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グレイルとエリックの話~方舟~

登場人物一覧

グレイル・テンペスタ(p3p001964)
青混じる氷狼
グレイル・テンペスタの関係者
→ イラスト

 練達内であるはずなのに風は冷たく、膿を吹く体へひしひしとしみこむ。なぜどうやって生きてこれたのか、グレイルには記憶がない。ただかすかに覚えているのは、獣人の姿をした己へ向けられたひどく冷たい視線。侮蔑と嫌悪があらわになった寒い寒い絶対零度の視線。それから逃れるように駆け出したのを覚えている。それが両親のものだったのか、それとも他の誰かのものだったのか、幼いグレイルは覚えていない。ただ神へ祈るとするならば、きっと視線を投げかけたのは通りすがりだったのだ。そういうことにしておきたい。だからグレイルは人の姿を取った。青みがかった銀髪で、あどけない大きな瞳の人間種。どこから見ても愛くるしいのは、庇護を求めている心の現れか。迷い込んだ区画で、グレイルは力尽きた。

「大丈夫かい?」
 グレイルは目を開けた。自分を取り巻く人たちが見える。カプセル状の装置の中に居るようで、身動きひとつ取れやしない。暑くもなく、寒くもない。すこし視線を下へ下げると、全身へ針が突き立てられており、何かを注入しているのが見えた。不安はなかった。金色の光が天井から優しく照らしてくれている。人々は美しく、顔立ちが整っており、美男美女ばかりだ。そこだけみれば天国へ来たと間違ったかもしれない。
「意識レベル正常。意思疎通可能です」
 スタッフらしき若い男がパネルを操作した。顔面にかかっていた負荷がぐんと少なくなり、首から上が自由の身になる。
「ここは練達のL-0ve区画だ。よくぞここへ来てくれた。歓迎しよう」
 きわだった美男子が居並ぶ人たちを代表してグレイルへあいさつする。胸元の名札から所長であることが読み取れた。
「子は宝だ。ゆっくりと養生してくれたまえ」
 その声に偽りはなくグレイルは感激していた。今までどこへ行っても邪険に扱われてばかりだったのに。この人達は違う。心のきれいな人たちだとグレイルは思った。回復装置を出ることができたのがそれから三日後。グレイルは拍手で迎えられた。花束すら渡された。甘い香りはグレイルの心を酔わせた。うれしくて涙がにじんでくる。
(……なんて…なんて優しい人達なんだろう…僕にできることがあるなら……なんでもしよう……いつか必ず…恩返ししてみせる……)
 幼心に芽生えた決意そのままに、グレイルは日々を過ごしていった。
 L-0ve区画は、すこしグレイルの居たところとは違っていた。まず老人がいない。住民はそろってノーメイクで銀幕へ出れそうなほど整った顔立ちをしており、均整の取れた体つきで、二十代から三十代くらいに見える。次にクリニックが多い。特に美容整形のクリニックがコンビニ並にどこにでもあり、さらに平日から混み合っている。それから、子どもが少ない。グレイルは貴重な子どもとして、大切に扱われた。まったくもって人生というものは変わる時は変わるものだ。誰もがグレイルへ笑顔を向け、道をゆずってくれる。まるで王子様みたいな扱いだ。けれどもグレイルは常に謙虚な態度を崩さなかった。自分は拾われた身であるからして、いつかは街の人へ与える側へまわるのだと心の内で常にそう思っていた。その謙虚さがすばらしいと人々はさらにさらにグレイルを褒めそやすのだった。
 グレイルにしてみれば、それは恩返しの一環でしかなかった。なのでどうしてこんなに人々が優しくしてくれるのかと疑問にも思ったが、それは数少ない子どもたちを見ればすぐにわかった。彼らは一様に美しかったが、心根はひん曲がっていた。公園で野良猫をボールにみたててサッカーをしていた時もあった。それを見たグレイルはぎょっとし、強引に割って入ってやめさせた。野良猫はとうに事切れており、グレイルはひどく心を痛めた。
『……どうして……どうして……こんなことをするの…………?』
『どうしてだって? だって臭くて汚いじゃないか、醜いものに価値はないんだよ』
『そんなことない……どんな生き物にも…生きる権利は…あるよ……』
『バカがなにか言ってらぁ! あははははははは!』
 こどもたちは大声で笑うときゃあきゃあ言いながらグレイルから逃げていった。あんな風にはならないと、グレイルは心に決め、そして勉学へ励んだ。もとが優秀だったから、綿が水を吸うように成績は上がっていった。大人たちがそれを放っておくはずがない。グレイルはいまやL-0ve区画での寵児となっていた。

 飛び級で中学校へ入ることが決まった日のことだった。グレイルはうれしさのあまり帰りをすこし遠回りした。そんな気分だったのだ。外周付近まで来ると、L-0ve区画が一望できる小高い丘がある。そこからの景色はたとえるなら桃源郷だ。銀色の四角いビルが計算しつくされたかのように黄金比で並び、一幅の絵画を見ているような気分になる。小さく閑散とした区画だが、人々はみな若く、苦しいことなどなにもないかのようで、お互いに節度を保って暮らしている。いいところだ、とグレイルは思った。この景色のためにこれからもがんばろうと思った矢先のことだった。
「水……」
 うめき声がグレイルの耳を刺した。
「水をくれ……」
 振り向けばそこには自分と同じ年くらいの獣人の少年が、乾いた血でぱりぱりになった毛皮を晒して倒れ伏していた。
「……待って……いま大人を呼んでくるから……」
 グレイルが持っていたジュースを口元へ寄せると、その少年は一息に飲み干した。よかった。自分が保護された時よりも体力がある。これなら確実に助かるだろう。そう目算してグレイルは携帯端末から世話になっている所長を呼んだ。すぐに救急車がやってきて……降りてきた大人たちは絶句し、ざわざわと騒ぎ始めた。やがて黒い車が乗り付け、黒服たちが少年を放り込み、走り去った。グレイルが愕然としていると、大人たちのざわめきが聞こえてきた。
「ああ助かった。醜いものに触れずに済んでよかった」
「ほんとうにどうしてあんな人外が大手を振ってうろついているのかしら、消えてしまえばいいのに」
「待って……! あの子は…どうなるの…?」
 グレイルは、精一杯声を張り上げた。すると所長が近寄り、片膝をついてグレイルと目を合わせた。
「いいかねグレイル君。この区画はね。美しくあることを何よりも重視する人間種が集まってできあがったんだ。当区画としてはあんな醜い獣はとても受け入れられない。殺処分だ」
「なぜ殺すの…僕は助けてくれたじゃないか…僕と彼とでは何が違うの…!?」
「忘れなさいグレイル君。君は美しい、見た目だけでなく心も美しい。ここで生まれた子どもたちとは大違いだ。君はやがてこの区画を率いる身になるだろう。だから将来のためにもあんなものは忘れてしまいなさい」
「あんなもの……」
 僕が正体をあらわしたら…この人達は僕を殺しにかかるんだね…人間の姿をしていない…それだけの理由で……
 真実が冷たい水となってグレイルの心へ流し込まれた。信じていたものすべてが瓦解した瞬間だった。手足から力が抜け、グレイルは気絶した。

 真夜中、いつもの寮のベッドでグレイルは飛び起きた。急いで携帯端末を起動させ、獣人の子どもについて検索した。少年のことはトップニュースになっていた。犯罪者よろしく、この街に一つしかない留置所へ放り込まれているらしい。時間がない。殺処分は明日の朝だということだ。グレイルは服を着込むと財布と携帯端末だけ持って走り出した。夜の闇のなかを疾駆する。名前も知らないあの子のために築いてきたものをすべて捨てていいのか。理性という名の臆病さがそう呼びかけた。(かまうものか……)グレイルはスピードをあげた。
(……自分を偽ったままここで暮らして…どうなる…? そんなのはいやだ…!)
 留置所へついたグレイルはまずは優等生の仮面をかぶり、最後の別れの名目で奥へ入った。その子はぐったりと下を向いたまま、牢屋ですらない物置へ放置されていた。荒縄が細い体へ食い込んで哀れでたまらなかった。
 グレイルは少年へ近寄り、ささやきかけた。
「走れそう…?」
「なんとか」
「そう。僕はグレイル。君は?」
「エリック」
「……君を逃しに来た……ロープをちぎるから…そうしたら全速力で走って」
 グレイルは大きく息を吸い、久方ぶりに遠吠えをした。ざわりと全身が沸き立つ感触。獣の力が溢れてくる。そうだ…こうだ…僕は…本当の僕は……!

 ―――僕はこの日、故郷と「人」の姿を棄てた。


「脱走だ!」
 次から次へと警官たちが道を塞ぐ。だがもともと見てくれを重視した、形ばかりの警官だ。本気を出した二人にかなうはずがなかった。外へ出ると街はパニックになっていた。
「助けてくれ、獣人に襲われる!」
「逃げろ!」
「逃げろってどこへだ!」
 そんな大人たちを尻目に、少年たちは夜を駆けていく。闇に紛れれば、あとはもう出口を探すだけだ。ふたりはあの小高い丘を目指した。気にしていたものも、大切にしていたものも、どんどん置いていって。だんだん脚が軽くなってくるのをグレイルは感じていた。このままどこまでもふたりで走っていけたなら。グレイルは隣のエリックを見た。エリックもグレイルを見た。にやりと笑う彼も似たようなことを考えているようだった。
 いつか来た路地へ飛び込み、区画を抜け出す。同時にグレイルは携帯端末をおもいっきり後ろへ投げた。ガシャンと機械の壊れる音がする。
「よかったのか?」
「うん…よかったんだ……これで」
 グレイルは笑った。もう二度とこの区画へは足を踏み入れないだろう。そのことに後悔はない。それよりも。
「宿無しだね…僕ら……」
「そうだな。でもなんでだろうな、グレイルだっけ、君がいると安心できる」
「ありがとう……」
 深く握手を交わした手。自分が自分でいられる場所を、見つけた気がした。

 それはふたりの少年が『学園ノア』へ保護されるまでの話。

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