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白夜中夢
登場人物一覧
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これは同人サークル『コロッケパンと茜雲』が委託販売中の同人合同誌『白夜中夢』の内容です。
実在の人物団体性的すぎる24歳男子とは関係ありません。ありませんたら。
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●第零章 俺が青春だったころ
コーヒーの甘い香りと毛糸の感触。
おひさまの射すレースのカーテンがふくらんで、木目の床に転がった俺の手を照らした。
差し込む夏の香りが、いつかの僕を思い出させる。
いつかの、少年だった俺を。
青春のなかにいた、俺のことを。
『あのひと』の手のぬくもりと、おひさまのような香りと共に。
あの日、俺の手に重なった、あのぬくもりを。
●第一章 子猫のような間違いさがし
マサ姉ちゃんはジャスミンみたいなにおいがした。
最初にそう気づいたのは、親と一緒に母方の実家に泊まった時だった。
夏祭りの帰りの夜、遊び疲れた幼い俺を抱きかかえてくれたのがマサ姉ちゃんだった。
ずっと遠くで上がる花火の音と、浴衣姿のマサ姉ちゃんの体温と、首筋からかおる甘いふんわりとした香りに、俺はまどろむように目を閉じたのを覚えている。
その時マサ姉ちゃんは前髪を長くしていて、抱き上げられた時間近で見た瞳と長い睫が、花火の光にかげって揺れていた。
それを知っているのが俺だけだったように思えて、あの日俺は約束をすることにした。
両親に連れられて家に帰る前の晩。
縁側に座るマサ姉ちゃんに。
ふわふわした気持ちの中で。
「大きくなったらお嫁さんになって」
俺は、大事な約束をした。
それを、いつまでも覚えていた。
きっと、これからも。
●第二章 なべて夢の終わりに
心の中に憧れを飼っていた。
花火の音とジャスミンの香りと、頬にかかるさらさらとした髪。
内側に見えた切れ長の目。
夏が来るたびに思い出す、暖かい記憶。
そんな俺に、大きな転機が訪れた。
仕事の都合で両親が海外に赴任することになり、その間親戚の家でお世話になる、ということになった。
そうしてキャリーバッグを引いて訪れたのが都内の住宅地。小さな戸建ての家の前だった。
住所を書いた紙を手に、表札の前に立つ。
『透垣』と彫り込まれた石の表札。ノックをするためのリングに手をかけて、ドアを二度ほど鳴らした。
扉の向こうから近づいてくるスリッパの足音。
カタンという解錠の音と、開く扉の、ふわりとした香り。
ジャスミンの香り。
何年も経ってすり切れてしまった筈の記憶が、輝きと共によみがえった。
大きめのシャツ。昔と違ってこそに届くくらい長い髪。少し前屈みになった状態で二度ほど瞬きをして……そして、俺の名前を呼んでくれた。
「久しぶり。大きくなったね、――くん」
紛れもない、マサ姉ちゃんだった。
高鳴る胸がうるさくて、言葉がでなかった。
俺のことを覚えていてくれた。
名前を呼んでくれた。
もしかしたら、あの夜のことも……。
「遠くて大変だったでしょ? 入って。コーヒーいれるね。あっ、紅茶がいいかな」
どこか嬉しそうにバタバタとするマサ姉ちゃんを、どこかぼんやりと見つめる。
「他の人は」
「今はこの家に一人だけだよ。あっ……」
茶葉の入った缶を手に、振り返るマサ姉ちゃん。
揺れた髪の向こうで、どこかはにかむように笑った。
「今日からは、二人だね」
あの時とちがって、マサ姉ちゃんの前髪はまっすぐに切りそろえられていた。
切れ長の目が、長い睫がよく見える。
俺だけが知っていた秘密が誰かのものになったみたいで、胸がチクりといたんだ。
「あの、さ、マサ……」
「ん?」
昔のように名前を呼ぼうとして、口が止まった。
マサ姉ちゃんにおきた変化の理由を知りたくて、けれど知りたくなくて。
「政宗、さんは……いつも一人なの?」
「なあに? その質問」
笑いながら、マサ姉ちゃん……いや、政宗さんは缶の蓋を開いた。
広がるセイロンティーの香り。
リンゴのような甘みにのって、政宗さんは笑った。
「友達が泊まりにくることはあったけど……たまに、かな。恋人でもいると思った?」
「そんなんじゃ……!」
すぐに否定して、しまったと思った。
まるで本当に詮索しているみたいじゃないか。
けれど政宗さんは、それ以上俺に追求をしなかった。
暖めたポットとカップをテーブルにおいて、俺の隣に座る。
政宗さんからしたジャスミンの香りと紅茶の香りがまざって、どこか夢みたいな気持ちが広がっていく。
「昔はあんなに小さかったのに」
俺のカップにお茶を注ぎ入れながら、政宗さんがちらりと俺の顔を見た。
「今じゃ僕が追い越されちゃったかな」
「うん……あの、さ」
やっぱり。
聞いておきたい。
あの夜の約束を、政宗さんは覚えているんだろうか。
俺のことを忘れていなかったなら。
そして、あの約束はまだ……。
勇気を出して尋ねようとした途端、ピィという電子音が響いた。
キッチンの壁に設置されたバスルーム制御盤からの音だ。
「お風呂が沸いたみたい。ゆっくり浸かりたいでしょ? 部屋に荷物を置いたら、着替えを持っていってね」
そう言って、政宗さんはバスルームへ行ってしまった。
●第三章 闇が夜に違わぬうちに
割り当てられた部屋にキャリーバッグを開いて、着替えや小物を取り出していく。
夜に暮れようとする窓の景色が、吹き込む夏の空気が、花火の夜を思い出させた。
この家に二人きり。
俺と、政宗さんが。
まるで火の付いた藪のように、俺の脳裏に空想が燃え広がった。
ソファに並んで座る二人。
肩にトンと頭を乗せる政宗さん。
はたまた朝のテーブルにつく俺と、エプロンをつけて振り返る政宗さん。
幸せな風景。
独り占めした笑顔。
空想にすら香る、ジャスミンの香り。
俺は首を振って空想をかき消した。
だめだ。
悶々とする気持ちを抑えつけるように着替えを握りしめると、バスルームへと向かった。
扉を開く。
「あ」
下着を手に振り返る、裸体の政宗さんがそこにいた。
香る素肌。
少し張った肩と、細い腰。
長い足と、長い髪と、そして。
「いま出るところだから待ってて、ごめんね」
微笑む政宗さんは。
紛れもない、男性のそれだった。
固まる俺を見て、二度ほど瞬きをする政宗さん。
「えっと、脱衣所は広くないから……」
声をかけられて、俺は二歩ほど後じさりをした。
扉を閉め、背を向ける。
鼓動が胸を熱くしたのを、額からサッと冷たくなっていくのを、それぞれ同時に感じた。
あの夏から十五になるまでずっと抱き続けていた幻想が、崩れていくような感覚。
それと同時に、『これでよかったんだ』と語る脳裏の自分。
暫くしてドアが開き、政宗さんがトントンと肩を叩いた。
「もうお風呂、大丈夫だよ」
「あ……うん……」
それきり、俺は言われるままにバスルームへと入っていった。
●第四章 泡沫
足を伸ばすには不自由なバスタブに湯気がたつ。
石けんは蜂蜜のような香りがして、不思議なほど綺麗な泡がたった。
身体を泡でこするたび、なにかがそげ落ちていくようだ。
思い出や、淡い気持ちや、約束や、そしてきっと恋だったなにかが。
ぐるぐるとうずまいて、排水溝へ流れ落ちていくように思えた。
ぼうっとした気持ちのまま湯を頭から被って、鏡を見る。
十五歳の青年が、そこにはいた。
水滴と曇りにゆがむ自分が呟いたように見える。
いいじゃないか。
昔のことを一度忘れて、政宗さんと俺とで、楽しく暮らせばいい。
男同士きっと気兼ねすることもない。
昔の約束だって、冗談だと思って忘れているはずだ。
「そうだよな……」
なにもおかしいことなんてない。
もう一度湯を被ってみれば、さっぱりとした顔が見えた。
余計なものなんて全て、流れ落ちて消えたようで。
これから楽しく暮らして行けそうで。
●第五章 心の溶ける温度
実際、政宗さんとの暮らしは楽しく続いていった。
政宗さんはきれい好きで、料理が得意で、見とれるほど綺麗だけど男で……そんな政宗さんと過ごす日々が楽しくないはずがなかった。
学校から帰ってくれば、家は夕飯のいい臭いがして、いつも通りに隣に座る政宗さんからはジャスミンの香りがした。
聞いてみれば、お気に入りの香水をいつもつけているのだと言う。
そう話したときの瞳にさした不思議な光には、追求ができなかったけれど、政宗さんと過ごす日々は暖かくて、優しくて……。
けれど。
「ごめん、ちょっと上の缶とらせてね」
食器を洗う俺の後ろに立って、高い棚に手を伸ばす政宗さん。
俺の肩越しに伸びた手が戸を開いて、俺の背に当たった胸元が不思議な柔らかさでこすれた。
振り返るわけにも、手を止めるわけにもいかない俺をもてあそぶかのように、綺麗にマニキュアが塗られた爪が戸棚の奥をさぐり、紅茶の缶を引っ張り出していく。
「ん。ありがと」
耳元で囁く政宗さんの声と、ジャスミンの香りと、頬にかかる髪。
それがどうしても、夏の思い出をよみがえらせた。
そしてだからこそ。
どうしても。
「無理!」
夜の自室。
枕を顔に押し当ててベッドで転げ回る。
政宗さんが男だというのは分かってる。
分かっているけれど、どうしても。
どうしても政宗さんの香りや、長い髪や、細くて柔らかい身体や、そして俺をもてあそぶかのような声が、俺のなかにはいって仕方が無かった。
もう自覚するしかない。
逃げ切ることはできない。
自分の気持ちがあの夏の日からずっと変わっていなかったことを……そして、政宗さんが男であろうと、いや、だからこそ惹かれてしまったことを、自覚するしかなかった。
枕を置いて、立ち上がる。
自覚したなら、もう無視はできない。
「言わなくちゃ」
あの時の約束を、気持ちを、嘘にしてしまわないために。
なによりも。
●第六章 俺が青春になったころ
夜更け。扉を開けると、部屋はふんわりとした甘い香りに包まれていた。
揺れるキャンドルライトのアロマだと分かっても、それがベッドに寝転がる政宗さんの香りであるように思えてならない。
ゆっくりと近づけば、肩の出たシャツとホットパンツだけで政宗さんは眠っていた。
ここで引き返してもいい。
けれど。
おそるおそる手を伸ばして、二の腕に触れる。
柔らかくて細い腕。
どこかひんやりとした感触。
と、共に。
「だめだよ」
政宗さんは目をひらいた。
打ち明けるほかなかった。
考えるより先に声に出ていた。
ずっと昔から好きだった。
独り占めにしたかった。
抱きしめられた感触が、香りが、声が忘れられなかった。
そんな俺の気持ちを聞いて、政宗さんの瞳がすこしだけ揺れた……けれど。
「だめだよ」
もう一度、どこか甘く言った。
「僕たち、男同士なんだから」
「でも」
政宗さんが男だと分かって、それで俺の初恋が終わったと思った。
けれど、終わってなんかいない。
むしろあの瞬間に、始まったんだ。
「でも、好きだ」
涙のように漏れた言葉。
本当に流れそうになった涙を、政宗さんの綺麗な色の爪がすくうようにぬぐっていった。
頬にあたる手。
ぬくもり。
ジャスミンの香り。
政宗さんは、ほころぶように笑った。
「……約束、守ってね」
ぱちん、と泡がはじけた気がした。
●接続章 白夜中夢
目を覚ますと自分のベッドの上だった。
小鳥の声と夏の風。
ぱあっとはれていく脳裏に、重なる唇の感触がよみがえった。
まさか。
跳ね起きて唇を押さえる。
けれどなぜだろう。
あまりにも甘くて、夢のようで、本当に夢だった気がして。
慌ててリビングへと飛び出した。
「おはよう」
エプロンをして振り返る政宗さん。
テーブルに並んだご飯とお味噌汁。
「昨日はよく眠れた?」
「あの、さ」
俺が何かを尋ねるより前に。
政宗さんは唇に指を立てた。
あの時俺の涙をぬぐった、あの色の爪が、きらりと光る。
あの日、確かに、俺は青春のなかにいた。