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登場人物一覧
ヴェルグリーズは薄暗い石室で甘い吐息を吐いた。
この村ハージェスの巫女である少年と共に石室の中に転がされている。
薄い肌襦袢だけを身につけ、苦悶の表情を浮かべる廻姫。
身体に巻き付く黒い蛇は蛇神『クロウ・クルァク』だった。
「抵抗するか? いいぞ存分に抵抗しろ」
愉しげなクロウ・クルァクの声が石室の壁に響く。
「ぁ……く、」
締め付けられる身体が軋み、全身に痛みが広がった。
ヴェルグリーズは体内に宿る白鋼斬影の存在を噛みしめる。
大きな力が蠢き同化していく感覚は、何れだけ声を押し殺そうとも口の端から漏れ出る程、甘美で。
されど、甘いだけでは非ず、内側から逆流してくる怖気に身を震わせた。
零れる吐息と苦痛に歪む顔をクロウ・クルァクが優しく撫でる。
「苦しいか、止めてしまえば楽になるぞ?」
「……問題は、ないっ」
クロウ・クルァクに触れられた頬が、外側に向かって湧き上がるザラリとした感覚にひりつく。
「お前は今、体内で白鋼斬影との同化を行っている。つまり戦ってるのと同じだ。感覚は研ぎ澄まされ、人肌が触るだけで熱湯を浴びせられたように戦くだろう。我の指先は冷たくて良かったな。それとも隣で寝ている巫女に触って欲しかったか?」
視線を流せば褐色の肌をした少年にも黒い蛇が巻いている。
巫女の少年は諦めたように虚ろな瞳を宙へと向けていた。
抵抗はクロウ・クルァクの興を乗せてしまうのだろう。
そうなればどのような仕打ちを受けるか分からない。
巫女のように全てを受入れ諦める方が賢い在り方なのかもしれなかった。
されど、ヴェルグリーズには其れが出来ずにいた。
己が変わって行く不安に抗わねば、狂ってしまいそうだったからだ。
ヴェルグリーズが持つ断ち切る因果を白鋼斬影の宿命にて割る。
同じ属性を持つ二人の性質が転じ、断ち切れぬ因果を持ち主に与える剣となる。
「定着したか」
「はっ、はっ、……、っ」
滴る玉の汗がヴェルグリーズ――廻姫の首筋を伝って石床に落ちた。
「割れ掛けていたお前を繋ぐには必要だったからな。よくぞ耐え抜いた。
だが、死ぬ事は許されぬぞ。我が半身をやるのだからな。存分に戦うが良い」
くつくつと嗤うクロウ・クルァクは廻姫を抱き上げ膝の上に乗せる。
「……されど、根本的な解決にはなっていない。お前には『鞘』が必要だ」
その為にもヒイズルへと向かわねばならないのだとクロウ・クルァクは告げた。
呼吸を落ち着けた廻姫の耳元へクロウ・クルァクは唇を寄せる。
触れるか触れないかの距離で蛇神の声が木霊した。
「今から言う事は、大事な事だ。一字一句逃さぬように聞け」
「……はい」
目を伏せて頷いた廻姫はクロウ・クルァクの言葉を待つ。
「これより先、必ずお前の力を必要とする者が現れるだろう。それはこの世の者では無い。
異界の救世主達だ。奴らはヒイズルでお前とその主を正しい方向へ導いてくれる。
鞘と見える事も果たせるだろう。お前は異界の救世主に感謝するはずだ。
だからこそお前にこれを渡しておく――『離却の秘術』だ」
「それは……」
廻姫がクロウ・クルァクの意図に気づき視線を上げる。
「お前の中に宿った白鋼斬影を引き剥がすもの。まあ、キリ自身が自分から離れる分には問題なく出られるのだが、お主らは結びつきが強すぎるからな。もしもの時の為にだ。
それに、己自身に使わずとも、異界の救世主達はこれを欲するだろうよ。
何故なら我は白鋼斬影を喰らいたい程、愛しておるからな。己の性には抗えぬ」
ヴェルグリーズと白鋼斬影を繋ぐのが『繰輪の術式』ならば、其れを引き剥がすのが『離却の秘術』。
もし仮に、クロウ・クルァクと白鋼斬影が交わり、一つになったとしたならば。
其れを引き剥がすのは『良い事』なのだろうかと廻姫は考えを巡らせる。
「この『離却の秘術』は負担が大きい。出来る事なら使うべきでは無い」
廻姫の瞼にクロウ・クルァクは手を置く。
「だから、この記憶は来たる時まで封じておく。
我の言葉を思い出した時、それは来たる時が訪れる前兆だ。
注意深く周りを観察しろ。誰がこの秘術を必要としているのか見極める必要がある。
勿論、心弱き者に易々と渡すことは許されない。お前が『託せる』と思った者へ渡すのだ。
だが、気をつけろ。繰輪の性質が強い我が使えばある程度は元の性質を留めるだろうが、お前のように断ち切る因果が強い者が使えば元通りにはならないだろう。
……されど、もしそれでも失いたくないと願うならば、使うがいい」
クロウ・クルァクの手に遮られ視界は真っ暗だ。
彼の手から流れ込んで来る、温かな術式の『道』は廻姫の深部に記憶と共に沈む。
いつの日か、これを託す者が現れるまで。
妖刀廻姫の深層に漂うのは、誰かの為の願いと祈りの『道しるべ』だ。