SS詳細
悪霊、介入。
登場人物一覧
人生とは人の"生きる"道。
本来であれば自分で自分の生きる道を決めるものだが、他者の介入によってその道が変わることもある。
好んで他者の介入を許す者がいれば、気づかないうちに介入されている者だっている。
そのタイミングは様々で、まるで電車の切り替えポイントを変えるように簡単だ。
これは、ある悪霊の介入によって人生をまるっと変わったお話。
気づかぬうちに人生の切り替えポイントを触られた家出少年と、
気づかぬうちに他人の切り替えポイントを触った悪霊・クウハの小さなお話。
●邂逅
「くぁ……ぁふ……」
鬱蒼と生い茂る森の中にある屋敷の2階の適当な部屋で、悪霊クウハはゆらりゆらりと空中を揺れて漂っていた。
いつもなら屋敷の住民たちによるあれやこれやを仲介したり、暇そうにしている奴を捕まえて遊んだりとしているのだが、最近はそれも飽きてきたところ。
なにか面白いことが起きればいいのだが、お化け屋敷だと称されているこの場所にやってくる人間なんて年に何回かあれば嬉しいものだ。
「暇だなァ……」
退屈を何よりも嫌うクウハはこの空気に耐えられず、どうにかこうにか暇をなくそうと空中を転がってみるが……そんな行いは数分もすれば飽きるし、何より目が回って結構しんどい。
ぐるぐるぐるぐる、視界が揺らいで頭の中がちょっとだけかき乱されて目が回る。そんなクウハの様子は屋敷の住民たちがしっかりがっつり目撃しており、笑いを抑えるようにクスクスと小さく笑っていた。
「あーもう、俺は見せもんじゃねェっての。ほら、掃除とかちゃんと済ませとけよ。終わってなかったら後でさっきのを味わわせてやるからな」
はぁい、と住民たちからの返事をもらって、クウハはまたふよふよと空中を漂う。
今日もまたつまらない1日が始まるんだろうなと思って、窓から空を眺める。
「……ん?」
ふと、森の奥から黒い影が屋敷に近づいているのが見えた。
黒い影というのは比喩でもなんでも無く、小さくて真っ黒な何かが近づいている、というのだけしかわからない。
なんだありゃ、と眺めたのもつかの間、石に躓いたのかこてんと転げる黒い影。足がきっちり見えていることから、死者ではないことがよくわかる。
どうやら生きている子供が黒いフードやマントをつけており、影のように見えていたのが真相のようだ。両手にトランクケースのようなものを抱えたままに転んでおり、打ちどころが悪かったのか立ち上がる様子がなかった。
「……ああ、もう。しょうがねぇなァ……」
――見てられねぇよ。
そう呟いたクウハは窓を開けて、ちょっとだけ高い2階から飛び降りた。
●会話
「んん……」
「起きたか?」
「わっ、誰!?」
「誰とはひでェな。命の恩人だっつーの」
クウハが助けた黒い影に扮した子供は、少年だった。
彼は転んだ拍子に抱きかかえていた荷物に胸をぶつけてしまい、そのショックでしばらく気を失っていた。
ちょうどクウハが見ていたから良かったが、誰もいないところで同じ状態になっていたら間違いなく野良動物に襲われて死んでいただろう。
「あ、ありがとうございます……」
少年は迷惑をかけてしまったと申し訳無さそうに、クウハに頭を下げる。
そんな彼を助けた理由は、クウハは語らず。――持っているものが気になったなんて、この少年に言っても意味がないだろう。
謝罪の言葉を述べて数秒後、少年は慌てて自分の持っていた荷物はどうなったかをクウハに問いかける。
それを問いかける時の少年はとても焦りに満ちていて、必死な様相が伺える。流石にそれに対してイタズラする理由がなかったクウハは素直に彼が持っていたトランクケースを取り出した。
「そう焦んなって。ここにあるよ」
ケースを見るや、すぐにクウハの手から取って中身を確認した少年。中身を確認して、無事なことにほっと一息ついている。
同じように後ろからクウハが覗き込んで見れば、そのケースの中にあったのはバイオリンのような弦楽器だった。
「バイオリン……か?」
「いえ、違います。ヴィオラですよ」
「違いがわかんねェ……」
「よくある話なので大丈夫です。僕も最初はわかりませんでしたから」
ヴィオラとバイオリンの違いがわからず唸るクウハに対して小さく笑う少年は、無事だったヴィオラを優しく撫でてからケースを閉じる。
命よりも大事なものなんです、と呟いた少年は胸をなでおろすが、クウハは1つ納得のいっていない疑問が出来たので彼に問いかけた。
すなわち、何故この森に来たのか、という問いかけ。
この森にある幽霊屋敷の噂は少からずとも聞いている者は多いはず。それなのに何故、この森へやってきたのかが疑問になっていたのだ。
――心霊現象の噂が絶えずに超格安で売りに出されていた、なんてことは少年は知らないだろうが……。
「えっと……練習場所が、ほしくて……」
「練習場所ォ? こんな場所が??」
恥ずかしそうに答えた少年に、クウハは驚いた。
これまでこの森にやってくる者といったら、肝試しだと言って遊びに来た生者か、行く宛がなくて彷徨っている死者か、出会って知り合った者達ぐらいだったからだ。
そんな場所をこのヴィオラの練習場所として選ぶなんて、この少年はいったいなんなのだろう。
クウハは少年を調べるためにわしゃわしゃと髪をいじってみたり、ぷにぷにと肌をつついてみたりしたが、その感触は生者のものだ。
死者であれば多少、無念やら何やらが募って迷い込むことはあるだろうが、と考え込んだが……生者にももの好きはいるもんだ、と1人で納得。
それなら音が聞こえる程度だし、まあ自由にさせてやってもいいかと決めたのもつかの間。
クウハはじゃあ、と閃いた。
「今って、弾けんの?」
「えっ??」
持ってきたのだから、弾けるだろう。そう思ってクウハは1つ少年に演奏をお願いした。
せっかく近所が演奏会の場所になるのなら、いっそ今聞いてみるのもアリだよな、と。
だが、少年は俯いて答えてはくれなかった。
胸が痛むのかと思って顔を覗き込んでみたが、少年の表情はどちらかというと、悔しい、という表情で溢れかえっていた。
「……ごめんなさい。僕、引けないんです」
「嘘だろ。持ってきて、練習場所にするのに?」
「うっ……。そ、それは、その……1から、練習っていう意味で」
「せんせーとかいねェのかよ。普通、そういう楽器って教わった方がいいって聞くぜ?」
「…………」
またしても俯いた少年は、ポロポロと涙を流し始める。
流石に泣き出すとは思ってなかったクウハは思わずごめん、と謝ったが……少年は涙声のままに、胸中を告白した。
曰く、彼はヴィオラ奏者だった祖父の意志を継ぎたいと目指していたのだが、両親がそれを良しとはしなかった。
必ずしも成功するとは限らないし、祖父と違って名声ではなく悪評が立ってしまうことがあるかもしれない。何よりヴィオラ奏者として活躍するにしても、楽譜も読めないのにどうするのだと叱られて。
それでも両親を説得してみようと試みたが、話を聞いてもらえず。思い余って祖父の使っていた形見のヴィオラと共に家出をして、この森にたどり着いたという。
森の中なら誰もいないし、ちょっとした練習場所にもなると予想してこの森に来たのだと少年は言うが、人がいることに関しては彼は知らなかったようで。
そこまで話を聞いたクウハは、まあよくある家庭内の問題だな、と色々納得した上で……少年に対して、『これからどうしたい?』と問いかけた。
「えっ……こ、これから……?」
「そう、これからよ。まさか、マジでここに居座ってずっとヴィオラの練習するとか、言わねぇだろうなァ?」
「え、ええと……」
少年は口ごもった。
これからどうしたい、という問いかけに対する答えが見つからないのか、またしても俯いてしまってそれ以上答えることがない。
否、答えたとしてもそれが本当に正しいのかどうか、答えたとして間違えていたらどうすればいいのか、色々と頭の中で考えてしまっているようだ。
そんな少年を、クウハはじっと見つめる。
ああしたらどうか、こうしたらどうか、なんて自分からは言わない。ただただ、じっと見つめるだけがクウハが出来ることなのだと言うように。
少年はクウハに見つめられながらもあれこれ考えて、自分がどうしたいかをしっかりと定める。
誰が聞いても納得する答えを出したい。ただそれだけ。
そうして、意を決したように少年は拳を握りしめて、クウハの瞳を見据えて。
今にも涙が出てきそうな青い目が、輝きを強めたままに問いかけに答えた。
「色んな人に教わって、いっぱい練習して……お兄さんに認めてもらえるようなヴィオラ奏者になって、またここに来ます!」
「へェ……言うじゃん」
強い言葉に、強い決意。それが声の大きさにも反映されているのか、屋敷全体に響き渡った様子。
なんだなんだと住民達が部屋の外で少年とクウハのやり取りを眺める形になっていた。
そんな中で2人のやり取りは、それはもう、友達と約束するようなものに見えただろう。
まだ少年の名前も知らない、そもそもどっちも名乗っていない状況で友達との約束というのもなんだかおかしな話ではあるのだが、見え方によってはそう見えてしまうほど。
転んで、気絶して。本当ならそこで野良犬に食われててもおかしくなかったのに……お兄さん――クウハが助けてくれたから、何事も諦めなくてもいいんだ、と気づけた。
だから、まずは諦めずに色んな人にヴィオラを教えてもらえないかをお願いしてみよう。そういった考えが少年に浮かんでいたようだ。
「お兄さんが助けてくれなかったら、僕、そもそも奏者の夢どころじゃないですもん」
「まあ、確かになァ……。いやまあ、気まぐれだったんだけどよ」
――何が何でも、持ってたヤツの中身が気になったからとかは絶対に言わない。
クウハの視線が少しだけ少年から逸れる。
「それに、僕……」
続きを言おうとして、少年の言葉が止まる。その視線は窓の先に向けられ、空を見上げている。
クウハも同じように視線を向けてみれば、晴れやかな空に浮かぶ白い雲が、ゆったり、ゆったりと流れているだけ。それ以外には何もなく。
けれど少年には何かが見えていたのだろう。それを告げること無く、ふるふると首を横に振ってヴィオラの入ったトランクケースを再び持ち上げる。
「えっと、僕、そろそろここを出たほうがいいですよね」
「ん? まあ、そうだな。オマエを泊めてやりてぇが、あいにく今日は部屋が満室なんでなァ」
「じゃ、じゃあここの部屋も……」
「そ。誰かの部屋」
「あわわわっ、い、急いで出ていきますね!」
「あー、あんま急ぐなって。また転ぶぞー?」
どたどたと、慌ただしく部屋を出ていった少年。彼には住民達の姿は見えていなかったのか、はたまた急いで出ていったからか、ともかく住民達のことは気にせずにすぐに外へと出ていった。
その様相を2階の窓から眺めたクウハ。これからどうなるやらと軽いため息を付いて、住民達にまた掃除を頼んだ、とだけ声をかけて自分の部屋へと戻っていった。
●その後
そんな少年との出会いは、いつの話だっただろうか。その日を覚えているかどうかも怪しい。
あれからヴィオラの音はまだか、まだか、と楽しんでいたが、いつの間にかそれを待ち続けることはやめた。
ボーっとしてれば来るだろう。そのぐらいの精神で待ち続けることに。
だが、クウハの預かり知らぬところで少年は夢に向かって走り続けている。
森ではない、屋敷ではない、どこか別の場所でヴィオラを弾いていることをクウハは知る由もない。
彼が有名になったか、それとも失敗しているのか。それを知る機会はなかった。
「くぁ……あ~、眠ぃ……」
今日もまた、クウハは待つ。
小さくあくびをして、暇つぶしが来ないかな、と。
おまけSS『そりゃそうだ』
「……そういやぁ……」
あふ、ともう一度あくびをして、窓を見やるクウハ。
なんかあの時やってねェよな、ということに気づいているのだが、その何かが思い出せない。
あのときのやり取りを思い出していくのだが、泣かれたり、決意持たれたりが頭に残ってしまって邪魔をする。
「うーん……なんだろうな。なんか忘れてる……」
ごろごろ転がる中、住民がやってくる。
何を悩んでいるのかと聞かれたので、あのときのやり取りを思い出してると答えると……住民は1つ、クウハに聞いた。
――その子の名前、ちゃんと聞いた?
「…………あ」
素っ頓狂な声を出して、クウハは頭を抱えこんだ。
少年の名さえ聞いていれば、街の中で活躍しているか、失敗してるかどうかを知れたかもしれないのだが……。
「ちくしょう、また来いよ! 早く来いよ!」
――どうなったか知りてぇ!!
その思いを胸に、クウハは空へと叫び続けたそうな。