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歌を聞く御話
登場人物一覧
王都メフ・メフィートの南東に、バーデという街がある。
享楽の国王のお膝元、相応しい優雅な景観の街は、主に芸術の方面で他より優れていた。
緩やかな山脈の中にあり、内部には傾斜のキツイ部分もある。
が、規則正しい段階を踏んだ建物の並びは、見上げても、見下げても、感動を覚える物だ。
「ーー月ダ」
その中で、最も高度のある建物。とんがり屋根のその先端に、ミミは居た。
器用に足裏を屋根の斜面に添えて、真っ直ぐに立っている。
「明るい、カナ?」
暗色の空は三日月の光が照らしていて、まばらに浮かぶ雲に陰影を見せていた。
それを、見上げたミミは明るいと思う。
星の瞬きを邪魔しない光は、しかし、地上に影を作る位の強さはある。
それが、彼女にとっては少し、邪魔になる。
「飛んでる影が下に出るからネ」
ミミはスカイウェザー、コウモリの特徴を持つ者だ。
空を自在に行く事を許された種族は珍しくなく、特段飛行の影に気付かれたとしても、人々は日常として気にしないだろう。
ただし、それは平時であれば、の話だ。
そして今回は、その条件に当てはまらない、とある事情がある。
「……警戒、強くなったヨ」
斜め下に広がる眼下の世界。段状にある街並みの最下段にそれはあった。
大きな石造りの建物だ。
前部へと突き出た半円の屋根は、等間隔に並ぶ円柱に支えられていて、開け放たれた入り口から奥は、華やかな賑わいのエントランスになっている。
内部に関しては、ミミの位置から伺い知る事は出来なかった。
が、そこは事前の調べでクリアしているので、実はさしたる問題ではない。
むしろ問題はその外にある。
ーー警備員だ。
建物をぐるりと囲むように、それも等間隔として配置され、更に屋根の下。
中二階の位置にある、中へと続く外縁のベランダにもだ。
「幻想も色々あったからネ、また混乱に巻き込まれるのはゴメンなのカナ」
まあ当然だよね、と思う。
狂気のサーカス事件を経験しては、安穏とした貴族達も理解したのだろう。
「まあそんなことはいいんダヨ」
とはいえ。
ミミにとって重要なのはそこではない。
かの厳重な警備下、空を行く自分の影に気付かれれば、いくら気配を消していても御用は明白。
「邪魔、ダヨネ」
月がもう少し隠れてくれたらと思う。
風に流れた雲がそれを果たしてくれるのは、恐らく期待出来ない。
仮にそうなったとしても、それでは遅いのだ。
「アリアが終わっちゃうヨ……!」
ミミには、目的がある。
厳重警備のその中で行われる、オペラの舞台を見る事だ。
本来ならチケットを購入し堂々と真正面から入場とするのが筋なのだろうが、このご時世に当日券等というものは無い。
故に。
「ジャ、行っちゃおう、カナ!」
飛ぶ。
音も出ない位に優しく、しかし強く前へと跳躍し、コウモリの羽を使っての飛行を行う。
高度は一定に、高く、高く。
「……と」
眼下、自分の影が、建物へ近付く。
……そろそろダネ。
息を殺し、羽を畳んで、頭を下に向けて足を上へ。
月に対して体を線に、急降下をする。
「……!」
影が、点になった。
緩やかな勾配で、高速に落ち、中段の警備員の元へ行く。
(模様も豪奢ダー)
まず、屋根に指を刺す。
彫りの鮮やかなそこは、掴みに馴染み易い。
指の力が強いのを活かし、掴んだ部分を支点に振り子で下半身を振った。
「な」
そうして行く脚で、警備員の首を絞めてホールド。
「っ、ふ!」
腹に力を入れ、戻る勢いで上空へ投げ飛ばす。
「クリア」
気絶させたそれを、音もなく寝かせて、ミミは中段から静かに中へ続く扉の前へ。
(……ンー、聞こえないナ)
オペラ座の特性として、防音性能は完璧の様だと、そう思う。
音はおろか、波長すら殺す壁の厚みだと。
「ま、もう関係無いヨネ」
だって、扉を開ければ、イヤでも聞こえる様になるのだ。
開けて、直ぐに閉め、二階席。
舞台上に、女が居るのが見えた。
一礼。後、空気を吸う。そして。
「ーー」
唄が始まる。
伴奏の無い、声だけの歌唱。アリアだ。
それから、オルガンやハープを加えての演奏が続く。
(芸術的ダ)
演者は皆、一流のプロだ。そのレベルは高い。
耳に残る旋律は心地良く、しかし余韻に浸る間も無く連弾の奏がある。
「来て良かったヨ」
目を閉じ、音に集中する。
すると、あっという間の時間が流れていくのがわかった。
音は一つずつ消え、声が止み、弦は収まり、鍵盤から離れた指が最後の響きとなって。
「アンコール」
ミミは二階席の手すりの上に立った。
周りのギョッとした視線は無視。
一礼し、後、空気を吸って、体毛が膨れて、一拍。
「ーー」
アリアが起きた。
開演直後と寸分違わず、しかし感動の無い音だ。
「貴様は何をしている……!」
「おっとやだナーお茶目ダヨ!」
異変に集まった警備員を走り抜け、扉から飛び出したミミは、キ、キ、と笑って夜の空へ避行した。