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黒猫の天使
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その日、私は天使に出会いました。
猫耳のついた黒いパーカーに吸い込まれるような赤い瞳。この世のものではないような雰囲気を持つ彼に優しい言葉をかけられて、私はすっかり彼の虜になってしまいました。彼は天使ではないというけれど、違うというのならもしかして神様かしら。だって、私の悩みに向き合ってとても素敵な解決策を教えてくれたのだから。
ええ、そう。その日の私はとっても悩んでいたの。どうしたらいいかわからないぐらいにね。
時刻は午後、日差しが心地よい時間だ。普通の人間ならその辺の店でお茶やらお菓子やらを楽しむ時間、そんな時間にクウハが見かけたのは人込みから離れるように人のいない方へ、いない方へと歩く一人の女性だった。
「ほォ~?」
目は虚ろで、とても楽しい買い物をしていましたといった雰囲気ではない。それにどこか面白そうな気配を感じて先回りするべくクウハは駆けだした。
細い道、高めの塀を越え、猫のように民家の屋根にお邪魔して女性を探す。歩く人間もほとんどいないような裏通りだから動くものがあればだいたいビンゴのはずだ。右側を見て、左側を見て、また右……を見ようとしたところで歩く人影が目に入った。ビンゴだ。
屋根と塀を伝って女性の元へ近づいていく。驚くほど裏通りの奥に入っていくのが面白くて仕方がない。まるで襲ってくれと言わんばかりではないか。
もう少しで追いつくというところでごろつきの集団が目に入った。話し声が聞こえる。どうも自分と同じあの女性を狙っているらしい。
「アイツは俺が先に目を付けたんだ。邪魔者は引っ込んでるんだな」
フードをはためかせクウハはごろつきたちの集団のど真ん中へ降り立った。訝しげにクウハを眺めるごろつきたちはしかし、次の瞬間には意識を刈り取られて地面と友達になっていた。後で喰うかどうするか、考えている間に探していた女性が姿を見せる。相変わらずその瞳は虚ろで、ここで倒れているごろつきの群れもクウハも目に入っていないようだ。
「おやおやァ、こんなところに来るにはずいぶん場違いなレディじゃないか」
クウハが声をかければ驚いたように立ち止まって瞬き一つ、少しだけ光を取り戻した碧い瞳がクウハを見つめていた。
「あなたは……」
「俺様のことより自分の身を心配したほうがいいんじゃないかァ? こいつらオマエさんを襲う話をしてたんだゼ?」
足元のごろつきの一人を蹴とばすと女性は自分がどこにいるのかようやく認識したらしい。どうにも危機管理が甘いというかそれ以外に心を奪われていたというべきか。慌てて頭をぺこりと下げてくる。
「危ないところを助けていただきありがとうございました」
「あー、まァ、そうだなァ……」
自分の狙ってた相手を取られそうになってたから腹いせにやった、なんて真正面からお礼を言われると言い辛く。なんと返したものか、曖昧にごまかしながら手で自分の頭をわしわしする。
「それにしてもこんなところまできて、何かあったじゃねェのか?」
問いかけに、女性の肩が震える。瞳にみるみる涙がたまっていく。どうやら大当たりらしい。話してごらんと優しく続けてやれば女性はぽつぽつと話してくれた。
女性はこの町に別の村から買い物に来ていたらしい。普通に欲しいもの必要なものを買って帰ろうと思っていた時、彼女の恋人の姿を見かけたのだという。それだけなら別によかったのだという、今日出かけるとあらかじめ聞いていたから。ただ彼女がショックを受けたのは恋人が隣に見慣れない女性を連れていたからだ。女性と恋人は親しそうに話をし、笑いあいながら高そうな宝石店へと仲良く入っていったのを彼女は見てしまった。
恋人が、彼が、浮気をしていた。
その予感、事実が彼女には耐えられなかった。なぜなら恋人と彼女は幼馴染。昔からずっと好きだったし、告白されたとき彼もそのように言ってくれた。だから付き合い始め、いつかは結婚するのだと一緒になれるのだと無邪気に信じていたのに。
ここまで語って女性は泣き崩れた。その背を撫でてやりながらクウハはにんまりと笑う。なんとも面白い話じゃァないか。程よく引っ掻き回しがいのある出来事に違いない。
「それで、どうするんだ? まさかそこまで想ってるっていうのに諦めるなんて言わないだろ?」
「え?」
涙でぬれた顔を上げ、戸惑いを見せる女性にクウハは続ける。
「オイオイ、泣くほど愛してるなら諦めたらダメだろォ?」
「でも、私、もう彼の一番には……」
「何を言ってんだ、ここはまた彼の一番に返り咲けばいいのサ」
その背を撫で続けながら優しく甘く、女性を堕とすよう言葉を紡ぐ。少しの理性を忘れさせ、楽しい
「どうやって?」
「簡単さ」
囁く。ほんの少し、彼女が盲目的になるように。愛とやらを求めて無心になるように。
「彼を奪った女がいなくなれば、またオマエさんが彼の一番、だろォ?」
お礼を言って立ち去る女性をクウハは見送った。その顔は最初見かけた時とは打って変わって悩みなんてどこにもない晴れやかな笑顔。また何か悩みがあったら来るように女性には言ってある。何が起こるか楽しみだった。ただ話を聞いている時に『黒猫の天使さん』と呼ばれたのだけは不服だったが。
そしてこの日、町から一人の女性が消えた。とある村に住む彼女の従兄弟と出かけたのを町中で目撃されて以降、足取りがつかめないまま。
数日後、クウハの元へまたあの女性が現れた。その表情はどこか晴れない。
「しばらくぶりだなレディ、今日はどうしたんだ。彼の一番に戻ったんだろォ?」
「それが……確かに帰ってから彼は私を愛してくれてるんですけど、最近気になることがあるみたいで表情が冴えないんです」
「おやおやァ、それは困ったなァ?」
「はい。せっかくあの泥棒猫を消したのに、まだ彼の中に残ってるんじゃないかって心配で」
町の噂で知っていたが本当に、しかも当日中に彼女は行動を起こして恋人と一緒にいたという女性を消してしまったらしい。行動力に感嘆すると同時に人の愚かさに笑いがこぼれてくるのを、クウハは少しだけ我慢して相談に乗る優しい
「それなら恋人にはオマエさんだけしかいない、って思わせるしかないんじゃないか?」
「と、いうと?」
「閉じ込めちまうのサ。出られないように、動けないようにして、全部の世話をオマエさんがするんだ。そうしたら彼にも気持ちが伝わってオマエさんだけ見てくれるようになるだろ?」
「そうかな……だってそれは……ううん、黒猫の天使さまがいうんだもの。前だって上手くいったし頑張ってみる。だって私は彼のこと誰よりも愛してるんだもの」
「だから俺様は天使じゃ……まァいい、頑張んな」
はい、と元気よく返事をして女性はまたすっきりした顔で帰っていく。
そしてこの日、とある村で一人の男性が行方不明になった。数日前に行方不明になった女性と従兄弟の関係にある男性だった。彼には恋人がいたがこの事件以降、あまり姿を見せず村の人とほとんど会話をしなくなった。恋人が消えたショックからだろうと村の人たちは噂し、女性を気遣うことはあっても大して気にしなかったという。
また数日後、再びクウハの元を女性は訪れていた。
「彼が私を見てくれないの。私のものになってくれないの」
クウハを見るなりそういった女性はひどくやつれていた。髪はぼさぼさで目の下にはくっきりとした隈が、彼と離れているのが不安なのか瞳が常にきょろきょろ動いている。今にもクウハに掴みかかりすがりたいと言わんばかりの雰囲気を漂わせていた。
「落ち着きな、どうしたんだィ?」
そっと近づいて抱きしめる。それだけで不安が溢れたのか女性は泣き出した。
「ちゃんと閉じ込めたのよ。出られないようにして、毎日ちゃんとお世話して、ずっとずっと一緒にいるのに、彼は私を見てくれないの。『出してくれ』って言うの。『昔の君はどこに行ったんだい?』っていうの。酷いわ、私は何も変わってないのに」
「おーおー、そうだな、可哀想に。きっと彼はまだオマエさん以外に捕らわれてるんだな? だからオマエさんと重ねちまうんだろうサ。オマエさんは何も変わってないからな」
「まだ、私以外に捕らわれてる? 私以外を見てる?」
ぎゅっとクウハのパーカーが強く強く握られた。ちらりと女性に視線をやれば、涙をため込んでいた碧い瞳は奥にいつの間にか嫉妬の炎を燃やしている。
本当に愉快だ。クウハは知っている、変わったのは目の前の彼女だということを。
「あァそうさ。よっぽど彼は一緒にいたっていう女のが良かったらしいなァ!」
「そんなこと言わないで! 彼を愛してるのは私が一番なのよ!」
ちょっと突けば激昂する女性。この様子では『恋人の心を奪うため』ならば何を言ったって行動に移すだろう。普通ならばためらうようなことですら、そう、命を奪うことだって。
「悪ィ、悪ィ。そう怒るなって。ならとっておきの方法を教えてやるよ」
「とっておき?」
「そう、彼を永遠にオマエさんのものにする方法さ」
クウハの言葉に女性の瞳が輝く。だがその輝きは純粋なものというよりはもはや執着の光だった。
「命を奪ってやればいい。そしたら彼の魂は永遠にオマエさんのものになるだろォ?」
「命を……なるほど、さすが黒猫の天使さまだわ!」
ありがとう、と笑みを浮かべる女性にクウハは今すぐ笑い出したかった。こんな方法で永遠なんてあるはずないのに。せいぜい霊として彷徨えば良い方で、まかり間違っても彼女のものになるはずがないというのに。
その日、とある村から少し離れた小屋の中で女性が捕まった。小屋の中は血まみれで、そこには数日前に行方不明になっていた男性の死体があったらしい。小屋が見つかったきっかけは周辺にまで響く女性の不気味な笑い声で、それを聞いた村人が総出で調査に赴いたから。見つけられるまでは村の人でも知らないような捨てられた古い小屋であったという。
捕まった女性は殺された男性の恋人だった。部屋の中の様子から行方不明になってから数日間、共に暮らしていたであろうことがわかった。また小屋の外には井戸があり、その中からさらに以前に行方不明となった女性と思わしき死体も見つかったらしい。
女性の方は正気ではなく『これで彼は永遠に私のもの』『私は彼を永遠に愛してる』『黒猫の天使さまは正しかった』と笑いながら何度も繰り返すばかりであったそうだ。
「なァ、オマエさん、知ってたか?」
薄暗い牢の中で恍惚としている女性に声がかかる。
「オマエさんの恋人と一緒にいた女、恋人の従姉妹だってサ」
ぴくり、と女性が反応して上の方に取り付けられた手の届かない窓を見る。
「彼の遺品から指輪が見つかったらしいぜェ。どうもオマエさんと手や指のサイズが近しいから従姉妹に声をかけて指輪を買う参考にしようとしたらしいな? とても豪華で、婚約指輪に見えるらしいなァ」
「うそ……」
「渡す相手は誰だったのか……おやァ、名前が書いてあるな。これはもしかしてオマエさんの名前かい?」
ころん、と窓の外から小さな小箱が転がってくる。目の前で開いた箱の中にある綺麗な指輪、そして箱の内側に差し込まれたメッセージカードに書かれた女性の名前。
自分が間違い本来得るはずだった幸せを壊したのだと女性が理解したのは、その時だった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
女性の絶叫が牢全体に響き渡る。それを聞いて満足したように猫耳パーカーの影が揺れた。