SS詳細
命は眩く、猫は尾を揺らす
登場人物一覧
- クウハの関係者
→ イラスト
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心地よい眠りからゆるゆると醒めたクウハは、部屋の中に自分以外の気配がすることに気が付くと素早く身を起こし大鎌を構えた。一瞬、館に住み憑く子供幽霊たちの気配かとも思ったが、彼らはとにかく元気で真っ先に寝ているクウハを起こそうとするだろうし──何より子供幽霊たちでは、何人集まってもこの滴る様な妖気は発せない。
「女王より遅起きだなんていいご身分ね、
「……ソフィアぁ……どうやって此処に入ってきやがった」
「猫はどこにでも出入り出来るし、女王はどこにでも出入り出来るものでしてよ。ましてや家臣の部屋なら拒まれる道理など、これっぽっちもありませんわ」
部屋の主を差し置いてソファーで優雅に紅茶を飲む女。クウハはそれを確認すると半眼で呻き大鎌を虚空へと溶かす。知らぬ顔では無い……むしろ腐れ縁ともいうべきか。
「誰が家臣だ、このクソ猫が」
「あら、まだ家臣の自覚がないのですね。それにその口の聞き方……改める気はございませんの? 悪霊はこれだから困ります」
そっと自身の頬に手を当てて悩ましげに溜息をつく、儚げで美しい貴婦人。その光景は実に絵になるものの、それに心動かされるクウハではない。
「……それで? 何しに来たってんだよアンタ」
「ああ、そうそう。うっかりと伝え忘れる所でしたわ」
髪と同じ、純白の獣の耳と尾を持つ女の名はソフィアという。齢4桁を超える大妖のペルシャ猫。麗しの貴婦人にして女王、そして──
「
かつて、クウハの元の世界で彼と旅を共にした仲間の1人である。
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「ったく……オマエ、別の奴の世話になるって言ってただろうが」
「気が変わりましたの。部屋は余っているのでしょう? 何か問題がありまして?」
結局あの後。ソフィアが押し切る様にして洋館への入居が決まり、クウハは彼女へ設備の案内をしていた。昔からこうだ。『自分が世界の中心です』といった態度の上に弁も立つため、クウハはこの化け猫に口で勝てた試しがない。
「
実際、この館は大きく空部屋には事欠かない。クウハとしても戸惑いこそするものの決してソフィアのことを嫌ってはいないため(そうだとしたら、例え女性だったとしてもクウハは部屋に侵入された時点でなんとしてでも彼女を館から叩き出しただろう)、彼女が住みたいというのであれば受け入れるのもやぶさかではないのだ。
「その"別の奴"の方は問題無いのかよ?」
「ありませんわ。女王の決定に異論を挟む余地はなくてよ」
「ケッ、実際は猫の姿で知らんぷりして家に居座る気だったんじゃねーのか?」
「まあ、失礼ね。貴方にはこうしてちゃんと此処に住まうことを告知してましてよ」
「口の減らねえ女王サマなこって」
懐かしくも馴染んだやりとりを交わしながら、クウハは食堂、調理場、浴室など生活に必要な設備を紹介していく。ソフィアは一応それらには耳を傾けている様ではあったが、クウハは彼女が、他人が自分に仕えることを当然と思っている節があることを知っている。要らぬ心配かと思いつつも彼は心の中で、おそらく最も彼女に振り回されることになるであろう
「この部屋は?」
「その部屋はもう住人が入ってる。使うなら別の部屋で頼むぜ」
「……あなた、この部屋──」
【あれ? クウハ、その人だぁれ?】
不意に2人の会話に幼い声が上から割り込んでくる。声のした方を見上げると、何人かの子供幽霊たちがふよふよ浮かんでいるのが見えた。この洋館の住人である彼らは、見慣れない美しい女性に興味津々に視線を向けている。
【お客さん?】
【あのティアラ、可愛い!】
【
【ちょっと怖そう……】
【でもきれい】
【もふもふ……】
「あらあら、元気な子供達ですこと。でも
ふらふらと魅了された様にソフィアの尻尾に手を伸ばした子供幽霊の1人の手を、ソフィアは手にした扇子で軽く叩く。まさか触れられるなんて思っていなかった子供幽霊はびゃっと飛び上がった。周りの子供幽霊たちも驚いて飛び退く。
「あー……こいつはソフィアってんだ。俺の昔の知り合いでな。今日から此処に住むことになったからよろしくしてやってくれ。あと、ルネ。もふもふでも急に触ろうとしちゃダメだろ。ちゃんと謝っとけ」
【……ごめんなさい】
ルネと呼ばれた子供幽霊は、しゅんとして素直にソフィアに頭を下げる。それを見るとソフィアは満足した様に微笑んだ。
「よろしくてよ。時には家臣へ恩赦を与えるのも女王には必要ですわ」
【……じょおーさま?】
「ええ」
【すごーい! じょおーさま!!】
わぁっ、と子供幽霊たちの声が一斉に湧き立つ。"家臣"だとか"恩赦"だとかいう言葉はよくわかってはいないものの、子供心にも"女王"がいかなる存在かはわかっているらしい。
「おーい、オマエら。今は館の中を案内してるから遊ぶのは後だ。リビングでいい子にしてな」
【【【【【【はーい!!!!】】】】】】
クウハが手を打って鶴の一言を発すると、子供幽霊たちはいい子に手を挙げて四方へと散っていく。それを眺めていたソフィアは感心した様にクウハへ視線を向けた。
「随分と慕われておりますのね。女王として誇らしいですわ。……ただ、人間まで屋敷に受け入れるというのはどうかと思いますけれど」
「あ゛? なんだよクソ猫。人間の影も形も無かったろうが」
「この部屋、人間の匂いがぷんぷんしますわ。住んでいるのでしょう?」
なるほど、子供幽霊たちが声をかける直前に眉を顰めていたのはそのことらしい。クウハは不機嫌にチッと舌打ちをしてソフィアを睨み付ける。
「うるせェな、文句でもあんのか。ここの主人は俺だ。誰が住まわせるかをオマエに口出しされる謂れは
「文句ではありませんわ、忠告でしてよ。貴方まさか、自分の性質をお忘れ?」
「……」
クウハは黙り込む。黙り込むしか無かった。ソフィアの言う性質──すなわち悪霊としての本質、
「厳しいことを言いますけれども、この館に住んでいる"人間"が気の毒ですわ。ライオンと暮らしている様なものですもの。……『そのつもり』でしたら、確かに
ソフィアは知っている。クウハにとってその衝動は本能に近しいものであり、彼がこうして無害な様に振る舞えるのはひとえに彼自身の強固な理性で自制しているからであると。
「この先、きっと辛くなりますわよ。無理をして人間と縁を結ばすとも良いでしょうに」
ソフィアは知っている。クウハはその葛藤を、我慢を、消耗を、人に見せることはない。この館にいる"人間"はきっとクウハを慕うだろう。そしてその分だけクウハにとっては彼らが『美味しそうに』見えてしまい、苦しむことになる。よしんばその自制を保ち続けられたとして──"人間"たちはあまりにも脆く、儚い。そうしたらきっと、"また"この男は心を痛めるに違いないのだ。これは嘘偽りなく、永きを生きる
「……んな事は言われなくても分かってるよ。俺の勝手だろ、ほっといてくれ」
「はぁ……」
間髪入れず、麗しの女王は長いまつ毛に縁取られた目を伏せてため息をついた。まるで聞き分けのない幼子を相手にする様な顔に「あぁ?」とクウハは凄んで返す。
「ええ、ええ。言ったところでどうせ、貴方は聞き入れませんものね」
ソフィアは知っている。『それでも
「家臣の面倒を見るのも女王の務め。万が一の時は、
「へいへい、そーかよ。ったく、この傲慢女が」
澄ました顔で告げる女王にクウハは肩をすくめる。長い付き合いの中でソフィアがクウハを理解しているのと同様に、クウハもソフィアのことを理解している。彼女は気位が高く傲慢だが、縁を結んだ相手には面倒見が良く愛情深い。クウハは憎まれ口こそ叩いているが、こうして"人間"を受け容れない様に忠告してくるのもクウハが傷つかない様にと思っているのもわかっているし──そもそも女王を名乗る彼女がこんな『内部の手入れこそされているがボロい幽霊屋敷』にわざわざ住みにきた理由も、自分が原因だと薄々察している。
(大概お人好しだよなァ、この女王サマも)
ソフィアは化け猫だ。クウハは彼女に対して衝動を覚えることはない。それがありがたく、心地よくもあった。幽霊、化生、妖精……
(それでも……出来ちまった縁を蔑ろにするのは、な)
クウハの脳裏を過るのは、この洋館に住む"人間"の住人たち。初めは些細な切欠だったかもしれない。だが言葉を交わし、人となりを知り、彼にとってそれが多少なりとも好ましいモノであると感じてしまったら……最早そこで止まり、突き放すのが難しい。最後の一線だけは守りつつ、その寛容さと献身で以って受け容れてしまうのだ。例えそれが、目の前でぶら下がっているだけのご馳走に成り果てるとしても。
「クウハ? もう案内は終わりかしら? それなら部屋に荷物を運んでちょうだい」
「あ? 自分で運べやクソ猫」
「あら。か弱い
「……ったく、しょうがねえ奴だな」
──後日。
何かにつけてあれこれクウハに用事を申し付けるソフィアに、クウハがキレて罵倒する姿がよく目撃される様になる。しかし、初めの頃は仲が悪いのかと恐る恐る様子を窺っていた住人たちも次第に『2人の距離感』を理解し始め、とある首無し騎士と泣き女の喧嘩と同様、賑やかで愉快な洋館の風物詩のひとつに加わるのもそう長い時間は掛からなかった。
おまけSS『更に後日の話』
「……あら、クウハ。貴方、」
「あン?」
「……いえ、なんでもございませんわ」
「なんだ……?歯切れ悪ぃな」
「そんなことより、紅茶を持ってきてくださらない?」
「モヨトに頼め傲慢猫」
(なんでしょう。
「……一概に、悪いことというわけではなさそうですし」
「?」
「なんでもございませんわ」
「なんなんだ」