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ハイディは君に問う
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――大事な武器(コ)、折れちゃったね
――なんだかすっきりしてない顔だ
――代わりの武器(コ)が欲しくなったら、訪ねて来ると良い
シャルティエは燃える大樹の中で武器を失った。魔種の男が振るう剣の一撃に、彼の剣は耐えられなかったのだ。
……以来ずっと、さっきの言葉を心中で繰り返している。武器商人を名乗る、素性の知れない、けれども信頼できる仲間でもある彼――彼女、かもしれない――の言葉。
武器が無ければ戦えない。其れは重々承知だった。
けれど。
いま武器を手に入れたとして、果たして振るうに足るのだろうか。以前の自分と同じように、剣を振るえるのか?
……ぐずぐずとした感情がシャルティエのなかで渦巻いている。
名前は判ってる。だけれど、……こんな感情を抱く資格が、己にあるのかとも思う。しろうさぎのような純白の彼女に、こんな己が手を差し伸べて良いのか。
タールのような感情でどす黒く煤けた己の手では、彼女を汚すばかりではないのか?
「――っ」
街をとめどなく歩いていたシャルティエだったが、そこで初めて拳を握り、空を見上げた。
雨が降ってきて、今の自分を洗い流してくれやしないかと思った。けれど、きっと駄目だ。これを洗い流すには、自分で向き合って、見詰めて、しっかりと擦るしかないのだろう。
目をきつく閉じて、開く。そうして此処はどこかと周囲を見回す。
「……え」
シャルティエは目を疑った。それはそうだろう。
“サヨナキドリ”と銘打たれた看板が其の建物にはあったのだ。
はてさて、其れは運命か? 其れとも彼が糸を手繰り寄せたのか。
店の主人は――武器商人と呼ばれる其の人は、硝子窓から見える店の奥に座り、ひらひらとシャルティエに手を振っていた。
***
「やァ、クラリウスの旦那。ふらふらと歩いているからちょっと心配したよ」
「すみません、少し考え事を……でも、吃驚しました。まさか此処にお店があるなんて」
「まあね。店はいつだって、求める者の前に現れるって事さ。あれからあの武器(コ)はどうだい?」
扉のノブを掴む感触。キイと鳴いた木製の扉。
確かに武器商人の店は其処にあるのだと判っても、シャルティエはまだ事実として受け入れられずにいた。
まるで目の前の麗人に化かされているようだと思い、――失礼だと撤回する。きっと無意識にこの店を探していたのだ。散歩に出た理由が考え事であれ何であれ、折れた剣の代わりを探していたのは事実なのだから。
「修復は難しいと言われました。余りに綺麗に折られているから、繋いでも折れやすい剣になってしまうと……」
「其れは残念。馴染みの武器(コ)との別れは寂しいね」
「ええ。でも、……僕は戦わないといけませんから。折角なので、武器を見せて貰って良いですか?」
シャルティエが周囲を見回すと、大小さまざまな武具が並んでいる。剣に盾、弓矢、槍、其れにあれは銃……だろうか。握った事のあるものや、見るのさえ珍しいものが、此処には並んでいた。
「幸い今日は品揃えが良いんだ。色んな武器(コ)が揃ってる。運が良いね、クラリウスの旦那」
「……悪い日も、あるんですか?」
「……。アハハ!」
恐る恐る問うたシャルティエに、武器商人はやや沈黙を落とすと、思わずといった様子で笑った。そうだね、とくすくす笑いながら返す。
「仕入れ次第さね。あとは需要。丁度……昨日か。品を補充するついでに新しいのも幾つか仕入れたところでね。だからクラリウスの旦那は幸運だってコトさ」
「そうですか……商人さんの店は人気そうだから、其れは幸運ですね」
「大事なコとのお別れは寂しいけれど、新しいコとの出会いは嬉しいもの。クラリウスの旦那も、そう思って見てみなよ。きっとイイコと出会えるよ」
席を立ち、シャルティエの隣に並ぶ武器商人。存外背が高いので、シャルティエは彼を見上げる形になる。
「片手剣だったね」
「え?」
「旦那の武器さ。其れとも両手剣に鞍替えしてみたいと思ってたり?」
「い、いえ。僕は剣と盾を持ち慣れているので、……はい。片手剣を捜しています」
「良い返事だ。片手剣はこっちだよ」
武器商人が先導して店の中を歩く。外から見るとこじんまりして見えたのに、中に入るといやに広く感じるのは何故だろう?
盾のコーナーを回り、仕込み武器らしきものたちを見送って、そうして、ようやく片手剣のコーナーに辿り着く。
「……」
何故だろう、無言が重い。
シャルティエが武器商人の方を向くと、……なんと、鼻先がくっ付きそうな距離に彼はいた。
「う、うわ!?」
「アッハッハ!」
「な、何かありましたか……!?」
「いや、何だか晴れない顔だと思ってさ。ずうっと考え事をしてる顔だ。……やっぱり、まだ引きずってるのかい」
あのルドラスって魔種の事。
武器商人が紡いだ其の名前に、シャルティエは身体が強張るのを抑えられなかった。……「はい」とも「いいえ」とも言えなかった。ルドラスはきっかけにすぎない。あの魔種は確かに“彼女”の根幹を揺るがす存在であったけれど、これはあくまで自分の問題だ。
「あの魔種の事を思うと、身体が煮えたぎるような思いがする?」
「!」
「胸の奥がグルグルするかい? 無性にイライラするんじゃないかい? あの時武器(自分のコ)を折られた、其れだけじゃない何かがわだかまっている?」
「……どうして」
「どうしてってそりゃあ、キミがそういう顔をしているのさ。クラリウスの旦那。でも旦那、うさぎの娘はとうに覚悟を決めたんだよ。あの時一緒には行けないって言ったじゃないか。護ると言ったあの魔種の手を、うさぎの娘は跳ね除けてみせたじゃないか」
そうだろ?
見透かしたかのように、武器商人は首を傾げる。刃のような色をした髪が、さらり、と流れた。
――シャルティエは黙り込んだ。何と返せば良いか判らなかったし、目の前の武器商人の言う事は正論だと思ったから。
彼女は跳ね除けた。『両足を失って、心を護りたいと思った』。そう言った。
でも、どうしても纏わりついてくる。罪悪感と己への憤りが収まらない。そして――まるで嫉みにも似た感情が、ずっと心の底にわだかまっている。
己が嫌になる。
そんな思いをシャルティエは今までした事がなかった。誇れる己であれ、と前を向いていたのに、最近は気が付けば、爪先が後ろを向いているのだ。
「ふむ」
武器商人は黙り込んでしまったシャルティエを見て、一つ唸るとイイコに並んだ武器たちを見た。
ねえ、イイコ達。キミ達なら、この旦那になんて声を掛ける?
キミ達の中に、握られたいコはいる?
――ああ、そうだね。きっとキミなら。
旦那が選んでくれるかはさておきだけど……さあおいで。旦那に会わせてあげよう。
「旦那」
「……」
「クラリウスの旦那」
「! は、はい」
物思いに耽るシャルティエを引き戻すのに遠慮呵責はなかった。彼一人では、きっと答えは見付けられない。
だから、という訳ではないが――まあ、これくらいはサアビスの範疇だ。
「このコを持ってご覧。旦那にきっと丁度良い」
「え?」
「ほらほら、良いから」
片手剣にしては細身で、シャルティエに軽々と握れるのではないかという其れを、武器商人はずいずいと押し付ける。
シャルティエは勿論、これはきっと自分に軽すぎる、と思ったのだが――其れでも商人が“丁度良い”というのなら、何か意味があるのだろうと其の剣を手に取った。
――其の剣は、見た目より遙かに重かった。
***
「ねえ、あなた」
「え?」
シャルティエは闇の中にいた。
慌てて周囲を見回せど、さっきまで傍にいた商人や武器の棚は見当たらない。
ただ、目の前に一人の少女がいた。くすんだ青い髪に、掠れた金の瞳。色だけ見ればシャルティエと同じだ。
「君は……」
「アタシの事はどうでもいいの。あなたの事が聞きたいわ。あなたは剣を握りたいの?」
「剣を……?」
「そう。だって貴方、剣を握るのさえ躊躇ってる顔をしている。剣を握っても何も守れないなら、……そう思ってる?」
「……」
黙す。
現に剣を握っていても、シャルティエは護れなかった。護りたかったものが悉く手の中をすり抜けていく感覚が蘇る。
「……アタシの重さは、あなたが思う覚悟と同じほど。ねえあなた、アタシを振って御覧なさいよ」
「え……?」
「アタシを握らせてあげるわ。アタシの名前は……主人様から聞いて頂戴。アタシはあなたに問い掛ける。貴方は何故剣を振るのかを」
ずっと問い掛けるわ。
だから、見付かるまで振るい続けて。
ねえ、これはアタシの優しさよ。あなたならきっと、なぞなぞに応えられる日が来るって期待してるんだから。
くらり、と視界が揺れる。
闇が波打って、少女の姿が薄らいでいく。
――其の時まで、またね。
少女の幼い声が、言った。
***
……。
…………。
「っ!?」
「ああ、起きたかい」
がばり、と身を起こしたシャルティエは、まず腕に重さを感じた。
右手を見ると、先程武器商人が紹介してくれた剣を握ったままだった事に気付く。……そうだ。この剣を握ったら、目の前が急に真っ暗になって……
「其のコに気に入られたみたいだねえ」
シャルティエが改めて周囲を見回すと、其処はなんと片手剣売り場のど真ん中だった。自分は通路で横になっていたのかと、立ち上がって青年は己を恥じる。
「すみません、急に倒れたりなんかして」
「いいや。其のコと話したんだろう? 本当は運んであげたかったんだけど、生憎アタシは非力なものでさ」
思ったより早いお目覚めで良かった、と武器商人は頷く。
確かに今のシャルティエは、散歩とはいえ軽装ではない。何があっても良いように最低限の武装はしていたから、武器が立ち並ぶ通路で武器商人が彼を担ぐ、などという事は無理だったろう。
「良いんです。……でも、不思議な幻を見ました。青い髪の女の子が僕に聞いたんです。“どうして剣を振るうのか”……」
「へえ。キミはなんて返したんだい、旦那」
「……答える前に、目が覚めてしまいました。あの子には面目ないですが……そう言えば……名前は主人様に聞いて、と言っていました」
「成る程、成る程? 其の子の名前はね、ハイディって言うんだ」
「ハイディ?」
そう、と武器商人は頷く。
“なぞなぞ”という意味だと。
「アタシが握っても応えてくれない気難しいコでね。仔細は話しようがないんだけど……多分あのコに会った旦那の方が判っているね」
「……判っているのかどうか……ただ、振っても構わないとは言ってくれました」
――アタシを振って御覧なさいよ。
「前を向けるまで、握らせてあげると……」
シャルティエが見下ろした其の細身の剣は、きらり、と店の明かりを受けて銀色に輝くばかり。あれはただの白昼夢だったのかもしれないけれど……武器商人は其れを笑わなかった。幻だとも何とも言わず、そうかい、と頷く。
「じゃあ、そのコはキミを選んだんだ、クラリウスの旦那。やっとお眼鏡にかなうニンゲンを見付けたというところかねえ」
「……そう思って貰えたのなら、僕は其れに応えたいと思っています」
「おや? じゃあ、そちらをご購入で?」
「剣に後押しされるなんて情けないかもしれないですけど、……お幾らですか?」
ふふふ、と袖で口元を隠して武器商人は笑う。
そうして告げたお代は、思ったよりも安価だった。寧ろ片手剣にしては安すぎるのではないか、とシャルティエは思った。
だから率直に問う。、少し安くないですか? と。
「ふふふ。そのコは気難しくてね、なかなかお相手が見付からなかったのさ。だけどようやく見付かったんだ、折角の縁を逃しちゃ可哀想だろ?」
「お、お相手……」
「そう。じゃ、ご購入という事で。鞘は奥にあるから、ちょっと待ってておくれ」
「あ、はい」
さくさくと購入の手続きを進める武器商人と、ぱちくりと目を瞬かせるばかりのシャルティエ。
若い騎士は“なぞなぞ”と名付けられた其の剣を見下ろし、手に持ってみる。矢張り其の細身に似合わず重い。
……この重さに応えられる日は来るのだろうか。
いや。……応えてみせる。そうすればきっと、己の中のわだかまりにも決着を付けられる日が来るはずだ。
シャルティエは軽く、剣の武骨な柄を撫で……宜しく、と呟いた。