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揺らぐグラスのアクアマリン
登場人物一覧
希望ヶ浜駅。AM10:15――
普段は戦闘ばかりで余り気遣うことはないけれど、出掛ける約束をしたのだから少し位はお洒落に気を配ろうかとサクラは髪先をくるりと指先で弄った。
折角だからと親友が丁寧に塗ってくれたネイルは剣の練習で傷付いて仕舞わぬように気をつけた。少し大人びた印象を与えたいのだとリクエストすれば夏らしいアクアマリンが指先を飾ってくれている。『蝉の鳴き声も煩わしく感じられる夏』を演出する練達のセフィロトドームは其れが人工のものとは思えぬほどに精巧に日本の四季を演出していた。
汗ばむ陽気を感じながらビル街の喧噪を眺めるサクラの背中へと「お待たせしましたか」と落ち着き払った声音が響く。振り返れば、紙袋を一つ手にした晴陽が立っていた。
「ううん、全然。ちょっと早く着いただけだし」
「それなら良かったです。7月にもなると夏本番を感じますね。
……お誕生日おめでとうございます。幾許か遅れてしまいましたが今日は私に任せて頂けるようで」
「晴陽ちゃんのエスコート楽しみにしてたんだ」
よろしくねとサクラが微笑めば晴陽は――少しばかり自慢げに表情を変化させたのは今日はサクラでも良く分かった――胸を張って頷いた。19歳だった少女にとって大きな変化は『20歳』、つまりは大人の仲間入りを果たすという事であった。7月1日の誕生日を迎えて成人を果たすサクラを晴陽は妹のようで可愛らしいと評価していたのだ。
勿論、それがサクラを子供扱いしているという訳ではない事はサクラとて重々承知の上である。晴陽は彼女の弟よりも年下に当たる存在を可愛くて堪らない弟同様に庇護する対象として認識しているのだ。サクラは晴陽の弟・龍成より幾らか年下だ。それ故に可愛い妹枠になったのだろう。そんな『可愛い妹』の成人祝いを晴陽が自らしてくれるらしいのだ。
「何処に行くの?」
「そうですね。メインは夜にとっておいて――まずはデートでも如何でしょうか?」
晴陽からその様な言葉が出るとは思って居なかった。サクラはぱちくりと瞬いてから「勿論!」と頷いた。イレギュラーズ達と関わるにつれて少しずつ気軽さを手にれつつある晴陽の様子にサクラも何処か嬉しくもなる。僅かな微笑を見せてくれるようになったのは信頼によるものなのだろうか。
「何処に行くの?」
「そうですね……実は、個人的に行きたかっただけなのですが動物園に付き合ってはくれませんか?
カピバラの『あんこ』さんの赤ちゃんが公開を開始したのです。ランチも園内で済ませましょう。その後は『お楽しみ』と言うことで」
サクラは『お楽しみ』に関して見当がついていた。行きたい場所はあるかと希望を確認された際に「お酒を飲んでみたい」と応えたのだ。
折角成人するのだから『お姉さん』にはお酒のレクチャーをして貰いたいものである。年上のイレギュラーズ達に指南を頼むのは勿論だが、晴陽と出掛けるならば酒の一杯を酌み交わすのだって屹度、良き経験になる筈だ。
まずはそれまで一寸した非日常を楽しもうという事なのだろう。aPhoneで情報を見るばかりで実際に動物園へと向かう機会は少ないのだという晴陽はサクラが嫌でなければ是非と期待に満ちた眼差しで見遣る。
「それでは、参りましょう。サクラさんにひとつお願いがあるのですが」
「どうしたの?」
「『あんこ』さんの赤ちゃんの名前を考えましょう。私的には『つぶたろう』か『みたらし』なのですが」
サクラは晴陽のネーミングセンスに首を捻ったが――面白いからそれはそれとして良いかと何となく納得した。
休日を避けてきたこともあり、動物園はそれ程混雑していなかった。園内では夜行性の動物たちが転た寝をし、日中から騒がしい猿と鳥たちが大合唱をしている。
動物園ならではの匂いを感じながら晴陽と園内マップを覗き込む。お目当てのカピバラには平日でも人が殺到している為、時間指定券が配布されていた。
「ライオンは好きですか?」
「晴陽ちゃんは?」
「私はライオンなどよりかは小さな動物の方が好ましいですね。ふれあい広場なども楽しいかと思います」
犬や猫は飼いたかったそうだが多忙のために関わる機会もなく大人になってしまったと晴陽は肩を竦めた。
医者になるべく奮闘し、医師であった父の厳しい教育を受けながら夜妖の専門医師として10代の頃から共に診療に関わっていた。
「犬とか猫、飼いたいの?」
「機会があればとも思いますが……世話をする時間も無いかも知れませんね」
うっすらと苦い笑みを浮かべる晴陽にサクラは「忙しいと難しいよね」と頷いた。表情から彼女の感情が読み取れるようになった事はサクラにとっても距離が縮まった気がして嬉しかった。
「今度猫カフェとか行ってみるのも良さそうだよね。希望ヶ浜にあるって聞いたよ」
「是非。一人では猫さんに嫌われてしまうかもしれませんから……サクラさんとご一緒ならば嬉しいですね」
ふれあい広場で動物たちと少し触れ合おうと告げる晴陽のスカートを山羊がむしゃりと食んでいる。思わず固まった晴陽の表情たるや、余りに可笑しなものでサクラはふ、と笑みを零した。
「晴陽ちゃん、ふふ……」
「た、助――」
「ふふ……」
「や、山羊さんです」
困惑している晴陽が動けずに居る事も面白いが、それ以上に困惑と驚愕に満ち溢れたちぐはぐな表情が愉快で仕方が無い。そうして感情を曝け出してくれるのも自身の事を友人だと感じてくれている証拠なのだろうか。動物たちを自由に育てるという日常の演出であれど、晴陽にとっては余りに経験の無い山羊との逢瀬は驚くばかりに失敗に終わっている。
握りしめた人参を早く寄越せと言いたげな山羊に微動だにしない晴陽。その様子を眺めてから「餌をあげればいいんだよ」とサクラは人参を山羊へと差し出した。
山羊の歯形が付いてしまったと唾液に塗れたスカートを眺めて俯いた晴陽は「気を取り直して『あんこ』ちゃんの所に行きましょう」とサクラに手を差し伸べる。
それが手を繋ごうという意味合いなのだと気づいてからサクラはぱちりと瞬いた。友人としての距離感が近い自分自身に合わせてくれているのだろうか。それとも、本当に『妹』だと認識しているのだろうか――晴陽の考えは分からないが「うん」と頷いて握りしめた掌は温かな体温が感じられた。
カピバラ親子を眺めてから、ネーミング募集の箱にいそいそと文字を書いている晴陽の背中を眺める。
確かに、晴陽の『好き』を詰め込んだお出かけだ。晴陽曰く「デートコースにしては子供っぽいかも知れません」との事である。
「晴陽ちゃん、見て。カピバラ……? のようなマスコットが売ってる」
「凄く――凄く、良いですね」
ゆるキャラ、ぶさいくと言っても構いやしないとでも言いたげな絶妙な表情をしたカピバラマスコットがネーミング募集の箱が設置されていた売店で販売されている。
その妙な緩さに晴陽は心惹かれたのだろうか。勢い良く振り向いてから「いりますか?」と問うた。
「え、え?」
「買いましょうか?」
「えーと」
「お揃いで。どうでしょう。可愛いですよ」
お土産にしましょうとウキウキと買い物カゴにマスコットとそのキャラクターの描かれていたクッキー缶を放り込んだ晴陽にサクラはぱちりと瞬いた。
先程まで落ち着いているようにも思えた彼女が興奮を隠さず、ゆるキャラに心を惹かれている。以前、プレゼントしたデスマシーンじろう君のことも大層喜んでいたことを思えば、彼女の趣味はこうした『ゆるくて、変なキャラクター』なのだろう。
そういえば、デスマシーンじろう君に関して晴陽が気になることを言っていたとサクラはふと、思い出す。
――彼女、動いているんですよ。
……其れがどうしてなのかは今は追求しないでおこう。買い物を楽しむ晴陽の背中を眺めながら、何とも潰れ具合が可愛らしいカピバラのマスコットを指先で突いた。
夕暮れ時が近付いてきた頃に動物園を後にして、二人は市街地へと戻ってきていた。
「サクラさん、誕生日おめでとうございます。最後に向かうのは少し縁のあるバーなのですが……。
お誕生日のプレゼントをご準備させて頂いても? それに、山羊さんにもしゃもしゃされましたから。」
「え? あ、有り難う……なんだろ、面と向かって言われると擽ったいね。晴陽ちゃんスカート大丈夫?」
「名誉の負傷です。山羊さんとの関わり方はもう少し研究しておきます」
動物園で購入した土産物のとてもでかくてぶさいくなぬいぐるみを抱えていた晴陽はサクラをまじまじと見詰めてからaPhoneで何処かへと連絡した。流石に名家と知られる澄原家。使用人の一人や二人は居るのだろう。購入した品を一度、晴陽が拠点として利用しているマンションに届けておいて欲しいと託け、カピバラのぬいぐるみと寂寞の別れを終えた後に、サクラを誘ったのは彼女の行きつけのブディックである。
「折角ですからドレスコードも刷新しましょう。洋服も一式プレゼント差し上げたいのですが『重い』と水夜子に叱られまして。
お気に召したのならば買い取りましょう。今はレンタルで、良ければ着心地を確認して頂けますか?」
ブディックに訪れて顔パスで奥の部屋へと誘われた晴陽はサクラをまじまじと見遣ってから店員に何かの指示をしていた。どうやら、サクラと出掛ける為の洋服を準備して欲しいと先んじて依頼しておいたのだろう。オーセンティックバーでの静寂に合うようにと晴陽がサクラに見繕ったのはモノトーンの落ち着いたコーディネートであった。
着替えを促されて、サクラが途惑いながら「どうかなあ」と試着室から顔を覗かせる。何処か気恥ずかしさばかりが付き纏うのだ。
まじまじと眺めていた晴陽はサクラの傍に立ち、じっと彼女を眺める。
「やっぱり、サクラさんにはこの色でしょうか」
晴陽が手にしていたのはブルーのイヤリング。ピアスタイプもあるというシンプルなそれをそっと耳元に当ててから「これは『重たい』でしょうか」と首を捻った。
「ど、どうかな?」
「戦地によく行かれるでしょう。水夜子にも同じようにネックレスを贈ったことがあるのです。『どうか、無事に帰ってきて欲しい』と」
その言葉にサクラははっと晴陽を見詰めた。『澄原』という家を背負う以上、自由に出掛けることはしないと彼女は言っていた。
弟や従妹のように遠くの国への旅行を控え出来るだけ練達内での生活を行って居る晴陽は『再現性東京の住民』では珍しく『外』には寛容だ。
それでも、外に出ない以上はサクラが何処で戦い、何処で傷を負っても知らぬ儘である。故に、サクラの眸と同じ色彩のアクセサリーをお守り代わりのプレゼントにしたいのだろう。
晴陽は本当は武器飾りなどを用意したかったと告げた。サクラは刀を得手としているのだと水夜子に聞いたのだろう。
愛刀にお守りを添えれば、それが折れることなく彼女が凜と戦い続けられるはずだとでも考えていたのだろうか。
「それは又の機会かな」
「贈らせて下さるのですか?」
「こっちこそ。贈ってくれるの?」
喜んで、と晴陽は頷いた。喜ばしそうな彼女が自身も山羊に噛まれたスカートから着替えてくると告げる背中にサクラは「晴陽ちゃん」と呼びかけた。
「服も、イヤリングも、ありがとう。大人っぽくって緊張しちゃうね。……どう? 似合う?」
「とっても。其れを付けて、私とご一緒して下さいませんか――?」
バーに到着し、大人びた雰囲気にサクラは僅かな緊張を滲ませる。
カウンターテーブルに肘をついて身を乗り出してから晴陽はバーテンダーへと耳打ちした。
「誕生日と云うと花言葉に宝石言葉、そうしたものが付随してきますよね。
それで……私は余りそうしたことには詳しくはないのですが、水夜子に聞いたのです。7月1日のカクテルは何かな、と」
バーカウンターをちらりと見上げた晴陽は唇にゆったりとした笑みを浮かべた。事前にバーテンダーにはリクエストしておいたのだろう。
シャンパングラスに可愛らしいパラソルを飾ってバーテンダーがサクラに差し出したのは澄渡ったアクアマリン。
「ブルー・ラグーンでございます」
バーテンダーの言葉に頷いてから晴陽ははた、とカクテルグラスをまじまじと眺めているサクラのかんばせを眺めやった。
「まるでサクラさんの眸の色のように澄んだ色彩ですね」
「……晴陽ちゃんがそんなこと云うなんて驚いたな。まるで口説き文句だよ」
揶揄うようにそう言ったサクラに晴陽はぱちりと瞬いてから「エスコートを任されましたから」と可笑しそうに笑みを返した。
友人が少なく、こうして誰かと出かける機会には余り恵まれてこなかったという晴陽はこの日のために随分と張り切ったのだろう。
よく見ればブルー・ラグーンの色彩とサクラの付けたイヤリングは同じアクアマリンを宿している。美しいその色が、晴陽にとってはサクラを象徴していたのだろう。
紅桃の花ではなく、澄んだ空のような人。
晴陽から見て、サクラとはそんな少女だった。苛烈に戦う場面を見たことがあるわけではない。だからこそ、天真爛漫に花開くように笑う彼女は空のような人だと感じていたのだ。
「晴陽ちゃんは何を呑むの?」
「そうですね……テキーラ・サンライズを。私が酔ってしまってはエスコートもままなりませんから」
酔った晴陽ちゃんも楽しそうだね、と揶揄うサクラに「今度、友人を誘って皆でお酒の席を設けましょうか」と晴陽は何かを思い立ったようにaPhoneを眺めた。
「お友達?」
「はい。龍成だと姉の醜聞を見せるわけには行きませんから……お酒をお好きで髪色に変化のある女性と、お声かけすればご依頼を受けてくれる探偵さんが知り合いにいまして」
「友達って言ってたのに知り合いって言い換えるんだ」
「その、彼女達を友人と呼ぶのは気恥ずかしくなりました」
友人とは、どこから始まるのか。そもそも、彼等だって友人だと晴陽が胸を張って言えば頷いてくれるはずだ。
不器用過ぎる彼女は友人と呼ぶ事が恥ずかしく、そんな自分が友人と呼ぶ事を彼女達も喜ばないとでも考えているのだろうか。そんな人との距離を難しく考えがちな彼女にサクラは「私は?」と問うた。
「……お友達、です」
「ふふ、そうだよね」
友達だと認識してくれているのならば嬉しい。サクラはグラスを眺めてから、静かに息を吐出した。
「晴陽ちゃん、有り難う」
「……喜んでくれたのなら嬉しいです」
晴陽は穏やかに微笑んでから、サクラを真っ直ぐに見詰めて言った。
「改めて、お誕生日おめでとう御座います。これから大人になっていく貴女が幸せでありますように」