるものです。