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グッド・ネーム
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ラム肉のあとにデザートとして金平糖を食べて、満腹で帰路につくランドウェラは、口の中で何度も『彼』の名前を反復していた。
「コヒナタ・セイ。コヒナタ。セイ。コヒナタ……」
何かがひっかかる。何がひっかかるのだろう?首をひねる。
口の中で繰り返す。何かが……しっくりこない。
「コヒナタ……こひなた……小日向……」
そしてはたと気づく。
これは、そうだ、
「……あ!?コヒナタって苗字じゃん!?」
●
名前、というものは、とても大切なものである。
親が子に、或いは家によっては祖父母や一族の総意で決めてつけるものであったりするし、とある世界の極東では『言霊』という言葉もある。これは言葉に宿る力を示しているし、人や場所によっては文字の画数だとかで有り難さを占うこともある。
西洋でも、子に親と同じ名前をつけたり、誰かにちなんだ名前を、めでたさや験担ぎのためにつけることがある。
また、名前のない何かに名前を与えるという行為は、他の世界やこの世界でもしばしば行われていることだ。
赤ん坊だろうと、名前を忘れた、或いは元から無い誰かであろうと、そうして名の無い存在に名付けて呼称するという行為は得てして重大なことだ。
名前とは、古今東西、その人物のパーソナリティを表したり、パーソナリティそのもの足り得るものなのだから。
……と、ランドウェラにとっては、そのような諸々の事情がなくとも『名で呼ぶ』ということは日常的なことだった。もし相手が名前を大切にしているのであれば、それは尊重して然るべきものだし、なにより相手に対して親しみを得るからだ。
●
先日と同じラム肉のステーキが評判のダイニングに呼び出されたコヒナタは、真剣な顔でこちらを見るランドウェラを、固唾を飲んで見ていた。何か先日の依頼で重大なことでもあったのだろうかと思案するコヒナタに、ランドウェラは慎重に、そして重大に切り出した。
「コヒナタ、って……苗字なんだな……」
「はい?」
至極間抜けなコヒナタの声が出た。
「うん? 苗字? なにがどうしてそういう話題に今なってるんです?」
ランドウェラはそう言われて、うーんと唸り、腕を組む。
「あの、いつも僕、人のこと名前で呼んでいて。 それでしっくりこないなー、って思ってたら、コヒナタって苗字なんだー……と思って」
そう言うランドウェラに、ああ成程、この人は呼び方を大切にしてくれるタイプの人間か、とコヒナタは得心が行く。
「どちらでも呼んでいいと言ったのは私ですし、別にそう気にされなくても」
「いやー……いつも人のこと名前で呼んでるし、この前の依頼で助けて貰ってるし。 こう、変に苗字で呼ぶよりかは……こう……フィーリング的なもので大切にしたいっていうか……名前って、大切じゃない?」
まぁ分からなくもない、と思うコヒナタ。
「うーん、私はコヒナタと呼ばれても良いですし、セイと呼ばれても構いません。 ああ、これは『どう呼ばれても気持ちは別に変わらない』、のではなく、『正しく呼ばれたらどちらでも好き』、なのですよ」
「というと?」
「私のおじいちゃ……こほん。祖父からコヒナタの姓を受け継いでましてね。 祖父の故郷は私の世界においては極東で、私の出身から国は離れていますが、その苗字の血が私に流れているのは、素敵な縁です」
そうして紙のナプキンを手にとって、携行しているペンを手に綺麗な字を書く。カクカクとした文字、つまるところ漢字だ。
「で、名前の方は『正』や『清』……この文字はそういう読みだそうです」
書いた文字にマルを付けて、それが『セイ』と読むのだと示す。
「『正しくあれ』、『清くあれ』。 祖父が私に名付けてくれた、これもまた素敵な名前です。 だから、どちらも大切で、どちらで呼ばれても良いんですよ」
成程、とランドウェラは神妙な面持ちになる。
「じゃあ……フルネーム呼びが最適……?」
「いやそれじゃあなんか仰々しくないですか?」
思わず突っ込むコヒナタ。ただ、ランドウェラはあくまでも真剣に、大切に考えてくれるようだった。
それがなんだか微笑ましくて、コヒナタは頬を緩ませた。
「んー……なら、どちらかというと、『セイ』呼びの方が嬉しいですよ。 祖父が付けた色々な意味や想いがありますから。 ですから、ほんのちょっとだけセイの方が嬉しさは上かもしれません」
それに、と小声に言葉を続ける。
「おじいちゃんが……沢山呼んでくれたからなぁ」
ランドウェラは、その様子がほんの少し眩しく思えた。
自身の本来の名前は父親と同じものだった。けれど、今は――。
げほっ!とむせる音が聞こえた。
コヒナタが、おじいちゃん、と思わず言ったことに気づいて、お冷をむせたようだ。
けふけふとして落ち着くと、コヒナタも聞きたいことができていた。
「失礼……えーと。 ランドウェラさんのお名前にも、意味はございますか?」
「! うん、名前、意味がある。 えーと……『真実の大地』だったかな」
そう聞いて、それは素敵な名前ですね、と、コヒナタは目を細める。
何の冗談も飾りもなく、素直な賛辞の言葉と表情があった。
「だったら……僭越ながら、私も『ランドウェラ』と呼んだほうが、嬉しいですか?」
それに対して、少し身を乗り出して、ランドウェラは目を輝かせる。
「ああ……うん! 元は違う名前だったんだけれど、色々あってこの名前になったんだ。 だから、ランドウェラ『さん』なんてよそよそしいこと言わずに、『ランドウェラ』と呼んでくれたまえよ!」
そういえば、コヒナタは、この世界で『名前』を意識して呼んだ人間は数少ない。
むん、と胸を張るランドウェラに、ふにゃりと笑顔を浮かべた。
「では、ランドウェラ。 これからご縁がありましたら、何卒よろしくお願いいたしますね」
「……あ、敬語は取れないんだな……」
「アー、はい、これだけは癖でして」
●
ラム肉のステーキが届く。じゅわじゅわと鉄板に乗ったそれは香ばしい香りを放ち、ナイフとフォークで切り分けると肉汁が溢れ出た。
ミディアムで焼かれたそれを大きめに切り取って、口いっぱいにもぐもぐと食べながら、ランドウェラは何か急ぐように食べるコヒナタを見る。
「そんな急いで食べなくても、お肉は逃げないよ」
「あ。 癖でして」
そう言われて、はたとコヒナタはスイッチが切り替わったかのように、丁寧な仕草で食べる。
礼儀作法のなったそれは、見ていて気持ちが良い。
「敬語も、早食いも癖なんだ。 なんで?」
「ンー、元居た世界でそこそこ悪さかましてるところに居まして。 武器は当然扱えないといけない、突然指示が下るかもしれないので、食事はすぐにできないといけない。 かといって礼儀作法が欠けてると……こう! ってかんじです」
そう言うとラム肉を切って、フォークでぐさりと刺す。
「なので、下手をかますといけないので、癖として身についてしまったわけですね」
「……もしかして……セイって、元はだいぶ修羅場っぽいところに居た?」
「まぁ住めば都、生きていれば万々歳なので」
その後にフォークで鉄板で少し熱したラム肉を一口食べる。そしてゆっくりと噛み、こくりと飲み込んだ。ラム肉と岩塩の味が合わさって、胃まで届いても満足の行く風味が口の中に残る。
直球な質問に対して、コヒナタは特に悪びれもしなければ目を泳がすこともなく、普通の世間話をするように続ける。
「私が居た世界は、魔法とかそういう超常的なものがない世界でしたから、この世界は驚きの連続ですよ。 この前の戦闘の時の雷撃、あれも正直未だにびっくりしていますからね」
その様子に、ランドウェラは余計な心配や遠慮は不要そうだと判断した。だから、変わらず会話を続ける。
「セイの射撃の腕前も魔法みたいだけれども」
「お褒めの言葉と受け取りますよ? 高度に発達した技術は魔法と変わらない、というお言葉がございますねぇ」
そうして二人がラム肉を会話を交わしながら半分ほど食べ終えた時、だ。
「なんだてめぇ! やるのか!?」
「あ!? 受けて立つぞ!?」
がたっと立ち上がる向かいの客二人。何倍ものビール瓶が立っていて、罵声を上げる二人の顔は真っ赤。相当酔いどれているのが分かった。
「お、お客様……」
怯える店員に、すっと立ち上がるランドウェラ。ふとコヒナタの方を見れば、コヒナタのラム肉はもう無くなっていて、口元を紙ナプキンで拭くと、コヒナタも立ち上がっていた。
「わあ、ホントに早食いだ」
「ま、こういうこともありますから、そういうことです」
さて店員さん、ちょっと後ろに行ってねー。
そう言って二人は迷惑客二人の方へと向かう。
「ところでセイ、酔いどれ迷惑客の対応の礼儀作法って何?」
「ンー、