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つまさきに光芒
登場人物一覧
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青い海の上を白い海鳥が飛んでいく。
ざざんと鳴る波の音を聞きながら汗をかいたグラスにもたれ掛かっているストローを摘み、くるりとアイスティーをかき混ぜれば、溶け出した氷の透明と沈殿した紅がかった色がぐうるり混ざっていく。
それはまるで。
(まるで、私のよう)
紅茶だけなら、ただの紅茶だった。夏らしいシトラス風味の紅茶は美味しくて、気にせずに口にすることが出来た。けれど一枚の写真を眺めている内に氷が溶けて透明な水が上部に生じてしまい、元の紅茶の濃い色を薄めた。まるで……昔の、今までの愛奈が薄まっていくようだった。
悩むような小さな吐息が溢れ、グラスの中の氷がカランと鳴る。
愛奈にとって、この世界での今までの在り方は、ただ
元の世界では、全てを諦めた。
良くしてくれる人たちは確かにいるのに、其れ以外の人々や世界に負けて。
もう居ない祖父に何度も謝り続ける日々と、少しずつ折れていく心。
全てを諦めて手放そうとしたその時、突然知らない世界――神殿に居た。
新しい人生の始まり。けれども一度死んだ心は、新しい人生が始まるのだと、弾むわけもなかった。世界に呼ばれたのだから世界の望む通りにしようと、戦う力が扱えるようになった身でただ受動的に運命に身を任せただけだった。求められるままに戦うだけが、この世界に呼ばれた意味だと思っていたから。
新緑の戦いを経て、力が足りていないことを思い知った。もっと役にたたなければ、せっかくこんな自分を求めてくれたこの世界からも自分は不要になるのではと焦った。もっと戦って、頑張って、頑張って――世界や人々の役に立たなくては、この世界での居場所もなくなってしまう。
(そう、思っていたのですが――)
手にした写真の中で、愛奈は美しいドレスを来て淡く微笑んでいる。
写真を撮る時は、心の中で祖父に詫びた。
けれど暗い気持ちは写真には残らない。ドレス姿にはにかんでいるようにすら見える画は美しい。
あの日から、愛奈は何度も写真を見つめている。
写真を見つめて、考えて、そうして教会へと現れていた半魚人の巣も殲滅して――そうして今日は、もう本当に半魚人は現れていないかの確認をしに、あの崖近くの教会へと足を運んだ。
(花嫁さん、綺麗でしたね)
ちょうど一組のカップルが挙式をしており、愛奈も是非祝ってくださいとフラワーシャワーの籠を手渡された。
祝福の鐘が鳴り響き、たくさんの笑顔と、沢山の幸せがそこにあり、その中のひとつに愛奈もなっていた。
そうして愛奈は、やっと。
アイスティーを飲みきり、隣の席でうたた寝していたドラネコを腕に抱え、白いサマードレスを揺らしてシレンツィオリゾートを歩いていく。
一緒に依頼を受けた仲間たち。
突然発生した深怪魔による困りごとに悩んでいた人たち。
皆、明るい太陽の下で元気が笑顔を浮かべている。
(港は、どうでしょうか)
幽霊船で困っていた港にも爪先を向けた。太陽が沈んでいく夕焼けの海に面した港は、観光客たちが「ご飯どこで食べようか?」「やっぱし魚料理かな?」なんて話をして歩いており、不安な顔をした者はどこにも居ない。
色んな場所を見て回っている間に太陽は動いて、港を見つめる愛奈の前で海の中へと消えていく。空腹に気付いた愛奈も、先程の観光客たちのように適当な店に入ってみることにした。
カランとベルを鳴らして入店し、モヒートやカルパッチョを頼み、店内を見渡す。店内の客は観光客8割、漁師等港に関わりのある人たちが2割といったところだろうか。どの人たちも不安のない、明るい表情で酒と新鮮な魚を楽しんでいた。
「幽霊船、来なくなってくれて良かった」
「ローレットの人たちが何とかしてくれたみたいだぞ」
「ああ、最近島にも支店が出来たギルドか」
「俺たちじゃどうしようもなかったし、助かるなぁ」
彼等の憂いは無事に晴れ、明日も早く漁へと出られるらしい。
聞こえてきた会話に、愛奈は顔を伏せた。
(どう、しましょう……)
気恥ずかしさ、喜び、達成感――胸に様々な感情が昇ってくる。
(私、皆さんの役に立てているのですね)
英雄譚のように『
依頼をこなせば、求められるまま戦えば、そこで役目はおしまいだと思っていたのに――世界は、愛奈の物語は、ずっと続いていく。愛奈が守ったからこそそこに生じる笑顔と幸福が、確かにそこにあったのだ。
見てしまった。知ってしまった。それならもう、目を逸らす訳にはいかない。
愛奈はもう『お客様』ではなく、この世界の住人のひとりだ。
明日も仕事を頑張ろうと漁師たちが笑い合う。
愛奈もまた、モヒートの入ったグラスを傾けた。
これからもイレギュラーズとして頑張ろう、と。
人々の、笑顔を守るために――。