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光って
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――だから、そう。間違いなんかじゃなかったって、思います。
貴方が何れ程過去を否定しようとも。己の手が汚れていると主張しようとも。私は、貴方が信じた道を、信じます。
●
宵、宵、宵。
瞬きの数を数えるほどに。
歩みの数を数えるほどに。
其の空は一層に青みを増していく。
夜に血黒い藍を零せば夕が出来た。嗚呼、狂おしい程に、堕ちて行く。
ひた ひた ひた
「……」
頬を伝う返り値を拭えば、己が一層惨めに成る。何れ汚れとしては落ちるけれども、其れはじわりと布に染み込むように、心をもひたりと濡らしていく。
怯え。
怒り。
嘆き。
憤り。
赤いマフラーは血濡れから変わらず。其の赤の本来の色を忘れてしまったと思う。最初こそ汚れることを恐れていたけれど、もう
苦しいと思えば
だからそう。此れは代わり映えのない日常、其の一部だと自分に言い聞かせる。
そうすれば悲しみも痛みも無い、無意味で無価値な日常だけが残るから。赤い水溜りに手編みらしい適当に購入した草履を浸せば、込められた無事の帰途への願いを踏み躙っているような心地がして苦しくなった。
痛み。痛み。痛み。痛み。
「……はぁ、今日も頑張り過ぎたか」
うんと伸びをして、誤魔化す。そうだ。痛むのは屹度頑張りすぎて
とは云え飛ばし過ぎ無ければいけない理由がなければ幻介が暴れる理由も此の依頼を受ける理由もない。先日手に取り任された依頼は、そう――祖国での所業と変わらぬ制裁、或いは処刑に当たる闇討ちに等しい。
望まれたのは速く、確実に、そして強く。息の根を確実に止めるようにと願われた。其れが唯の復讐にしか成り得ないと理解していながらも、受けることを決意した。でなければ屹度、依頼主は其の手を汚すことを決意しただろうから。どうせ汚れる手なのならば、既に汚れている手の方がいい。そう思った。
依頼は極めて好調に終わった。
と、云うか。其れ以外に有り得ない程に簡単な依頼だった。一応は複数人相手ではあったけれど、歴戦の
唯一の盲点としては寧ろ初心者を相手にすることになったから行動の予測が出来ず傷を幾つか追ってしまったことだろうか。刀とは基本両手で持つ物。故に、カバーしきれなければ足や腕で受ける他無い。致命傷こそ避けたものの一番の傷となり得る腹部を手で覆って、其の依頼は終幕を迎えた。後は、帰るだけだ。
依頼主の希望は、全員の首を斬り持ち帰ること。願われたのであれば致し方ない。けれど、嗚呼。其れはあまりにも身勝手な復讐だ。勿論、依頼であれば遂行する迄なのだけれど。
慣れた手付きで頭を掴み、首を確りと斬り抉る。包丁捌きのように、否、其れ以上に簡単に扱う事が出来た。でなければ刀一本で戦うにはあまりにも危険な
滴っていく血液は彼等もまた血の通った人間であったのだと云うことを示す。依頼主の恨みを買ってしまったが運の尽きなのである。若干の申し訳無さはあるものの、其れは其れとして仕事なので致し方あるまい。
必要な首を並べて袋に投げ込んでいく。此れだけの作業であるならば果物をもぎ取っているのと変わり無いようで笑ってしまった。勿論皮肉だ。片手じゃややバランスは取りにくいのだが、ずしりと重みはある。鉄臭さを忘れて目を瞑れば大きな西瓜みたいだ。此れも、また皮肉である。
夏夜の湿気と噎せ返るような鉄分の香り。
其れ等全てを掻き消すような甘ったるい香水の匂いに、男――幻介はくるりと振り返った。
消すつもりも無いのであろうカッカッカッと鳴らされたヒールの音が小気味良い。其処に現れた女性は愛らしく、そして完璧
刀を仕舞うことはせず。遺体の前に庇って立つように立ち乍ら。
「こんな夜に迷子とは――いけませんなぁ、お嬢さん」
其の女は。夜に一人歩きをしても問題ないような家無しではなく。寧ろ騒がれるような――お嬢様だった。
真っ赤なドレス。豪奢なブロンドヘア。煌めくサファイアの瞳。屹度大事に育てられたのだろうと伝わる。其の肌には傷一つ無く、丁寧に施された化粧で彼女の美しさは尚の事引き立てられている。故に恐ろしい。此の場にはあまりにも、不釣り合いだ。そして、屹度蝶よ花よと育てられているのならば、血濡れの幻介や首無し死体、反対の首の山を見て叫んだっておかしくはないだろう。
けれど彼女は未だ微笑み続けていた。其の異質さが気に掛かって、刀を仕舞うことが出来ない。
「あら、レディに対して無粋な人ね。うふふ、迷子じゃなくて目的があっての
驚く素振りすら見せず、血の水溜りをぴちゃ、と臆すること無く踏み付けてしまうのだから、驚いた。であるならば。彼女の狙いは、死体でも興味本位で覗き込んだ一般人でもない。
恐らくは――もう、堕ちている。
(は、は。こんな時に……)
けれど不調を知られてはならない。負けを。隙きを作らせてはならない。
「……如何にも。拙者こそが、」
――咲々宮家当主にして処刑人。咲々宮幻介に御座る。
まぁ、と笑った女は。
まるで恋する乙女のように頬を薔薇色に染めて微笑む――の、ではなく。みるみる殺意を込めた笑顔で笑い、謳った。
「ふふ、そう。良かった。調べていたのよ、貴方のこと」
「モテる男は辛いで御座るなあ、可憐なお嬢さんですら魅了してしまうみたいで御座る」
「いいえ、いいえ。貴方のことなんか此れっぽっちも、微塵も、好いてなんか居ないわ、寧ろ――大嫌いだもの」
くす、くす、くす、くす。
笑い声が木霊する。彼女一人である筈なのに、色んな女の笑い声が重なって反響するようだった。リズミカルに鳴り響く女の靴。其れは体裁を保つためのカーテシーか。
「初めまして、愛しい人を奪った貴方。其れから――」
「 死 ん で く だ さ る ? 」
後ろに引かず前に残した足を起点とした大きな回転蹴り。旋風を巻き起こし、砂埃を、水溜りをも弾き空へと突き上げ血の雨を降らせる。
が、流石に其の程度で吹き飛ぶ程柔に出来ている訳では無い。此れでも鍛えて居るのだ。苦しい、なんて笑うよりも先に飛び退き躱す方が優先。舞い踊る砂埃、其れから痛み。げほげほと蒸せる気管。其の声を聴いて女は一層ご満悦に髪を靡かせる。
「行儀の悪い足だこった、なァ!」
「うふふ、チャーミングポイントでしてよ」
「……っ、は、そりゃ結構!」
ドレスの下から艶めかしい足が覗く。が、其の威力は愛らしいものではない。老朽化した建物の幾つかは崩壊せしめんとする驚異的な威力を有していた。其の為に、幻介が斬った遺体の幾つかは崩れ落ちてきた瓦礫の下にぺしゃんこになっていた。
其れはまるで熟れた果実を握り潰したかのように。
女は其の愛くるしい表情を堪らなく幸せそうに歪めた。一生、愛
「おい、お前……!」
「他人のことなんて気にしている余裕はありませんのよ、幻介さん?」
けれども、嗚呼、彼等とてもう死んでいる。死んでいるのに更に苦しみを与えるつもりは無い。無かった。何故ならば、此れは幻介の復讐ではないからだ。
死んだ時点で彼が処刑する対象ももう居ないのだ。故に、死体を無下にする必要はないと感じていた。其の価値観を何の躊躇いもなくぶち壊す彼女が恐ろしい。と云うよりかは、気味が悪い。屹度彼女はついこの間迄は唯の一般人であったはずなのに、何が彼女を
其の疑問符に答えるかのように彼女は笑った。
「ねぇ、貴方」
「何だ、お嬢さん」
「ふふふ、聴いているよりも随分と親切なのね。足払いを掛けたのに!」
「強盗と勘違いして心底上手な護身術で俺を攻撃してきただけかもしれないで御座るからなあ」
「あらあら、疑うことを知らないのね。悲しい人」
「いいや、お嬢さんを信じているので御座る」
「あら、買い被り過ぎね」
「どうであろうなあ」
ふふふ、と笑みは崩れない。けれど嗚呼、肌に刺すような殺意が飛んでくる。とんでもないお嬢さんだことだ。
ひらりひらりと可憐に揺れていたレースは其の面影を残すことはなく土と砂で汚れ、埃に塗れ、破けている。屹度そんな風に成る為に生まれてきたのでは無かろうに、なんて他人事のような心配と同情と生まれてくる。
「私ね、貴方を探して居たのよ」
恋をした乙女の顔だ。と、幻介は思った。
飽きる程見た。いや、今も見ている。……己に、恋をした女の顔を。
けれど解る。確かに、彼女は恋をしている。己とは違う誰かに。
「私ね」
「私の彼を奪った貴方のことを、ずっとずっとずっとずっとずうううううっと、探していたの」
処刑人、とは。
恨まれる仕事だ。嫌われる仕事だ。厭われる仕事だ。
正義の名の元に命を奪うだけの殺人者。正義の免罪符が無ければ唯の犯罪者と違いない。
誰かの大切を。誰かの特別を奪ってきた。何人も。何人も。其の躯を踏み付けにした先に、幻介の生はある。否、そうすることでしか生きることを許されなかった――其れが此れ迄咲々宮を継いできた名代や当主達の末路であり、宿命であるのだから。
苦しいと笑えば逃れることが出来たのだろうか。悲しいと藻掻けば何か変わったのだろうか? 幻介はそうは思わない。だからこそ姉を師と仰ぎ、背を追い、そして何より戦った。
だからこそ今の幻介がある。苦しくとも噛み締めて。悔しくとも耐え忍んで。そうすることで今を紡いだ。今へと繋いだ。だから今も、此処に立っている。
「……私の彼も、其の剣で斬ったの?」
「いやお嬢さん、此れは刀に御座るが――恐らくは、そうであろうな。お嬢さんが探している男が俺であるならば、全て此の刀が血を舐めていることで御座ろう」
「へぇ、ずっと其れで人を斬ってきたのね。私の彼は、貴方に肩から胴までをすっぱりと斜めに斬られてしまったのよ、覚えていないの?」
「……」
覚えている、訳がない。
「声がしたの。私に、囁く声が」
「嗚呼」
「屹度答えるべきじゃ無かったのでしょうね。胸に宿った炎が消えないの」
「嗚呼」
「……貴方を、殺さなきゃ」
屹度。
沢山泣いたのだろう。
沢山悩んだのだろう。
沢山死のうとしたのだろう。
だけれども。彼女もまた、立ち上がった。其れは称賛されるべきことではない。褒められることでもない。堕ちて――魔種となったのなら、其れは世界を敵に回すことに成るのだから。
(知っている。見えているさ)
眦を赤く染めた涙の訳が自分であることも。
其れを隠させているような真似をさせていることも。
命がけで殺す選択を取らせてしまったことも。
全ては自分が処刑人であるせいだ――
「だから、俺は誠心誠意お嬢さんに向かい合おう」
「……それなら、死んでよ!!」
嗚呼、解るとも。
殺したいだろう。死んでほしいだろう。そう願わなければ正気で居られないのだろうことも。解る。
「……」
そして幻介は運悪く手負い。未だ魔種としての力を上手く使いこなせて居ないのだろう女を狩ることならば、普段の幻介ならば出来ただろう。
けれど、今の彼は手負いである。複数人を相手し、怪我を負い、体力ももう殆ど残っては居ない。遺体を適当に片付けて帰途に着こうと思っていた。そんな最中に襲ってきた魔種――どう足掻いても、重傷は避けられないだろう。
否、重傷で済むならば幸い。命の危険さえ感じている。手負いの幻介に魔種に対処し切るだけの力はもう、無い。
――ほんと、最悪の日だ。
せせら笑う。そうでなければやっていられない。こんな滅茶苦茶な人生って奴は!
「どうして、笑っているの」
「可笑しいからに御座る」
「私が? 可笑しい?」
「いいや、拙者の人生が」
「……人を殺してばかりならば、可
真っ赤なドレス。血の渦のようだ、なんて思った。
女の顔からは笑顔が消えない。悲痛だ。
「……そうで御座るな。其れでも……悪くないと、思うで御座るよ」
「……何が?」
「此の、」
月光は路地裏には差し込まない。
苦しいと思う日々に光が差し込まないことなんて数え切れない程にあった。けれど、折れることはしなかった。其れは此れ迄自分を大切に想ってくれた人への冒涜だ。
踏み込み、浅く。たったった、と小走りに刀を振り、右、左、横へ薙ぐ三段切り。けれど女に小手先の技は通用しない。魔種になっただけのことはある。影から黒い茨が触手のように伸びる。そして、大きな的――幻介を喰らわんと、大きく大きく膨らんで、鞭のようにしなる。
「貴方の命は、幾つもの犠牲の上に立っているの」
「嗚呼、そうに御座る」
「だから、貴方、屹度此処で死ぬべきよ」
「……そうで御座るな」
「なら、死んで?」
ギリギリギリギリギリ――……
影を持たぬ黒から金属のように硬い音がする。不思議なものだ、と幻介はせせら笑った。
一本。二本。三本。茨が連なれば連なる程に、力が加わって刀が押され負ける。幻介の細い身体では、力を加えることは出来ない。故に速さに磨きをかけた。
「くっ……!!」
走れども、走れども、走れども。茨は幻介を貫かんと、壁を伝い、空に架かる。此れでは幻介も捕まって――落ちる。
「あはは、捕まえた。捕まえたわ……!」
足を掴んでいる茨目掛けて刀を下ろすが一向に効かない。効いた気配もない。
逆さまに吊るされて、おもちゃを手に入れた子供のように壁にぶつけてはまたぶつけて、幻介で
「がっ……!!」
「うふふ、痛いでしょう。痛いでしょう? 彼はもっと……もおっと痛かったはずだわ。だから、貴方をもっと痛めつけてから、彼と同じようにしてあげる」
既に意識は朦朧としていた。
もう骨の幾つかは折れているだろう。失血死してしまうかもしれない。何て他人事のように思った。
「さぁ、トドメ!」
嗚呼、花が咲くようだ。
其の笑顔は嘗て愛しかった人の其れにも似ているようだと思った。
恋をしていた日のこと。恋を忘れた日のこと。混沌に来てからの幾つもの思い出――
(……此処で、終いか)
ぼやけていく視界。薄れていく意識。
閃光は、駆け抜けた。
「はぁぁぁぁっ――――!!!」
「きゃぁっ……何?!」
「っ、此れ、は……」
黒、絶たれれば。
また立ち上がらねば成るまいよ。
着地すらも危うかった幻介を庇うように立つブロンドの女――リディア。
「……まだ、戦えるでしょう?」
疑うことすら知らない純真な剣。
曇は無い。もう晴れ切った空。月明かりが下りてくる。恐れる必要はない――
「当然だ」
刀を地に突き刺し立ち上がる。
そうだ。何度だってこうやって立ち上がってやる。そうやって――今日まで生きてきた。
リディアの身体に鎧は無く唯の私服であると理解が出来た。どうしてこんな時に迄、なんて笑みが溢れる。馬鹿な奴だ――
「……そう。増えるのね。でも、変わらないわ。其処の貴女には悪いけれど、貴女にも死んで貰わないと」
「いいえ、倒れるのは貴女の方です。私は負けません」
断言したリディアの声。
其れは正しく閃光のようだ――駆け抜ける突風。其れは敵たる女を中央に置き発生している。
「どうして? 其の男は人殺しよ?」
「私もです。私も殺しています。誰かの犠牲に私達は立っているし、其れを正当化するつもりは無いです」
「そう。貴女も誰かを殺しているのね……なら、私が殺してあげる」
撓る黒影。其れは幾つもの波となってリディアを襲う。屹度未だ鈍っている。屹度力だって幻介よりも無い。其れでもリディアは幻介を庇い、立った。
目が醒めるような金属音が鳴り続ける。ギィン、と刃毀れしそうな程に擦れ合う影と剣は、酷く無様な程互角に戦っていた。
其れはリディアの腕が鈍っていたのではなく、幻介の朦朧とした意識の中では何かをはっきり捉えることが出来なかっただけである。本来はリディアの圧勝、弾いては前線へと押し、女の影が伸びる隙間を無くしていた。
「そうやって、貴女は自分を正しいものとするんですね。私は貴女にどんな理由があるかは知りません。唯の通りすがり、モブAとでも思ってください」
「っ……何よ、何よ何よ! 貴女に私の痛みなんて解りっこないわ!」
「そうですね。貴女の痛みは、私には解らない。だけど、」
「だけど、貴女の大切だった人が、貴女に手を汚して欲しかった訳じゃないことだけは、解ります」
「――――五月蝿いいいいいッ!!!!!!!!!!」
最早其れは可憐だった赤い乙女の貌では無く。唯復讐に燃えるだけの魔種と成り果てた。
けれど。其の復讐が燃えた時――また同じくして、幻介の命の灯火も燃える。未だ此処で死ぬ訳にはいかないのだと――吠える。
空を覆うように伸びる黒い茨。其れは怒りを――炎を纏って唸る。
血塗れで罅割れた路地裏を覆い尽くす、黒。
けれど恐れる必要は無い。
「さぁ、行きますよ!」
「応――」
汝、其の先へ至れ――なら、見ていてね。
屹度こんな形で実現させる心算は無かったけれど――リディアは幻介よりも先に走る。走る。走る。
手負いの幻介を庇い立つように。そして致命傷と成る一撃を与えんとするが為に。
華やか成りしは輝剣鋩。柘榴石の色をした血潮が、花吹雪が、舞い踊る。
黒を断つ。闇を祓う。穢れを落とす。そして――光あれ。
願ったのはリディアか幻介か。何方でも構わない。リディアの金髪が揺れた。
「さぁ、行ってください!」
捻じ伏せたのはリディアだ。女は敵わない。もう真っ直ぐに未来を見た其の瞳には。
「うおおおおおおおおお――!!!!」
雄叫びのようだとも。咆哮のようだとも、思った。
命響志陲、斬り捨てて。黎明を……夜明けを、待つ。
「……嗚呼」
屹度、彼も此れを見たのね。
女は笑った。
誰かを。幻介を憎んでいた魔種の顔としてではなく。唯誰かを愛していた、ひとりの女として。
「危なかった……」
「嗚呼。助かったぞ、リディア……」
ほっとしたリディアが息を吐いたのも束の間。
幻介は、其の石畳の上に崩れ落ちる。
「……っ、幻介さん?!」
倒れ込んだ幻介に思わず焦るリディア。だったが、息はある。
またもや安堵の息が漏れる。
「……でも、幻介さん」
――素直過ぎる剣でも、貴方を護ることは出来るみたいですよ。
彼が何の依頼を受けていたかは知らないが、一先ずは此の惨状を何とかすべきだろう。
幾つもの死体と血に塗れた此の路地裏は――あまりにも、苦しいから。
●
「……本当に、其れでいいんだな?」
「甘いといっているんだ」
「何とでも言うがいい。其れが決闘だろう?」
「――よもや、卑怯とは言うまいな?」
「いや、喚きたくば喚けば良い。その頃には、そっ首跳ね終えているだろうが」
「お主の戦いは素直過ぎる」
「……そのような戦い方では、いつか命を落とすぞ……?」
「おいリディア!! もうやめろ、風邪引くだろうが!!」
「……そうか。リディアは、そうするんだな」
「ああ。少なくとも俺は、この戦いを再戦だとは認識していない」
「それを言うなら果たし状だろうが……まぁ、その理由はもう自分がよくわかってるんじゃないか?」
「いいや」「いいや」「違う」「違うさ」
「リディア」「リディア」
「リディア!!!」
「――精が、出ているようで御座るな」
「いいや、そんなことはない。仮にそうだったとしても、年長者にはそれを正す義務がある」
唯楽しいだけの道のりでは無かった。唯傷つかずに走るだけの道のりでも無かった。
涙し、心が折れ、其れでも剣を握りたいと願い、そして其の背中に焦がれた。
己の非才を嘆き、其の才能を羨み、藻掻き、剣なんて捨ててしまいたいと願うこともあった。
此れは手合わせなんかじゃない。唯弱っていた幻介が居て、其処にたまたま魔種が来ただけの、ラッキーで偶然の過ぎるチャンスだった。
それでも。
「……私、変われましたよね」
此れまでに交わした幾つもの言葉を思い出す。
私達の間に、嘘はなかった。
だからこそ誇らしい。屹度貴方も見ていただろう。朧気な記憶であろうと、焼き付いただろう。
もう迷わないと誓ったあの日から研ぎ澄ました、鋭い一撃を。
「それから、林檎の剥き方だって練習しておいたんです」
ほら、上手く剥けたでしょう? なんて。林檎をうさぎの形にして置いておく。
「……だから、早く治してくださいね」
そうしたら、次こそはちゃんと。
貴方と私、真っ直ぐに――決闘を、しましょう。
「あ、リディアちゃん。来てたんだ」
「実は現場の片付けが夜通し続きまして、ついさっき治療を終えて頂いたところでして……此れから帰るところです」
「そっか。幻介さん起きた?」
「いえ、全然。林檎だめになりそうだったら食べちゃってください、また買ってきます」
「お、言ったな? 俺のおやつになるかも」
「ふふ、其れでも大丈夫です。其れじゃあ、私は此れで!」
●
寝返りを打つ。痛い。
反対に寝転がる。痛い。
どうしてこんなに身体が痛いのか!
「……ってぇ」
不機嫌な儘に起き上がろうとしたが――身体が動かない。
「は……?」
よく見れば此処は何時もの塒では無く――病院だ。
「あ、起きましたか?」
「いえ……いや、はい」
テキパキと脈を測り点滴を入れ替える看護師の一人は、幻介の顔馴染みだ。
彼が包帯を変えて行く。傷跡は目も当てられない程酷く、良く生きていたものだと我が事乍らも惚れ惚れするしぶとさであった。
「良かった。リディアちゃんにお礼を言っといてくださいね」
「え?」
「だってあの子、一人で貴方のこと運んできたんですもん。いくら幻介さんの発育が良くないからって、其れでも女の子に其れは酷ですよ」
けらけらと笑い飛ばす看護師。けれども幻介はやれやれと溜め息をついた。
隣にあるテーブルにはうさぎの形をした林檎――屹度意趣返しだ。
「あーあ、食べても良いって言ってくれてたのになあ。もう少し寝込みません?」
「其れでも看護師か」
其のうさぎが一年前と重なる。
「嗚呼、じゃあもういいです。決闘しましょう、決闘!」
「はい、良いでしょうとも! 嗚呼そうだ、手加減なんてしないで下さいね? 後で言い訳なんか聞きたくありませんから」
「ッ、わたし、私は……!!」
「やめて、離してくださいッ!! 私は強くならなきゃいけないんです――!!」
「関わらないでくださいよ。……どうして、こんなことするんですか」
「……これであいこ、とは行きませんね。もう一度です!」
「どうして? 私、あんなに一生懸命『招待状』を書いたのに!」
「……私のこと、からかってるんですか」
「それじゃあ、私が本気じゃないとでも?」「馬鹿にしてる?」
「刀なんてなくても勝てるって?」「私のこと対等に見てないんでしょう」
「弱いって、見下しているんでしょう」「そうやって、また、私を――」
「――――ッ、ああ!!!」
「……どうしていいのかわからなかった。だから……こんな手段に出てしまったのは、謝ります。だけど、……もう、いいんです」
「ありがとうございます。……きっと、私。間違えたりなんかしません」
凡そ一年。
季節が巡った。
秋の闘争。
冬の葛藤。
春の失望。
そして――夏の昇華。
未熟だった。何もかもが違っていた。
けれどリディアはより輝いた。唯死体を積み上げるだけの一年ではなく――友とぶつかりながら、より強くなっていたのだ。
「……そうか」
幾つもの死体の上に立っている。
そう思っていた。屹度其れは今も変わらない。だけど――
(死体を作るだけの『処刑人』だけが、
空は青々と光っている。
其れはまるで曇りなき輝剣、リーヴァテインのようだと幻介は思った。
おまけSS『やっと届いた』
●
数週間後。
「「あ」」
其処はギルド・ローレット。
幾つもの依頼が打ち出された其処は、
日銭を稼ぎ、物を買い。そうして彼等は、生きている。
「良かった、完治されたんですね」
「嗚呼、有難うな」
「いえ、此方こそ」
依頼を眺める。
目は合わない。
「……もう弱いなんて言えませんよね」
「どうだか!」
否定はしない。出来ない。
自分の窮地を救われているから。
「……良かった。やっと、私、」
あの日の貴方の背中に、届きましたね。