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メメント・モリ
登場人物一覧
●薔薇
『お前はこの白い薔薇のようだ』
聖夜の足音が聞こえる冬の日、温室を訪れればその言葉はオルゴォルに似て、白薔薇に触れるたびに鮮明に彼の声を甦らせる。
幼馴染みにして友でもあったその人は、右目を覆う白い薔薇の眼帯に触れながら、『白き歌』ラクリマ・イース(p3p004247)に向かって言ったのだ。
生まれながらにして眼球の欠けた右目の、作り物の薔薇で覆い被せた虚ろな洞。
好奇心から伸ばされる指先が隠した傷に触れた気がして、咄嗟に叩いて除けた。
『ほら、そんな風に清らかそうに見えて触れると棘で刺すところ。ちょっとお高そうに見えて本当は自分を守ろうと精一杯棘を纏って気張っているところとかさ』
赤くなった手を擦りながら笑って言うその言葉は、恋という名の抜けぬ棘となり突き刺さる。
何故彼は薔薇の下に隠した秘密を知っているのだろう。
何故彼は薔薇の下に埋めた孤独を知っているのだろう。
『ノエルだけです、俺にそんなことを言うのは』
幼い頃より教団の子として年上の彼と共に育てられてきた。
教主の実の息子に対しても彼だけ態度を変えることもせず。
ただ一人分け隔て無く、ただ一人心許せる、ただ一人の友。
ただ一人自分に触れ、ただ一人心揺さぶる、ただ一つの恋。
『俺が薔薇なら触れると傷付きますよ』
『傷付いてもいいさ。ラクリマに傷付けられるのなら本望、棘が怖くて薔薇を愛でられるか……なーんてな』
冗談めかす彼の肩に疲れたふりして頭を預けた。
伝わるぬくもりは愛に飢えて凍える心を慰める。
ラクリマは思い出す。
肩を借りながら歌を口ずさんだ日を。
優しい彼が任務で負った身体の傷が塞がれるように。
淋しい自分が薔薇で隠した右目の疵が埋まるようにと祈った朝の事を。
●雪
『お前はこの白い雪のようだ』
窓辺に雪の花咲く冬の日、温室で歌い出せばその言葉はファンタスマゴリアに似て、白い雪を見るたびに鮮明に彼の面影を甦らせる。
同じ『神の剣』として悪を粛清するその人は、ガラスの温室の向こうに降る雪を眺めた後で、クレド・ティネケ……信条の白薔薇と呼ばれていたラクリマを見つめて言ったのだ。
優美に見えて何者にも染まることなき白薔薇を、仄かに色づけ綻ばせる熱視線。
凍えた心さえも熱が溶かされ焼かれる気がして、眉を顰めて視線から逃れた。
『ほら、本当は脆くて儚いのに、身も心も凍らせて溶けまいとする頑ななところとか。でもラクリマだって誰かに溶かされたい、暖められたいって思ってるんじゃないか?』
赤くなった頬をからかいなから言うその言葉は、嫉妬という名の消えぬ炎となり燃え盛る。
何故彼は氷の内に閉じ込めた激情を知っているのだろう。
何故彼は氷の内に封じ込めた欲望を知っているのだろう。
『誰にですか? ノエルと違ってそんな相手俺にはいませんよ』
ずっと兄弟同然に誰よりも近い相手として触れ合ってきた。
自分が惑えば躊躇いもなく差し出されるその手に導かれて。
ただ一人いつも側にいて、ただ一人側にいたいと願う、ただ一人の友。
ただ一人共に戦場を駆け、ただ一人傷さえ分かち合う、ただ一つの愛。
『もちろん俺に決まってるだろ?』
『それは思い上がりと言うものです。そもそも取っ替え引っ替え女性と付き合うのに忙しいんじゃないですか?』
呆れたふりして背を向けると彼の背に凭れた。
図星突かれて強がるけれど心に炎を宿らせて。
ラクリマは思い出す。
背中合わせのまま歌を口ずさんだ日を。
誰からも愛される彼が神からも愛されますように。
誰からも愛される彼が自分だけを見てくれますようにと祈った昼の事を。
●光
『お前はこの聖なる光のようだ』
木々が光る飾りを纏い出す冬の日、温室で歌を綴ればその言葉はキネマトグラフに似て、聖夜の光を浴びるごとに鮮明に彼のぬくもりを甦らせる。
白い雪の褥を赤く汚して横たわるその人は、命の間際に指を伸ばし、自分が逃がした相手が生きていることを確かめて言ったのだ。
教団一の使い手であった彼の鞭は千切れて戻らず、血は腹を塞いでも流れ続ける。
友の無事に安堵する微笑みは、死にゆく人が最期に振り絞る力と悟らされた。
『お前が無事で良かった。痛いところはないか? 血で汚してゴメンな。泣くなって……せっかく助けたんだからさ……』
涙を流す己を宥め、悲しみを慰めようとする言葉はこんなときでも優しく、だからこそこんなに泣けてくるのに。
何故彼は光の中で一人死んでいかねばならないのだろう。
何故彼は光の中に一人残して逝かねばならないのだろう。
『何で俺を先に行かせたんですか……。どうせ女と付き合うのに忙しくて、俺のことなんてもうどうでもいいんでしょう? こんなときだけ構うの、ズルイですよ』
ずっと二人一緒だったのに最近では異性ばかりを追いかけて。
たまに自分を誘ってくれたとしても素直にはなりきれなくて。
ただ一人見つめられていたい、ただ一人思われていたい、ただ一人の人。
ただ一人共に生きたいと願い、ただ一人死ぬ時は同じと願った、ただ一つの命。
『お前は俺の親友だからな、特別だ』
『特別なんて言葉で誤魔化されたくないです。だって俺にとってノエルはただ一人の……』
口唇を開いて告げる言葉が独白へと変わりゆく。
流れる涙を掬う指先も、頬に触れたぬくもりも。
ラクリマは骸を見下ろし彼が愛した歌声を捧げようとするけれど──
迸る叫びは癒しの言葉を紡がせない。
溢れる悲しみは祝福の音を奏でさせない。
『白き神クラウソラスよ、どうか彼をお救い下さい。それが出来ないのなら俺も一緒に召してください。どうして彼だけ連れて行くのですか? どうして俺だけ残すのですか? それは俺に力がないからですか? わざと冷たく振る舞ったからですか? どうか、どうかノエルを……!』
──俺から奪わないでください
歌えぬ口唇は彼と重ね、秘密は白い薔薇の下に埋めた。
●歌
「ノエル、あの時の俺はあまりにも未熟でした。だけどあれから俺も随分成長したつもりです」
一人呟くその言葉は、竪琴の音に乗り詞へと変わる。
白薔薇の咲く温室に響くのは儚くも美しい追慕の歌。
Libera Me.
神よ、どうか我を救い給え。
白き呪歌は幻の雪を降らせ、傷付く者を癒すだろう。
「ノエル、あの時の貴方はいつも傷だらけだったけど、今ならどれだけ傷ついても治してやれるようになりましたよ」
Lux aeterna.
神よ、どうか光を与え給え。
白き呪歌は永遠の光となり、死にゆく者さえ復活させるだろう。
「ノエル、あの時俺は祈りの声を神に届けることが出来ませんでした。でももう誰も俺の前で死なせません。戦場で血にまみれさせたまま逝かせない。もう誰も……」
彼のように死なせはしない。
自分を置いて逝かせはしない。
もう誰も、決して──
ラクリマの口唇が祝福の歌を紡ぐ。
あの日あの夜、歌えなかった歌、届かなかった祈りを込めて。
この胸を焦がす感情の名を未だ知らなくても。
この目から流れた涙の意味に気づかぬままでも。
ラクリマは命尽きるまで歌い続ける。
memento mori.
彼の死を決して忘れはしない。
思い出が降らせる幻の雪が、ガラス屋根からの光を浴びて銀色に変わる。
決意を込めて見上げる顔の横、形見のピアスが歌声に応え、笑うように煌めいた。