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港を開け、海を行け。或いは、ここから始める航海碌…。
登場人物一覧
●復興の過程
月の明るい夜のこと。
ラサ南端。
寂れた港での出来事だ。
港に停泊する小さな船の一室に、ぽつんと橙の火が灯る。
船室の中には小さなテーブル。
囲むのは、葉巻を燻らす偉丈夫と、褐色肌の女性の2人だ。テーブル上には紙の束と近海の海図、それからチーズや燻製の盛り合わせと、海洋から取り寄せた少々根の張る酒のボトル。
紫煙を燻らす偉丈夫……ジョージ・キングマンは燻製を摘んで笑みを浮かべた。
「いい味だ。こいつを仕入れて売れるとなれば、船乗りたちも黙っちゃいねぇ」
流石は商会『キングマンズポート』の頭領といったところだろうか。試しに幾つかの燻製肉を味見すれば、それが“幾ら”の儲けになるかはすぐに予想がつくらしい。
「頭の中で算盤を弾いている顔だな。今日は一応、祝いの席だっていうのに」
くすり、と笑みを零したラダ・ジグリだが、その視線は酒のボトルに向いている。
「その酒ならすぐに融通できる。まぁ、航路の安全性が担保できれば……だが」
「……そうか。それは助かるよ。先日仕入れた酒はどうにも質が悪くてね。仕入れ先はやはり信用のおけるところじゃなきゃダメだな」
港を拠点に商売の手を広げれば、商会『アイトワラス』もきっと今より大きくなるし、儲けも出せる。商会員にも臨時のボーナスを払ってやれるかもしれない。
ジョージとラダ。
性別も、出身も違う2人だが、年齢なんて親と子ほどにも離れているが、まったくもってどうしようもなく“商人”なのだ。
「歳が歳だからな、酒の目利きは苦手か? 安酒を掴ませた仕入先はどうしてやった? ヤキを入れるなら手を貸すぞ?」
「酒の目利きに自信が無いわけでもないが……今回は相手の方が一枚上手だったということだろうな。次回に活かすよ」
琥珀色の液体を、手元のグラスに注ぎ入れてラダはくすりと笑みを零した。
ぱっ、と散らばるトパーズ色の香気は、柑橘類のものだろう。今年の海洋では、良い檸檬が収獲できたらしい。
「それと安酒を掴ませた仕入れ先の方にも、しっかり反省してもらうことになる。うちの商会員が今頃、話をつけに行っているはずだ」
「そうかい。商会員ってのはあの剣呑な嬢ちゃんたちか? 海賊やマフィアにもああいう手合いはいるが……仕入れ先の奴ぁ、反省を活かす機会に恵まれるといいな」
葉巻を1本、吸い終えてジョージはグラスを手に取った。
窓の外に視線を向ければ、遠くの空が赤や青に瞬いているのが目に入る。
街の外れで、何かしらの実験を行っているのだろう。
「学者団の連中か? 確かに港の復興は急ぐべきだろうが、何もこんな夜中にまで仕事をしなくてもいいだろうによ」
何杯目かの酒を飲み干し、ジョージは呆れたように肩を竦めてみせた。
空いたグラスに追加の酒を注ぎながら、ラダも1つ、溜め息を零す。
「報告書には“復興の進捗は順調”としか書いていないからな。何というか……学者たちは“正しく”研究者の集まりなんだろう」
「……と、いうと?」
グラスの中身を半分ばかり飲み干して、ジョージは身を乗り出した。
視線をラダへと向けたまま、右の手はテーブル上の紙束へと伸びている。学者たちから上がって来た、業務報告の資料を探しているのだろう。
「昼も夜も無いんだよ。目の前に片付けるべき仕事があって、調べなければならない事象が山積みで……そうなると彼らは、食事や睡眠よりもそっちを優先したいらしい」
「それじゃおちおち夜も眠れや……っと、あぁ。街の住人の大半が、今のところは学者たちばかりなんだったな」
「彼らは疲れ果てるまで働いて、気絶するように眠るからな。多少の明かりや騒音程度はどうってことないんだろう」
なお、元から街に住んでいた者たちは、学者団と離れた位置に各々の家を持っている。肌の合わない者同士を、同じ場所に詰め込んだって仕方ないのだ。
気質を同じくする者同士をひと処に纏めたことは、良かったのか、悪かったのか。
少なくとも過労での死者は出ていないし、港の復興も順調だ。
「まぁ、仲良くやれてるのならいいが。悪ぃな……暫く、仕事で空けちまったもんで港のことは任せっきりになっちまった」
「仕方あるまい。海洋の方のあれこれはジョージに任せるしかないからな。あぁ、それと……仲良くやれているかどうかと言われると、少し疑問は残っているのが現状だ」
土地の確保からこっち、港の復興や近海の調査には常にトラブルが付きまとう。思えば“黒水晶”の撤去から始まり、横槍を入れて来る他組織との抗争、近海の調査や航路の確保に入る妨害工作と、数え上げればキリが無い。
「近海の調査や、港の設備開発に力を入れてくれてはいるがね……どうにも知的好奇心が強すぎるようで、不要な機能を追加しようとしたり、危険な実験を進めようとしたりと忙しないんだ」
「あぁ、なんだ。その程度なら安心だな」
わざとらしくため息をついて、ジョージはグラスの残り半分を飲み干した。
命の危険と隣り合わせだったトラブルの数々と比べれば、学者たちのちょっとした暴走程度は大した問題にはならない。
元より、学者たちの暴走はある程度織り込み済みで味方へ引き込んだのだから、必要経費とも言えるだろう。
「海洋にも危うい真似をする連中は時々現れるからな。この間は、海にダイナマイトを投げ込んで魚を捕ろうとした奴がいた」
幸いなことに『キングマンズポート』の職員が未然に防ぐことに成功したそうだ。
ダイナマイト漁は爆発による生態系の破壊を防ぐという名目で、多くの国や土地で禁止されている。
食事と酒を楽しみながら、2人は資料や海図に目を通す。
「魔導船だが、およその修理は終わっている」
そう言ってジョージは、紙束の中から1枚を抜き取る。
紙束に記載されているのは、ジョージが近海の調査のために用意した魔導船の修理報告とかかった費用についてである。
安くは無い額が飛んで行ったが、魔導船があれば海流や海域の気候、周辺に住む生物についての情報が、より高い精度で手に入る。
それほど便利なものなのだから、使わない手は無いだろう。
「運航試験のついでに少し近海の調査も進めたんだがな」
「あぁ、聞いているよ。何でも海洋までの航路が3つほど見つかったとか」
海図を手元に引き寄せて、ラダはそこに赤いインクで3本の線を書き記した。
魔導船の稼働と、学者たちの調査によれば、その3本のルートが海流、風向き、気候ともに比較的安全なものであるという。
幾つかの島を間に経由することで、船の破損や食料、飲み水の補給にも大した問題は発生しないともなれば、後はラダとジョージの2人が“どのルートから手を付けるか”を決めることになるだろう。
「砂漠の旅なら手慣れたものだが、海となると勝手が分からない。ジョージには手間をかけると思うが……」
「気にするな。俺の方にも十分に利のある話だからな。港の復興に必要な食糧や資材は『アイトワラス』の仕入れだろう? 投資額で言ってもラダの方が今のところ大きいはずだ」
海路の方は『キングマンズポート』に投資をさせろ。
ジョージは暗にそう言っている。
ジョージもラダも商人だ。貸し借りがあったままでは、お互いに気持ちよく取引も出来ないのだろう。
「あぁ、そうしてくれると助かる。馬車の揺れは問題無くても、船の揺れにはまだ暫くは慣れなさそうだ」
「そうか……ところで、ラダは泳げるのか?」
「……ノーコメントだ」
下半身が馬という体格では、海を泳ぐのも大変だろう。
窓の外へ視線を逸らしたラダを見て、ジョージはくっくと肩を揺らした。
『交易路開拓計画』
覇竜からの交易路の開通を見据え、豊穣・海洋・ラサを結ぶ交易路の開通・拡大を目指すという一大計画を持ち掛けたのは、ラダとジョージのどちらからだっただろうか。
何も無いところからの、本当に0からのスタートだった。
「はじめにここを訪れた時、この辺りは“黒水晶”に覆われていたな」
港町の入り口付近で足を止め、ラダはそう呟いた。
ジョージは無言で、港町の西側へと視線を向ける。
そこにあるのは墓地である。
黒水晶に捕らわれていた街の住人たちや、復興の過程で命を落とした学者団の者たちが眠っている。
新しいことを始めるのだから、多少の困難や犠牲は付きものとも言える。
ラダもジョージも、命を落とした学者たちも、それは理解していたはずだ。
だからと言って、命を落とすことを是とすることはできない。
「暫くは海路の方にかかりきりになるだろうな」
ポツリ、と。
ラダは言葉を零す。
犠牲になったのは、何も味方だけではない。“黒水晶の術師の一族”や宿曜師を始めとした敵対組織の構成員たち。
多くの犠牲と哀しみ、或いは憎しみを乗り越えてラダとジョージは今、この場所に立っているのだ。
「忙しくなったら、墓参りをする時間も取りにくくなるな」
自然と。
ラダとジョージの脚は、墓の方へと向いていた。
手には船から持ち出して来た、海洋産の高い酒。
墓に眠る全員で飲むには足りないが、供え物としては及第点といったところか。
「明日からまた忙しくなるな」
「商人だろう。忙しく無きゃ、飯を食いっぱぐれちまう」
「あぁ、それもそうだ」
忙しい日々にももう慣れた。
たまの休暇の過ごし方も心得たものだ。
砂漠も海も、過酷な場所で……ラダやジョージの目の前で、志半ばに命を落とした者も多い。時と場合によっては、自身で手を下すこともある。
だから何……と、言うわけでも無いけれど。
今日のように時間が空いて、少し昔を振り返れば、思い出してしまうこともある。
「雲が無いな。明日はきっと晴れるだろう」
「それはいいな。風もあれば、船を走らせるのにいい」
なんて。
ポツリと言葉を交わしながら、2人は墓地へと向かって行った。