SS詳細
蒼く、紅く、同じ歩幅の明日を選んで
登場人物一覧
●
9月の頭を過ぎた頃、夏の暑さが僅かばかりに鳴りを潜めつつある或る日のことだった。
ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535)はぼんやりと夜空を見ていた。
星々の光が瞬く夜空は穏やかでいつもと何ら変わりを持たない。
月と星の光に照らされ、小さなテーブルの上のグラスは不思議と目を引く。
「もう5年も経ってるのかぁ」
ほとんど変わった所のない月明かりを受けながら、ルーキスはほぅ、と息を吐いた。
「うーん」
その美貌に悩まし気な色が差す。
金と紺の瞳を伏せて、彼女はじっとグラスを見つめて、そっと手に取った。
そのままくるり、くるりとグラスの中身を揺らす。
血のように赤いワインが躍っていた。
「……持ち出すか否かでずっと悩んでたんだけど。
この際だしすぱっと言っちゃおうか」
手を止めて、そっと口を付けた。
程よい口どけのワインを味わってから再びテーブルに。
「決めたからには早速明日から準備をしよう」
そのまま、明日やることを思い浮かべながら寝台へと寝転んで微睡に落ちて行く。
●
9月の頭を過ぎた頃、夏の暑さが僅かばかりに鳴りを潜めつつある或る日のことだった。
煙草の煙がゆらゆらと天井へ伸びて行く。
ルナール・グリムゲルデ(p3p002562)は口から離した煙草を灰皿へと置きながら、ふぅと息を吐いた。
大気へ溶けて行く煙を見届けながら、ぼんやりと明日の買い出しのことを考えていた。
何となく、虚空を彷徨わせた視線がカレンダーを入れた。
「そうか、気が付けばもう5年か……あっという間だなぁ……」
目を閉じれば、この世界に来てからの5年を思い起こす。
愛おしき
「まだまだ先は長そうだな……これからも変わらない気はするが」
ぽつりと呟いて、視線が時計に移れば、針は夜も遅い時間に差し掛かりつつある。
「さて、明日の仕込みでもやっておくか」
立ち上がった椅子が小さな音を立てた。
●
そうして時は流れて行く。
「折角の祝い事だから多少のおめかしぐらいはしておいてもいいよね」
そういうルーキスは普段とは少しばかり違っておめかしも終えている。
そこには誕生日プレゼントの小さな箱もある。
それ以外にも大きなテーブルにはルナールの好物やお手製のケーキ、アルコールの類もばっちりだ。
「さて、準備は出来た。時間は……もうそろそろだね」
時間を確かめて頷いたちょうどその時、扉が開いて待ち人の姿が見えた。
「ルーキス? どうしたんだ、これ」
「誕生日おめでとう、ルナール」
あっけにとられたような顔をしていたルナールにルーキスが笑いかけてやれば、ルナールは顔を上げて日付を見た。
「あー、そうか誕生日だったか俺」
日付は確かにその日だった。
「今年で30かー、早いねぇ」
ルナールの傍まで歩み寄ったルーキスは微笑したまま、彼の頭を撫で撫で。
「可愛い奥さんに祝われるってのは嬉しいもんだな」
その様子にルナールは頬を綻ばせて微笑すれば、2人はそのまま席について細やかなるパーティへ。
「それじゃあ、早速食べよう!」
ずらりと並んだ好物を前に、手を広げたルーキスに促され、ルナールは席に着いた。
取り分けて口に運んでいく。
どの料理もルナールの好みに合わせた味付けをしてあるのか、好物である以上に進む味だった。
それらに舌鼓を打ち、アルコールもほんのりと摂取しながら、2人の食事が進んでいく。
「デザートは私お手製のケーキがあるからね」
微笑するルーキスが持っていたそれもまた、ルナールの好みに合わせてあった。
「どれも美味いな……」
デザートを口に付けながら、ルナールは唸るように言葉を漏らしていた。
●
どれくらい時間が経っただろうか、酔いと言うほどではないにしろ、仄かな温かさが身を包み始めた頃合いでルーキスはルナールを見た。
「はい注目、お兄さんに質問でーす」
「……ん?」
「私と正式に契約を結ぶ気はあるかい?」
「契約……? あぁ、結構前に話した事あったな?」
その実、真剣な視線を向けながらルーキスが問えば不思議そうにしていたルナールは納得したように目を合わせた。
そのまま、ルナールはその美貌を穏やかにルーキスと合わせた。
「……俺がルーキスと正式契約を結ばない、結べない理由ってあったか?」
「うーん加齢は止まるなあ、異形化は多分最小限で済むはず。
あとは2、3日高熱出して寝込むぐらい」
ルーキスは暫し視線を上げ、ぽつりぽつりと呟いて。
「あ、落ち着くまで看病はちゃんとするよ?」
そのまま首を傾げ、どこか恥ずかしくなって、ぽりぽりと頬を掻いた。
「酷い奴でしょー、我慢するって言っといて結局我欲に負けちゃった」
小さく笑いながら言えば、ルナールが逆に苦笑を零す。
そのまま、気付けば頭を撫でられていた。
「人である事をとっくに捨ててる俺がこれ以上異形化したとしても今更だろう?」
一応は生物学的にいえば『人間』にあたるルナールではあるものの、その心臓は今もなお賢者の石に侵されている。
「それに……異形化と加齢停止程度の代償でルーキスと共に在れるなら安いもんだ、メリットしかない」
驚いたようなルーキスの目がルナールを見上げている。
――そもそも、ルナールが人間である以上、どこかでルーキスを置いて逝く。
定命とそうでない者の間の溝は、そうである限りは埋まらない。
(このまま老いてそうなる事態に比べれば、どんなデメリットだろうと構わないんだけどな)
言葉にするまでも無く、ルナールが視線を向ければ、その先でルーキスが笑っていた。
「いやぁ……あはは、ルナール先生ならむしろ喜んで付いてきそうだとは思ってたけど、即答とはねぇ」
「ま、ルーキスから言って来なかったらそのうち俺が言い出してただろうさ。
それより、契約は何をすればいいんだ?」
「血を溶かしたワインを飲んでもらうだけ。
昔から血液は魂の欠片ともいうしね、それで十分さ」
ルーキスは微笑を崩さず、そっとワイングラスをルナールの方へゆっくりと滑らせた。
綺麗な赤色のワイン、ルーキスは自らの掌を軽く裂いて、そこからぽとり、ぽとりと血を垂らしていく。
「覚悟はいいかい、お兄さん?」
悪戯っぽく笑ってやれば、ルナールから笑みが返ってくる。
指でつかんだワイングラスを、ルナールはそのまま呷るように飲み込んだ。
ワインが喉と通り、腹の奥からずくん、とした熱。
身体の内側から焼かれるような痛みが全身を包み込み、驚いた様子のルーキスが見える。
いきなり呷りすぎたのだろうか、声を漏らすのをこらえながら、ルナールは霞む視界をそっと下ろした。
消えた意識の下、全身を覆いつくした何かがルナールの身体を掻きまわすような感覚があった。
それまでの過去――消せないそれを覆いつくして、興味深そうに触れる何か。
何かはやがて、ルナールへと溶け込んでいく。
温かで、穏やかで、愉しげで、それでいてほんの少しの不愉快さを現すように。
私と同じものになるのに、これ以上は許さないと、独占するように。
●
「あっ、起きた? ふふ、それじゃあ、ようこそルナール先生。
――踏み外した世界へ」
視線の真上から、ルーキスの顔が微笑んでいる。
柔らかいものが頭の下にあった――どうやら膝枕をされているらしい。
「おはよう。悪い、重くなかったか?」
「大丈夫だよ。それより、もう顔を上げて大丈夫かい?」
「あぁ、問題ない……それどころか、胸の辺りが軽い」
身体を起こしたルナールは胸のあたりにそっと触れた。
薔薇のような形をした結晶に触れて、視線を降ろす。
「はい、これで見てみて」
手渡された手鏡で顔を見れば、髪の色も微かに青色がかったっているだろうか。
頭のルーキスと同じ当たりに似た色の羽根が小さく生えてもいるようだ。
「多分だけど、私と契約したことで先生の身体に埋め込まれた物に変化があったんじゃないかな?
悪魔の権能に石ころが勝るはずもないだろうし、浸食が止まったとか?」
そう言ってルーキスが胸元に手を触れれば、温かい鼓動。
「俺の異形がルーキスので上書きされたみたいだな」
「ふふふ、ルナール先生は私のものかな?」
「そんなこと……こうなる前からそうだろ」
ルナールは自分を包みようにして添えられたルーキスに手を合わせた。
●
「あと、これも……はい」
暫くの時間を置いて、ルーキスはルナールへとある物を手渡した。
「これは?」
「誕生日プレゼント。結局、あの日はあのまま眠っちゃったからね」
手渡されたそれに顔を上げれば、ルーキスが照れたように笑っていた。
「開けてもいいか?」
「うん」
頷かれるままにルナールが包みを丁寧に剥がせば、中から小さな箱が1つ。
「これは……眼鏡か?」
「そう、私と同じモデルのやつだよ」
言われてみれば、見覚えのあるデザインだった。
「それから、明日は明日で外へ行こう」
「それはいいが……何かあるのか?」
思わずルナールが首を傾げれば、ルーキスは微笑のままに頷いて、視線を微かに上――ルナールの頭部に注ぐ。
「3日ぐっすりしてたから体力も落ちてるだろうしね。
何より、その頭の羽根。普段は良いけど、希望ヶ浜に行くときは隠さないと」
言われて気付いた。手鏡に移る羽根は青い鳥。
ルーキスのそれにも似た髪はこと希望ヶ浜では目立つだろう。
「あぁ、そうだな……アクセサリーって言えば何とかなりそうだが」
「そうだね。でも一応、帽子とかあっても良さそうだよ」
「それもそうか、なら明日はデートに行くか」
「おっけー。それじゃあ、ルナール先生はまだ少し休んでおいて。
消化のしやすい物でも食べよう」
朗らかに笑ったルーキスに頷けば彼女は外へと出て行った。
その様子を眺めながら、ぼんやりと視線を巡らせる。
日の光が穏やかに差している。時間はお昼ごろだろうか。
それまでとは明らかに違う人生、『人』という枠組みを外れた初めての日差しは、穏やかで心地よかった。
●
ルーキスは料理をしながらほっと胸をなでおろしていた。
契約をした時には流石に驚いた。
あそこまで過剰な反応が起こるとは思わなかったからだ。
ルナールが倒れた後、呻き声をあげていた彼を魔術で補佐しながらベッドまで運んだ時を思い起こす。
(興味深いなぁ……ルナール先生はルナール先生で実験を受けてる身だったから、
ある種のアレルギー反応みたいなこと?)
魔術師として興味が尽きず脳のリソースを幾らか裂きながらも、ルーキスは手早く調理していく。
「……うん、味付けよし」
盛り付けまで終わらせて、ルーキスはくるりと身を翻して部屋の方へと戻っていった。
足取りは軽い。それは間違いなく、これから先のこと――自身と同じ歩幅で歩き始めた愛おしき夫との生活を思ってだった。