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Étoile verte
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――あなたは今何をしているでしょうか?
ある日の昼下がり、幻想のバルツァーレク伯の領内に存在する修道院の中にて。
「『……もし、また貴方様にお会いできることがありましたら、その時はどうか、また私の名』――でなんでここで途切れた紙が多いんだい。ここまで書いたならもう少し度胸を見せればだね」
「ねーちゃん何これラブレター!? 続きは!? 続きはなんて書いたの――!!」
「やめろ――!! こら、こらぁあああ!! 部屋に引っ込んでなさいよ――!!」
けたたましい声が鳴り響いていた。
ここはクォーツ修道院。身寄りの無い孤児達の面倒も見ている『孤児院』の側面も兼ねており、多くの子らが住んでいる場所だ。リアの部屋から『ある人物』への手紙――の、正確にはその『残骸』の数々を、修道院を統括しているシスター・アザレアが発見し。更にタイミング悪くその『内容』が修道院の子らにも見られてしまって。
顔を赤く。ねーちゃんが怒った――! と騒ぐ子らに拳骨の構えを作りながら追いかけて。
「ミファー! ちょっとファラを連れて行って!! それからソラも……
あ、こら手紙は置いて行きなさい手紙は!! ああ、もうあたしに構うな――!!」
「落ち着かないかね、全くこの子は……今更じゃないか。とっくに皆には『バレて』るよ」
「それとこれとは別問題……!」
取り上げ破く失敗作達。アザレアはそんなリアの様子に吐息を一つ作りながら。
リアの書いた手紙は恋文……とは一応、些か異なるモノだ。それは『天義の一大事件』の佳境を迎える前にリアが『ある人物』へと宛てた決意の表れたる内容をしたためたモノ。
どうしても拭えぬ不安があった。もしかしたら帰れぬかもしれないという恐怖があった。
吐き出すように。しかしそれは逃げではなく、後悔が無き様にする為に。
たった一つ。手紙と共に添えた、贈り物と共に――
「あああもっと早く……早く処分しておけば……」
「天義でのゴタゴタから忙しかったからねぇ。ま、手紙自体は無事送れているんだろう? その後はどうなんだい。無事に帰還しました……みたいな手紙ぐらいは追加で送ったのか――」
い、と続けたかったアザレアだったが、机に突っ伏すリアの様子を見て瞬時に察した。
この娘――さては送ってないね!
「だ、だだだだって届いて目に入っているかすら分からないし! もし、もし届いてないというかどっかで不審な手紙として差し止められていたりとか――そんな状況だった場合で、追加の手紙を書いたりなんかしたら『訳の分からない手紙を書いた女』とか思われて――」
リアは不安だけが先に立っている状態だ。
というのもそもそも、天義での決戦前に手紙を出した事自体、いつものリアの行動からすると相当に踏み込んだ行為である。無事に帰ってこれた事は良かったが、心身共に落ち着けば『あのような内容の手紙』を書いた事自体に恥ずかしさが込み上げてくるもので。
無事をまた報告すべきだろうか。手紙か、あるいは直接会う事の出来る機会を見定めるか。
いや駄目だ! 機会など、ローレットのお節介な胸の無いある人物から何度か齎されていたのだが結局行けなかった。どういう顔をしてあの方の前に出れば良いか、全く想像がつかなかったのだ。踏む二の足の何度とやら!
「――バカだねぇ。恋は盲目にならなきゃ出来ないモノなんだよ」
アザレアがまた吐息を一つ。しかしそれは失望の類ではなく、若きを見守る年長の優しき眼差し。
恋に慌て、足踏みして。百面相の如く心があちらこちらへと。
若き者が通る一つの『お年頃』だ。悩み悩んで苦悩の果てにゆっくりと歩みを進めるのも、まぁいいだろう。リアは若い。いざと言う時、何がしかの機会が訪れた際に背中を押してやるぐらいが丁度いいのだと――アザレアは思った――
瞬間。
「シ、シスタ――! おおお客さん、お客さんだよ――!!」
修道院の入り口側の方から全力で走って来る音と声がした。
この声はファラか。廊下は走るなと何度も言っているのに……しかしやけに慌てた声だ。おかしい。向こうの子達の面倒は年長者側であるミファーが付いていた筈なのだが。
「やれやれ。全く一体なんの騒ぎ……」
その時、机に突っ伏したままの状態だったリアが『気付いた』
彼女にはギフトがある。周囲の感情を旋律として捉える――クオリアというギフトだ。
……時と場合によっては雑なる不協和音の波を拾う為、呪いとも言える力なのだが。修道院は貴重な例外の一つであり、穏やかな旋律が流れる場でもある。だからこそ、気付くのにほんの少しだけ遅れてしまった。
その中に――己が愛しい場となんら遜色なく紛れた『音色』があったのを。
「――」
まさか、とリアは顔を挙げる。
近くから聞こえる誰かと誰かが話す声。修道院の中には普段ない、男性の声が聞こえる。
――風が頬を撫ぜた。
入り口が開いている。院の中に流れる空気、来訪者の気配がすぐそこに。
廊下を歩く足音よりも。
心臓の響きが彼女の世界を染め上げて。
「……おや。これはお久しぶりです」
ガブリエル・ロウ・バルツァーレク伯爵。
先日に手紙を送った『ある人物』その人が――そこにいた。
「――」
息を呑んだ。文字通りに世界が止まった。
会いたくなかった訳ではなく、むしろその逆しまであったけれど。
それでもまさか。今日この時、この瞬間だなんて――
「しっかりしなよ、リア」
半ば放心しているリアの背を、今この時とばかりに『押す』アザレア。
伯爵は今回、領地の視察を行っているらしい。そして偶々この修道院に訪れたのだとか――挨拶の際に交わした言葉を端的に伝えたが、果たして耳に届いているか否か。伯爵に懐いているソードを引きはがし、遠目に窺っているノノやレミーを連れてシスターは奥へと。
さすればそこに残されたのはたった二人で。
「ぁ、伯爵」
「天義より戻られていたのですね……ご無事でなによりです」
天義。その事は先の手紙で伯爵に記していた内容だ。
しかしそのような発言が出るという事は、あの手紙は確かに伯爵に届いていたという事でもあり。
そして己自身が記していた事である。
――もし、また貴方様にお会いできることがありましたら、その時はどうか――
「リアさん」
私の名前を呼んで頂きたい、と。
その一言でリアの意識が完全に収束する。どこか上の空だった全てが一点に。
間違いようのない旋律が耳へと届いて。
「は、伯爵様! ええと、もしかして先日の手紙は――その――」
「ええ勿論届いておりました。大層素晴らしい『贈り物』も頂きまして……
是非とも一度、直接ご挨拶にとは思っていたのです。遅くなって申し訳ありません」
いいえそんなとんでもない――そう紡ごうとしたリアの視界の片隅に映ったのは、イヤリングだ。手紙と共に送った『Étoile verte』……緑に輝くペリドットで装飾されたソレを、確かに伯爵が身に着けている。
届いていたのだ確かに。
いや届く筈だとは勿論思っていたが――しかし、贈った確かな証がそこにあれば。苦悩したあの手紙の日と恥ずかしさが改めて込み上げてくるモノで――
「それはそうと少し、お話しできないでしょうか? 折角の機会ですので」
「ええと、はい! それでしたらこちらの方へ……しかしお時間の方は大丈夫でしょうか?」
「……今日はこの後に特に予定はありませんので、ええ大丈夫ですよ」
されど顔を赤らめる前に、伯爵からの提案で二人して、椅子のある場所へと。
奥の方からは見えはしないが子供達が走ったり、隠れているような気配がする。思わぬ来訪者とリアの意中人と聞いていた故か興味津々なのだろう。くそう、後で面白がっているメンバーには拳骨をせねば。
「――なんとも、賑やかな修道院ですね。元気な子達が多い」
「あ、はは。ちょっと元気すぎる子達とも言いますが……そうですね」
「立地も宜しい。陽射しがあり、都の騒がしさからは離れ。そしてなにより――」
一息。
「貴女がいるのですから」
耐えた頬が一気に紅く染まる。爆発するかの如く脳髄を煮えたぎらせて。
「――は、伯爵!?」
「あれ程の旋律を奏でる貴女がいるのです。そう、聞き及んだことがありますよ。
この修道院からは優しく響くヴァイオリンの音色が時折聞こえてくるのだと」
あ、お、音か! 音の話か!!
『あれ程の旋律』というのは、以前二人だけで会った事のある秘密の地での出来事の事を言っているのだろう。あの時に二人だけの演奏会があったから……そういえばあの時も『美しい』と言ってから『旋律が』と伯爵は繋げていたが。
……も、もしかして伯爵はあたしをからかっている……!?
もしや何もかも承知の上でこの方は言葉で遊んでいるのではなかろうか!?
その場合リアの本心は伯爵に筒抜けているという事で――
いややはりそういう訳ではなく伯爵は素でこう言っているのでは――
疑心暗鬼。他人が己の心の旋律を聞いたのならば一体どういう音を響かせているのだろうか。
「ところで」
心臓の動悸と混乱の速度が速まる中、続けられたのは伯爵の言葉で。
「このイヤリングですが――本当に美しい物ですね」
「あ。え、ええ。ペリドットですね。
伯爵は貴族の方ですし、宝石の類は送られ慣れているかとも思ったのですが……」
が、どうしてもリアはこれを贈りたかったのだ。
ペリドット。宝石の一種であり、鮮やかな緑色を宿す『夜会のエメラルド』とも称される一品だ。それは夜間程度の証明であっても昼間と変わらぬ美しさを維持する為の二つ名でもあるが――天義へと赴くリアが伯爵へとこれを贈ったのには理由がある。
それは込められた石言葉。
「『輝かしい未来』……天義からもう一度戻って、未来を紡げるようにと」
いつか貴方様にもう一度お会い出来ますようにとの決意表明。
死なぬ為。死ねぬ為。ただのゲン担ぎの一つであれど、それでもリアにとっては。
「不躾なお願いでしたが――どうしても伯爵に」
「不躾などととんでもない。私程度でよければ、喜んで」
帰る先になりましょう、と。
ガブリエルは幻想の貴族の中でも有名な善人だ。
だから、多分。きっと。
願えば叶えてくれるだろうし、甘えれば応えてくれるかもしれないとは。
ほんの少し予想は付いていたのだが。
「伯爵は……やはりお優しい方ですね」
リアの耳に届く『変わらぬ旋律』が伯爵の真心を指し示していた。
彼はリアに表面上だけの優しい言葉を掛けた訳ではないのだ。このギフトは嘘発見器ではないし、彼女自身別にそんな使い方を今した訳でもないが。伯爵が、彼の心が。己と話していて――常に穏やかである事は分かって。
「ところで」
と、ふと。少し前と同じ切り口で伯爵は。
「なんでもペリドットにはもう一つ石言葉があると――それはなんですか?」
「……えっ?」
「手紙には『内緒』と書かれていたのですが」
しまった。
浮かれていたリアの額に一気に冷や汗が。
花や石にはそれぞれ象徴とする言葉が込められるのだが、それは別に一つではない。
ペリドットの一つは先も述べたように『輝かしい未来』だが。
「ええっと、っ」
言えない。
手紙を書いた時の様な極限の心境だったら述べる事が出来たかもしれないが。
今本人を目の前にして言えるわけがないのだ。
ペリドットに込められた――もう一つの石言葉とは――
「そ……れは…………あっ! は、伯爵はご存じなのではないですか!?
ええと、ほら伯爵は美術の品の類には造形の深い御方でありますし――」
リアは言葉を避けようとして完全に自爆モードに入り始めていた。
伯爵が仮に知っていたとして、言わせてどうなるというのだ。結局彼女は死ぬだけである……! 『それ』を語られ、どういう意味で送ったのかと問い質されでもしたら彼女は――ッ!
しかし。
「私は、知りません」
伯爵はにこやかな表情のまま『知らない』と答えた。
「残念ながら、私も全ての美術・宝石の隅々まで知っている訳でもなく……
ですので恐らくご存知だろうかと思う貴女の口から聞きたいのです」
ふと、その時。
リアの片手を伯爵の手が握り締める。緩く、己の側に引き寄せる程度の力で。
「は、伯爵……!? 何を――や、やはり伯爵はご存じなのでは……!」
「いいえ」
繰り返す否定の言葉。『偶々』ペリドットの石言葉は把握してないのだと、彼は述べて。
リアの手の平を己が視界に。
綺麗な手だ。傷の無い、音を奏でる道具を扱うに相応しき――その『手の平』へと。
顔を、近付け。
「――リアさん」
寸前。ひっくり返して甲を表にし。
「私は知りませんよ」
――『手の甲』に口づけをした。
●
修道院にいた時間は、おおよそ一時間程度であったか。
窓から中をこっそりと覗いていた子達がハイテンションで騒いでいる。
色恋沙汰に興味なく、本に目を落とす子もいるにはいるが。
「……ふんっ」
子供達の中では最年長のドーレは――特にリア達の様子が面白くないようだった。
言葉だなんだのに何の意味があるのだ。石がどうだの、口を付けた場所がどうだのと何か特別な意味でもあるのか? 分からない。自分でもよく分からないのだが……何故だかとても面白くない。足元にあった石を思わず軽く蹴飛ばして。
「これ、石を蹴るんじゃないよまだお客様がいらっしゃるんだからね」
「なんだよ。どうせもう帰る所じゃねーか、別にいいだろシスター」
いつの間にかアザレアがドーレの後ろに。
同時に入り口の方へと目を向ければ遊楽伯爵が修道院を出ようとしている所だった。従者だろうか護衛だろうか……迎えの者がいけすかない男に話しかけている様で。
「遊楽伯、お急ぎください。王城への登城時間が既に一時――」
言葉も途中にゆっくりと馬車に乗って。その姿はすぐに見えなくなっていく。
もう来んな来んな。そんな事をドーレは思考しながら。
「シスター、リアねーちゃんは?」
「熱出したから暫く放っておきな。
それよりソラがまたレミーを泣かせちまったみたいだから捕まえてきてくれないかね」
またかよアイツは……! そう言いながら、ドーレは一段高く小石を蹴飛ばして。
湖畔の方へと飛んでいく。日も段々と沈み始めている、そんな向こう空を。
「うう……」
リアは自室で、先程口付けされた右の手諸共眺めながら。追いつかぬ思考に脳が熱を。
ペリドットの石言葉は『輝かしい未来』
もしくは『夫婦愛』である。
過ぎたる言葉かと思いもしたが、しかしどうしても送りたかったその言葉。
そして。
口付けの場所にも意味はある。伯爵がした手の甲は『敬愛』であり。
では、最初にしようとした『手の平』の意味は――
「内緒にしておくと、しましょうかね」
遊楽伯もまた空を眺める。
どこにと誰にと知れぬ独り言を呟きながら。