SS詳細
エマージェンシー・イフタフ。或いは、仮面の男と古い遺跡…。
登場人物一覧
●エマージェンシーコール
夏の始まり。
じわじわと気温が上がり始めた、雨の多い季節のことだ。
どんよりとした空の下、深い深い森の奥の、古い遺跡の前に黄色いテントが張られていた。イフタフ・ヤー・シムシムが遺跡の前に拠点を張って早数日。調査は遅々として進んでいない。
「今日は天気が悪いっすね。あぁ、嫌だ嫌だ……」
テントの前で火を焚いて、うんざりとした顔でイフタフは言う。
幻想のとある森の奥。
つい最近になって発見された古い遺跡があった。
見上げるほどの石造りの塔。
予想では、塔の半分程度は地面に埋まっているらしい。
「……と、数日の調査で分かったのはたったこれだけ。暗くなると、アレが出て来るせいっすね」
イフタフは、遺跡の重要度および調査に関する危険度を知るために派遣されていた。
軽く遺跡を調べてまわって、危険な罠や生物、魔物の存在を可能な限り調べ上げるのが彼女の仕事だ。調査結果をもとに、正式な任務としてローレットはイレギュラーズを遺跡の調査や、討伐任務へ送り出す。
「とはいえ“アレ”が居たんじゃなぁ……調査を進めるには、腕の立つ護衛の1人か2人、付けてもらわなきゃ無理っすよ」
そう判断したイフタフが、ローレットへと応援を要請したのが今から2日前。早ければ、今日か明日にも応援の人員が送られるはずだ。
焚き火に薪を追加しながら、イフタフはそう呟いた。
「君がイフタフかな? 初めましてランドウェラ=ロード=ロウスだよ。好きに呼んでおくれ」
線の細い男性だった。
左右で色の違う瞳と、背中辺りまで伸びた黒髪、腰に刀を差し、肩からマントを羽織った旅人風の服装をしている。
名をランドウェラ=ロード=ロウス。どこか浮世離れした雰囲気を纏った彼は、焚き火を挟んでイフタフの向いに腰を下ろした。
「よければ、こんぺいとう食べる? 調査任務とは聞いているから、すぐにでも現場へ向かおうというなら、それでもいいけど」
そう言ってランドウェラは、こんぺいとの詰まった革の袋を差し出した。
星屑の形をした砂糖菓子を小さな口へと放り込み、イフタフは少し思案する。
その間、ランドウェラは視線を遺跡の方へと向けた。
調査の進まぬ未知の遺跡という物に、興味が湧かないと言えば嘘になる。
「うーん、そうっすね。今から調べに行くのがいいっすかね。どうせ遺跡に入っちゃえば、昼も夜も関係ないっすし」
時刻は午後を少し過ぎたばかりの時間。
十分に調査をするには少し時間は短いが、一切調べる時間が無いとも言い切れない。
尖った歯でこんぺいとうを噛み砕き、イフタフは松明を用意する。
「危険かどうかは不明っすけど、決して油断はしないでくださいね。戦闘が必要かどうかは……まぁ、状況次第っすけど」
煌々と燃える松明を手に、イフタフは顔を遺跡へ向ける。
●付いて来る何か
暗い遺跡の通路を進む。
1歩、脚を踏み出すたびに埃と黴が飛び散った。入口から先の地面に残っているのは、イフタフの足跡ばかり。つまり、イフタフ以外に遺跡へ足を踏み入れた者はいないということだ。
だというのに、アレはそこにいる。
「……何だい、アレ?」
通路の奥へ視線を向けて、ランドウェラはそう言った。
褐色の肌をした大男。
裸の上半身に、下半身には革の腰巻。顔には鬼か何かを模した仮面を被っている。それゆえ男の容貌は窺えない。その手には石で作った剣か鉈のような武器を持っている。
通路の奥に立ったまま、それは視線をまっすぐこちらへ……侵入者へと向けているのだ。
「やっぱいるっすよね? 何か……よく分かんない何かがそこに」
「いるね。敵意や殺意は感じないし、襲って来るような気配も無いけど」
仮面の男は、ただそこに立っているだけだ。
近づいて来ることもせず、襲い掛かって来るわけでもない。それどころか、男からは一切の呼吸音や、足音さえ聞こえて来ないのだ。
「ゴーストの類にしては気配というか存在感が強いっす。うっかり近づいて、攻撃でも仕掛けられたらと思うと、ここから先に進……うぇぇい!? ちょっと、ランドウェラさん!?」
イフタフの説明を右から左へ聞き流しながら、ランドウェラは通路の奥へと歩を進めた。
黒い右腕に紋様を浮かべ、すぐにでも戦闘態勢へ移る準備こそしているが、だからと言って少し不用心が過ぎないだろうか。
仮面の男がどう出るか。
警戒しているイフタフは、ランドウェラの後を追いかけることが出来ない。
けれど、しかし……。
「? そうは言っても、先へ進まないことには調査も出来ないんだろう? 先住民がいるのなら、話を聞いてみればいい……って、あれ?」
一瞬、ランドウェラが意識をイフタフへ向けた隙に仮面の男が姿を消した。
まるで最初から、そこには何もいなかったみたいに……ほんの一瞬の間に、煙のように消えていたのだ。
仮面の男がいた位置には、罠が仕掛けられていた。
丁度、男の足元の位置に踏むことで機動するタイプの仕掛けがあったのだ。
「そして通路が左右へ分かれているっすね……えぇっと」
「仮面の男は右の通路の奥にいるね。どうする? 僕は何をすればいいんだい? この仕事?」
右腕に魔力を纏わせて、ランドウェラがそう問うた。
仮面の男が攻撃を仕掛けて来るのなら、或いは、2人を罠に嵌めようとする動きがあれば、敵として対処することも出来る。
しかし、仮面の男は何もしない。
ただ、そこに立っているだけだ。
「そうっすね……まぁ、行く宛ても無いわけですし、右の通路へ進むっすよ」
そう言ってイフタフは、ランドウェラへと松明を手渡す。
先に行け、と言うことだろう。
それから先も、仮面の男は何もしなかった。
通路の先に立っていて、黙ってこちらを見つめるだけだ。
そして、決まって仮面の男が立っていた位置には罠が仕掛けられている。
「踏まなければ発動しないタイプの罠っすね。どう思います?」
「うん? 罠の位置を教えてくれているんでしょう? 親切な人だなって」
未知の遺跡を探索するのは心が躍る。
このまま仮面の男の後を追って行けば、きっと“どこか”に辿り着き、“未知なる何か”を目にするだろう。
ランドウェラは、それが楽しくて仕方が無いのだ。
暫くの間、暗い通路を進んで行った。
そうして2人が辿り着いたのは、翡翠の壁に覆われた薄暗く拾い部屋だった。
薄暗い……つまり、翡翠の壁を通して何処かから光が差し込んでいるのである。
「外の光を取り込んでいるのかな?」
部屋をぐるりと見まわして、ランドウェラはそう呟いた。
それから、視線を部屋の真ん中へと向ける。
そこにあったのは、1つの大きな石棺だ。
石棺の上には、鬼の仮面が……男の付けていた仮面が置かれている。
石棺の中身は空だった。
手に入れたのは、鬼の仮面1つだけ。
元来た道を引き返し、イフタフとランドウェラは地上へ戻った。すっかり夜になっている。焚火を囲んで、珈琲を飲んで、それからランドウェラは言葉を零す。
「あれっておかしくなかったか?」
「だから最初からおかしいんっすよ」
遺跡内に残っていたのは、イフタフとランドウェラの足跡だけ。
つまり、仮面の男に実体は無いということだ。
仮面の男の正体は、結局何も分かっていない。
「調査は明日も続行っすね」
なんて。
黒い空を見上げながら、イフタフはそう呟いた。