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四角い海が都会にあった
登場人物一覧
「あ」
まるで飴を転がすような円い声が聞こえて、古木 文は振り返った。
見れば腰に刀を穿き、手にタブレットを持った青年が驚いた顔で此方を見ている。
知り合いだろうか。このように綺麗な青年なら印象に残って早々忘れないはずだが。
文は表情に出さぬよう内心でこっそりと首を傾げる。
白衣を着ているところから考えるに練達の研究者か。それとも大学のインターン生か。
若木のようなすらりとした手足につけたイヤリングや黒手袋といった洒落た小物が今時の若者らしく、よく似合っていた。首元に巻かれた真っ白な包帯は痛々しいが、どことなく危なげな色気を含んでいるようにも見える。
黒い長髪は邪魔にならないよう丁寧に結い上げられ、厚いレンズ越しでも分かる緋と乳白の特徴的な瞳が喜びと驚きを滲ませて微笑んだ。
「街中で会うなんて珍しい」
「その声、ランドウェラ君?」
「そうだよ。ひさしぶり、えっと」
「古木だよ。古木、文」
「そう、そうだった、文だ。石神地区や逢坂地区の依頼でも一緒だったよね」
ランドウェラ=ロード=ロウスは落ち着いた面立ちの中に無邪気な微笑みを浮かべた。
清廉とした見た目と純真な性格を持つウォーカーの青年。
文にとっては同郷に位置するはずの、けれども異なる世界線と縁を結んでいる彼。外見年齢と受ける印象が少しばかり違う妖精のような存在、というのが文の印象だ。
「覚えていてくれて嬉しいよ。此処で君に会うなんて、フライヤーにスタンプを押した時のことを思い出すね」
「スタンプ……?」
首を傾げたランドウェラの白い肌からすっと血の気が引いた。
「フライヤー……赤いインク……苦い……」
「今のは忘れようっ!! ね? ドリンクバーミックスなんてどこにも無かった。良いね? ごめんね?」
それにしても驚いた、と表情と言葉で文は続けた。
「普段と雰囲気が違うから気がつかなかったよ。剣士然とした洋服も凛々しくて恰好良いけれど、その錬達らしいカジュアルな服装も可愛、いや、よく似合ってる」
よく見れば目の色も、両耳のイヤリングも首元の包帯も普段と同じものだ。しかし服装と髪型だけですっかりと練達のビル群に溶け込んでいる現代風のランドウェラに、センスが良いんだなぁと感心しながら文は何度も頷いた。
「その眼鏡はどうしたの? もしかしてもう片方の目も視力が落ちてしまったんじゃあ」
「これはアクセサリーとしての眼鏡。視界が良いとはお世辞にも言えないけど、変かな」
「いや、とても似合ってるよ」
「それは良かった。眼鏡、お揃いだ」
「そうだね」
ランドウェラの話し方は純粋で、それでいて人の心の機微に長けていると文は感じた。依頼の際にちょっとしたやりとりを交わした事はあるが、こうやってゆっくりと会話らしい会話を交わしたのは初めてかもしれない。
「文は、休み?」
「そうだよ。ランドウェラ君は」
「僕も休み」
こんぺいとう食べる? とランドウェラが差し出してきた柔らかい色の星の欠片を摘まんで二人は舗装された道を歩いた。
「今日、これから予定はあるかい?」
ころりと頬の内側で溶ける甘味を感じながらランドウェラは首を横に振った。ふらりと街中まで出てきたものの、別段やることは決まっていない。
「良かった。それなら少し、僕の用事に付き合ってくれないかな」
「すいぞくかん?」
「そうだよ。良かった、開館してて」
文に連れられてランドウェラがやって来たのは、四角いビルの中に海がつめこまれた建物だった。
紺色の世界の中、ぼんやりとした蒼い光に導かれるように歩いて行く。
ランドウェラにはその色彩をはっきりと感じ取ることが出来ないが、巨大な水槽の中を魚の群れが自由に泳ぐたびに、銀の鱗に反射した太陽のきらめきが星のように薄暗い館内に降り注ぐのは分かった。
「文、魚だ。魚が沢山いる。あっちには亀もいるぞ? 親子かな」
「おや、本当だ。よく見つけたね」
「あれは何だろう。魚に見えるけれど平たいし、随分と大きい。図鑑には載ってなかった」
「むこうに説明があるから見に行ってみる?」
「行く」
ランドウェラの小指ほどの魚もいれば、文とランドウェラが両手を広げてもまだ足りないほど巨大な魚もいる。
ガラスに触れても良いと書かれていたのでランドウェラは遠慮なく巨大な水槽に両手をつけた。
ひんやりと冷たく、透き通って、重い硝子だ。
ビルの屋上まで続く高い円柱状の水槽に、どれだけの魚が住んでいるのか。ランドウェラには想像も出来ない。
遥か頭上に見える鰯の大群は、まるで生きた天の川のように回転をしていた。
「こっちにはペンギンがいる。カワウソもいるし、ラッコもいるのか。ヒトデも……この並びで突然のヒトデってどういうこと?」
「捕食関係に無い生き物同士を隣の水槽に配置してるんじゃないかな。逃げ出した時のために」
魚以外もいるのか、と。この水族館なる場所に対してランドウェラは新たな知見を得た。
文は少し離れた所から水槽を見るのが好きらしい。ランドウェラと目が合うたびに小さく笑うが、その様子が時々、魚以外を見て楽しんでいるような気がするのは何故だろう。
「文。このクラゲ、花みたいだ」
「本当だ。水中花だね」
話しかければ意外と文は喋った。ランドウェラは彼に物静かな印象を持っていたので、返ってくる答えが新鮮で話題を見つけては投げかける。文はどこまでも、ランドウェラの知る日本人らしい日本人だった。
「売店がある。見てきても良いかな」
「勿論。僕も興味があるから一緒に行くよ」
「分かった。買い物が終わっても先に行かないでね」
ぬいぐるみにキーホルダー、ボールペンに饅頭。
土産物で溢れる店の中を縫うようにランドウェラは進んでいく。ひらひらと白衣が蝶のように翻り、たなびいた黒髪が棚の上から覗いていた。
「あった」
青と白の金平糖。真ん中の巨大な水槽をイメージしたものだ。あると良いなとは思っていたが、実際に見つけると嬉しくなって、ランドウェラは動く左手できゅっと瓶を握りしめた。丸い瓶の中では魚の形をしたラムネ菓子が数個泳いでいる。
「お待たせ」
「その顔だと、何か良いものがあったんだね」
「そうなんだ。何だと思う?」
「何だろう。ちょっと待ってね。考えるから」
「じゃあ、あと五秒ね。五、四、三」
「数えるの早くないかい!?」
「早くないよー」
自分の口調に甘えが混じっている自覚はあったが、ランドウェラは敢えて正そうとはしなかった。相手も少し、それが嬉しそうだったから。
「正解は、これ」
「中で魚が泳いでるね。金平糖かな?」
「正解。それは文の分」
「え?」
「今日は連れて来てくれてありがとう」
楽しいよ、とランドウェラは告げた。
文は驚いた顔のまま手の中に収まるほどの小瓶を見つめている。
「……どういたしまして。僕の方こそ、付き合ってくれてありがとう」
その呆気に取られた表情に満足したのか、ランドウェラは嬉しそうに破顔する。
「もし僕に兄がいたら、文みたいな人がいいな」
ランドウェラの呟きが聞こえたのか。文は一度完全に動きを止めた。
「ランドウェラ君、甘い物は好きかな」
「うん」
「それは良かった。上の階でスイーツフェアをやっているそうでね。折角だし食べて帰ろう」
差し出された手を左の手で取って、ランドウェラは即座に頷いた。
「おごり?」
「おごりだよ」
「やった」
「お手柔らかに」
楽しい休日は、もう少し続くようだ。
おまけSS『ビルディング水族館マップ』
・イメージジャンル
癒し/可愛い/休日
子供の喜ぶ場所
きらきらした場所/アカデミック
遊園地/△動物園/〇水族館
・連想ワード
都会の水族館
ふわふわ会話
星と海とお砂糖と
赤と白、紺と黒、青と銀
白衣とスーツ
叔父と甥
・イメージ風景
GINZA
某TOKYOのビルに入ってる水族館
・イメージ音
水槽と泡の音
カリンバ